第六十七話
「それで? 私達は何をしたらいいのかしら?」
皆が平静を取り戻すと、クリスティナは役割分担を聞いてくる。いちおう仕事をする気はある様だった。
「フィジケラス魔法学校の皆は、食糧調達班へ配属となる。稜線に沿って南西に下った場所にキング・キャタピラーの巣があるので、そこから『K芋』を連れてきて欲しい」
ロベリアの命令に、クリスティナは大きく頷いて見せる。
「お安いご用ですわ」
クリスティナが、フィジケラス魔法学校の皆を連れて食糧調達に出かけようとした時だった。遥か遠くで鬨の声が上がる。
何事かと思っている内に、反対側でも争乱の響きが湧き上がった。
「何事だ! 状況はどの様になっている?」
ロベリアは状況把握の為に、斥候の騎士を向かわせる。しかし一向に帰って来ない。そうこうしている間にも彼方此方で乱戦の響きは苛烈さを増していった。
痺れを切らす直前で、やっと斥候の騎士がロベリアの元に帰って来た。
「申し上げます! 北のエリアの守りを厚くする為に移動していた兵士が、魔族に襲われました。それと同時に掘削作業をしていた土木作業員へ、潜伏で姿を隠していた魔族に強襲され、ウォルター騎士団長が戦死なされました!」
その言葉に、ロベリアの頭の中は真っ白になる。軍を動かす事が初めての彼女には、今いったいどのような事態に陥っているのか、そして何をして良いのかが全く分かっていなかった。
「ロベリア王女! しっかりして下さい!」
ジェレミーが必死で呼び掛けるものの、思考が停止してしまったロベリアは、狼狽えるばかりだった。
アクィラ騎士団は、親衛隊から成る精鋭部隊だ。不意を突かれて一時は崩れたものの、すぐに立て直している。一騎当千の力で敵を屠っていた。
しかし指揮する者が居ず、動きに組織性が見られない。その狭間を縫って侵入して来た敵に、土木作業員が攻撃を受けているという状態だった。
「とにかく現況が不明瞭では、動きが取れません。斥候部隊、伝令部隊を動かして、まずは状況把握を急がねばなりません」
ジェレミーが、ロベリアを急かしている時だった。そこに、やっと到着したエレーナと竜也が姿を現す。
「遅れて申し訳ありません。現状はどの様になっています?」
ジェレミーは、二人を交互に見比べる。二人が激しくキスをしていたと聞いたばかりなのだ。そのうえつい数時間前、しかも学院の中で一線を越えた行為に及んだと聞き、怒りが湧き上がって来る。
しかし、それどころでは無いと思いとどまり、なんとか怒りを押しとどめる。
「魔の者が奇襲を掛けて来て、現在は混戦中。でも状況が全く分からなくて、状況把握が急務な状態よ。でもロベリア王女がパニック状態で指揮命令系統が上手く作動していないのよ」
それを聞いて竜也は、徐にロベリアに近付く。そしてロベリアの胸の先を、人差し指でツンとつついた。
その様子を見守っていた全員が唖然としている中、ロベリアはやっと恐慌状態から復活した。胸をかき抱き、公衆の面前での破廉恥な行為に顔を真っ赤に染める。
この状況を、エレーナはどう思っているのかと彼女に視線を送る。いつもの彼女なら、怒りを露わにして竜也をつねり上げるなどの処罰を与える筈である。
しかしエレーナは、少々眉根を寄せただけで平然としていた。これが一線を越えたものの余裕なのだろうか? と、暗然たる思いに沈み込む。
実際のところエレーナの内心は、表面上に現れている変化以上に荒れていた。しかし竜也の心の中には、エッチな気持ちが微塵も存在しなかったので、平静を繕えているだけの事だった。
「意識はハッキリした?」
竜也はロベリアの瞳を覗き込む。ショック療法によって覚醒した彼女が口を開こうとする前に、手を上げてそれを制止する。
「時間が無いんだ。今すぐメニュー画面を出してよ」
ロベリアは周囲を見回す。周囲には、セント・エバスティール魔法学院の者だけでなく、フィジケラス魔法学校やセント・ギルガラン騎士学校の皆までいるのだ。こんな所で機密事項である『将軍』の技能を披露する訳にはいかない。
「何をする気ですか?」
何か策があるのだろうとは予測できたが、理由も分からずに従う事は出来なかった。
「『将軍』の技能は、大規模戦闘で味方の攻撃力、守備力、配置、バランス等を量る事に使われていたって前に言ってたよね? それって今この状況で使う技能だと思わない?」
確かに竜也の言う通りだった。しかし公衆の面前での使用は躊躇われる。
「僕が全責任を持つよ。後手に回れば、それだけ不利になる。それだけ人の命が多く奪われるんだよ!」
そのあまりに真剣で緊縛した表情に、ロベリアは右手人差し指を思わず振ってしまう。
シャラランという軽快な音と共に、半透明のメニュー画面が目前に現れた。周りでその様子を見ていた者達からざわめきが起こる。『将軍』の技能を知らない者達も、何か特殊で特別な物である事は感じ取っていた。
「僕の腕時計にもある位だから、地図って出せるでしょう?」
ロベリアが、MAPと書かれた箇所をタップする。画面には、高性能な3Dマップが映し出された。
「僕が触っても動かせるように、設定しなおして」
ロベリアは、右手人差し指と中指を画面に向けて振り立てる。これで誰が触っても動かせるようになるのだ。
竜也は地図を慎重にピンチアウト、ピンチインを繰り返して、周りが最適に見えるように調整する。
大陸の中央から南西に延びるコルネホ山の様子が映し出される。その稜線を隔てて左手に黄色い線が、右側に青い線が見て取れる。兵の分布図だと判断する。
国家象徴色が黄色であるコスタクルタ王国の兵が、黄色で色付けされているのだ。一方アルガラン共和国軍は、青色で表示されていた。北に点在している黒い点が魔族の軍だった。
いまだアルガラン共和国の軍は、動いていない。この騒動を起こしているのは魔族のみだと見て取れた。しかし、北に点在している魔族の点が不明瞭すぎる。
「アルガラン共和国軍を警戒しつつ、回せるだけ北に兵を回して! それと魔族の配置がいまいち分からないよ!」
竜也は、エレーナに教えてもらった学院の使い魔情報を、頭の中で思い浮かべる。周囲を見回して、お目当ての彼女を見つける。
「ローレンスさん!」
「はい!」
いきなり名前を呼ばれたローレンスは、素っ頓狂な声で返事を返した。
「キミの使い魔の鷹で、上空から敵の様子を探れないかな?」
「あの……。すみません……。私のハヤトは鳥目なのです。暗がりでは、あまり眼が見えないので夜はお役に立てません」
ローレンスは、非常に申し訳なさそうに頭を下げる。
竜也は、困ったと言うように大きく肩を落とす。
「私のタクミなら、暗闇を物ともせずに行動できます」
そう言って一歩前に進み出て来たのは、シェリルだった。肩にはコウモリが止まっている。シェリルが一瞥すると、タクミはすぐさま北の空へ飛び立っていった。
「私のヒロシも夜眼が利きます。どうぞ使ってやって下さい」
セシルも支援を買って出る。セシルの思念での呼びかけに、使い魔のフクロウが頭上に現れた。セシルの頭上を何度か旋回した後、北の空めざして飛び立っていく。
「別に上空からでなくても、敵を探知できますよ」
ジュリアが、使い魔の猫を抱きかかえて前に進み出て来た。
竜也は、胸の核弾頭に眼をやろうとして、板金の板鎧姿に肩を落とす。
エレーナが、そんな竜也の脇腹に肘鉄を入れる。
「私の使い魔のケンイチです。羽根は無いですが、それなりに優秀なのですよ」
「ちょっとちょっと、索敵なら私がいちばん有能ですわよ」
そう言いながら皆を掻き分けて現れたのは、ナターシャだった。
「私のアキラの聞き耳は、潜伏で姿を隠している者の気配さえ察知します。もちろん闇など物ともしませんし、乱戦でもお目当ての音を選別、抽出できる有能さを持ち合わせています」
ナターシャは、得意満面に言ってのける。淑女としては少々蓮っ葉な彼女だが、クリスティナの前では、それも掠んで見えた。
「斥候能力がある使い魔を持っている人は、全員出動させて!」
竜也の指示で、皆は一斉に動き出す。いつの間にやら、みんな竜也の指示で動いていた。
使い魔からの報告があった敵部隊の情報が、3Dマップに次々に表示されていく。
「北に兵が行きすぎだよ! 二中隊ばかり土木作業員の護衛に回して! 既に北の防衛線を突破している敵の迎撃にも誰か向かわせて! それと、東の山腹まで斥候部隊を送って警戒に当たらせて!」
北に居る敵部隊を次々に殲滅していく様子を3Dマップで確認している時であった。ふと、北西の一小隊を表していた黄色い点が消滅した。
その部分をピンチアウトして詳細を表示させようとする。しかし情報不足で敵のデータは分からなかった。
「距離千五百、東方面から敵の小隊が山を登って来るわ。数は十五。敵の正体は……ちょっと待ってね」
ナターシャが両目を瞑り、必死に音を聞き分けようとするかのように、左耳に左の手の平を宛がいながら音を拾っていく。
「上空からでは、その位置に敵影はありません。超小型のモンスターなのです?」
セシルが使い魔のヒロシを飛ばすも、敵影を捕捉するには至らなかった。
「シェリルさんの使い魔のタクミちゃんなら、反響定位で敵影が見えなくても、敵の正体が分かるんじゃないかな?」
竜也の名案という発言に、シェリルは首を左右に振る。
「申し訳ありません。タクミは北方深くまで探査に出しています。帰還命令を出しても良いのですが、ナターシャさんが特定する方が早いでしょう」
竜也は、渋面でナターシャを見やる。
「かなりの巨漢よ。足音の響きから二足歩行で、体重は約三百kg前後と推定。でも呼吸音から、獣頭のモンスターだと断定できるんだけど、どんなモンスターか分かります?」
竜也は頭を捻る。獣頭人身の代表と言えば、虎のマスクを被ったプロレスラーと、像の頭をもったガネーシャというヒンドゥー教の神しか思いつかない。虎が特殊な存在である以上、警戒しなければならない。
「敵の正体を看破! ミノタウロスです!」
『見破り』の特殊能力がある使い魔を持っているレクシアが、素っ頓狂な声で報告する。
「ミノタウロスって、牛の頭を持つ奴?」
竜也は、拍子抜けたように大きく息を吐く。ここは自分の居た世界では無いのだ。虎のマスクや像頭などと、あらぬ想像をしていた事に苦笑いを漏らす。
「ミノタウロス、通称『ミノさん』です。牛頭人身の巨人で戦斧の一撃はまともに受けると非常に危険ですが、アクィラ騎士団の敵ではありません」
ジェレミーの言葉に、皮肉めいた苦笑いを漏らす。随分と親しみやすい通称を持っているものだ。
しかしその瞬間、先程一個小隊が消滅したすぐ横の黄色い点が消滅した。慌ててその部分を拡大する。敵のデータが無いのが歯がゆい。
「誰か、この座標に居る敵のデータを取って!」
ロベリアに3Dマップの一点を指し示す。すぐさま使い魔が派遣された。
正体不明の敵は気になるが、それだけを見てはいられない、味方の陣形と敵の陣形を見比べて不備が無いか再度確認をする。
黄色い点は、ことごとく接触している黒い点を消滅させていく。何も問題は無い。しかし何か胸騒ぎがする。この胸騒ぎの正体が何なのかと、必死で3Dマップを凝視する。
「敵が引いて行きます」
セシルの報告を聞くまでもなく、黒い点は急速に戦線を離脱していく。あっという間に敵探知圏外へ退いていった。
「潜伏で隠れている敵が居ないかチェックして。それと救護班は、すぐに負傷兵の手当てを。それと被害報告もお願い」
竜也は、そこまで指示を出してやっと一息つく。
ふと、周りの視線に気付き、辺りを見回してみる。皆の視線は複雑な物だった。ロベリアを無視しての越権行為に、憤慨している者。『将軍』の技能を目前に、何がなんだか分からずに茫然としている者など様々だ。
「故あって今は『将軍』の技能を使えずにいるが、この者は『将軍』の技能を持つ勇者なのだ」
その視線を遮るように竜也の前に立ち、弁舌を振るい出したのはロベリアだった。
「私の『将軍』の技能を使いこなせているのが何よりの証拠だ。不甲斐ない私に変わり、この戦局を乗り切ってくれたのだ。感謝こそすれ、批判がましい視線はお門違いだ。遠慮願おう」
ロベリアは皆にそう啖呵を切ると、竜也を連れて皆の輪の中から抜け出した。皆から少し距離を取ると竜也に向き直る。
「流石は元の世界で『将軍』の技能を持っていただけの事はあるな。今回の件は感謝する」
「あ、いや……」
竜也は、曖昧に苦笑いを浮かべる。元の世界では『将軍』の技能など持ってはいないのだ。ゲームの世界でのシステムなのだが、勘違いをされている様だった。
竜也の曖昧な態度に、ロベリアは小首を傾げる。
「しかし、責任は取ってもらうぞ」
その言葉に竜也は、狐にでもつままれたような顔をする。
「忘れたとは言わせぬぞ。責任を取るからメニュー画面を出せと要求したのは、タツヤ殿であろう」
竜也は、その言葉を思い出して顔をこわばらせる。
「『将軍』の技能の件を皆に知られてしまった。噂はすぐに広まるだろう。この能力をよく思わない連中からの様々な干渉、圧力が掛かって来ることは明白。その責任は重いぞ」
竜也は、逃げ腰で曖昧に笑ってみせる。責任を取れと言われても、どう責任を取るのか皆目見当が付かなかった。
「えっと……。どう責任を取れと……?」
ロベリアは、逃げ腰の竜也の肩をがっしりと掴む。
「簡単な事だ。私と結婚してくれれば、それで良い」
竜也は動けなかった。肩を掴まれて逃げられなかったという事もあるのだが、それ以上にロベリアの縋り付くような視線から眼が離せなかった。
竜也は冷や汗をかきながら、どうしたものかと途方に暮れてしまった。




