第五十九話
三時限目は、魔法構成論の授業だった。竜也は例の如く、魔法実験室Aでロベリアと共に魔法語の特別授業を行う事になっていた。
ロベリアは広い教室の中央に佇み、辺りを見回した。竜也は、まだ来ていない。シーンと静まり返った教室には下界の音が一切響いて来ない。教室の周りには結界が張られて、魔法による被害が外に漏れないようになっているからだった。
しばらく所在無く、その場に立ち竦んでいると竜也がやって来た。
竜也は、殺風景な教室の中を見回しながらロベリアの傍らまで歩を進めて来る。
前回の授業で、竜也がある程度の魔法語の知識がある事が分かったので、今回は魔法詠唱から魔法発動までを体感してもらう授業内容となっていた。
懸念される事と言えば、竜也の精神力が余りにも低すぎる事だったが、何かしら強い意志を持って行動する場合でも精神力の減らない彼なら、低い精神力でも十分に魔法が唱えられると考えていた。
「まずは、初級の【灯り】の魔法から挑戦してもらいます。私の発音を真似て魔法を唱えて下さい」
ロベリアは、流暢な英語……もとい魔法語で魔法を唱える。目前に小さな光の玉が出現する。暗い洞窟の中でさえ弱々しい輝きだった光の玉は、明るい教室内では朧気にしか見えない。
裏を返せば、それだけ小さな魔力量で魔法が発動すると言えた。暴走して爆発を起こしたりする事も無く安全に練習が出来るので、初心者には最適な魔法なのだ。
竜也も真似をして魔法を唱えてみる。しかし何も現れない。
「タツヤ殿。これは魔法語です。英語とやらは、そのような発音なのかもしれませんが、それでは魔法は発動いたしません。リズム、テンポ、抑揚をしっかりと合わせてもう一度チャレンジしてみて下さい」
竜也はもう一度、魔法を唱えてみる。しかし、やはり何も起こらなかった。
竜也の発音は、『あいあむ、すちゅーでんと』級にどうしようもなかった。間に『えーと』を入れないだけマシといった程度なのだ。とてもではないが、ネイティブな発音は無理だと思われた。
「やっぱり発音も完璧に真似ないと、魔法って発動しないの?」
竜也は、多少冷や汗気味に問い掛ける。もし本当にネイティブな発音が要求されるのであれば、かなりの試練を課せられる事になるからだ。
「発音も今のままでは微妙な所もありますが、それ以上に重要な要素はイメージ力、そして絶対に魔法を発動させてやると言う強い意思です。目前に光の玉が出現する様子を、心の中に強く思い浮かべて、もういちど魔法を唱えてみて下さい」
竜也は、目前に光の玉が出現する様子を、心の中に強く思い浮かべながら魔法を唱えてみる。
やはり何も起こらなかった。
「この杖を持って再度挑戦して下さい。この杖には魔力を増幅させる効果と、精神集中を手助けしてくれる効果があります」
ロベリアが一本の棒杖を差し出してくる。竜也はその棒杖を受け取ると繁々《しげしげ》と眺めた。三十センチ程の、ただの木の棒だ。とてもではないが特殊な効力がある杖には見えない。
本当にこんな杖を持っただけで、何かしら違いが出るのかとも思ったが、ともあれその棒を振り立てて、もう一度魔法を唱えてみる。
やはり何も起こらなかった。竜也は気まずい雰囲気の中、大仰に振り立てた腕を下ろした。
「もしかして僕は、魔法の才能がまったく無いの?」
竜也は、動揺に顔を青ざめながら呟く。
「ドリーヌさんの例でたとえれば、彼女は中等部入学当初、治癒魔法以外の魔法が全く使えなかったのです。現在も治癒魔法以外はあまり精進されていない様ですが、そのように魔法には相性というものがあります。精霊魔法、治癒魔法、古代語魔法、召喚魔法と四つの系統の魔法があるので色々と試してみましょう」
竜也の様子が余りにも悲壮なものだったので、取り敢えずフォローを入れておく。
「光と闇といった特殊な精霊と、曜日でもお馴染みの火、水、雷、土、風、氷といった精霊を扱う魔法を精霊魔法と言います。【灯り】の魔法も精霊魔法に分類されます。次は治癒魔法の初歩の【回復】を試してみましょう」
竜也は、ロベリアのおっぱいを凝視する。
「胸に手を当てて魔法を唱えるんだっけ?」
徐にロベリアのおっぱいに手を伸ばす。
仰天したロベリアは、反射的に後方へ身を引いて竜也の手から逃れる。躱してしまってから、エレーナから竜也を横取りする為には、触らせておいても良かったと後悔する。
「【回復】の魔法は患部に手を当てて唱えるものです。胸に手を当てて唱えるのは【全快】の魔法です」
「じゃあ、【全快】の魔法の練習がしたいな」
竜也の要求にロベリアは、しばし思案する。
「分かりました。放課後なら構いません」
竜也の眼が大きく見開かれる。てっきり断られると思っていたのだが、言ってみるものだと、高揚した内心でガッツポーズを作る。
「その代わり、魔法の授業は真面目に受けて下さい」
竜也は大仰な程、首を何度も縦に振る。
「では、【回復】の魔法の練習から始めます。べつに怪我をしていなくても構わないので、自分の左手の甲に右手を当てて、私の発音を真似て魔法を唱えて下さい。左手の甲が淡い光に包まれれば、魔法が発動している証拠です」
まずはロベリアが手本を見せる。左手の甲が、淡い光に包まれる。
竜也は俄然やる気を出して言われた通り、左手の甲に右手に持つ棒杖を翳して魔法を唱える。精神を集中させ、仮想の傷を治癒するイメージを脳内に思い描く。
しかし何も起こらない。ロベリアは、多少焦りを感じるものの顔には出さず、状況解明の為に思案する。
普通であれば魔法が発動しないにしろ、何かしら魔力の変動を感じ取る事が出来る筈なのに、竜也からは魔力の魔の字も感じ取る事が出来なかった。
ロベリアは水晶球を懐より取り出し、魔法語を一言唱えて竜也のステータスを呼び出す。精神力の数値は、2562から変動してはいなかった。
試しに魔法語で【タツヤ殿のアレは小さい】と唱えてみる。
竜也は、なにを言われたのか理解できずに小首を傾げているだけで精神力は減らなかった。
魔法語で不埒な事を言ってしまった事に対する罪悪感と反作用で、自分が精神的ダメージを受けてしまう。
ロベリアは、ヨロヨロとよろめいた。
竜也は、慌ててロベリアを支えてやる。結構重い。エレーナなら軽々と支えられたのだが、ロベリアは全てにおいて質量が違っていた。無論おっぱいの質量もエレーナの比ではなかった。
支えきれずに一緒に倒れてしまう。竜也はロベリアの下敷きになり、窒息しそうになりながら、おっぱいの圧迫から逃れ出た。その時の手の平に伝わる何とも言えない感触に、思わず自分の手の平を見つめてしまう。初めて女性のおっぱいに触れたような感覚に、指をわきわきと曲げ伸ばす。その柔らかな弾力に、もう一度触れてみたくて、目前に撓わに実る至宝の果実に手を伸ばした。
手が触れる寸前に、ロベリアと眼が合った。彼女の眼は、例えようのない『何か』を秘めていた。漠然とした不安のようなものを感じて、竜也は手を引き戻した。
二人は、その場から起き上がる。竜也は訝しみながらロベリアの様子を盗み見た。さきほど感じた『何か』は跡形もなく消え失せ、いつもの無表情の眼に戻っていた。
「失礼いたしました。ちょっと立ち眩みがしてしまいました」
ロベリアは、適当な言い訳を言って誤魔化す。
あれで精神力が減らないという事は、まず間違いなく建国王と同じ体質、そして建国王の仲間達と同じような結末を迎える事になるだろう。
竜也に関する謎の一部が解き明かされた事は進歩だが、状況は悪くなっていた。たぶん彼は全ての系統の魔法を唱える事が出来ないだろう。そして、やはりエレーナにとっては、辛い結末が待ち構えていそうだった。
その憐憫の表情が、顔に現れていたのだろう。竜也に一瞬、訝しむような視線を向けられてしまった。胸に伸ばされた手も、引っ込められてしまう。大失態だった。
まぁ、今更ウジウジ考えても仕方がないので、そのような思考は噯にも見せずに、佇まいを正す。
「次は古代魔法を試してもらいますが、私も扱えないので教える事が出来ません。古代魔法は、現代魔法とは一線を画する存在で、非常に強力な力を有しています。タツヤ殿は、この古代語を読む事が出来ますか?」
ロベリアは一冊の魔法本を竜也に手渡す。
竜也は、その本をパラパラとめくって、そこに書かれている文字を見やる。
「これが古代魔法語なの?」
竜也は一通り本の中身を見終わると、難しい顔をしながら魔法本をロベリアに返した。
中に書かれている文字は、甲骨文字にも見えなくはない。ただし知識がまったく無いので何とも言えなかった。
もちろんの事、まったく読めないので古代魔法を唱える事は出来なかった。
ロベリアも、落胆しながら魔法本を受け取る。旧世界の文字が読めるタツヤ殿なら、もしかして……と期待もしたのだが、やはり駄目だったようだ。
「では、最後に召喚魔法を試してみましょう」
ロベリアの言葉に竜也は、訝しげな視線を彼女に向ける。
「初歩の【灯り】の魔法や【回復】の魔法さえ無理だったのに、上級魔法のような召喚魔法が使えると思う?」
竜也は、最初からあきらめモードだ。すべての系統の魔法が使えないであろう事は分かっていても、たとえ一パーセントの望みがあれば挑戦しなければならない。竜也をやる気にさせる方法をあれこれと思案する。
「タツヤ殿は雪女を召喚したいとは思わないのですか? 召喚した精霊獣は、召喚者の命令に絶対服従します。意のままに操る事が出来るのです。タツヤ殿が命じれば、何でもしてくれるのですよ」
「何でも……」
竜也はオウム返しに呟く。頭の中では、淫らな妄想が暴走を始めていた。
「雪女を召喚する魔法語です。絶対に召喚してやるという強い意思が大事です。頑張って下さい」
ロベリアは、徐に一枚の巻物を手渡す。もちろん意のままに操る事が出来る、というのは大嘘であった。
そうとも知らずに竜也は、ありったけの集中力を発揮して魔法を詠唱していた。頭の中には、白い着物の合わせ目から覗く胸の谷間の事しかなかった。その胸の谷間をここへ呼び出す為に全神経を集中させる。
竜也のおっぱいに対する執着だけが、奇跡を起こせる可能性だった。
しかし、上手くは行かなかった。おっぱいは幻想へと消え失せていく。竜也は幻のおっぱいを掴み取ろうとするかのように手を伸ばす。その空中でお椀型に形作られた手は、先程ロベリアの胸を触った時の質量を正確に表していた。




