第五十五話
翌日、レイラの告別式や葬儀などは無く、普段通りの授業が淡々と進められていた。皆も悲しみに暮れているような様子は無く、いつも通りのきびきびとした動きで地下迷宮の攻略に勤しんでいた。
今日もまた地下迷宮での戦闘訓練およびジャイアント・キャタピラーの卵の捜索が続けられているのだ。
それも高等部の学院生全員参加の一斉捜査だった。一同はレイドパーティーと呼ばれるパーティーを超える大人数での集団戦闘を繰り広げていく。一年生は竜也を入れて二十二人で、二年生は二十一人で、三年生は二十四人でレイドパーティーを組んでいる。
一年生のレイドパーティーの先頭は板金鎧を着込んだロベリア、ドリーヌ、プリューマだ。ロベリアは、いつもの淡い緑に輝く大剣を持っていた。ドリーヌは戦槌に長方形の盾を装備している。プリューマは長杖を装備していた。
その他の全員が軽鎧系の装備だ。武器は各々最も得意としている物を装備している様だった。
長衣姿の者は一人もいない。全員が魔法戦士であるコスタクルタ軍人の戦闘スタイルを模している様だった。
そして地下三階のグレムリンエリアの『芋』の卵を回収すると、一気に地下五階まで降りて行った。
皆の顔付きは異様なほど怖い。眼がギラ付いているというか、殺気立っているというか、なにか威圧的なオーラを纏った集団が、縦横無尽に突き進んでいく。
鎧の金属同士がぶつかり合う音で、敵の気配を察知できないのでは? と懸念するが、現れた敵は前衛の三人が瞬く間に瞬殺していく。
広場に出る。その場に居合わせた敵に、全員で一斉に襲い掛かる。竜也は呆気に取られているだけだった。全員の異様な雰囲気に気圧されて、棒立ちになる。
—— タツヤ! 隊列を乱さないで! 私の横に居れば安全よ。
エレーナの思念に、竜也は慌ててエレーナの傍へ行き、敵と対峙する。
—— オーク、通称『豚』です。力は人間の数倍あるから、攻撃を真面に受けると後手に回ってしまうので、避けるか受け流してね。
竜也は『豚』を見上げて、引き攣った笑いを浮かべる。豚といっても四本足で歩いている訳では無い。人間のように二本足で立っているのだ。せり出して弛んでいる腹が、行動を起こす度に揺れている様は、はっきり言って悍ましい。おっぱいが揺れる有り様は大好きなのだが、これは生理的に受け付けがたいものがあった。
そのせり出して弛んだ腹を揺らしながら、一匹の『豚』が竜也めがけて突進して来た。豚足で器用に剣を握っている。そして、その剣の大上段からの唐竹割りを、竜也は呆けたように見つめていた。
—— 危ない!
エレーナが竜也の前に出て『豚』の剣を受け止める。エレーナの武器は細剣だった。身長二メートルを超す『豚』の大上段からの攻撃を真面に受けてしまったエレーナは、吹っ飛ばされて後方へ倒れ込む。
すかさす竜也の横に居たプリシラが『豚』と対峙する。後方に居たレプリーがエレーナを助け起こす。同じく後方に居たヘメロが幻惑魔法を『豚』に掛けてプリシラを支援する。
『豚』の大上段からの渾身の一撃を躱したプリシラは、でっぷりとした豚腹にボディーブローを食らわす。連続攻撃でローキックを放ち、前のめりにガクンと沈んだ『豚』の顎へ、飛び上がりながら拳を振り上げた。
体重二百kgは優にありそうな『豚』の巨体が一瞬宙に浮く。地響きを上げて倒れ込んだ『豚』は、レプリーの放った【火炎球】で文字通り豚の丸焼きにされてしまった。
数十匹いた『豚』は、一瞬にして殲滅させられていた。皆の異様な程の殺気が竜也に向けられる。
竜也は訳が分からずに、狼狽え気味に後退る。
「タツヤ、どうしたの?」
エレーナが、ローレンスに治癒魔法を掛けてもらいながら、心配げに問い掛けてきた。しかし、どうしたの? と聞きたいのは此方の方だった。
ロベリアが、そんなエレーナを窘めるように肩に手を置き引き止める。ジェレミーに視線を送って何やら合図を送る。
「ここで休憩とします。負傷者はヒーラーから治癒を受けて下さい。各パーティーのリーダーは、負傷者が動けるようになるまでの時間を報告して下さい。また、斥候能力のある使い魔を持っている人は、次の広間の様子を探って下さい。その他の使い魔は歩哨をお願いします」
ジェレミーの指示で休憩に入る。エレーナ以外にも軽い負傷をしている者は数人いる様だった。みんな各々のパーティーのヒーラーから治癒を受けている。
「タツヤ殿……」
ロベリアが、怖ず怖ずと此方の様子を窺うように話し掛けてきた。
「もしかして、戦闘に対して恐怖心を抱いていたりしませんか?」
竜也はキョトンとしていた。戦闘に対してでは無く、皆の態度、様子に恐怖心とまでは行かなくても、おっかなさは覚えている。
「タツヤ殿の剣技が未熟な事は、みんな重々承知しているのですが、今日のタツヤ殿の様子は何時にも増して酷いです」
「えっ! いつも酷いの?」
数人が、ついうっかり頷いてしまっていた。自分では、かなり強くなって来たと思っていたのだが、周りの評価はそうでは無かったようだ。勇者の面目丸つぶれである。
「レイドパーティーを組むことのメリットに、バトルスフィアボーナスを得るという利点があります。バトルスフィアボーナスとは、集団で一つの目標に突き進む事によって連帯感が高揚感を生み、すべてのステータス、行動にプラス補正が付くのです。
しかし仲間の連帯感にノイズが混じった場合。今回の場合はタツヤ殿の士気が著しく低かったのですが、そういう場合はマイナス補正となってしまいます」
竜也は周りの皆を見回す。さきほど睨まれた原因はそういう事だったのかと納得する。しかし、自分がどうかしているという自覚は無かった。
「人の死を垣間見てしまった直後など、精神的ショックが原因で戦闘に恐怖心を抱いたり、思うように身体が動かなくなったりするケースが多々あるのですが、まさにタツヤ殿の今の状態が、それだと思われます」
竜也はもう一度、先程の戦闘を思い返して見る。確かに不甲斐ない戦闘だったとは思う。レイラの死に直面して、今まで必死に抑えていた恐怖心が表に出て来たのだろうか? とも考えてみるが、よくは分からなかった。
皆が各々の場所で休憩を取っている最中、広場の更に奥に通じる洞窟から一匹のコウモリが現れた。敵では無い。シェリルの使い魔のタクミだった。
タクミはシェリルの肩に舞い降りると、何やら主人に耳打ちをする。
「次の広間には、ディノザウルスが居るようです」
シェリルの言葉に、皆に動揺の騒めきが広がる。
「ディノザウルス、通称『恐竜』です。竜の名が付くという事はどういうモノか、もう分かっていますね?」
エレーナの説明に竜也は頷く。
「ディノザウルスは、ノトーリアス・モンスターの中でも更に凶悪な存在です。そういう輩を総じてハイレベル・ノトーリアス・モンスター、通称『HNM』と呼ばれています。レイドパーティーでないと倒せない敵の総称でもあります」
「前に戦ったレクス・エールーカみたいな存在なの?」
「『R芋』は、固くて倒すのに時間はかかりますが、固いだけのただの『芋』です。ノトーリアス・モンスターではありますが、パーティー戦で対応できます。『HNM』は、『NM』より全てにおいて一線を画する存在なのです」
エレーナの説明を受けて、竜也は震えが止まらなくなっていた。武者震いかとも思ったが、どうも様子が変だ。戸惑いの表情と共にエレーナに視線を送る。
エレーナの驚愕の表情と共に数々の思念が伝わってくる。心配、気遣い、その裏に隠された失望、絶望……。
エレーナの落胆の感情を読み取った竜也は、フラフラと後退り、何かに蹴躓いて尻餅をついた。鎧の派手な衝撃音に周りの皆の視線が集中する。
竜也は、恐る恐る震える手の平を見つめた。その手の平を強く握りしめてみる。まだまだ慣れない剣の持ち方で、力を入れづらいと思っているのに、今の状態では真面に剣は握れそうもなかった。
「タツヤ殿……」
ロベリアが、そんな竜也に心配気に声を掛ける。
「やはり戦闘に対して、恐怖心を抱いてしまったのですね」
竜也は、握りしめた拳からロベリアに視線を移す。初めて恐怖というものを知ってしまったとでもいうように、震える身体をどうする事も出来なかった。
「今のタツヤの精神状態で、戦闘を継続させる訳にはいきません。タツヤをパーティーから外して下さい」
エレーナは、ジェレミーに嘆願する。ジェレミーは周りの皆に視線を送った。皆は微妙な表情だ。中には絶対にお断りだと、断固たる思いを視線に乗せている者までいる。
『HNM』はレイドパーティーでも苦戦を強いられる相手だ。バトルスフィアが良好な状態を保っていられる事が絶対条件だった。
もしも、そのフィールドが破られるような事があれば、速やかな撤退戦に持ち込まないと本当に死者が出てしまう。
現状では、竜也をレイドパーティーに入れての戦闘は難しいと言わざるを得なかった。
「分かりました。タツヤ殿の離脱を許可します」
「ちょっと待って下さい」
ジェレミーの采配に異を唱えたのは、ロベリアだった。
「今タツヤ殿をパーティーから外せば、彼はこれから先の戦闘行為の全てにおいて、重大な疾患を抱えてしまう事になりかねません。それは彼の再起不能を意味し、この国の未来をも閉ざしてしまう行為です」
似非勇者だと思っている数人の生徒が、この国の未来と聞いて苦笑いを漏らす。ジェレミーは公爵位の権力を駆使して、この国の現状を把握していたので、ロベリアの言い分も十分に理解していた。それでも尚、この場は竜也の離脱が妥当だと判断していた。
「仮にタツヤ殿を戦闘に参加させたとします。現状のタツヤ殿の精神状態から、バトルスフィアは低迷状態に陥るでしょう。そのような状態で『HNM』の『恐竜』に勝てるとお思いですか? タツヤ殿の恐怖心の克服には、しかるべき相手を選び、慎重に事を進めて行かなければ更に悪影響が出ますし、下手をすればクラスメイトに、また死人が出かねません」
ジェレミーの言い分に、ロベリアは唇を噛み締める。ここで竜也を切り捨てるべきでは無い。それに慎重に事を進めて行く時間も無いのだ。
しかし、強行してクラスメイトに死人を出す訳にもいかなかった。決定権は学年首席のジェレミーにあるのだ。ジェレミーを弁駁できない事には、どうする事も出来ない。脳筋のロベリアには、荷が重い要求だった。
ロベリアは、救いを求めるようにエレーナに視線を送る。エレーナは、真っ先に竜也をパーティーから外すように嘆願していたので、期待は出来ないかもしれないが、藁をもすがる思いだった。
エレーナは、思念で竜也と何やら会話をしている最中だった。その顔が驚きと不安の入り混じった表情になる。複雑に眉根を寄せて竜也を見つめている。
ロベリアも、つられて竜也に視線を向けた。
「ジェレミーさん、お願いがあるんだ……」
竜也は、意を決したような表情で言葉を発した。
「やっぱり僕も一緒に連れて行って下さい。バトルスフィアがマイナス値になるようなら、僕をすぐにでもパーティーから外してもらっても構わないので、戦闘に参加させて下さい」
竜也は、深々と頭を下げる。
ジェレミーは、しばし躊躇する。ジェレミーも、竜也がすぐに決意を覆して尻込みしてしまう事を見抜いていた。戦闘の途中で尻込みされて離脱された時のパーティーへの悪影響等を考慮すると、首を縦に振る訳にはいかなかった。
「僕は今、自分でも自覚していない恐怖心に支配されているみたいなんだ。そうは思ってないんだけど、身体がいう事を聞いてくれなくてね……」
竜也は、握りしめていた拳をゆっくりと開いた。自分の現状を告白した事により、力が抜けて震えは止まっていた。その事により、絶対に克服してやるという闘志が沸いて来る。
もう一度、拳を強く握り直してみる。ほどよく力が抜けて握力は戻っていた。これなら剣は握れそうだ。
竜也自身も、ここは引けない所だという事を弁えていた。ここで引いてしまえば、もう二度と敵と対峙する事は適わないだろうという事は自覚していたのだ。
それは勇者失格の烙印を押される事に他ならない。同時にエレーナへの信用を失い、エレーナ自身の立場を危うくしてしまう。それだけは絶対に避けなければならなかった。
その思いは確固たる意志を作り上げ、不屈の闘志を作り上げていった。
休憩に入って皆の意識が戦闘の高ぶりから解放され、穏やかになっていたのだが、竜也の士気にテンションが一気に跳ね上がった。竜也の絶対に克服してやると言う意思は、先程の戦闘時の全員で作り上げた高揚感をも上回っていたのだ。
「私も……」
プリシラは、意を決したように立ち上がった。
「昨日の戦闘では、パーティーリーダーなのに皆を上手くまとめられず、目の前でレイラを死なせてしまうという痛恨の極みを味わいました。もし私が、このような心の痛みを抱えたままパーティーから外されたとすると、二度と立ち直れないような気がします。今のこのタツヤ様の意思の力を信じて差し上げましょうよ」
その言葉にアリシアが、怖ず怖ずと立ち上がる。
「レイラを死なせてしまった禍因を作ったのは私です。私は頭上からの攻撃を全く察知する事が出来ず、真っ先に倒されてしまった事が、最大の原因なのです。私が敵の不意打ちを察知して回避していれば、今回のような事は起きなかった筈です。それで……」
アリシアは、胸の前で握り締めた両手をもじもじと動かし、挙動不審とも思える程の態度で皆を見回す。
「先程のバトルスフィアが思うように上昇しなかったのは、私のせいでもあります。ごめんなさい!」
アリシアは、盛大に頭を下げる。
「すみません、前言を撤回するようで申し訳ないのですが、タツヤを戦闘に参加させてやってくれませんか? タツヤの面倒は私が見ます。皆さんに絶対迷惑は掛けません。どうかお願いします」
エレーナは、皆に対して深々と頭を下げる。彼女の、どんな事があっても竜也を守ってみせるという意思が、更にバトルスフィアの高揚感を高めていく。
圧倒的な高揚感に包まれて、皆は立ち上がった。これならいけるという思いに、一同は興奮のるつぼと化す。
「分かりました。タツヤ殿の戦闘参加を許可します」
ジェレミーの許可に、竜也は安堵の溜め息を吐く。しかし首の皮一枚が繋がっているだけなのだ。ここからが正念場と言えた。
エレーナの為にも、絶対に勇者になってみせると誓ったのだ。イップスのような症状に囚われている場合では無い。
竜也はもう一度、拳を強く握りしめて心に誓う。
そんな竜也の決意を見て取り、エレーナは彼にそっと寄り添う。
—— 私はどんな事をしてでも、タツヤが勇者になれるように支援して見せるわ。
—— エレーナ……。
竜也はエレーナの心の支えを得て、感謝の念を込めてエレーナを見つめる。
—— タツヤ……。
エレーナも竜也を見つめ返す。いつの間にやら圧倒的な高揚感は、ピンク色のムードに変容していく。
その様子をクラスメイト達は、ある者は白い眼で、ある者は生暖かい眼で、ある者は怒りや嫉妬の眼差しで見つめていた。




