第六十六話
ロベリア率いるセント・エバスティール魔法学院の部隊は、予定通り2300に魔界の入口に到着した。
コスタクルタ王国軍親衛隊のアクィラ騎士団も、既に現場に到着していた。その騎士団の中から、四十過ぎのナイスミドルが近付いて来る。騎士団長のウォルター・ドレークマンだった。
ウォルターは、ロベリアの前に跪く。
「これはロベリア王女様。この度は、学生の皆にまで軍隊として徴兵されてしまう程の大事に至り、誠に心苦しく思っております。就きましては……」
「堅苦しい挨拶は無しだ。現状はどの様になっている?」
ロベリアは、ウォルターの言葉を遮り言葉を発する。学院内の言葉遣いとのギャップに学院の皆は、眼を白黒させる。改めてロベリアが、本当に王家の姫君だったのだという事を実感していた。
「あ、いや……。その前に、掘削作業に心強い味方を連れて来た」
それでも、やはりロベリアはロベリアだった。学院の皆の、ちょっと生暖かい視線に見守られながらロベリアは後方の学生兵達を見回す。
ジェレミーが、粛然と前へ進み出る。
彼女の目前の地面が、いきなり大きくえぐり取られた。ポッカリと開いた巨大な穴の縁に、使い魔のユウスケが人間臭く腰かけていた。そして、いつもの剽軽な態度でシュタッと右手を掲げて挨拶をする。それから穴の縁をトントンと叩き、『これくらい余裕だ、任せておけ』と言うように胸を叩いて見せた。
「彼女の使い魔の特殊能力は、きっと掘削作業に貢献してくれるであろう」
ロベリアは、一瞬で巨大な穴を穿ってみせたユウスケを頼もしそうに見やる。
ジェレミーは、ユウスケを抱きかかえると、そっとキスをする。そしてウォルターの背後から進み出てきた騎士に、ユウスケを託した。
騎士が、掘削現場へユウスケを連れて行く。その後方には、ロベリアの命を受けた妖精竜のソウイチロウが後を追っていた。ユウスケの特殊能力をコピーして、一緒に掘削作業を手伝う為であった。
「現在、土木作業員による魔界の入口の掘削作業が続いております。爆発の規模は非常に大きく、土砂の層もかなりの物と予想され、掘削作業は難航しております」
ユウスケが騎士に伴われて掘削作業に向かうのを見送ると、ウォルターは現状報告を始める。
「各国の情勢は、アルガラン共和国軍が稜線の少し手前まで侵略して来ている状況ですが、現状放置しております。オセリア連邦軍と、ウリシュラ帝国軍は見当たりません。ただしオセリア連邦は、使い魔を派遣して様子を探っている模様です」
ロベリアは、一頻り報告を聞くと何事か考え込む。
「兵の配置は、どうなっている?」
「アルガラン共和国が駐屯している稜線に沿って、我々も兵を配置しております」
ロベリアは、レストーラ大陸の地図を脳内に思い浮かべる。もっともホワイトボードに書いた通りの真ん丸な姿だった。その大陸に×印を書く。コスタクルタ王国が×印の西側で、アルガラン共和国が南側だ。そして中央やや南西、ちょうど稜線の西側に魔界の入口がある。
現在は、その魔界の入口がある稜線を隔ててコスタクルタ王国軍とアルガラン共和国軍が睨み合っている状態だった。
兵力はそこに集中していて北の守りが手薄になっている事が気になる。
魔族には、相当知略に長けた者が居る事が分かっている。地下迷宮のカブトエリアで痛い目を見たばかりなのだ。
「北方にも兵を回せ。魔族の潜伏は、かなり高度なものだぞ」
「分かりました。ただちに配置いたします」
ウォルターが背後を振り返る。背後で畏まっていた騎士が、恭しく頭を垂れて指示を伝えに下がる。
「ロベリア王女様の部隊は兵站支援という事で、ここで全軍の指揮等をお任せします。もちろん私も出来るだけ御傍に控えさせて頂きます。何なりとご相談ください」
ウォルターは、初陣のロベリアの補佐役に就くと言っているのだった。
「よろしく頼む」
ロベリアは鷹揚に頷く。
「既にセント・ギルガラン騎士学校の生徒も、支援に駆け付けてくれているので護衛を申し付けております。私は少し失礼して掘削作業の状況を確認して参ります」
ウォルターが騎士風の礼を取り、後方へ下がる。入れ違いになるように、一人の青年がロベリアの元に近付いて来た。
「お久しぶりです、ロベリア王女様。魔法学院が未曾有の危機に瀕しているこの時期に、このような事態が発生してしまった事を、誠に歯痒く思っております」
そう言ってロベリアの前に跪いたのは、セント・ギルガラン騎士学校高等部一年のスティーブン・アルバレスだった。
アルバレス公爵家嫡男として幼少の頃より見知っている幼馴染だった。
「お互いまだ学生の身。学生の慣例通りの呼び方で構いませんよ」
ロベリアは、大仰に畏まるスティーブンに、肩の力を抜くようにと声を掛ける。
学生の慣例通りの呼び方とは、身分は関係なく名前に『様、さん、ちゃん』等の敬称を付ける呼び方だ。ロベリアとスティーブンは、お互い同学年なので『さん』付けで呼ぶように促しているのだ。
「分かりました。では、同じ学生として御忠告を……」
徐に立ち上がったスティーブンは、真っ直ぐロベリアに向き直る。
「学生気分で戦場に出ると、命を落としかねませんよ」
その発言に、ロベリアは眉根を寄せる。
「相変わらず手厳しいな。しかし一理ある。そのように致そう」
ロベリアは、魔法学院の皆へ向き直る。
「私は、今をもって学生気分を破棄する。皆の者も同様に願う。そして、この責務を全うし、必ずや全員揃って学院へ帰還する事を切に願う」
ロベリアの演術に、皆は一斉に方膝を付き騎士風の礼を取る。その様子を満足気に見やりながらロベリアは大きく頷いた。
「あらあら、なに? セント・エバスティール魔法学院の皆さん、どうなさいましたの?」
いきなり場違いな、素っ頓狂な声が響き渡った。ロベリアは眉根を寄せる。ロベリアだけでは無い。この声に聞き覚えのある者は、みんな眉をひそめていた。
コルネホ山を登って、今しがた現場に到着したのは、フィジケラス魔法学校の生徒達だった。
その先頭に立つクリスティナは、跪いている面々を見回しながらロベリアの元へ歩を進める。
「これはこれは、ごきげんようロベリアさん」
すかさずジェレミーが、ロベリアとクリスティナの間に割って入る。
「クリスティナさん。私達は、いま軍隊として此処にいます。流石に無礼でしょう」
クリスティナはジェレミーを見やり、鼻で笑って見せる。
「伯爵家令嬢であるエレーナさんに負けているような御方には、指図されたくありません」
「現在の首席は私です」
ジェレミーは、情報遅れを指摘する。
「あら、そう? でも貴女は、やはりお呼びじゃないわ」
その発言にジェレミーは、コメカミに青筋が立つのを感じ取っていたが、拳をぐっと握り締めて引っ叩いてやりたい衝動に耐える。
「貴女はいったい何をしに此処へ来たのですか? 兵站支援の補助では無いのですか?」
ジェレミーの声のトーンが、一オクターブ下がる。空気の読めない自己中心女を睨み付ける。
これで実力は相当なものなのだから余計にタチが悪い。
「そうでしたわね」
クリスティナの合図で、後方に居た二人が前へ進み出てくる。二人の目前の地面から、ミミズとオケラが顔を出した。どうやら、この二匹は使い魔のようだった。
「タダヨシちゃんにマサル君ですわ。どうぞ掘削支援に使ってやって下さい」
ジェレミーは、文字通り虫ケラを見るような視線を二匹に向ける。
「タダヨシちゃんとマサル君も使い魔の端くれ、ちゃんとお役に立ってみせますわよ」
そう言われて、ジェレミーは考えを改める。今は猫の手も借りたい状況なのだ。
「私が連れて行ってあげますよ」
ミミズとオケラを、ひょいと掬い取るように手の平に乗せて、そう声を発したのはスティーブンだった。
スティーブンは、内心冷や汗をかいて二人の様子を見守っていたのだ。淑女の嗜みを重んじるセント・エバスティール魔法学院の皆と、コントロール不能の暴走魔女クリスティナは天敵のような間柄だった。この二人の居る空間から逃げ出せる口実を見つけ出せて、内心胸を撫で下ろしていた。
「そうそう。私は使い魔召喚の儀式で、稀に見る使い魔である有翼猫を召喚してみせたのですよ。ジェレミーさんは、どのような僕を召喚したのです?」
クリスティナは、すでに勝ち誇ったような笑みを浮かべながらジェレミーに問い掛ける。
「私は、モグラのユウスケを召喚しました。どんな物にも穴をあける事が可能な、非常に優秀な僕ですわ」
それを聞いてクリスティナは、冷笑を浮かべる。お呼びでないというように、手の平をヒラヒラと振る。
「言っておきますけど、ユウスケは竜の親族なのですよ」
それを聞いてクリスティナは、またあの馬鹿笑いを上げる。
「モグラが、どうして竜の親族なのです? そんな訳が無いでしょう」
ジェレミーは、悔しそうに歯噛みする。確かにそう聞いただけで、そのような証拠は何も無いのだ。
「ロベリアさんは、どのような僕を召喚したのです?」
今度はロベリアの方へ向き直り、またまた勝ち誇ったように質問をする。
「今は作戦行動中だ。そのような世間話をしている場合では無い」
ロベリアの一切を取り合わないという態度に、クリスティナは肩を竦めてみせる。
「私に敵う者は、エレーナさんしかいないという事ですのね……」
クリスティナの呟きに、ジェレミーが反応する。
「エレーナさんに会ったのですか?」
「ええ……。コルネホ山を登っている途中に、お会いしました。何とも羨ましい僕を連れていましたね……」
クリスティナは、竜也の顔を思い出しながら、本当に羨ましそうに溜め息を吐く。
「使い魔の男もかなり優秀で、二人の絆にヒビを入れておいたのですが、すぐさま修復させてしまったのです」
探索能力のある使い魔を持つ者に、二人の様子を見張らせていた時の事を思い返して身悶える。
取っ組み合いの喧嘩を、口八丁手八丁で丸め込んだ手腕は見事な物だった。
「それはそうと、エレーナさんが使い魔の男と激しくキスを交していたのです。これは淑女の嗜みに反していませんか?」
その言葉に、セント・エバスティール魔法学院の皆は固まる。
「貴女にだけは、淑女の嗜みの何たるかを語って欲しくはありません」
そう言いながらも、ジェレミーは卒倒しかけていた。この緊急時に、しかも皆より遅れている状況にも拘らず、あの二人はいったい何をやっているのやら……。
皆の視線は、竜也争奪戦を激しく繰り広げているロベリアに集まる。
ロベリアは、遠い眼差しを虚空に向けていた。憐憫さえ感じさせる仕草で肩を落とす。
「あの二人は、非常呼集前に一線を越えてしまったのだ。今さらキスの一つや二つ、どうという事は……」
最後の語尾は、何やらモゴモゴと呟くように喋っていたので聞き取れなかった。
それを聞いた皆から、微かに騒めきの声が上がる。その騒めきは、さざ波のように広がっていく。
とても緊急時の様子とは思えない黄色い嬌声に、クリスティナは肩を竦めてみせる。
「皆さん、今は作戦行動中ですよ。もう少し緊張感をもって下さい」
—— 貴女にだけは言われたくありません!
セント・エバスティール魔法学院の全員が、心の中で突っ込みを入れていた。




