第三十九話
竜也とエレーナは、レクス・エールーカの強力な粘着性のある糸でグルグル巻きにされたまま、本当に翌朝三時まで放置されていた。
ロベリアが短剣で粘着糸を斬って二人を開放した時、エレーナはぐったりしていて、真面に歩く事が出来ない程フラフラになっていた。
エレーナの様子にロベリアは小首を傾げる。
「どうして私が呼んでいるのに、来てくれなかったのです? おかげで戦闘しているよりしんどい目に合ってしまいまたわ」
「僕のせいじゃないからね。僕は糸に縛られた窮屈な身体を、動かしていただけなんだからね」
竜也は起き上がると、身体のコリをほぐすように関節を回して調子を確認している。
確かに竜也は、糸から抜け出そうと必死にもがいていた様であったが、いったい何があったのかは、竜也の腕にはめられたセンサーのデータを解析してみないと詳細までは分からない。明確な意思で動いていない事柄までは、ロベリアも把握はしてはいなかった。
「とにかく戦闘を交代して来るよ」
竜也は腰に佩いている片手剣を抜き放ち、盾を構えると颯爽と『R芋』に特攻していく。現在戦闘をしているジェレミーに声を掛けると素早く交代する。元気よく剣を振り回して攻撃をしているが、青銅製の片手剣では傷ひとつ与える事は出来ていなかった。
「私のせいでも、ありませんからね」
エレーナは、予備で持って来ている剣の中から細剣を選択して装備すると、セシルと交代すべく走っていった。
ロベリアは怪訝そうに二人の戦闘の様子を眺める。エレーナは、ぐったりした様子のまま、いつもの精細な動きに陰りが見える。それでも流石は伯爵位の身分でありながら、学年トップ争いを繰り広げてきた猛者だ。その精神力は公爵位のジェレミーや、王位の血を引く自分をも凌駕するほどの強靭さを持っていた。
このまま戦闘を続けても問題ないだろうと判断すると、懐から水晶球を取り出す。素早く魔法語を唱えて、自分が『R芋』と対峙してからの竜也の様子を写し出す。
そして一通り現在までの様子を見て取ると、ワナワナと震える手で水晶球を懐に仕舞った。
『R芋』にグルグル巻きにされてからの痴態に動揺している訳では無かった。それはそれで許せない行為であったが、今はそんな事はどうでも良かった。どうでも良いように思える程の衝撃の事実が判明してしまった。
当初より通常の人間では有り得ない現象を垣間見てはいたのだが、腕にはめられたデータ収集装置から詳細を取ってみて、それが確定したのだ。
この事実をどのように扱うか思い悩む。エレーナに相談は出来そうになかった。彼女がその事実を知ってしまえば、すぐさま竜也にも伝わる事は確実だ。彼がこの事実を受け止められるかどうかは不明だった。
この件は、災厄対策プロジェクトの本部へ報告に行く必要があった。
「ジェレミーさん、すみません……」
ロベリアは、竜也とエレーナの戦闘の様子を見守っているジェレミーの元へ赴いた。
「急用が出来てしまったので、コスタクルタへ帰らなければならなくなりました。どうかここでの離脱を許可して下さい」
ロベリアの突然の申し出に、ジェレミーはその真意を量ろうと彼女の眼を覗き込む。
何を考えているのか心の読みにくい性格ではあるが、楽をしようとしてここを離れる訳ではないという事は分かった。
「分かりました。他の皆には、そのように伝えておきます。学院長にもロベリアさんの離脱がバレないように、なんとか手を尽くして見ましょう」
「お心遣いは感謝いたしますが、数時間で帰ってきます。私がこの場所に帰って来られるように、帰還用の魔法陣の作成をお願いします」
ロベリアはジェレミーに深々と礼をすると、懐から奇妙な形をした宝石を取り出し、頭上に掲げた。
「転移、コスタクルタ」
ロベリアが転送先を魔法の言葉で呟き、宝石を強く握りしめて砕く。砕けた宝石から光のシャワーが降り注ぎロベリアを覆っていく。
光の粒子がロベリアを覆い尽くし、地面に流れ落ちた時には、ロベリアの姿は忽然と消え去っていた。
ジェレミーはロベリアを見送った後、エレーナと竜也の戦闘の様子に眼を移す。
エレーナは、いつもの精細さを欠く鈍い動きだ。しかし相手はノトーリアス・モンスターとはいえ、硬いだけの『芋』なので十二分に対応は出来ている。問題は無いだろうと思われた。
意外なのは竜也の動きで、足さばきが様になっていた。この調子で八時間も戦闘を続けられるのかは不安なところだが、そろそろ次の段階を教えても良い頃合いだと思われた。
剣の扱いは、独自で疲れないように長期戦を戦い抜く為の構え、振り方を我流で編み出している様であった。
理にかなった剣の扱いであったが、それが万能ではないのだ。我流の変な癖が付かないうちに、シチュエーション別の剣の扱いを教え込む必要があった。
「ドリーヌさん、お願いがあるのですが、少しの間だけタツヤ殿と戦闘を交代して頂けないでしょうか?」
すぐ近くで焚火の番をしながら戦闘の様子を眺めているドリーヌの元に向かい、お願いをする。
「タツヤ様に剣の扱い方を、お教えするのですか?」
ドリーヌの問いに、肯定の意をもって頷く。
「流石は勇者の卵ですよね。泣き言を言いながらも、この早い成長は見物です」
「基礎の段階なので、これくらいの成長は当たり前です。問題は、この学院のトップクラスの者と同等の実力が付いてからです。そこから抜きん出るには、相当な困難を要します」
「猶予が無い事も、懸念材料の一つですよね」
ドリーヌは、しみじみと竜也の戦闘の様子を眺めながら呟く。どんなに才能のある人物でも下積みの地固めのできた状態から剣を習い始めて、一流と呼ばれるようになるには三年は掛かる。
ドリーヌは立ち上がると、戦槌と盾を装備する。
「火の番は、セシルにお願いしておいて下さいね」
そう言い残すと『R芋』に向かって歩を進める。
現在、というか最初からずっとタゲはエレーナが保持している。タゲが来ない事を良い事に、竜也は大振りの攻撃を仕掛けている。やはり正式な剣の扱いでは無いので、ダメージ効率が悪い事が見て取れた。
もっとも青銅製の剣では毛筋ほどのダメージすら与えられていないのだが……。
竜也がドリーヌと交代して戻ってくる。戦闘を開始して間もないのに、すぐさま呼び戻された事を訝しんでいる様だった。
「タツヤ殿には、これまで足さばきに注意して戦闘をしてもらってきましたが、次の段階に移りたいと思います。まずは剣の握り方から説明していきます」
ジェレミーは、自分の腰に佩いている片手剣を抜き放つと、徐に構えてみせる。
「凡庸性のある片手剣は、いざという時には両手でも握れるように柄の部分が少し長くなっています。この学院での教育方針は、全ての武器への精通を基本としますので、後で両手での持ち方も覚えてもらいますが、まずは片手持ちから行きます。
タツヤ殿の持ち方ですが、剣に対して垂直に握ってしまうと手首が返ってしまい、振り遅れの原因となってしまうのです」
ジェレミーは、竜也の握り方と自分の握り方での剣の軌道の違いを見せてみる。
「正式な持ち方ですが、まずは剣を一歩前の地面に、剣先を正面に向けて置いて下さい」
竜也は、言われた通りに剣を地面に置く。
「その場に座って剣を取ってみて下さい」
言われた通りに座って剣に手を伸ばす。剣に手が振れた瞬間、制止の声を掛けられる。そして、その握りを少しばかり微調整される。
「いま持っている握り方が、片手剣の正式な握り方です」
竜也は、その握りのまま目前まで剣を持ってくる。手首の角度が若干違うだけで、もう片手を添えれば剣道で言う竹刀の持ち方に似ていた。しかし片手でこの握り方を保持する事は、非常に力が入れづらいような気がした。
「この持ち方だと手に力が入らないよ。それに鍔迫り合いになったら、簡単に力負けしてしまいそうなんだけど……」
「鍔迫り合いで力技に持って行こうとするのは、ウリシュラ帝国軍の戦法です。コスタクルタ流剣闘術に鍔迫り合いはありません」
ジェレミーは、自分の剣と竜也の剣を打ち合わせた状態に持って行く。
「この状態から、鍔迫り合いに持って行こうとして下さい」
竜也は、言われた通りに力を込めようとする。しかし、力を入れても相手がその分引いて行くので力が入れられない。無理に押し切ろうとすると身体を横に引かれて側面を取られてしまった。
「今のは鍔迫り合いに持って行く前の段階の技で、相手の力をいなす技術です。鍔迫り合いに持って行かれてしまったら、その時はまた別の対処法がありますが、私達は魔法戦士なので、剣での戦いは中間を保つのがベストなのです」
竜也は、いまだ腑に落ちないという様子で剣の握りを確かめている。
「もちろんタツヤ殿が、今まで握っていた握り方もあります。正確にいえば瞬時に握り方を変えているのです」
ジェレミーは、手元で握りを瞬時に変えての攻撃パターンを、いくつか披露してみせる。
「剣によっては他の握り方もありますが、まずはこの握り方を覚えて下さい。
それと、あと剣の扱いで気になった事は、タツヤ殿は片刃しか使っていないという事です。せっかく両刃があるのに、振り下ろした剣を斬り上げる時に、わざわざ剣の向きを切り替えしている事です。
アルガラン共和国軍の片刃使いのような剣術では、そのような動きになりますが、両刃を有効に使わないと勿体ないです」
そう言われてみて竜也は、初めて日本刀のように片刃しか使っていなかった事を意識する。
「剣の握りと手首は柔らかく力を入れずに構えるのが基本です。今度は足さばきと剣の握り方に注意して戦闘を行って下さい」
竜也は、剣を握った右手の手首をクルクルと回し具合を確かめる。それからいまだ剣の握りがしっくり来ないのか、小首を傾げながらドリーヌと交代する為に『R芋』のもとに向かって行った。




