第七十七話
エレーナ達は、昼過ぎにセント・エバスティール魔法学院へ帰って来ていた。現在は、学生全員が聖堂に集結している。
壇上に立つスベントレナ学院長が何やら話をしているが、エレーナの耳には全く届いていなかった。
エレーナは、壇上の端に安置されている六基の柩と一基の棺に虚ろな視線を向ける。竜也の遺体は残らなかったので、棺となっていた。
その棺を見つめ、エレーナは再び涙を流していた。たった四週間しか共に過ごした時間は無かったが、エレーナの中で竜也は、掛け替えのない伴侶となっていた。
その伴侶を失った悲しみは、一生消えないのではないかと思えるほど深く辛い物だった。
竜也の心が最後まで残っていた左の手の平に視線を落とし、朧気に見つめる。彼は春嵐のように突然にやって来て、突然に去って行った。
その思い出をひとつひとつ思い返して見る。
最初は、心を読まれる事が恥ずかしかった。おちゃらけた性格を毛嫌いしていた。特殊能力が無い事に殺意さえ抱いた。平民並みの能力しか無い事に愕然とさせられた。おっぱいの事となると、見境がなくなる性格に辟易とさせられた。
こんな突拍子もない奴を、どうして好きになってしまったのか自分でも分からなかった。気付いた時には、どうしようもなく好きになっていた。
その伴侶はもういない。止めどなく後から後から溢れ出る涙は、枯れる事を知らないかのように湧き出して来ては、頬を伝って眺める手の平へ落ちていた。
スベントレナ学院長の話が終わり、皆は柩に手を合わせて聖堂を出て行く。
エレーナは、それでも椅子から立ち上がる事が出来なかった。中は空っぽだと分かっていても竜也の棺の傍から離れる事が出来なかった。
先程まで微かに聞こえていた皆の啜り泣きや嗚咽が途切れると、聖堂内はシーンと静まり返った。
ロベリアは、皆が聖堂から出て行くとエレーナの傍らへ赴いた。
「横に座っても良いか?」
そっと背後から声を掛ける。
エレーナは、緩慢な動作で振り返りロベリアを見やる。ふたたび緩慢な動作で前を向くと俯いた。
頷いたように見えるし、そうで無いようにも見える。ロベリアは構わずエレーナの横へ腰を下ろした。
エレーナは、なんの反応も示さなかった。ただ虚ろな表情で、左の手の平を見つめている。頬を伝う涙だけが、後から後から止めどなく溢れ出していた。
このような虚脱症状は、自分の半身である使い魔を不慮の事故で亡くした全ての者が陥る症状だった。
「タツヤが居なければ、我々は全員死んでいたであろう……」
ロベリアは、徐に話し始める。
「もし初めに剣をもって魔人に対峙していたら、初撃で斬り伏せられていた事は間違いが無い。武器を持たずに特攻した事によって、相手を怯ませる効果があったのだ。
また油断も誘う事が出来た。ほとんど偶然のような出来事の連続だが、相手の剣筋が然るべき訓練を受けた正当な剣技だった事が幸いした。竜也の予想外の行動は、読み切る事が出来なかったのであろう」
ロベリアは、エレーナに視線を向けた。彼女は聞いているのかすら疑わしい、あやふやな表情で手の平を見続けていた。
「現状のタツヤの剣の腕では、万が一にも魔人に勝ち目はない。それなのに、お主を助ける為にあの場に躍り出たのだ。そしてお主の命を見事救って見せた。魔王クラスの魔人まで倒してみせたのだ。彼は立派な勇者だったではないか……」
エレーナの頬に流れている一筋の涙が、手の平に滴った。その涙を握りしめるようにワナワナと震える手で拳をつくる。
再び竜也の最期を思い出したのだろう、肩を小刻みに振るわせて嗚咽を漏らす。
見ている此方も、居た堪れない気持ちになって来る。
「タツヤが生きている……としたらどうする?」
この言葉にエレーナは、劇的な反応を示した。ピクリと震えた横顔が、強張った表情のまま、まじまじとロベリアに向けられる。一縷の望みを宿した瞳は縋るようだった。
「これは、なんの確証もない話だ。本来なら『将軍』の技能を持つ者だけが閲読を許されている本に書かれている言葉なのでな……」
そう前置きをして、過剰な期待はするなと釘を刺す。
「建国王、サトシ・コスタクルタが、どの様にしてこの世界にやって来たのか知っているか?」
エレーナは頭を振る。知らない国民が居ないという程の有名人にも拘らず、その素性は謎に包まれていた。
「約二三○○年前。まだ大陸に数十の国がひしめいている戦乱の時代、ある弱小国が隣国に滅ぼされようとしていたらしい。
その弱小国は、戦乱の世を生き残る為に勇者召喚という秘術をおこなったそうだ。
ここら辺の話があやふやな言い方になっているのは、古文書に記されてある通り喋っているからだ。建国王サトシ・コスタクルタも、明確には自分が召喚された理由は分かっていなかったらしい」
エレーナは、了承したと言うように頷いて見せる。
「召喚された勇者は十八名。全員が『将軍』の技能を持つ猛者だった。結局その弱小国は潰れてしまったが、サトシはその類い稀なる才能を発揮してコスタクルタ王国を建国し、後に世界四大強国と呼ばれる礎を築き上げる。
しかし、その過程で亡くなった勇者は十三名に上ったそうだ。その誰もが死の瞬間に、光の粒子となって爆散するというタツヤの最期と同じような現象が起きていたらしい。そしてその古文書に書かれている言葉が『この現象は、きっと元の世界に帰った証拠に違いない』という物なのだ」
エレーナの瞳に、生気が蘇って来る。
「ここからは、私の諸事情だ」
ロベリアは、徐に姿勢を正す。
「生き残った五人の勇者は、この国で暮らす事になったのだが、それぞれパートナーを見つけて結婚をする。
勇者五人のうち一人が女性で、サトシと結婚をした。他の三人は此方の世界の女性を娶った。
それぞれに子供が生まれたのだが『将軍』の技能を持っている確率が、物の見事に血に現れたのだ。サトシともう一人の勇者の女性との間に生まれた子供は三人いたのだが、全員『将軍』の技能を持っていたそうだ。
しかし他の三人の間の子供は合計で八人生まれたのだが、そのうち四人しか『将軍』の技能が現れなかったのだ。五十パーセントの確率と言えよう。
技能を持つ確率は単純計算でき、純粋な異世界の血を受け継いでいる者とハーフの者との間では七十五パーセント。ハーフ同士では五十パーセント。ハーフの者と此方の世界の者との間では二十五パーセントの確率だったそうだ。
このように勇者の血が薄れるにつれ『将軍』の技能を持つ者の数は減り、現在では『将軍』の技能を持つ者が生まれる確率は、稀といわれるほど落ちてしまっている」
エレーナは、困惑気味に眉根を寄せる。竜也が元の世界に帰っただけで、生きているかもしれないという話は分かった。しかし諸事情とやらは、いったい何が言いたいのかさっぱり見当が付かなかった。
ロベリアは、エレーナの瞳に思考の色が少し戻って来た兆しを感じ取り、満足気に頷く。
「私は、この国の王女として国益を最大限に考えなければならない。私の孫の代になる頃には『将軍』の技能を持つ者を数十人つくり出し、確実にレストーラ大陸を総べられる様にしたいのだ」
エレーナの頭に、ある考えが浮かんだ。しかし、あまりにも突拍子も無い事柄だった為、即座にその考えを否定する。
「タツヤは生きている。と、仮定して話を進めさせてもらう。お主は、来年もう一度『使い魔召喚の儀式』を行う事になると思われるが、そこでもう一度タツヤを召喚して欲しいのだ」
いよいよをもって、突拍子も無い事柄が現実味を帯びて来た。ロベリアが何を言いたいのかを察したエレーナは、開いた口が塞がらなくなっていた。唖然とした表情でロベリアの顔を見やる。
「タツヤを召喚できた暁には、この国の繁栄の為に数十人の側室を付けてやりたいと思っている」
だいたい予想通りの言葉が帰って来た。そのあまりにも常軌を逸した要求に、エレーナは固まってしまう。
「タツヤは物ではありません……」
エレーナは、それでも何とか言葉を絞りだす。
「もしタツヤが生きていたとして、そしてもし来年また使い魔として召喚できたとしても誰にも貸したりはしません」
「タツヤは貴重な技能持ちだ。お主もこの国の貴族なら、この国の栄華の為に尽力する義務がある。本来なら私が独り占めしたい所であるが、私一人では産める子供の数に限りがある。
仕方がないのでタツヤには特別に、おっぱいの大きい側室を何人か付けてやりたいと思っているのだ。これはこの国の為なのだ。分かってくれるな?」
エレーナは、『おっぱいの大きい側室』という言葉にカーッと頭に血が上る。思わず立ち上がりかけるが、大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
「タツヤは人差し指を振っても何も出ませんでした。子供が何人できたとしても、みんな技能を持っていないかも知れません」
「かも知れん……」
ロベリアはあっさり肯定する。
「しかし一パーセントの望みでもあれば、試す価値はあると思うのだ」
ロベリアの言葉にエレーナは、茫然と彼女を見やる。いまだ呆けている頭で必死に思考を巡らせる。
確かに建国王サトシ・コスタクルタは、まるで神に何か特殊な技能でも授かったかの如く、全ての能力に秀でていたらしい。そんな技能を持つ者を数十人も作り上げられたら、レストーラ大陸を総べる事も可能なように思えてくる。
エレーナも、この国の貴族として国益を考えなくてはならない事は十分に理解していた。しかし竜也が、数十人のおっぱいの大きい側室に囲まれている情景を想像して、嫉妬心に頭がおかしくなりそうになっていた。
ロベリアは、エレーナの顔があらぬ妄想に引き攣る様を内心ほくそ笑みながら見やる。嫉妬深い性格と、学院一の優等生、皆のお手本とまで言われた清廉な心の内で揺れ動いている様子が手に取るように見て取れた。
「いきなり側室を何十人も付けるというのも酷な話だな……。この話は一旦保留にしよう。まずは私に一晩だけタツヤを貸してくれ。そこから様子を見て行こう」
エレーナは、側室を何十人も付けるという話が無くなった事で、安堵の溜め息を吐く。思わず頷きかけて、なにかおかしい事に気付く。竜也を失った悲しみの為に麻痺していた頭が、ようやくフル活動を開始しだした。
「ロベリア王女……。その手には乗りませんよ。竜也は絶対に誰にも渡しません。『将軍』の技能が欲しいというのなら、勇者召喚を行えば良いのではありませんか?」
ロベリアは、もう少しで上手く行きかけていた計画を看破されてしまった事に、落胆の溜め息を吐く。
「タツヤを一晩貸してくれと言うのは冗談だ。タツヤは生きている確率が高いという事を知ってもらって、元気を出してもらおうとしただけなのだ」
エレーナは、ロベリアの白々しい言い訳に胡乱な視線を向ける。
「勇者召喚などという秘術のやり方が現在でも残っているのであれば、すぐにでも実行している。
記録には建国王サトシを召喚した国の名前すら残っていないのだ。ありとあらゆる古文書を徹底的に調べているが、勇者召喚に関する手掛かりは、いまだに掴めていないのが現状なのだ」
ロベリアは、深々と溜め息を吐いて立ち上がった。
まだまだやる事はいろいろ残っている。コスタクルタ城へ帰り、スベイルやサリア達とウリシュラ帝国への対応を色々考えなくてはいけないのだ。
ロベリアが聖堂から出て行くと、エレーナは静かに立ち上がった。竜也の棺に一瞥を投げ掛ける。
竜也が生きているかも知れないという話は、エレーナに生きる活力を与えてくれた。
—— 来年!
左の手の平に視線を落とし、強く握り込む。
—— もう一度、絶対にタツヤを召喚して見せる!
エレーナは、強く心に誓いながら聖堂を後にした。




