花を秘す
各地に散るリヴィエール一族が次々とシランスに向け、馬車を走らせるのは本家の当主であり
シランス領主としてその地を治める辺境伯の地位にある男 ヴィクトワール デ リヴィエールが
倒れたとの一報が飛んだからだ。
そして海の見える丘に建つ要塞、キリアラナ王国の南方 海と魔獣の住まう砂漠に面した
シランス領を治るシランス辺境伯本邸に一番乗りしたのは王都に居たヴィクトワール本家の
3番目の息子 クレール子爵の妻 ショーン子爵夫人を乗せた瀟洒な馬車だった。
夫人を乗せた馬車は、まるで風に乗るかのように門の内に吸い込まれるように滑り込んで行った。
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「お義父様」
現在は意識を取り戻し小康状態を保っていると、当主付の侍医の説明を受けて
病室へと改装された当主の休む部屋へと案内されたショーンは、寝台の上にて上体を起こして
本を読むヴィクトワールへ、見舞いのケリアの花を活けた花瓶をメイドに持たせて入室する。
「来たか、クレールは一緒では無いのかな?」
「あの方は御前会議が御座いますので、私だけでも先にと申しつかりました」
「そうか」
ヴィクトワールは活けられたケリアの花に目を向け、何事かを思案する風に瞬きをすると人払いと
サイドテーブルのベルに手を伸ばせば、リンと鳴らされる前に躾の良いメイド達は退室する。
「ショーン、其処の書棚の蔦模様の細工のある箱を」
「畏まりました」
書棚に置かれた様々な装丁の本や宝石箱の中から、ショーンの目から見て翡翠のようなとしか
言い様のない貴石が散らされ、美麗な金細工で蔦が這う意匠の手箱を取ると
病床に伏せる義父の手へと受け渡した。
「これを遣ろう」
受け渡したばかりの手箱が再びショーンの掌へ戻された拍子にヴィクトワールの指に触れた。
「形見にしては安物だが…余人に見られたくない儂の負け戦の証だからな」
掌を包まれるようにして小箱の留め具が外されると箱の中には花を模ったカメオがあった。
「私にですか?」
「あぁ恵美子に似合うと思って、買ったきり渡せずにいた」
嘗ては魔獣を大剣一振りで屠る猛将と呼ばれた辺境伯も病床に伏し、過去を懐かしみ繰り言を繰る
老いさらばえた姿を晒すザマだと自重気味に語るヴィクトワールは
もう誰も呼ぶ事の無くなったショーンの本名を口にした違和感に名を呼ばれた彼女は小箱を握る。
「お前がケリアの樹から降って来て、この世界に降りた時から目が離せずにいた」
目を細め昔を思い出すのヴィクトワールの言う通り、ショーンと呼ばれた女は『異界渡り』で
平成の日本からキリアラナ王国のシランス辺境伯別邸の庭に、文字通り降りて来た転移人なのだ。
「あの時お前は泣いていたな」
「離婚届を提出した帰りでしたわ…まさか市役所前の道路のマンホールの蓋が外されていて
落ちただなんて、そして穴の先が異世界でお義父様が居られるだなんて思いもしませんでしたの」
当事者からしてみたら天地がひっくり返る程の大事件のつもりだが、それこそインターネットで
其処此処の掲示板に転がっているありきたりな夫の不倫と愛人の妊娠。
知らぬは女房ばかり也と、雁首揃えて突き付けられた母子手帳と緑の紙が現実。
泣こうが喚こうが俗世間の汚い大人の修羅場を余所に胎の中、スクスク成長する胎児のお陰で
みるみる膨れる愛人ちゃんのお腹は待ってはくれない。
勤務先で知り合ったとコソコソ乳繰りあったそれを禁断の純愛だなんて取り繕った所で
所詮は不倫、肉欲に負けた節操無しの馬鹿2人に戸籍上妻である恵美子は
色々と言いたい事もあれば訴えたい事もごまんとあったが、愛人ちゃんに堕胎しろと
迫れる程、冷酷にもなれず夫にも情も枯れ果ててしまったので慰謝料だけで手打ちと
毟れるだけ毟って綺麗さっぱり忘れてやるわと、突き付けられた緑の紙にサインし
産まれてくる子供のオムツ代だと嘯き、手切れ金と帯封のついた札束を叩き付け
慰謝料で身包み剥いだ元亭主を身一つで巻き上げた自宅から追い出すと離婚届を引っ掴み
市役所へと提出して漸く旧姓へと戻ったばかりだと、デビュタント前の少女が涙ながらに訴える違和を
如何に消化しようかとヴィクトワールが悩んだのは十数年も前の晩春の庭であった。
転生とは違い、魂を内包した肉体ごと異にする世界の境を超える転移人は転生人よりも稀少だ。
普通なら幾重にも計算された転移用魔法陣を敷き、膨大なる魔力を注いで、渡らせる肉体と魂を
保護する術式に守られて呼び寄せる『召喚』で渡らせるが、王家直属の宮廷魔導師クラスの
一流魔導師をを1ダースとA級クラスの冒険者がチームで倒すような超級大型魔獣からしか
採れない魔石をふんだんに用い、暦を調べ星を読んだ数十年から百年に一度のタイミングで
漸く人一人呼び寄せるのがやっとの大掛かりな術の為、滅多に行われる事は無い。
だからだろうか異界渡りの対価に30年近く生きた手塚 恵美子の人生、つまりは『時間』が
代償となったと、連れて行かれた魔法省に新設されたばかりの王立魔法開発局異世界管理課での
聞き取り調査から始まった魔力計測から何から調べられた結論がそれであった。
花弁の黄金色と密に花が咲き誇る豪華さが貴族に愛され、庭木の定番であるという
ケリアは日本でいう山吹とほぼ同じ植物のようで、恵美子は『金より降りたる乙女』と
縁起物扱いで保護されたリヴィエール伯の膝元で養育される事となる。
しかし何処にでも口さがない者は居るもので、何処の誰とも知れぬ恵美子を指して
孤児が密かにリヴィエール邸のケリアの木の枝に潜んでヴィクトワール目掛けて態と落ちたのだと
詐欺師呼ばわりする者もいたのと転生転移人は有用な知識やギフトと呼ばれる
稀有な力を授かっている者が多く、その知恵と力を狙う者や妬む者も多くて
ヴィクトワールが望んでも恵美子を養女にとはいかぬ事情があった。
なれどキリアラナに降りた転移人を受け止め言葉を交わしたのが自分だとの自負からか
聞かされた異世界 日本での恵美子の人生に同情したのか、ヴィクトワールは恵美子に
新たなるショーンという名を贈り、伯爵家としては当代一の婦女子教育と辺境伯家の名において
預かる娘だからと一通りの武具の扱いを仕込まれた。
祖父母から話半分に聞いていた祖の手塚太郎光盛の血なのであろうか、それとも異界渡りの際に
神より授かるとされたギフトなのか武の才に秀で、特に弓を扱わせれば百発百中の精度を誇る
凄腕の射手と囃されるまでとなった恵美子改め ショーンは5年、一通りの教育を修め
成人とされた15才頃の肉体の成長を以って独り立ちしたいと願い出て、リヴィエール邸から出て
ギルドで冒険者登録を済ませるとシランスを後にする。
恵美子は此処が日本に居た時にプレイしていた乙女ゲームの世界だとキリアラナ王国や貴族の姓や
領地の名や様々な常識を学ぶ内に気付く、そしてその先も知っていた。
だからこそ独立して様々なクエストをこなしながら王都へ向かうと、ゲームシナリオに出てくる
ヴィクトワールの息子 クレールの躓きの原因となる初恋の歌姫の発病を回避するようにと働いた。
乙女ゲーム『イケメン王子と恋をしよう』という王道のそれに出てくる攻略キャラである
シランス辺境伯の四男は初恋の歌姫を亡くし、傷心を誤魔化すように放蕩に耽ける。
つまりはヴィクトワールが軍備を調え兵を率いて魔獣や海獣魔のモンスター群を討伐し
海賊の略奪防ぎ他国の侵略を退け苦心して統治する、シランス領の富を浪費しているのである。
全ては恩人 ヴィクトワールの為であって、『イケ恋』に登場するゲームキャラとしてしか
見ていない放蕩息子のクレールの為では無かったのだ。
それは心密かに恋い焦がれ惹かれたヴィクトワールの心労を和らげようとの気持ちでもあった。
離婚という傷心の内に異世界へと落ち、何も持たず何も判らぬ身に手を差し伸べ親切に接し
流石に貴族なだけに紳士的に振る舞うが武力と胆力を見込まれ辺境伯としての実力も見せつけ
保護してくれたヴィクトワールに恵美子は何時しか惹かれていた。
しかしキリアラナ王国という王政国家の貴族の当主と、転移人という何の後ろ盾もない小娘。
しかも転移前の恵美子はキリアラナの常識では既に年増を超えた
大年増という年齢の上、離婚した出戻りの身である。
釣り合う筈の無い身分違いの恋と叶わぬ恋を諦め訣別する代償行為に、魔獣を狩ったり
シランスに尽くすべくヴィクトワールには判らぬように立ち回っただけなのだ。
それがなんの運命の悪戯か、ヴィクトワールの息子 ゲームシナリオでは放蕩者になる筈だった
クレールに熱烈に乞われてしまい心密かに想う相手の息子へ嫁した。
「惜しいな」
遠い目をしてヴィクトワールは呟いた。
「あの日、あの時何故私は恵美子の手を取らなんだのか」
今から十数年前、南海の沖からシランス港にまで迫った海獣魔群のモンスタースタンピート。
ゲームのエピローグでサラリと触れていたキリアラナ王国史を記憶していた恵美子は
愛用の大強弓を手に海岸へと駆け、持てるアイテムと魔力と体力の限りを尽くし押し寄せる
海獣魔等の群れ…モンスタースタンピードにたった一人立ち向かい
雑魚一匹たりとも上陸を許さず退けた功績でギルドランクの最高位 Sクラスへと昇格を果たした。
だがそんな功名よりも莫大な褒賞金より名誉より何よりシランスを、ヴィクトワールの治むる地を
守り切れた結果こそが全てであった。
どんなに焦がれたとしても、恵美子がシランス辺境伯夫人の座に着く事が出来ないのは
リヴィエール邸の使用人やヴィクトワールの親族、王城の敷地内にある魔法省の異世界管理課へ
出頭する度に耳に入る有閑貴婦人の詰まらぬ陰口や謂れなき中傷の数々から既に悟りきっていた。
そして自らが日本で受けた仕打ちの加害者だった前夫と愛人のような振る舞いなど真っ平御免。
既に立派な子息が4人もおり、死別したとはいえ妻帯していたヴィクトワールに対して
ただただ恋しいと世の道理も倫理も、好いた男の行く末すら忘れて溺れるような
恋なぞとは呼べぬ想いを向けてはいけないと、なけなしのプライドが押し止まらせた。
なれど心密かに想う自由はあるのだと誹謗中傷を無いものと流し、報われぬ密やかな恋慕を
それとは悟られぬように押し隠して爪を研ぎ牙を磨くように研鑽に努め
ヴィクトワール当人に尽くせぬのであれば、せめてシランス領に襲い来る災厄を防がんと
思い立ったの何時だっただろう。
モンスタースタンピードを向こうに回してそれを制圧し遂げたショーンの姿は世に語られる
古今無双の女勇者には程遠く、海水を被り潮風に吹かれて解けた髪が頰に首筋にと
うねりながら張り付き、その上から海獣魔の体液を浴びた上に、疾うに体力も尽き果て気力のみで
蹌踉めく足を叱咤し和弓を思わせる射手の背より長い長弓を杖と縋って、砂塗れの酷い有様なれど
それでも一心にシランスという地を守り切ったとの誇りを湛え直ぐに睨め上げる炯々とした目。
領主として相対したヴィクトワールも彼女の目に籠る熱の意味を理解出来ぬ程の朴念仁ではない。
ランス一筋に鬨の声を作り軍を指揮し、魔獣や敵兵を蹴散らし生きてきた木強漢なれど
実際、婦女から熱い眼差しを向けられた覚えもある。
最初は寄る辺無き幼ない転移人を保護し養っているつもりだったが
養い子が何時しか強さを兼ね備え美々しく成長してゆくにつれ目を離せずにいて年甲斐も無く
その姿を目で追うのを止められずにいたと自嘲したのは何度目だったろう、弁えて心の内を
唯一言たりとも漏らさなかった娘の恋の狂気に堪らず手を伸ばし掛けた時だった。
父の薄暗い欲望も若き娘の密やかな恋の焔も知らぬクレールがモンスタースタンピード撃退の功を
賞する褒賞の席に飛び込んで、見目の美しい女冒険者に真っ直ぐに恋を乞う言葉を叫び跪いた。
瞬間、ヴィクトワールは臆したのだ。
自らの年齢や身分差に世間体、若いショーンと名付けた娘の未来。
息子のクレールは王の覚えも目出度く王都にて人脈を築き、華やかな生活を送っているのに比べ
自分は辺境にて潮風吹き荒ぶ実り少なな草原に跋扈する魔獣や、荒々しい海の海獣魔や外敵相手に
ランスを振り回す生活で、妻に据えたならば王都とは比べくも無い荒涼の砦に置くしかない
女の幸せとは程遠い未来しか与えられぬ身。
そして何よりも恵美子の狂気とも取れる一身を傾けた傾倒に怯んだのだ。
「死地へと身を投げ出す程の想いを受ける度量が無かった…どんな罵詈にも静かに耐えていた
恵美子があれ程までの烈しさを私に向けて立っていた」
死の際の繰り言と自嘲を浮かべ、あの日の烈しいまでの恋情を惜しむヴィクトワールに
恵美子は敢えて笑みを作ると病床へと向き直る。
「好いたお方の為ならば盾にだって剣にだってなりましょう、天下が欲しいなら獲りましょう。
その恋が叶うかどうかなんて気にはしていられませんの、それが信濃の手塚の女ですもの」
リヴィエール子爵 クレールに嫁いだ後も、偶然にも恵美子と同郷であった前世を持つ転生人の
キリアラナ王国王子妃とも目される公爵令嬢の口添えと、その父公爵の後見で
現地人達は日本史を知らぬし調べようがないからと
恵美子の祖である光盛の母が手を斬り落とされてなお、源氏の旗を守った功に
斬り落とされた手を埋めた塚に因んだという手塚姓の由来と、800年以上続く武家であり
世が世なら上田藩士の息女という身分という事実に色々と下駄を履かせて体裁を調えた
根回しの言い訳を引き合いに、ショーンは冗談めかして嘯き、叶う筈の無い想いに
遅過ぎた答えが返されたからと、ここで涙を見せてしまったのならヴィクトワールは臆病故に
恋を棄てた男と、恵美子は妥協の半生を生きた惨めな女と成り下がると
恵美子ことショーンは精一杯の虚勢を張って軽やかに笑んで見せた。
「そうだな、詮無き事を言った」
笑み作ろうともブローチの納められた小箱を指が白くなるまで握り締めたショーンの
精一杯の強がりを、ヴィクトワールは同じように笑みで応え、それきり互いに言葉を零す事無く
ヴィクトワールの発作による激しい咳で、破れ去って心の奥底に葬った恋と
老辺境伯と転移人の娘との永訣は終わりを告げた。
リンと魔道具であるベルを鳴らせばすぐさま控えていた侍医と側仕えのメイド達が
ヴィクトワールの枕許に駆け寄り、彼等の邪魔にならぬようショーンは病室から下がって後
二人は言葉を交わす事も、密やかに葬った想いを表す事も二度と無かった。