第六十一話
竜也は、エレーナと共に宿直室前まで来ていた。エレーナの機嫌の悪さに、内心ビクつきながら宿直室に一緒に入る。妖精竜のソウイチロウまでが一緒に入って来た事には、二人とも気付いていない。
エレーナは、椅子を部屋の中央へ持って行くと静かに腰を下ろした。竜也も同じように椅子を引き寄せて、向かい合うように座る。対面に座ってしまってから、エレーナと真面に眼を合わせ辛い事に気付く。いまさら移動は出来ないので俯き気味にエレーナを見やる。
エレーナは、怒られてしょげ返っている子犬のように見上げて来る竜也を、どうしたものかという視線で見やる。相手の心理がある程度読めるだけに、余計にややこしい判断が要求されていた。
「私の事を裏切らないって言った筈よね?」
「裏切るつもりなんて、これっぽっちも無かったんだよ。ただちょっと魔が差してしまったというか、おっぱいの淫力に引き込まれたというか……」
竜也はシドロモドロに言い分けを始める。彼は本当に軽い気持ちでロベリアの胸に触れたのだろう。しかしそれでも、その行為を許せそうになかった。
「ロベリアさんの胸を触った時、初めて女性のおっぱいに触れたようだとか思ったわよね? 私の胸はカウントされていないのかしら?」
「エレーナの胸は胸だよ。おっぱいというのは、これくらいの……」
と言いつつ両手で、かなり大きなお椀型を作る。
「大きさがあって初めておっぱいなんだ。区分けの詳細は……」
「お黙りなさい!」
こんな時にまで、おっぱいに対しての定義を連ねようとした竜也の言葉を、ピシャリと遮る。本当に反省していようと、この調子なのだ。
エレーナは、竜也の視線が他の女性の胸元に奪われる事だけでも嫌だった。男とは、そういう生き物だと皆に言い含められても、納得はしていなかった。
この感覚を竜也は理解している筈なのに、あえて自分の性格も分かってもらえるだろうと、安易におっぱいに手を伸ばした行為が許せなかった。
エレーナの怒りが尋常では無い事に、戸惑いと不安の色を滲ませながら竜也は俯き気味だった視線を上げる。
「エレーナ……?」
そして言い知れぬ胸騒ぎを感じて声を掛ける。
「ごめんなさい。やはり私には貴方の行為を、どうしても許す事が出来そうにありません」
エレーナは大粒の涙を流しつつ、それでもしっかりとした口調で宣言する。
「ちょっと待って!」
椅子を蹴倒すようにして立ち上がり、部屋を飛び出していこうとするエレーナの腕を、竜也は必死で捕まえた。
「まだ話は終わっていないよ。前にも言ったけど、ちゃんと声に出して話し合おうよ。僕の悪い所、至らない所は山ほどあると思うけど、そういうのを一つ一つ納得いくまで話し合って、おり合い付けてやっていくのがデュオってものだよ」
「デュオ?」
「互いに結び付いたペアって意味だよ。僕達は互いに心が繋がっている最高のパートナー。誰にも真似は出来ない最強のデュオなんだ。心が繋がっているために起こる弊害ってものはあると思うけど、僕達なら必ず乗り越えられるよ。そういうのを一つ一つ話し合おうよ」
「それは貴方の性格も加味して、ある程度は譲歩しろという事にしか聞こえないわ」
「じゃあエレーナは、これからどうしたいの? 僕達は、切っても切れない絆で結ばれているんだよ。どんなに離れていても、思念で相手の存在が間近に感じ取れるのに、今ここから逃げ出してもどうにもならないんだよ」
エレーナは、手を振り解こうとしていた動きを止める。確かに此処から逃げ出しても、何の解決策にもならない。少し落ち着こうと深呼吸をしてから涙を振り払う。冷静に考えてみれば見る程、自分が鬱陶しい面倒臭い女にしか感じ取る事しか出来なかった。
「私の事、面倒臭い女だと思ってる?」
エレーナは、恐る恐る聞いてみる。
「思ってるよ! 自分の基準を世の中の基準にしないで、僕の事も考えてよ。確かに今回の件は、僕が全面的に悪いよ。それは謝ってるじゃない」
予想外に強い非難が帰って来て、エレーナはカチンときて竜也を睨み返す。
「でも……」
竜也は、そこでエレーナを抱き止める。
「それも含めてエレーナだと思ってるよ。意外に短気な所、独占欲が強い所、嫉妬深い所、エッチな所も全部受け入れているんだよ」
「エッチな所は余計です……」
恥ずかしい本性を指摘されて、思わず否定する。
「本当に……? 今も変なこと考えてない?」
「それは……」
エレーナは、顔を赤らめてシドロモドロになる。
「抱き竦められて、ちょっと動揺しているだけです」
「それじゃあ、これからベッドの上でじっくり話し合おうよ」
竜也は、エレーナを抱きかかえるとベッドへ移動する。
憧れのお姫様抱っこに、このような状況にも拘らずエレーナは急に胸の鼓動が激しく高鳴っていくのを感じ取っていた。
「ちょっと! 何か誤魔化そうとしてない?」
竜也は、ベッドの上にエレーナを優しく降ろすとキスをする。
「こういうのは嫌?」
「嫌……じゃないけど、卑怯だと思ってるわ」
「ベッドの上での会話は、通常のコミュニケーションの何倍もの効力があるんだって。心だけじゃなく、身体もさらけ出してお互いを分かり合えば、もう怖い物は無くなるよ」
竜也はもう一度、優しくキスをする。エレーナも積極的に求めていく。
二人の様子を妖精竜の眼を通して見ていたロベリアは、忌ま忌ましそうに舌打ちをして眼を開けた。
—— あの尻軽娘が!
押しに弱そうだとは思っていた。しかし、まさかこんなに簡単に懐柔されるとは思ってもみなかった。
今から宿直室へ乗り込んで二人の邪魔をする為に、魔法実験室から出て行こうとした時だった。出入口のドアを開けた瞬間に魔法実験室に入って来ようとしていた人物と衝突してしまう。
「申し訳ありません。急いでいたものですから、つい……」
爆乳で弾き飛ばしてしまった人物を助け起こして謝罪の言葉を口にすると、そそくさとその場を後にしようとする。
「ロベリアさん、待って下さい。スベントレナ学院長からの言伝で、生徒指導室へ至急に来て下さいとの事です」
ロベリアは、言伝を預かって来た生徒を見やる。アナベルだった。存在感の希薄さは学院一、胸の薄さも学院一……ではなくエレーナに次いで二位だった。
そんな事はどうでも良かった。いま此方も緊急の用事があるのだ。このまま二人を放っておくと、心身共に繋がってしまうのだ。学院長の用事とやらが、如何な急用か知らないが、こんな重要な事象以上に大事な事柄は草々ない筈だった。
「分かりました。すぐに向かいます」
もちろん、すぐに向かうというのは大嘘だった。とりあえずはアナベルを煙に巻くと魔法実験室を出て行く。
向かう先は宿直室だ。階段を一階まで下り切り、左の廊下へ進もうとした時だった。言い知れぬ胸騒ぎを感じて、その場に立ち止る。左へ曲がって一番奥の部屋が宿直室なのだが、丁度右に曲がった手前の部屋である職員室から、只ならぬ『何か』を感じ取っていた。
ロベリアは、自分の胸の大きさに絶対の自信を持っていた。その胸が訴えかけている。この胸騒ぎを無視すれば後々後悔する事になる、と……。
ロベリアは、チラリと左の廊下の先を見やる。宿直室では、今まさに竜也とエレーナが一線を越えようとしているのだ。狂おしい程の嫉妬心が湧き上がってくるが、鋼の意思をもってそちらへ向かう事を思い止まる。この二人は遅かれ早かれ結ばれる運命にあったのだと、渋々受け入れる事にする。
ロベリアは断腸の思いで廊下を右に曲がり、職員室のドアをノックして中に入っていった。




