第五十四話
「遅れて申し訳ありません」
ロベリアが応接室Bの間に到着したのは、予定していた時間よりかなり遅れてからだった。筆頭侍女のエグマにネチネチと小言を聞かされて、食事もろくに取る事が出来なかったのだ。
ともあれ定位置であるソファーチェアーに身を沈める。正面にスベイル王子、右手にサーヤという位置取りだ。
さり気なく二人の顔を注視する。いつも笑顔のスベイルが深刻な表情をしている事が気になる。サーヤは普段と変わりは無かった。
「今日集まって頂いたのは、定時報告的な意味合いが強いです。儀兄上も国際連合会より、そろそろお戻りになられている頃合いだと思い、私自身も今日あった出来事を検証してもらいたく、この場を設けさせて頂きました」
スベイルもサーヤも、無言で話の続きを促す。
「今日、セント・エバスティール魔法学院の生徒であるレイラさんが、地下迷宮での戦闘訓練中に命を落とされました」
スベイルとサーヤは、静かに瞑目して祈りを捧げる。
「しかもその時、私と一緒にパーティーを組んでいたのです」
サーヤは、その言葉に僅かに眉根を寄せてロベリアを見やる。いつもの無表情、淡々とした態度だが、どこか沈痛な面持ちを感じさせた。
一緒のパーティーの者を死なせてしまうという事は、計り知れない精神的ダメージとなる場合がある。しかるべき戦闘訓練や指揮官としての訓練を受けていても、トラウマを残すケースはざらなのだ。特に経験も浅い学生時代のアクシデントは、生涯ひきずる禍因になりかねない。
スベイルも、心配気にロベリアの様子を窺う。
「私は大丈夫です。多少のショックはありますが、それに潰されるほど柔ではありません」
ロベリアは二人の様子から、心配されていると察して問題ない事を伝える。
「しかしタツヤ殿はどうでしょう。タツヤ殿の元居た世界では、脅威に感じる敵の存在は無く、武器も携帯しないで外出できる程の平穏な地で暮らしていたと聞きます。おおよそ生死というものと無関係で生きて来たタツヤ殿には、今回の件は負荷が大き過ぎたようです。レイラさんの死を自分の責任のように感じて項垂れている様子は、憂慮すべき事態であります」
ロベリアは、そこで懐から水晶球を取り出した。
「今日の地下迷宮での戦闘訓練の様子を再現してみました。御二方の意見を、後でお聞かせ下さい」
水晶球に手を翳し、魔法語を一言唱える。水晶球は淡く魔法の光を放ち映像を映し出す。ちょうど、カブトエリアにロベリア達のパーティーが到達した所から動画が始まっていた。
巨木が点在する広大な広場に視線を彷徨わせ、敵の様子を観察しているロベリアの視点で映像は映し出されていた。
『カブト』が数匹、巨木に留まって樹液を吸っている。複眼であるにも拘らず此方に眼を向けて来た事が感じ取れた。双方睨み合う。『カブト』に敵意が無い事を確認すると、ロベリアは視線を周りの様子に向けた。
点在している巨木はアベマキ、コナラ、クヌギ等によく似た外見をしているが、幹回りが異様に太い。オニクヌギ等と呼ばれる亜種で、通常種の優に数倍以上の巨木に成長するのだ。
ただし、ここは地下迷宮の中なので高さに制限があり、そのぶん幹回りが太く成長しているのだった。
その時、竜也が何やら感嘆のうめき声を上げながら、フラフラとロベリアの前に出て行った。ロベリアは慌てて押しとどめる。
「先程の私の言葉を聞いていなかったのですか? 不用意に私の前に出ないで下さい」
ロベリアの注意を受けても、竜也はまだ未練がましく『カブト』を眺めていたが、やがて諦めたように視線を他へ移した。
ロベリアは再度、周りの様子に視線を向ける。
—— 中央付近ニ81個ノじゃいあんと・きゃたぴらーノ卵ガアル。ソノ周リニハじゃいあんと・すたっぐびーとる以外ノ敵影ハナイ。
ソウイチロウの思念に、ロベリアは小さく頷く。
「どうやら中央付近に卵はあるようです」
ロベリアの言葉に、皆は木々の奥へと視線を向ける。ここからで
は巨木に視界を遮られて奥の様子は窺えない。
「行ってみましょう」
プリシラの号令に皆は、用心しながら中央を目指して進んで行く。先頭を歩いているロベリアだが、後方の警戒も怠ってはいない。竜也がちゃんと殿の役目を果たしている様を確認する。
やがて広場中央にたどり着く。そこにある一本の巨木の根元に『芋』の卵を発見する。皆の視線が、その卵に集中した瞬間であった。
—— 危ナイ!
ソウイチロウの思念が脳裏に響き渡る。その時にはロベリア自身も頭上の敵影を察知していた。実体化させて背中に吊るしていた大剣を引き抜くと同時に、頭上より飛来してきたグレムリンを斬り伏せる。
剣を振り切っている時には、横に居るプリシラ達の様子に素早く視線を走らせていた。
プリシラは、頭上より奇襲をかけて来たグレムリン目掛けて飛び上がると、拳を振り上げた。カウンター気味に決まった拳を食らったグレムリンは、高々と宙を舞い、放物線を描きながら地面へ激突して動かなくなった。
竜也は、敵の感知に一瞬だけ遅れてしまっていた。頭上を振り仰いだ竜也は、驚愕の表情と共に回避行動を取ってしまったのだ。
ロベリアは慌てて剣を振るおうとするが、剣を振り切った反動がまだあり、思うように剣を振るえなかった。
また、間合いも遠すぎた。剣の切っ先は、空しくグレムリンの背中を掠る程度にしか届かなかったのだ。
竜也は回避行動の途中で、敵の目標がアリシアだと気付いたらしく、慌てて剣を振り上げた。しかし、アリシアの胸に短剣が吸い込まれる方が先だった。
バタバタ、バタと三匹のグレムリンが地面に転がり、一瞬遅れてアリシアが倒れる。
「アリシア!」
レイラはアリシアに駆け寄り、縋り付くようにして呼び掛ける。
アリシアは薄らと眼を開けて、レイラに弱々しく笑い掛ける。
「干ばつに悩まされている村を……。救いたかった……」
使い魔であるカエルのマコトも姿を現し、心配気に主人を見つめている。
ロベリアは、このパーティーの中で治癒魔法が使える人物を素早く確認する。アリシアが治癒魔法を使える他は、自分が補助的に使えるという以外、誰も治癒魔法を使えなかった。
「まだよ!」
ロベリアは、レイラを押しのけてアリシアに取り付く。絶対に死なせはしない。
「私の【全快】の魔法は時間が掛かりすぎて、こんな時に掛けている余裕は無いかもしれないけど、仕方ないわ。周りをお願い!」
ロベリアは、アリシアの胸に手を当てて治癒魔法を唱え出す。周りには、奇襲攻撃と同時に潜伏をしていたグレムリン達が、自分達を取り囲むように姿を現していたのだ。
「馬鹿な……。私のコタロウの探知には、何も映ってなかったのに……」
レイラが茫然と呟く。
「魔法の結界や潜伏は、術者の能力以上の物は見抜けないものです」
プリシラは、油断なく格闘用の爪が付いた武器を構えながら説明をする。
「グレムリン。通称『小悪魔』よ。本来なら地下三階に生息する魔族でゴブリンより力も素早さも格段に上です。集団戦闘に優れているので連携技に注意して下さい」
プリシラの説明に、竜也は油断なく辺りを警戒しながら頷いている。
ロベリアは、治癒魔法を唱えながら竜也の戦闘の様子を見守る。もしも竜也が窮地に陥る事があるようなら、アリシアを見捨ててでも助けに行くつもりでいたのだが、竜也は予想以上に勇敢に戦っていた。
しかし多勢に無勢。いくら果敢に戦っていても、素人同然の竜也には限度がある。一瞬の隙を付いて剣を掻い潜って来た一匹の『小悪魔』に右脇腹を刺される。それでも絶対に引かないという意思が読み取れた。助けに行くべきかどうか思い悩む。
その時だった。突如『小悪魔』の集団の中に爆発が起こった。【火炎球】の魔法の破壊現象だ。
瞬時に竜也の危機を察知したエレーナが、助けに来たのだと推察する。
怒濤の勢いで駆け寄って来た集団は、予想通りエレーナ達のパーティーだった。
「替わります」
ローレンスが、ロベリアの代わりにアリシアの治療に当たる。
「治癒魔法は……。魔法全般が不得手で申し訳ありません」
「いえ、命を繋いでいただけでも御手柄です。後は任せて下さい」
取り乱し気味のロベリアに、ローレンスは優しく声を掛ける。
ロベリアは立ち上がり、周囲を見回す。その時だった。視界の端にレイラの姿を映し出す。しかしロベリアの焦点はジェレミー、シェリル、ミルドレッド、竜也、エレーナへと移っていく。この時には、まだレイラは健在だった。レイラは一瞬、視界の端に映っただけで、すぐさま視界より消えていなくなった。
どうやら竜也に気を取られているロベリアの背後を守っている為に、ほとんど視界に映っていなかったのだ。
プリシラも視界に映っていない所を見ると、レイラ同様ロベリアの背後に居るようだった。
プリシラもレイラも平民の出身だ。戦闘力も平民並みだ。プリシラは近接戦闘の特殊能力を持っていたが、レイラはそのような特殊能力や、技能を持っている訳では無かった。
地下三階に生息するグレムリンの大軍相手では、少々分が悪いと言わざるを得なかった。
次にレイラの姿が視界の隅に映った時には、地面に突っ伏している姿だった。その後の救命処置もむなしくレイラは帰らぬ人となる。
最後まで水晶球に映っている映像を見終わった後、スベイルとサーヤは、静かに黙祷を捧げた。
「すべては、私の不注意が招いた結果です」
ロベリアは、沈痛な面持ちで大きく息を吐いた。大丈夫だと言ってのけたものの、やはり精神的ダメージは少なからずある様だった。
「状況判断としては、間違っていなかったと思うよ」
スベイルは、事の経緯の映像を見て感想を述べる。
「タツヤ君は、我が国の希望だ。そのタツヤ君の命を第一に考えての行動は、正当なものだ。失態では無いよ」
「儀兄上にそう言って頂けると、少しは精神的に救われます」
ロベリアは、深々と頭を下げる。
「しかし、解せないのは『小悪魔』の潜伏ですよね。こんな低級魔族の潜伏ならば、ロベリア王女なら簡単に看破できる筈です。何か違和感を覚えます」
「その件で一つ、悪いニュースがあるよ。たぶん今回の件も、上級魔族が関与している」
スベイルが徐に手元に持っていた用紙を、ガラス製のセンターテーブルに放り投げた。
ロベリアとサーヤは、テーブルの上に広がった用紙の束を見やる。国際連合会の報告書だった。
「我が国が軍を国境沿いに派兵させる事を、ウリシュラ帝国とアルガラン共和国が認めないと言い張るのだ。オセリア連邦は了承してくれたが、何やら腹に一物ありそうな様子でね……」
スベイルは、ヤレヤレと言うように肩を竦めてみせる。しかしロベリアとサーヤは、この話が『小悪魔』の潜伏とどう関係しているのかと小首を傾げる。
「各国に放っている諜報員からの報告では、どうやら我が国が軍を動かす真の目的が露見しているらしい。しかもその裏で糸を引いているのが魔の者だとの情報もあるのだよ」
ロベリアとサーヤは、成る程と頷く。我が国が軍を動かすに当たっての理由は、適当にでっち上げた物の筈だ。まさか『来年に魔物の軍団が攻めて来て、コスタクルタ王国は滅亡するみたいなので、討たれる前に先制攻撃に出ます』とは言えないのだ。
他国からすれば、来年に魔物の軍団がコスタクルタ王国を襲う事が分かっていれば、何もせずに見ているだけで少なくても弱体化は望めるのだ。先制攻撃を邪魔しようとするのも頷ける。
「とうとう本格的な戦争が、始まるのですね」
サーヤが暗然たる面持ちで呟く。母親がオセリア連邦出身のサーヤは、複雑な心境だった。微妙な立場に立たされる事にもなる。
「もう一つ、これも諜報員からの未確認情報なのだが、オセリア連邦の迷いの森に『真の勇者たらしめる者』が現れたとの報告がある。オセリア連邦の上層部は、秘密裏にその者を始末しようとしたらしいが、迷いの森の中に逃げられたらしい。
タツヤ君と、どういう関係があるのかは分からないが『真の勇者たらしめる者』とは興味深い者だろう。すぐさま密偵を使わして可能なら奪還、保護せよ、と命令を下している」
「『真の勇者たらしめる者』と言われましても、漠然としすぎています。いったいその者が何者であるのか、どう勇者たらしめるのか、という事も分からずに動くのは、安易ではありませんか?」
サーヤは困惑気味に意見を述べる。国境を越えての奪還、保護となると少なからず国際問題に発展する。戦争を始めようという時に、何を呑気な事をと思うかもしれないが、他国に大儀を与えてしまう事は極力避けたかった。
「確かに安易かも知れないが、手遅れになってからでは遅いのだよ。タツヤ君と関係しているのでは無いかと思われる事柄が一つだけある。それは、その者が現れた日が、四月十一日、風曜日。つまり、タツヤ君が召喚された日なのだ」
ロベリアもサーヤも、思案顔で押し黙っていた。それだけでは確固たる確証にはならない。
「その者の名には、虎の文字が付くらしい」
その言葉には、ロベリアもサーヤも眉を跳ね上げて反応した。竜や、虎の文字が付くとなれば話は別だ。特別な存在である事は確定だ。
「しかしオセリア連邦は、何故その者を秘密裏に始末しようとしたのでしょう」
サーヤは、ふと疑問に思った事を口にする。
「これは私の憶測だが、『真の勇者たらしめる者』がタツヤ君を真の勇者へと導く、又は覚醒させる者だとしたら、コスタクルタ王国以外の国にとって、不利益な存在であるからではないかと推測は出来る」
「なるほど、辻褄は合いますね。では、儀兄上はその者の奪還、保護を含め、これからどのように行動なさるおつもりですか?」
ロベリアは、スベイルの決断を促す。
「魔の者が暗躍している可能性が出て来た今、このまま放置して後手に回る事は避けたい。早急に、二万の軍をアルガラン共和国との国境沿いにある魔界の入口へ派兵し、魔界へ進攻する。
アルガラン共和国が軍を出してきても放置はするが、手を出してきたら応戦する。
ウリシュラ帝国は、様子見の為に軍を動かす事はあっても攻撃はしてこないと踏んでいる。もちろん手を出してきたら応戦はする。
オセリア連邦は、使い魔をよこして様子を探る程度だと踏んでいるが、もちろん違った場合は他国と一緒だ」
スベイルは、拳を強く握りしめながらキッパリと宣言する。それから義妹へ視線を向ける。その眼はいつもの飄々としたものに変わっていた。
「ロベリアはタツヤ君を精神的に支えてやって、勇者として立派に成長するように導いてやってくれ」
「お任せ下さい」
スベイルの言葉にロベリアは、今日初めての晴れやかな表情で承る。
「それは止めておいた方が良いです」
サーヤが、意地の悪い視線をロベリアに向ける。それから昨日、竜也を自室に招待しての痴態の一切を説明していった。
さすがにスベイルも呆れ顔だ。他の女と心が繋がっている男を振り向かせる事は、至難の業なのだ。
噂ではタツヤ君は、おっぱい星人だと聞き及んでいる。それなのにロベリアに迫られて逃げだしたとなれば、もう望みは無い。
「ロベリア……。ちゃんと然るべき身分のある可愛い系の良い男を見つけてやるからな」
スベイルは不憫な義妹の為に涙する、ふりをしていた。




