第四十四話
「エレーナ! いますぐタツヤ殿に帰還命令を出して、この場に呼び付けるのよ! 誰が主人なのか、しっかりと自覚させてやりなさい!」
眉をしかめて憤慨しているセシルに、エレーナは弱々しく首を振る。そんな事をしても竜也の心は呼びつけられない。離れていくだけだ。今は彼を信じ、そして自分の嫉妬心を押さえ込んで耐えるしかない。
自分の独占欲が、けっこう激烈なのだと自覚したのはジュリアとの一件での事だった。心が繋がっていて絶対に嘘は見破れるという状況下で、そのうえ竜也は真摯に対応してくれていたというのに、一切を拒絶して彼を困らせてしまったのだ。
いま竜也を無理やり呼び寄せたとしても、喧嘩になる事は目に見えていた。
竜也を失いたくはない。しかし、どうやったら彼を繋ぎ止めておく事が出来るのかが、全く分からなかった。
元の世界の話を聞いて、竜也はどうするのだろう。もし元の世界に帰れるのなら、帰ってしまうのだろうか……。
このまま放置していても、ロベリアに取られてしまう可能性がある。元の世界の話を聞いて帰還方法を知り、元の世界に帰ってしまうかもしれない。強制的に呼び寄せてもその先が見えない。どうしたら良いのか……。
堂々巡りの自問は頭の中をグルグルと回り、答えの見えない暗闇の迷路で途方に暮れているような感覚と、絶望感だけが膨れ上がっていく。
「エレーナ。大丈夫……?」
身体を強く揺すられて我に返る。エレーナは周りを見回し、肩に手を置いている人物を見上げる。ドリーヌとセシルが心配気に自分の顔を覗き込んでいた。
「ロベリアさんは、いったい何を考えているのかしら……」
ジェレミーが呆れ顔で、ロベリアと竜也が出て行った扉を見やりながら、溜め息交じりに呟く。
「でも、エレーナさん。貴女は自分の使い魔が信用できないのですか? 主人と使い魔は一心同体。どんな事があっても、その絆は切れません。私の使い魔のユウスケも、かなり軽い性格でお調子者ですが……」
いきなりジェレミーの眼下の地面に穴をあけて、ユウスケが顔を覗かせた。そして皆に挨拶をするように片手をシュタッと勢いよく挙げる。言っている傍からお調子者をアピールしていた。
ジェレミーは苦笑いを漏らす。こんなお調子者だが、愛おしくて仕方がないという表情だ。
「こんな子ですが、私はユウスケを全面的に信頼しています」
「タツヤは、おっぱいの事となると暴走してしまうのです」
エレーナは、消え入りそうな小声で呟く。ジェレミーも過去の記憶を思い出して、二の句が継げないでいた。
「タツヤ様に限らず殿方は、おっぱいに並々ならぬ関心を持つものです。私は初対面の殿方の視線を、優に三秒ものあいだ自分の胸に釘付けにさせる自信があります」
ドリーヌは、誇らしげに胸を張る。
セシルは、それがどうしたと言いたげな視線をドリーヌに向ける。
エレーナは、ぼんやりとドリーヌの胸を眺めていた。同性の自分から見ても圧倒的な存在感のある胸は、確かに殿方の視線を釘付けに出来るだろう。
ロベリアの胸は、これより更に大きいのだ。竜也が鼻の下を伸ばして、ロベリアの胸に飛び付いて行く光景が脳裏に浮かぶ。
嫉妬心で気が狂いそうになる。あまり強く思念を発してしまうと、この醜い心を感知されてしまいかねない。こんな浅ましい感情を知られてしまったら、余計に嫌われてしまうだろう。
エレーナは、制御できない心を持て余し、途方に暮れていた。
◇
「それで……。古文書の内容ってのは、どんな物なの?」
竜也はロベリアの転移魔宝石によって、コスタクルタ城にあるロベリアの私室に来ていた。
部屋の広さは広大すぎて、いったいどれくらいの面積があるのか竜也には見当もつかなかった。目測では学院にある聖堂の部屋と同等か、それ以上はあるのではないかと思われた。
その部屋を見回しながら、竜也は古文書の内容に付いてロベリアに尋ねる。
「古文書は『将軍』の技能を持つ者だけが閲覧を許可されている物です。私の夫となると誓って下さらない事にはお話しできません」
「古文書の件で二人きりで話し合うんじゃなかったの? これじゃ話し合いにならないよ」
竜也は、ヤレヤレというように肩を竦めてみせる。
「まぁ、そう急がずに、まずは寛いで下さい」
ロベリアは、机上に置いてある鈴を鳴らした。すぐさま侍女達が部屋へ入ってくる。六人もの侍女達が並んで頭を垂れる。
「今すぐ持って来られるもので良いので、昼食の用意を。食後は紅茶を頼む」
四人の侍女達が、恭しく頭を下げて部屋を出て行く。残った侍女達はロベリアの命令を待つように直立不動で待機している。しかし竜也の事を、いったい何者なのかと興味津々の様子で見つめていた。
竜也は、その無遠慮な好奇の視線に晒されて落ち着かなかった。
「此方の部屋へどうぞ」
ロベリアに案内されたのは、隣の部屋でダイニングテーブルが備え付けられた小部屋だった。小部屋といっても八畳程はあり、ロベリア専用のダイニングルームといった感じだった。
ロベリアが席に着く。竜也も正面の席に着こうとダイニングチェアに手を伸ばした時、すかさず侍女の一人が椅子を引いてくれた。
竜也は、こんな礼儀作法を知らなかった。どうしたら良いのか分からなかったが、ロベリアがやっていたのを見様見真似で椅子の前に立つ。座るように腰を屈めると椅子を寄せてくれた。
竜也は、ぎこちない動きで何とか椅子に座る事が出来た。
「タツヤ殿、礼儀作法は適当でかまいません。今日は無礼講で参りましょう」
竜也の様子を見て取ったロベリアは、気楽に竜也をもてなす為に肩の力を抜くように促す。
隣にいる侍女に、最低限のマナーだけはアドバイスしてやるようにと、こっそり耳打ちをする。
扉がノックされ、先程退出していった四人の侍女達が、料理の乗った盆を抱えて戻って来た。
オードブルのサラダに、とんでもなく分厚いステーキ。パイ包み焼きシチューらしきもの、妙に気になる透明度の高い黄金色のスープの入った巨大な土鍋などが並べられていく。どれも『今すぐ持って来られるもの』の域を超えていた。
「遠慮なく召し上がって下さい」
無礼講と言っていたので食べる順番は気にせず、まずはステーキに手を付ける。
フォークとナイフはアラカルト方式なのか、この世界特有の方式なのかは分からないが一組のみだ。フルコース方式と違って、どのフォークとナイフを先に使ったら良いのか迷わなくて助かる。
テンダーロインステーキのように柔らかく、脂身が少なめの肉だったが、何かが違っていた。牛ではないのかと内心首を傾げる。だからと言って不味くは無かった。それどころか今まで食べた事のある肉の中でも、最高クラスの美味しさだった。
さすがは王宮で出てくる料理だけの事はあると、口いっぱいに頬張りながら感心する。
次に竜也の眼に留まったのは、黄金色のスープだった。土鍋に入っている物をどうやって飲むのかと、辺りをキョロキョロと見回していたら、竜也の傍に立っていた侍女がスープカップに取り分けてくれた。
竜也は侍女に礼を言いつつスープカップを受け取る。謎の香草の匂いが食欲を刺激してくる。
一口飲むと、胃がカーッと熱くなる。この感覚は、つい最近おぼえがあった。コモド・ドラゴンのテールスープだ。あのスープを飲むと、ジワーっと身体が熱くなって来たのだが、それを強烈にしたような感覚だった。
「ワースティタース・ドラゴンのスープです。ウリシュラ帝国の砂漠地帯に生息する希少種の竜の尻尾を三日間つきっきりで灰汁を取って仕上げた極上の一品です」
竜也はクラクラする頭でロベリアを見やる。正確にはロベリアのおっぱいを見つめていた。もうそれしか眼には映っていなかった。
コモド・ドラゴンの強精効果で、あの効き目があったのだ。さらに強烈な効果がある希少種の極上の一品で、竜也の頭は完全にぶっ飛んでいた。
食事が終わり、元の部屋へ戻る。竜也はダウンしてしまい、ロベリアと侍女達に担がれていた。
「少し効果がきつ過ぎたみたいね。とりあえずベッドに寝かせて頂戴」
竜也をクイーンサイズのベッドに運び、寝かせる。
「これからどうしたら良いの?」
ロベリアも、こういう事は初心者だった。相手がぐったりしてしまっては、どうすれば良いのか分からなかった。
そして侍女達は『どうしたら良いの?』と聞かれても、『何をするつもりなのか?』と逆に尋ねたかった。
こんな事が筆頭侍女のエグマ様に知れれば大目玉では済まない。
昼にワースティタース・ドラゴンのスープを用意しておくように、と注文を受けた時から嫌な予感がしていたのだ。
侍女達は二十四時間、いつ姫様がお帰りになられても、即対応できるように三交代で隣の控え所に詰めている。
アクティブな王家の人間は二十四時間忙しく動き回っているので、このような体制を取っているのだが、姫様に意見を言ったり諫めたり出来るのは筆頭侍女のエグマただ一人だった。
嫌な予感がした時にエグマ様を起こしてでも相談するのだったと、侍女の一人であるエリスは後悔していた。
現在詰めている侍女の中ではリーダー格で侍女歴は結構長いのだが、こんな突拍子も無い事に対してのマニュアルは存在しなかった。このままでは自分がエグマ様にお咎めを受ける。
エリスはロベリア姫の命ずるまま、殿方の服を脱がせていく。
隣にいる新米侍女のキャナルが真っ赤な顔をして殿方のアレを見つめていた。十三歳の彼女には刺激が強すぎる様だった。
食後の紅茶を用意して来た侍女の一人は、ベッドの上での痴態に持っていた盆を取り落してしまった。
盛大な音と共に絨毯に紅茶のシミが広がっていく。
「も、申し訳ありません……」
盆を取り落した侍女は、謝罪の言葉を口にするものの、殿方のアレを見つめたまま固まってしまった。
この絨毯一枚の値段を想像すると、もはやお咎めで済まない事をエリスは覚悟した。
竜也は、盛大な落下音に意識を取り戻した。クラクラする頭に手をやりながら、何故こんなにも頭が痛いのか理由を考える。昼食で出て来たスープが原因であることは間違いが無かった。
正月に御屠蘇を飲んでぶっ倒れた事が一度だけあるのだが、その時の感覚に似ていた。以後、アルコールは受け付けない体質なのだと認識し、いっさい口にしたことが無かったのだが、こんな所でよく似た効果のあるものに出くわすとは思ってもみなかった。
ぼやけた視界に数人の女性の顔が映る。ただしロベリアの顔は見えなかった。
ロベリアは、分からないなりに竜也のアレを何とかしようと奮闘している所だった。
自分を覗き込む顔の中に、エレーナに似た人物を見つける。エレーナよりかなり幼い顔立ちなのだが、それでもエレーナより格段に胸は大きかった。
竜也は眼を見開いてその娘を凝視する。真のヒロインがそこに居た。竜也は思わずその子の手を取ると名前を尋ねていた。
手を取られて名前を聞かれた侍女は、顔を赤らめる。侍女が名を聞かれるという事の意味を推し量っている様だった。
「キャナルと申します……」
躊躇いながらも名を告げる。これにはロベリアの方が驚倒する。思わず我が耳を疑ってしまった。
それは他の侍女達も同じで、皆一様に固まってしまっていた。
「貴女は、自分が名を聞かれるという事の意味を知っていて答えたのですか?」
ロベリアの静かな怒りに満ちた声色に、キャナルはパニックに陥ってしまっていた。
「申し訳ありません! つい……」
「つい?」
「いえ、その、あの……。私も初めてなので、これくらいの大きさのモノなら大丈夫かな、と……」
ロベリアの追及に、頭の中が真っ白になってしまったキャナルは、正直に思ってしまった事をそのまま話していた。
竜也は置いてけぼりの状況下で、いったい今なにが行われているのかを、ぼんやりと考えていた。
侍女の名を聞くという事は、夜伽の相手に指名したという事なのだろうか? そして名を告げるという事は、それを承諾したという合図なのだろうか? そんな習わしを竜也は知らなかった。
いや、そんな事はどうでも良かった。今の侍女の言いようは酷くなかったか? 男の自信が揺らいでくる。しかし、しょげ返っても居られなかった。自分の状況をよくよく確認してみて顔面蒼白になる。
—— なぜ自分が裸でベッドに寝ているのか……?
竜也は、パニックに陥りそうな頭を必死に制御しつつ、股間を脱がされた服で隠す。ここでパニックに陥って逃走を計れば、学院の教室での二の舞だ。ここは状況をいち早く把握して脱出を図るに限る。
—— エレーナ……。
いまだ侍女を責めているロベリアの隙を付いて、エレーナに思念を送る。すぐさまエレーナの嫉妬に満ちた思念が帰って来た。
—— 貴方はベッドの上で、数人の美女に囲まれて何をしているのかしら?
—— 僕も状況を飲み込めてないんだ。何があったか分かる?
エレーナも、今しがた竜也の窮地に気付いたばかりだった。自分の嫉妬心を抑える為に、むやみに竜也を監視する事を控えていたのだが、よもや天蓋付きの大きなベッドの上で、数人の美女に囲まれている状況に陥っていようとは思いもしていなかった。
素早く竜也の心を読み、竜也に落度がない事を確認する。
—— このまま強制的に帰還命令を出しても良いのだけれど、泥棒猫のような事をしでかしたとはいえ、相手は一国の王女様なので一言断りを入れなさい。その後に此方に呼び寄せます。
竜也は、了解とだけ伝える。ロベリアを見やると、まだ侍女に絡んでいた。侍女を泥棒猫呼ばわりしている所がなんとも解せない。
「あのー。エレーナが非常に御立腹で、すぐさま帰って来るように言ってるので帰りますね」
竜也はロベリアにそれだけを言うと、エレーナに合図を送る。
竜也はその場から瞬間的に消えていなくなる。その様子を見やったエリスは、使い魔として召喚された人間の男がいるという噂を思い出していた。姫様が連れて来られた御方は、その使い魔として召喚された男なのだと推察する。
—— 泥棒猫は姫様の方では無いのですか?
ついつい胡乱な目付きになってしまう。その視線に気付いたロベリアは、あからさまに視線を逸らせた。
そしてその事を誤魔化す為に、突拍子も無い事を言い放つ。
「ところでタツヤ殿のアレは小さいと学院の皆が言っているのですが、何と比べているのでしょう?」
そんなことは知った事では無かった。侍女達は互いにこっそり視線を交わし合い、どう答えたものかと逡巡していた。
「私はお父様と比べて、そう思いました。私はこの春、侍女として城仕えするまでお父様と一緒にお風呂に入っていたので、明確に違いが分かります」
キャナルは馬鹿正直にというか、素直にというか、大真面目に答えていた。
—— タツヤ様が可哀想なので、あまり明確には言わないであげてね……。
エリスは深い溜め息を吐いて、この一件を筆頭侍女のエグマ様に何と報告したものかと頭を抱えていた。




