第五十六話
次の広場に居るディノザウルスは、恐竜に似た容姿をした……というか、恐竜図鑑に載っているティラノザウルスそのものだった。体長約十五メートル。重さは間違いなく五~六トンはあると思われた。
野球場を思わせる広大な広場には、障害物の類は一切ない。芝生に似た下生えが、地面を覆い尽くしている。その中央に佇み、此方を睨み付けている様子は、まさに王者の貫録が窺えた。
一年生のレイドパーティーは、広場の出入口で待機してその様子を探っていた。
「『恐竜』の武器は、鋼鉄をも易々と噛み砕く顎の力と、尻尾による後方百八十度に及ぶ広範囲の薙ぎ払いです。首を大きく後方に反らせた後には、火炎の息を前方に吐き散らせるので、攻撃は側面からお願いします」
竜也は、呆れたようにジェレミーの説明を聞いていた。火炎を吐くとか、これはもはや恐竜では無い。怪獣だ。
「重装備のロベリアさん、ドリーヌさん、プリューマさんをメイン盾として、パーティーを編成し直します。ロベリアさん、ミルドレッドさん、セシルさん、パメラさん、プリシラさん、レクシアさん、ナターシャさんでA班とします。
ドリーヌさん、シェリルさん、エレーナさん、アナベルさん、ジュリアさん、アマンチャさん、アリシアさんでB班とします。
プリューマさん、ローレンスさん、レプリーさん、ヘメロさん、サフラムさん、パブリナさん、私でC班とします。タツヤ殿はエレーナさんと一緒にいて下さい」
竜也は、何か引っかかるものを感じながらも頷いた。これではエレーナのおまけのような存在だ。まぁ、自分の実力を鑑みると妥当な線かも知れないので黙っていた。
戦闘の段取りは、まずA班が敵と対峙して攻撃を加えて行き、少しでもダメージを受けたらB班と交代というように、三交代で回復させながら戦っていく事となった。
【防御力強化】や【耐火】を掛けて防御力を固める。ドリーヌの使い魔であるリョウタの物理防御力アップ譲渡は、レイドパーティーにまでは効果は及ばず、自分のパーティーの者のみに留まってしまった。
ともあれ、個々の補助魔法や支援魔法もかけ終えて準備が出来上がる。
「ではA班突撃!」
ジェレミーの号令で、ロベリアを先頭にA班の者が『恐竜』に突っ込んでいく。B班の者はA班の者の更に外側に配置付く。C班の者は現地で待機だ。A班の者がB班との交代で此方へ帰って来る支援をする為だった。
『恐竜』は、突っ込んでくる人間を見ても、何も行動を起こさなかった。注意深く自分を取り囲んでいく人間達を観察している。そして全員が配置に付くと、大音響の雄叫びを上げた。
レイドパーティー特有のバトルスフィアが、一気に消し飛んだ。バトルスフィアボーナスを失った皆は浮き足立つ。その一瞬の隙を付いて『恐竜』は、目前のロベリアに鋭い牙を突き立てた。
ロベリアは、冷静にバックステップで噛み付きを避けると、鼻先を大剣で薙ぎ払った。
金属同士がぶつかり合うような澄んだ音が響き渡る。ロベリアの鼻先への攻撃を見切って牙で受けたのだ。
そして後方も見ずに、不用意に近付いたナターシャを尻尾で弾き飛ばす。
想像以上の強さだった。前方をロベリアが受け持ち、両側面と後方に二名ずつ配置取って居るのだが、有効な攻撃を与えられずにズルズルと時間だけが過ぎてく。
弱点属性である雷の魔法は効くみたいなのだが、タゲがふら付くので多用は出来なかった。
A班の皆は、じりじりと体力を削られていきB班と交代となる。竜也はエレーナと共に側面を担当する事になった。
ドリーヌが【閃光】の魔法で注意を引き付け、その間に側面からエレーナ達が攻撃を加えていく。竜也も果敢に剣を振るう。バトルスフィアは回復していた。高揚感が恐怖心を押さえ込んでくれている。不思議な感覚だった。脳内にプロレスのテーマソングが流れているかのような昂ぶりに包まれている。
竜也は勇気を出して、もう一歩踏み込んで剣を振るう。『恐竜』と対峙して初めて剣での有効打撃がでる。
—— タツヤ、深追いは禁物よ!
エレーナの思念が聞こえた直後だった。今までドリーヌに対峙していた『恐竜』は、首をもたげて竜也を睨み付ける。
竜也は必死に胃が収縮する感覚に耐えた。ここで逃げ出す訳にはいかなかった。勇者失格の烙印を押されるばかりか、フォーメーションを無茶苦茶にしてしまい、仲間の命さえ危険に晒させてしまう事になるからだ。
エレーナが竜也の真横に佇む。エレーナも引かずに、ここで一緒に戦うと覚悟を決めていた。
皆が、ありったけの魔法を『恐竜』の背中に注いていたが、注意を引く事は出来なかった。
『恐竜』が、竜也に向かって大口を開けて襲い掛かって行く。
竜也は盾に噛み付かれないように、上手く盾の平面に牙を当てて、その力を利用して飛び退る。
エレーナは迫りくる牙の攻撃に、カウンターで細剣を突き出した。寸分たがわず『恐竜』の鼻の穴に細剣が吸い込まれる。
大量の鼻血が噴出する。見ている此方が痛くなってくる光景だ。竜也は、思わず自分の鼻を手の甲で押さえてしまった。
一瞬ひるんだ『恐竜』は、くるりと反転して尻尾を振り回してきた。避けきれなかったエレーナと反対側に居たアナベルが吹き飛ばされた。
「C班と交代です!」
ジェレミーの号令と共に、C班の者が恐竜に突っ込んでいく。
竜也は、エレーナを助け起こしてやり、心配気に彼女の様子を見やる。
「大丈夫?」
「平気よ」
エレーナは、なんとか自分の足で立つと竜也に笑い掛ける。しかし足元が覚束ない。強がって言っている事は、誰の目にも明らかだった。
アナベルの治療を終えたドリーヌが、エレーナの元にやって来る。
「一番身軽な二人が、避けきれなくてどうするのよ」
「うるさいわね」
二人の軽口を聞いて竜也は、貧乳シスターズの存在を思い出す。いまだ視認できていない一人だ。辺りを見回して探してみるが見当たらない。吹き飛ばされている現場は確かに見たのだ。ドリーヌの治癒魔法を受けていた事も確認している。それなのに、いつも意識して見ようとすると居ないのだ。恐るべき潜伏能力であった。
しきりに辺りを見回している竜也の頬を、エレーナはつねり上げて自分の方に向けさす。
「なにを探しているのかしら?」
「エレーナと同格だという噂のおっぱい」
「戦闘中に余裕そうね。今まで気を抜いて何度も痛い目を見て来た事を、忘れてしまっているのかしら?」
氷のように冷たい視線と共に、皮肉を込めて言い放ちながら更に頬をつねり上げる。
「痛ひです。放ひて……」
エレーナは、つねり上げている頬を更に捻りながら手を放す。
竜也は、剣と盾を握っている拳の内側で頬を撫で摩る。恨めし気な視線をエレーナに向けていたのだが、彼女の様子に少し違和感を覚えて声を掛ける。
「エレーナ、治癒魔法を受けた直後に動いて大丈夫なの?」
「これくらい平気です」
しかし、言ってる側から少しふら付く。ドリーヌが心配気に支えてやる。
「無理は禁物よ。気怠さが完全に抜けるまで安静にしていないと、後遺症が残るわよ」
竜也も、さすがに心配気だ。
『恐竜』が再び吠える。耳をつんざくような咆哮に、再びバトルスフィアが消し飛んだ。『恐竜』の咆哮には、バトルスフィアを消滅させる効力以外にも、精神を恐慌状態へ誘う効果がある様だった。
途端にC班の動きが鈍くなる。動きの連携に乱れが生じ始めて、思うように攻撃が通らなくなる。プリューマが、タゲの固定を維持できなくなって、ヘメロにタゲが移行してしまった。
ヘメロは【幻影】の魔法を使って『恐竜』の攻撃を回避しようとするが、『恐竜』は的確に本体を追い詰めていく。
背後からプリューマがタゲを取り返そうと【閃光】の魔法を放つが『恐竜』は魔法攻撃に見向きもせず、ヘメロだけを追い込んでいく。
恐慌をきたしたヘメロは、敵に背を向けて逃げだしてしまった。
「A班と交代です!」
ジェレミーの指示にロベリアが『恐竜』を追い掛ける。しかしヘメロが逃げ惑うものだから、なかなか追いつく事が出来ない。ヘメロの足は学年では遅い方だったが、ロベリアはそれ以上に遅かった。
そして『恐竜』の走る速度はヘメロと互角だったので、延々と追いかけっこが続けられたのだ。
「ロベリアさん、止まって!」
「ロベリアさん、先回りして!」
ロベリアは、皆から総突っ込みを入れられる。しかしロベリアは聞いていない。走る速度をさらに加速させた。
—— 私が本気を出せば、これくらいの速度など……。
『恐竜』に追い付きかけた瞬間であった。全神経を走る事に傾けていたロベリアは、『恐竜』の尻尾の攻撃に対応できずに真面に食らってしまう。吹っ飛ばされたロベリアは、地面に強かに打ち付けられて動かなくなった。
全員が唖然とその様子を見守る。バトルスフィアも回復せず、フォーメーションは無茶苦茶だった。
「撤退戦に移行します。ミルドレッドさん、セシルさん、ロベリアさんをお願いします。他のA班の方はヘメロさんを擁護しつつ殿をお願いします」
一同が速やかに撤退戦に移行しようとした時だった。ローレンスが素っ頓狂な悲鳴を上げる。
ジェレミーは背後を振り返り、ローレンスを見やる。そして彼女が悲鳴を上げた原因と思われる、その視線上の先にある広場の出入口を見やった。
そこには巨大な岩がいつの間にか出現していて、出入口を塞いでいたのだ。反対側の出入口も確認してみるが、そちら側も塞がれていた。
撤退戦に移行していた皆は、出入口が塞がれている事に恐慌状態に陥る。まさかこの広場にこんなトラップが仕掛けてあったとは、誰も予測していなかったのだ。退路を断たれた事に頭の中が真っ白になる。
「ジェレミーさん、指示を!」
「とにかく戦闘を再開した方が良さそうよ」
ジェレミーは気を取り直すと、素早くエレーナとアナベルに視線を向ける。二人は大丈夫と頷いて見せた。しかし明らかに足元が定まっていない。いま無理をさせると、後遺症を残す原因になりかねない。B班を出動させるのは憚られた。
次にロベリアに視線を向ける。幸いにも大したダメージも無く、気を失っていただけのようで、ミルドレッドの治癒魔法を受けて既に立ち上がっていた。しかし治癒魔法の副作用が完全に無くなるには数分を要すると思われた。
最初に尻尾の犠牲になったナターシャは、治癒魔法の副作用から復活している様であったが、今更A班に合流させても如何ともし難い。
どうすべきか考えあぐねていると、竜也がやって来た。
「今タゲを取っているヘメロさん以外の皆を、ここに集めてくれる?」
「何をするのです?」
竜也の突拍子もない要求に、ジェレミーは訝しげに眉根を寄せる。
「作戦があるんだ。今日は雷曜日だよね? そして『恐竜』には雷撃系の魔法が効くんでしょう?」
竜也は、ジュリアからもらった水晶時計のストラップを掲げてみせ、紫色で表示されている曜日の場所を指し示してみせる。
それから作戦を説明していった。
ジェレミーは半信半疑の面持ちで、その作戦内容を聞いていた。アルゲントゥム・ウィーウムの攻略など、今まで誰も考え付かなかった打開策を見い出してきた彼の事だ。今回もまた、この窮地を脱する突破口を開いてくれるのかも知れない。
一縷の望みを託して聞き入っていたジェレミーは、作戦内容を聞き終えて唖然とする。本当にこんな事で『恐竜』が倒せるのかと疑問に思ってしまうが、試してみる価値はありそうだった。
素早く皆を集めると、作戦を説明していく。この作戦に参加できる条件は二つ。一つ目は、ヘメロより足が早い事。これに引っ掛かったのは、ロベリアとアリシアだけだった。
二つ目は【雷の矢】の魔法が使える者。雷系の上級魔法となると半数以上の者が使えなくなるので、皆が使える中級魔法で、威力もそこそこの魔法という事で【雷の矢】が選出された。これが使えないのは、ロベリア、ドリーヌ、プリシラだけだった。
「ロベリアさんって、本当に脳筋だったんだね」
どちらの条件にも引っ掛かったロベリアを見やりながら、竜也はしみじみと呟く。
「やはり侮蔑の言葉に聞こえるのは、私の勘違いでしょうか?」
ロベリアは、憤然と答える。
「どちらの条件にも引っ掛かっているのは、タツヤ殿も一緒ですよ」
ジェレミーの突っ込みに、竜也は言葉を詰まらせるのであった。




