第六十二話
生徒指導室ではスベントレナ学院長が物々しい雰囲気で待ち構えていた。
しかしロベリアも負けじと不機嫌全開のオーラを発して対峙する。何も悪い事をした覚えが無いのに、どうしてこのような場所に呼ばれなくてはいけないのかと、怒りを露わにした眼で訴え掛けていた。
こうしている間にも竜也とエレーナは一歩先の次元に突入してしまうのだ。
その無言の抗議をものともせずに、スベントレナは極上の紅茶を用意すると香り付けのブランデーを少し多めに垂らしてロベリアの前に差し出した。
ロベリアは、困惑気味に差し出された白磁のカップと学院長の顔を交互に見比べる。このような物が出てくるという事は、怒られたり説教をされたりする訳では無さそうだ。尚更、このような場所に呼ばれる理由が思い付かなかった。
「この茶葉は、コルネホ山脈南西部で栽培されている特産品です。召し上がって下さい」
スベントレナは、ロベリアの前に座ると自分用に用意したカップを口元に持っていく。香りを楽しむようにカップを回した後、一口飲み下す。
ロベリアも、とりあえずは怒られるような事は無い事を知り、安堵の溜め息と共に椅子に座ると紅茶をのカップを口に持っていく。
コルネホ山脈で栽培されている紅茶の特徴として、香り高い特徴的な香気と刺激的な渋みがある。軟水を使用しているのか、王宮でもここまでの香りの物には、お目にかかった事は無かった。
ロベリアは紅茶を一口飲んだ後、深い溜め息を吐いた。
スベントレナは、その様子を注意深く見守っていた。ロベリアが、心を落ち着かせたのを見て取ると徐に話を切り出す。
「先程、私の使い魔のトオルから知らせが入ったのですが……」
スベントレナは、そこで勿体を付けるように言い淀む。
スベントレナの使い魔は、オオワシだった。全長、約一メートル。翼開長、約三メートルと、使い魔としては最大級の大きさを誇っている。また、コスタクルタ王国の紋章がオオワシをモチーフにした物である事から、稀に見る使い魔的存在として召喚した当時は噂になった程だった。
「アルガラン共和国との国境沿いで、大規模な爆発があった模様です」
その言葉にロベリアは両眼を大きく見開く。何事か良からぬ報告があるのだろうと覚悟を決めて傾聴に臨んだ筈なのに、予想の遥か斜め上の出来事に頭の中が真っ白になる。
「私も、この世界に降り懸ろうとしている災厄を知る者として、色々と情報を集めているので事情は知っています」
スベントレナは、固まってしまったロベリアを心配するように顔を覗き込む。
「被害状況は? 二万の兵と義兄上は、どうなってしまったのですか?」
ロベリアは、一瞬のあいだ茫然自失に陥っていたが、すぐさま気を取り直してスベントレナに問い掛ける。
今朝方、魔界進攻の為に二万の兵を連れたスベイルは、王都コスタクルタより門を開いて、コルネホ山脈の麓にあるサラスナポスの町まで転移して来たのだ。魔界の入口は、そこからコルネホ山へ向かい尾根を稜線に沿って南へ少々下った所にあるのだ。
ちなみにコルネホ山脈はコスタクルタ王国の領地だが、アルガラン共和国は、稜線が国境だと主張している。
オリハルコンやミスリル等の、レアメタルを多く含む鉱床があるコルネホ山脈は、どの国も欲しており資源戦争の原因にもなっていた。
そのような事情があり、穏便にコルネホ山に軍隊を派兵するには、他国との確約等が不可欠なのだ。アルガラン共和国が派兵を認めないと言い張っているのに、強行してしまった事に対して何らかの報復があったのでは? と勘繰っていた。
スベントレナは、頭を左右に振る。
「二万の兵は魔界の入口に進攻し、全軍が魔界へ入った途端に入口付近で爆発が起こり、その影響で入口が塞がれてしまったのです」
「それは、アルガラン兵の仕業によるものですか?」
ロベリアの責っ付くような問い掛けに、スベントレナは首を左右に振る。
「アルガラン共和国の兵は出遅れたようで、コルネホ山の中腹を登っている最中でした。オセリア連邦の使い魔は偵察に来ていましたが、あのような爆発を起こせる筈がありません。そしてウリシュラ帝国軍は、今回姿すら見せてはいませんでした」
状況を聞いてロベリアは思案顔で押し黙る。偵察隊を魔界へ何度か派遣した事があるのだが、魔界とは妖魔や魔獣により総べられた巨大な地下帝国なのだ。その広さはレストーラ大陸全土に匹敵すると考えられている。兵力も四大強国に引けを取らない位の強さがあると予想されていた。
その巨大な地下帝国の出入口の洞窟部分を爆発しただけで、二万の兵すべてを生き埋めにする事は不可能な筈だ。そして義兄上は必ず生きている。
「ジェレミーさんの使い魔のユウスケちゃんなら、埋まってしまった魔界の入口を掘削する事が出来ますよね? 救助依頼をしてきます」
ロベリアは、焦燥感に駆られて立ち上がった。
「それはもう済んでいます。この学院の卒業生で掘削能力を持つ者全員にも、招集命令が出ています。その他にも土木作業員、親衛隊から成るアクィラ騎士団も派兵される模様です。
そしてこの学院にも非常呼集が掛けられていて、全生徒が出撃する予定になっています。その指揮をロベリアさんにお願いしたいのです。業務内容は兵站支援になります。ロベリアさんは学院を卒業後は、将官という地位に着くと思われますが、その練習だと思って下さい」
ロベリアは無言で頷いた。指揮官としての訓練は受けてはいるが、実際に軍隊として出撃した事は無かった。これが初陣となる。
「ところで勇者育成計画の方は順調に進んでいるのですか?」
スベントレナは、ロベリアの硬い表情を和らげてやる為に話題を変える。しかし彼女の表情は、より一層固まってしまった。
「どうしたのです?」
訝しみながらロベリアの顔を覗き込む。
「いえ……何でもありません」
ロベリアは、なんと言って良いのか分からずに曖昧に答える。二人が今頃よろしくやっている情景を思い浮かべて歯軋りする。
「先ほど三時限目と四時限目は、魔法詠唱から魔法発動までを体感してもらう授業内容だった筈ですが、上手くは行かなかったのですか?」
スベントレナの問いに、ロベリアは渋い顔で頷く。
「タツヤ殿は魔法語の知識がある程度あると聞き及んでいます。初級の魔法ならすぐにでも覚えられる段階だったのではありませんか?」
「確かに魔法語の知識はありました。タツヤ殿が元居た世界には、魔法というものは存在しなかった様ですが概念もあり、すんなり魔法が使えるようになると思っていたのですが、タツヤ殿からは魔力というものを一切感知できないのです」
スベントレナは、困惑気味に小首を傾げる。それはスベントレナ自身も感じ取っていた事だった。またステータスを閲覧した時に、精神力が余りにも低い事も気になっていた。
何かしら強い意志を持って行動する場合でも、精神力の減らないタツヤ殿なら、低い精神力でも十分に魔法が唱えられると考えていたのだが、初級の【回復】すら使えないとなると絶望的である。
「これはタツヤ殿の特異体質に問題があると思われます。タツヤ殿の職業は戦士です。そこに魔法が唱えられない理由があるように感じ取れます」
「それは関係ないのではありませんか? 私達も、みんな始めから魔法戦士だった訳ではありません。訓練を重ねる事によって徐々に戦い方を覚え、魔法を覚えて魔法戦士となっていくのです」
「いいえ、タツヤ殿は異世界人。身体の造りが根本的に違うのです。試しに【タツヤ殿のアレは小さい】と魔法語で唱えてみたのですが、彼は一切ダメージを受けませんでした」
それを聞いたスベントレナの頬が、ピクリと引き攣る。
「ロベリアさん。貴女は何というはしたない言葉を口にしているのですか! 物事には、言って良い事と悪い事というのがあるのですよ」
ロベリアは、ついうっかり口を滑らせてしまった事に、苦虫を潰したような顔になる。どうしても耳から離れないフレーズとして残っていて、竜也の精神構造把握の為に使ってしまったのだ。
皆は、どうしてアレが小さいと認識しているのだろうか? ひょっとして自分は人より遅れているのだろうか? と不安になる。学院一清楚で可憐に見えるエレーナですら今頃は……。
そこで思考を停止させる。今は、もうそんな事を考えている場合では無いのだ。無理やり思考を元に戻す。
「普通であれば、魔法が発動しないにしろ何かしら魔力の変動を感じ取る事が出来る筈なのに、タツヤ殿からは魔力の魔の字も感じ取る事が出来なかったのです。それで試しに、もしかして建国王と同じ体質なのでは? と実験をしたまでです」
「そうであっても言葉を選びなさい。淑女たるもの殿方に、そのような言動を取るものではありません」
ロベリアは、不承不承謝罪の言葉を口にする。
「ではタツヤ殿の事も、引き続きよろしく頼みますよ」
スベントレナの要請にロベリアは、諾了の意をもって頷く。そして一礼をして生徒指導室を出ていった。
スベントレナは、深い溜め息を吐いて椅子に深く座り直した。そして竜也の特異体質について思いを馳せる。
ロベリアは、『将軍』の技能を持つ者だけが閲読を許されているという、建国王サトシ・コスタクルタの書いた古文書から、何かを得ているのだろうか……? その存在自体が極秘事項である為、スベントレナ自身も内容までは把握していなかった。異世界の未知の事柄について少なからず書いてある筈である。
未知の技術で、この世界とは全く異なる生活を送っていた事は、タツヤ殿の言動から察せられる。武器も持たずに平気で外出できるという魔物の一切いない世界というものを想像してみる。
緑が延々と続く平地。その遥か彼方に臨む山々。何処までも続く青空。雄大に流れる川の流れ。その何処にも魔物はいないというのだ。確かに理想郷ではあるが、何か歪さを感じる。果たしてそんな世界が本当にあるのかという疑問が湧き起こる。
竜也の剣裁きや体力を見ていれば、戦闘に関してど素人である事は疑いようが無い。勇者として本当にやっていけるのかは、今更ながらに不安になる。
アルゲントゥム・ウィーウムやディノザウルスの攻略方など、いろいろ新しい発想を持っている竜也であったが、勇者としては心許なさすぎる。知将の位置付けに据え置くにしても、もう少し頑張って欲しい所であった。
スベントレナは、白磁のカップに残っている紅茶を飲み干すと、深い溜め息を吐いて天を仰ぎ見た。そして、これから行われるであろう試練の行く末を想像して、天に祈りを捧げるのであった。




