第八十九話
竜也は、丘の上に立つセント・エバスティール魔法学院までの一本道を、ゆっくりとした足取りで辿っていた。
石畳で舗装されている情緒豊かだった光景は、所々に大穴が開き無残な姿を晒している。両脇に並ぶ桜並木も半数が無情に倒され、竜也が記憶している壮大なパノラマの風景とは打って変わってしまっていた。
セント・エバスティール魔法学院の正門前にたどり着く。重厚な造りの鉄柵門も打倒され、錆び付いていた。その鉄柵門に巻き付いている蔓バラのバレリーナが、物憂げさをより一層醸し出していた。
竜也は、ちょうど門の前で立ち止まった。うなじの辺りがチリチリと泡立つような感覚に、これ以上進むのは危険だと判断したのだ。
門の前から、校舎や聖堂の様子を覗き見る。やはり町と同じで半壊状態だった。果たして魔法陣は無事なのかと心配になる。
—— ヒュン!
突如、背後から微かな風切り音を響かせて矢が飛来してきた。
竜也は、半身に身体を捻って矢を躱す。矢は頬を掠るようにして後方へ流れていった。
矢の飛来してきた方角に向き直る。サラスナポスの町を出た辺りから、尾行されていた事は気付いていた。アクティブなモンスターどころか、不可視な敵をも警戒していた竜也にとって、人間の潜伏はお粗末な物だった。
倒壊していない桜の木の影から三人の人間が現れた。どう考えても友好的な雰囲気では無い。相手に視線を向けた瞬間に現れた名前等が、視界の左上に表示されている。既に戦闘モードになっていた。
板金の胸鎧を着込んでいる輩が一人。硬皮の軽鎧を着込んだ輩が二人。そのうち一人が弓矢を持っている。三人ともレベルは21だった。
竜也は、用心深く腰を落として相手の出方を探る。相手のカーソルの色は赤色だった。ウリシュラ帝国の人間だという事は予想が付いたが、PvPが出来る事は知らなかった。
相手は無言でもう一矢を放ってきた。竜也は、またしても身体を半身に捻ってその矢を避ける。相手の顔が驚愕に歪んだ。
「馬鹿な! 回避スキルも持って無いのに、どうやって避けてるんだ?」
「あのー。回避スキルって何ですか?」
竜也は間抜けな質問を投げかける。相手が答えてくれるかどうかは微妙だったが、ゲームの事を全く分かって無いのでは話にならないと思ったのだ。
「そんな事も知らずに、よくゲームをやってるな。ちゃんと同じ所属国の奴に聞いておけ!」
板金の胸鎧を着込んでいる輩が、戦斧を振り回しながら迫って来た。大上段からの渾身の一撃が放たれる。
竜也は驚愕に眼を見開いた。振り下ろされる瞬間に戦斧は赤色のエフェクト光を放ち、そして有り得ない程の速さで頭上に迫って来たのだ。
咄嗟に後方に避けたのだが、戦斧の刃に触れてもいないのにHPが四分の一も削られてしまった。エフェクト光が微かに触れた程度でこのダメージなら、まともに食らったら一撃で死にそうだ。
竜也は間合いを取ると、腰に下げている剣を抜き放った。鍛冶屋のおばちゃんに貰ったグラディウスだ。剣の握り方と間合いに注意しながら相手と対峙する。
戦斧との戦闘は初めての事だった。どういう攻撃バリエーションがあるのか見当もつかない。すべてを動体視力と勘に頼って避けるしか無かった。
しかし、それではあまりにも不利だ。先手必勝という言葉を思い出し、躊躇なく踏み込む。
「よくぞ剣技も回避スキルもなく躱せたな。しかし次の攻撃は……」
相手が一撃を振り下ろし、余裕をもって何やら口上を述べようとした所に竜也は突っ込んでいった。
竜也の予期せぬ反撃に、斧使いの男は慌てて防御に入ろうとする。しかし竜也の剣の方が一瞬早く斧使いの男の右脇腹に突き刺さった。鎧の繋ぎ目を上手く狙ったのだが、それでもHPは五分の一くらいしか削れなかった。
右に防御の意識が向いた所で、左の上段回し蹴りを放つ。現実世界なら腰が悲鳴を上げそうな急激な捻りだが、慣性を無視して身体は何の負荷もなく急反転してくれた。
斧使いの男の頭装備は、バンダナのような鉢金だ。首は露出している。その首に回し蹴りがクリティカルで決まった。
斧使いの男のHPは、一気に赤色域にまで減少する。そのまま地面に倒れて動かなくなった。視線を向けると『気絶』のバッドステータスが付いていた。
「馬鹿な! 武闘家のジョブでも無い奴の蹴りが、なんでこんなに攻撃力があるんだよ!」
「それどころか、なんかおかしいぞ。レベル2じゃ、剣技も格闘術も使えない筈じゃないのか?」
軽鎧を着込んだ二人が慌てふためく。
「このチート野郎!」
片手剣を持っている輩が、我武者羅に突っ込んでくる。弓矢を持っている輩から攻撃を受けては適わないので、弓矢を持っている輩と自分を結ぶ直線上に片手剣の男が来るように配置どる。
紫色のエフェクトを纏った剣が、有り得ない程の速さで繰り出される。このエフェクトを纏った攻撃が、剣技と呼ばれる攻撃なのだろうと予想する。
斧使いの男と違い連続攻撃を仕掛けて来るが、そのことごとくを防いでみせる。ただし剣で受けていても若干はHPが削られていく。すべての攻撃を防いで見せたのだが、HPは黄色域にまで削られていた。
連続攻撃をすべて防がれてしまった男は、硬直時間を強いられている。その隙を逃さず竜也は渾身の力を込めた袈裟斬りをお見舞いした。
グラディウスは、硬皮の軽鎧を易々と切り裂いた。鎖骨から骨盤までを一筋の光の筋が走り抜け、HPは満タン状態から一気に赤色域にまで減少した。
そこで、やっと硬直が解けたらしい片手剣を持つ輩は大慌てで後退った。
竜也は、パニック気味に無茶苦茶に振り回されている剣を払い除けると、トドメの一撃を放つ。
男の全身が白い光に包まれたかと思うと一気に爆散した。
竜也は、最後の男に向き直った。矢は既に番えられている。しかし震える手が照準を大幅に狂わせていた。これでは、いくら至近距離でも命中率はかなり落ちるだろう。
竜也が男に近付こうと一歩踏み出すと、男は矢を放つと同時に捨て台詞を吐きながら脱兎のごとく逃げ出して行った。
竜也は、追いかける事はしなかった。他に気がかりな事があったからだ。いや、別にそれが無くても放っておいただろう。
「そこに隠れているのは誰?」
竜也は道の反対側の桜の木の陰に向かって声を掛ける。今度は非常に警戒していた。人数が多い。しかもそれだけでは無く、すごく強い輩だという事が気配から察せられた。今し方まで気配をまったく感じ取れなかった事を考えると、わざと気配を開放したのだろう。
「べつに君に危害を加える気はない。カーソルを見てもらえば分かると思うが、俺もアルガラン共和国の人間だ」
桜の木の陰から一組の男女が姿を現した。まだ数人は木の陰に隠れている。
アルガラン共和国の人間だから何だというのだ、という視線で睨み付ける。自然体の構えで剣は降ろしているが、いつでも対応できるように警戒を怠らずに男を注視する。
名はディアス。レベルは騎士31。たしかにアルガラン共和国の人間だった。
「アルガラン共和国の人間だったらどうなの?」
竜也の質問に、ディアスはしばし茫然とする。そしてレベル2の初心者だという事を思い出す。
「同じ国の人間同士ではPvPは出来ないんだ」
「PvPって?」
「Player versus Player の略で、プレイヤー同士の戦闘の事を言うんだ。ただしこれは国籍が違う者同士でないと行えない戦闘システムなんだ。同国籍の者でも戦える特殊なバトルフィールドってのもあるけど、今は除外するがね」
ディアスの言葉に竜也は若干緊張を説く。信用したという訳では無く、レクス・エールーカとの戦闘の時に見かけた顔だと思い出したのだ。
「PK目的の輩が君を尾行して町を出て行ったんで、助けようと思って後を付けてきたんだが、取り越し苦労だったようだ」
「PKって?」
「Player Killer の略さ。MMORPGにおいて他のプレイヤーを殺そうとする行為をそう呼ぶんだが、このゲームは戦争の構図が背景にあるので厳密にはそうは呼ばない。PvPとして片付けられてしまう。しかし例外が、剣技や魔法を覚えていない初心者を狩る行為のみがそう呼ばれているのさ」
竜也は、理解したというように頷く。
「それにしても凄い反射神経をしてるわね」
ディアスの隣に佇む女性が話しかけてきた。竜也はその女性に視線を向ける。こちらも見覚えがあった。存在感抜群の胸の形は、確かクッキーという名前だった筈だ。
「レクス・エールーカとの戦闘は感動したわ。一体リアルではどんな格闘技をしているの?」
竜也は無言で答える。リアルの話を持ち出すのは、確かご法度の筈だ。
「いや、すまない。仲間の非礼は詫びよう。君があまりにも凄まじい戦闘力を持っているものだから少し興味があってね」
ディアスが、クッキーの脇腹に肘鉄を入れながら軽く頭を下げる。
「それで君はこの学院に何しに来たんだい?」
「またソロでルベル・スコルピウスと戦うつもりなの?」
クッキーの質問に、竜也は首を左右に振る。そこまで無謀をするつもりはない。異世界では、ルベル・スコルピウスというノトーリアス・モンスターに学院の二年生の生徒が殺されているのだ。異世界の物より若干弱いと仮定しても、そのような強敵に単独戦いを挑んで勝てる見込みがしなかった。
「一体どんな敵なのかさえ分かってないので、今日は様子見です。それで、ルベル・スコルピウスが此処のガーディアンとして行く手を阻んているのですか?」
ディアスは肯定の意を持って頷く。
「ルベル・スコルピウスが赤いサソリだという事と、通常種の三倍の大きさと能力があるという事で間違い無いですか?」
ディアスとクッキーは、顔を見合わせる。
「HPは150000。特殊技がモルス・フォルフェクスとウェネーヌム・カウダの二種類。モルス・フォルフェクスは、鋼鉄製の板金鎧を着た騎士でも真面に食らえばHPを5000も削られる痛い技だ。ウェネーム・カウダは、三秒にHP500も削られる解毒不可能なデバフ効果が痛い。敵のHPが半分を切ると特殊技を連発して来るのだが、そうなると非常に厳しい戦いになる。
だが、今回二度目の挑戦をしようと思っているのだが、今回こそは倒せると思っている」
ディアスの言葉に竜也は期待を寄せる。倒して貰えるなら、それに越した事は無い。しかし万が一の為にも、自分でも対策を練っておいた方が良いだろうと判断する。
「特殊技のモルス・フォルフェクスとウェネーヌム・カウダって奴と、デバフ効果って何ですか?」
「モルス・フォルフェクスは鋏による連続攻撃だ。この特殊技が発動すると、距離を取って鋏から逃げないと捕まれば大ダメージを食らってしまう。
ウェネーヌム・カウダという攻撃は尻尾の毒針攻撃で、一定の範囲内に居るプレイヤー全員に一瞬の内に毒針を打ち込むという特殊技だ。【解毒】が効かないので後衛は毒が自然解除されるまでHP回復に精神力を酷使させられる事になるんだ。
デバフ効果というのは、自分または相手に何らかの影響のある効果が持続する魔法、特殊技、アイテムの中で悪い効果のものを差すんだ。ちなみに良い効果のものはバフ効果と言う」
ディアスは、そこで再度クッキーと視線を交わす。
「そこで物は相談なんだが、今からルベル・スコルピウスと戦おうと思っているのだが、君も一緒に戦ってみないか? もちろんその防御力では即死しかねないので、前回君が倒したレクス・エールーカの宝箱からドロップした鋼鉄製の板金鎧一式を返すよ。剣は最高峰の業物を手に入れたみたいだし、スキル制MMOなのでレベルはそんなに関係ないから問題は無い。どうだろう?」
「レベル2じゃ、鋼鉄製の板金鎧は着られないわよ」
クッキーの突っ込みにディアスは渋面になる。強すぎるのでレベルが2だという事を失念してしまっていた。
「前回ドロップした宝箱の中身分の金額を返すから、サラスナポスの町で装備を整えると良い。それでどうだい?」
「サラスナポスの町の鍛冶屋の商品は、すべて火事場泥棒に遭って無くなっていましたよ」
「君があの町のガーディアンを倒してから現実世界で二週間も経つんだ。ゲーム世界では、もう半年近くが経ってるんだから少しは武具が入荷しているぞ」
竜也は、そこで時間の流れというものに思いを馳せる。コスタクルタ王国が魔物の軍団によって滅亡してから、ゲームの世界では二年半弱の月日が流れてしまっているのだ。NPCは年を取らないのだろうかという疑問が脳裏に浮かぶ。心に寂々たる思いが降り積もるような感覚に囚われる。
竜也が物思いに耽っている様子を、ディアスは固唾を飲んで見守っていた。戦闘に参加してもらえれば、かなり心強い。また強さの秘密も、間近で一緒に戦えば見えて来るかもしれないと期待しているのだ。
さらに欲を言えば、クランコミュニティに勧誘できればと思っているのだった。
竜也は、心の中のもやもやを吹き飛ばすように大きく息を吐いた。ウジウジ考えても仕方が無い。ゲーム世界のエレーナの自分への悪印象を回復させる為に、学院のガーディアンは倒さなければならない事は確かなのだ。
「では僕も、御一緒させてもらって構いませんか?」
「おっけー。それじゃ、これからよろしく」
ディアスの差し出す手を竜也は握り返し、握手を交わす。
その様子を見て、後方の桜の木の陰から十数人の仲間が姿を現した。中には前回レクス・エールーカとの戦闘の折りに見かけた顔触れも居る。
初顔合わせの者は、レベル2でありながらレベル21の三人を、あっさりと返り討ちにした竜也を何者かと訝しむように見つめながら囁き合っていた。
「みんな、ちょっと聞いてくれー」
ディアスが手を打ち鳴らして場を鎮める。
「今回、ルベル・スコルピウス討伐に参加してくれる事になったタツヤ君だ。クランコミュニティのBBSの書き込みで、みんな知っていると思うがレクス・エールーカをソロで倒した程の兵だ」
その言葉に周囲が一斉にざわつく。現在最強を自負するクランコミュニティのパーティーが二度も敗退した相手に、レベル1のソロで、しかも初期装備で挑んで勝利した輩だと聞き及んで、みんな驚きを隠せないでいる様だった。
「まずは、サラスナポスの町に戻ってタツヤ君の装備を整えに行こう。それからルベル・スコルピウス討伐を執行する」
ディアスの提案に皆は、再び学院のある丘を降り始めた。
竜也はセント・エバスティール魔法学院に一瞥を投げかける。ルベル・スコルピウスは強敵だろう。しかし、このメンバーとなら討伐は成功すると確信していた。総勢十九名の猛者達は、みんな一癖も二癖もありそうな連中だったが、実力の程は申し分ないようだった。




