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第八十五話 

 レクス・エールーカが光りの粒子となって爆散すると、竜也は降り注ぐ光の粒子を戸惑いの表情で見上げた。


 ただ只管ひたすらに相手の動きに集中していた為、相手のHP(ヒットポイント)なんて物は途中から眼中になかった。そのため戦闘が終わってしまった事に困惑してしまったのだ。


 朦朧もうろうとしている意識が途切れかける。しかしまだ倒れる訳にはいかない。エレーナを探さなければならないからだ。


 かすむ眼を町中へ向ける。まずはセント・エバスティール魔法学院の学生寮へ向かう事にする。


 フラフラと歩き始めた竜也の肩を、不意に誰かが掴んだ。覚束ない足取りの竜也は、それだけでもバランスを崩して倒れそうになる。


 何とか踏みとどまり振り返る。背後には男が立っていた。


「おい、大丈夫か?」


 背後の男が声を掛けて来る。男を注視した瞬間に、男の名前等の情報が視界の右下に表示される。名はディアス。騎士ナイトレベル30。所属国は自分と同じアルガラン共和国の人間だ。コスタクルタ王国の人間では無かった。


 レベルが30にも達しているのにHPは7804と、そんなに高くは無い。現在の自分のレベルは、先程の戦闘でレベルが2に上がり7637となっている。このゲームの世界では最弱と思われるスライムの必殺技ですら、2000弱のダメージを食らう事を考えたら微々たる上昇率だ。


 ふと目の前の男の背後に、異様な気を感じて視線を向ける。自然体に構えられた身体は、かなりの実力者だとうかがえた。レベル15の剣士ソードマンなのだが、目前の男よりも遥かに強そうだった。


 しばし双方睨み合う。しかし竜也は、すぐさま興味を失って背を向けた。エレーナに比べたら赤子も同然だ。もっとも此方こちらの世界の人間と、向こうの世界の人間では基本性能スペックが違い過ぎる。比べるだけ野暮というものだった。


「おい! 宝箱を忘れているぞ!」


 背後から男が声を掛けて来る。『R芋』を倒した瞬間に、宝箱が出現していた事は確認していた。しかし、そんな物に興味は無い。


「いらない……。あげるよ」


 竜也は、そのまま町中に歩を進める。

 数十万の魔物の軍団に蹂躙じゅうりんされたと思われる町の様子は、散々たる物だった。赤茶色の煉瓦レンガを積み上げて作られたレトロ感あふれる家々は、そのほとんどが半壊している。露店の類も凄惨せいさんたるあり様だ。


 そして、この町の住民は一人も見当たらなかった。全員殺されてしまったのか、それとも何処かへ逃げ延びたのかは不明だった。


 眼を覆いたくなる程の痛々しい光景の中、それでも注意深く町の様子を見て回る。


 ある一軒の家の中に、人の気配を察知する。半壊した建物の奥から、ひっそりと息を殺しながら此方こちらの様子をうかがっている事が見受けられた。


 その建物は、竜也が板金の胸鎧(ブレストプレート)を買った鍛冶屋だった。鉄床アンビルの絵が描かれた看板は無残にも打ち砕かれて路傍ろぼうに転がっている。建物自体も半壊し無残な状態だった。


 竜也は、その建物に入って行った。

 建物の中の物陰から恐る恐る此方こちらの様子をうかがっていたおばさんが、竜也の姿を確認して安堵あんどの表情で顔を覗かせた。


「この町は魔界の軍勢に侵寇しんこうされ、町の入口には大きな化け物が見張りとして行く手に立ち塞がっていたのだけど、倒してくれたのかい?」


 記憶にある店番のおばさんだった。竜也は無言で頷くと周囲を見回す。店の中もグチャグチャに荒らされていて、武具の類は全て持ち去られていた。


「これは、ほんのお礼の気持ちだよ。高価な武具の類は全て略奪されてしまって、これ一本しか残ってないのだけど、持っておゆき」


 竜也は、おばさんが差し出してくる剣を受け取ると繁々(しげしげ)と刀身を眺めた。鋼で出来た片手剣だった。注視するとポップアップメニューが開き、名称やカテゴリー等が表示される。


 『グラディウス』という固有名称が付いた剣だった。攻撃力や耐久度なども表示されているが、比較対象となる剣が、今や耐久度が1にまで下がっている青銅の片手剣なので比べるまでも無い。装備レベル制限も無く、レクス・エールーカを倒した者のみが装備できる特殊な仕様の剣だった。


 有り難くいただく事にする。


「町の皆は、ちゃんと避難できたのですか?」


 竜也の質問に、おばさんは沈んだ表情で首を左右に振る。


「なにせ突然の出来事だったからねぇ……。半数以上の人々が殺されてしまったよ。残った住民も、化け物に見張られていて、ひっそりと家々に隠れている事しか出来なかったのさ。でももう化け物が居ないとなれば、また人々が町にやって来られるようになるし、これから復興していく事が出来るよ。ありがとう」


 おばさんは、竜也の手を取りながら感謝の言葉を述べる。


「セント・エバスティール魔法学院の生徒達は、無事かどうかは分かりますか?」

「さぁ……。奇襲を受けたのが早朝だったから、まだ学院の皆は寮にいたと思うけど、彼女達がどうなったのかまでは……。この国の未来の重鎮となる娘達は、みんな一騎当千の力を持っているとはいえ、多勢に無勢だったからねぇ……」


 無事だという可能性は望み薄だと暗い表情が物語っている。竜也は、居ても立っても居られなくて鍛冶屋を飛び出した。


 いま百メートル走のタイムを計れば、新記録が出るのではないかと思えたのだが、実際には泥沼の中を走っているかの如く身体は鈍重だった。


 重い身体の動きに苛立ちながら、それでも何とか学生寮にたどり着く。学生寮も半壊状態だった。


 竜也は学生寮に入って行く。召喚されてエレーナの部屋に直接入った事はあるのだが、真正面から寮に入るのは初めての事だった。


 セント・エバスティール魔法学院の正門と同じような、重厚な造りのアーチ状の鉄柵門を潜り抜ける。強固なフランドル積みで作られたアンティーク風の煉瓦レンガ建築物なのだが、屋根が崩落していた。


 中の様子は、崩れた天井部の煉瓦レンガが足元に散乱していて、人が居る気配は感じ取れない。


 一つ一つの部屋を見て回る。どこも無残な状態だった。そして無人だった。


 ある部屋に入る。ホワイトオーク無垢材むくざいで統一された家具には見覚えがあった。一瞥いちべつしただけでエレーナの部屋だと識別できた。


 ベッドとクローゼット、キャビネット、ディスプレイラック、学習机という簡素な部屋模様だ。ただし現在は崩落した煉瓦レンガの破片が飛散していて散々たる現状だった。


 ベッドの上にある毛布の膨らみをいぶかしみ、そっとめくってみる。その下からは抱き枕が出て来た。なんと、その枕には漢字で『竜也』と書かれてあった。


 竜也は衝撃で頭の中が真っ白になる。もう何がなんだか訳が分からなくなっていた。


 右手の人差し指を、軽く振ってみる。シャラランという軽快な効果音を響かせて、半透明のメニュー画面が目前に現れた。此処ここはゲーム世界で間違いが無い。しかしこれは一体どういう事なのかと、半ば放心した頭で考える。


 色々と自分の予想を裏切ってくれる。いくら考えても答えは出てこないだろう。だったらやる事は一つだ。エレーナを探し出す。


 ここまでエレーナの居た痕跡が残っているのだ。絶対に見つけ出してやると意気込みながら、ベッドから立ち上がろうとした。


 その途端、天と地が反転した。平衡感覚を失い、暗転した視界に成す術も無くベッドに倒れ込む。起き上がろうとしたが、身体は言う事を聞いてはくれなかった。


 三日間弱も寝ていない事が原因だった。ただ単に起きているだけなら三日ぐらいは何とかなりそうなのだが、延々と走り続け、敵の感知を掻い潜りながら山を越え、そしてレクス・エールーカとの戦闘で精神力と体力を極限まで削られていたのだ。その為、とうとう身体が限界を超えてしまった様だった。


 竜也は、微かに残るエレーナの匂いに包まれながら、深い谷底に落ちて行くように意識を失った。

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