第三十七話
簡単な木の骨組みに、バナナの葉を屋根にしたテントが完成すると、昼食の準備に取り掛かる。
まずはバナナを人数分取って来る。六本である筈が無い。六房でも無かった。竜也の感覚で言うと、これからバナナの大食い競争でも始めるのかと言いたくなる程の量だった。
「朝は『芋』のスイーツだったから、やっぱりタンパク質が食べたいわね。この先もう少し奥に、最近新しく発見された地下迷宮があって、そこに住むドラゴンの肉が美味しいって評判なのよ。行ってみましょう」
竜也は、胡乱な視線をエレーナに向ける。
「もしかして旧世界の遺産が目当てじゃないよね? 財布の中身を計算に入れて行動してない?」
「まさか! 食糧調達がメインに決まっているじゃない。そのついでに、たまたま旧世界の遺産を発見したとしたら儲けもの位にしか思ってないわよ」
無茶苦茶あてにしている様だった。竜也は盛大に溜め息を吐いた。とりあえず、その地下迷宮に行ってみる事にする。
この先もう少し奥と言っていた筈なのだが、随分と歩かされた。是が非でも旧世界の遺産を取りたいと思う心が、この滅茶苦茶な距離をもう少しと言わせたのだろう。
「思っていたより、少し遠かったわね」
エレーナの白々しい発言に、竜也は胡乱な視線を向けて溜め息を吐く。現在ロベリアとドリーヌが命を掛けて戦闘中だというのに緊張感のかけらも無い。
エレーナが、そっと地下迷宮の入口を覗き込む。地下迷宮と言っても学院の地下にある物と違い、まったく人工的な感じは窺えない。目前には、ひび割れのような細長い地表の裂け目が長々と続いているだけだ。シダ植物に覆われた地表は見えにくく、ここに裂け目がある事を知らなければ、誤って落ちてしまいそうなほど見えにくかった。
「この下に地下迷宮があるの?」
竜也はエレーナの横に及び腰でやって来て、一緒に裂け目を覗き込む。深さは暗闇に紛れて見当が付かない。
エレーナは竜也の問いに頷くと、降りられる場所は無いかと辺りを見まわす。
ちょうど眼と鼻の先に人が頻繁に通ったような痕跡を見つける。コケ植物が踏み荒らされていて、その場所に蔓植物で作ったロープが掛けられていた。どうやらそのロープで、下に降りられるようになっているみたいだった。
その場所に移動して蔓の強度を調べる為に引っ張ったりして安全を確認する。
竜也は、心配気に蔓植物のロープと、底の見えない裂け目を見比べる。
試しに小石を拾い上げて裂け目に落としてみる。いつまで経っても、音は返って来なかった。予想通り、相当深い事が窺えた。
「ロープの強度は、十分に二人分の重量に耐えられそうだけど、まず私が降りて下の安全を確認してくるから、私が合図を送ったらタツヤも降りてきてね」
エレーナが【灯り】の魔法を唱えると、目前に小さな光の玉が現れた。準備が整うと、ロープを伝ってスルスルとかなりの勢いで降りていった。
エレーナが見えなくなってから優に一分経過した頃合いに、やっと彼女から思念が届いた。
【灯り】の魔法の光の玉が、地底よりゆっくりと上がってくる。その光の玉が竜也の目前で停止すると、意を決してロープを降り始める。
下を見ないようにした方が良いのかもしれないが、足場確保の為に下を見ざるを得ない。小さな光の玉では、足元を朧気に照らし出すのが精一杯で、しばらく降りていくと頭上からの光もほとんど届かなくなり、暗闇の中に一人で取り残されような不安感が湧き上がってくる。
—— 大丈夫。私からは見えているから、落ち着いてもう少し頑張って……。
エレーナの思念に励まされ、慎重に足場を確認しながら降りていく。しばらくすると下方に光の玉が朧気に見えて来た。エレーナの居る場所だろうと見当を付ける。案外近い距離に胸を撫で下ろす。
ようやくエレーナの元にたどり付き、安堵の溜め息を吐く。
大地の亀裂の底は、人が一人ギリギリ通れるくらいと結構狭かった。左右の岩壁はコケ植物に覆われているが、せり出して来るような岩の圧迫感は半端では無い。頭上を見上げると、空は遥か彼方に遠く感じられた。
「此方に横穴があるわ。地下迷宮というより、ただの洞窟という感じだけど行ってみましょう」
狭い亀裂の道を、エレーナに続いてしばらく歩いて行くと、横穴が姿を現した。暗すぎて奥はまったく見えない。エレーナがもう一つ【灯り】の魔法の光源を作り出して横穴の奥へ送り出す。
横穴は中腰で入って行かないと、頭を打ち付けてしまいそうなほど低かった。
とりあえず屈みながら中に入っていく。奥へ進むほど天井は低くなってく。いい加減不安になって来て、エレーナに大丈夫か訊ねようとしたその時、いきなり広い空間に出くわした。
光り苔が一面を覆っていて、淡い緑色の光が幻想的に辺りを照らし出している。暗闇に慣れた眼には、眩しい程の輝きを光り苔は放っていた。
しかし、その幻想的な光景を楽しんで眺めてはいられなかった。光り苔は一面にくまなく生えているので影を落とさない筈なのだが、のそりと黒い影が動いたからだ。
竜也は、天井を気にしながら腰に佩いている剣を引き抜いた。広いと言っても今までいた窮屈な空間と比べての事で、学院の地下迷宮にあるドーム広場のような広大な広さは無い。奥行きは数十メートル程あるのだが、剣を振り回すには少し天井が低い事が気になった。
「コモド・ドラゴン、通称『大トカゲ』よ。敵というより食料で、ドラゴンステーキやテールスープは絶品よ。強壮剤としても強い効果があり、弱った身体にとても良いのよ」
エレーナの説明を聞いて、想像していたドラゴンと違う事に多少緊張を解く。
「牙に毒があるから噛まれないでね。もっとも致死毒では無いので、そう怖がる事もないわ。『芋』のような強靭な顎の力も無いから、柔皮の部位を噛まれないように気を付ければ大丈夫よ」
いつの間にか、一人で戦わされる段取りになっていた。仕方なしに此方へ寄ってくる黒い影に対峙する。
此方へ向かってきた『大トカゲ』は体長三メートルもある巨体で、のしのしと悠然と竜也の前に現れた。
ファンタジー世界に出てくる最強種のドラゴンではない事に安堵していた竜也であったが、いざ『大トカゲ』を目の当たりにして、考えが甘かった事を痛感していた。これは歴としたドラゴンだった。
元の世界に生息しているコモドオオトカゲという種と同等と考えていたのだが、もしかしたら違うのかもしれなかった。テレビのモニター越しで見るトカゲと目の前のトカゲは同じように見えて全く異質な気を放っていた。
いきなり『大トカゲ』が吠えた。怪獣映画で耳にするような、耳をつんざくような咆哮を上げながら突進してくる。
竜也は、奇怪な咆哮に慄きながらも『大トカゲ』に剣を突き立てた。頭部に当たりはしたが鱗は思った以上に硬く、突き刺すまでには至らなかった。
『大トカゲ』は、怯まずに突っ込んでくる。脛を守るために盾を思いっきり下げ切った所を、狙いすましたかのように『大トカゲ』はクルリと回転すると、その反動で尻尾を打ち付けて来た。
何かが見えた訳では無かったが、竜也は反射的に上体を仰け反らせていた。空気を切り裂く鋭い音と共に、なにかが竜也の顔の傍を通り過ぎていった。
竜也の頭部の装備は、鉢金にコメカミの少し後ろ辺りから頬を守るブーメラン型の錣が付いている兜なのだが、その一片が吹っ飛んだ。痛みは感じなかったが、血が頬を流れ落ちる感覚は感じ取れた。
あまりに鋭い一撃に、竜也のアドレナリンは一気に全快に分泌されていく。
『大トカゲ』は流れるような連携で、浮足立った足元をすくうように尻尾を振るって来た。竜也は、冷静に眼に見えない程の速さで襲い来る尻尾の襲撃を避け、あまつさえ尻尾を斬り飛ばしていた。
『大トカゲ』が痛みの為か悲鳴のような鳴き声を発する。
今度は竜也の連続攻撃が始まった。顔を大きく仰け反らせて咆哮を上げている『大トカゲ』の横っ面を盾で思いっきり殴りつける。体勢を崩してよろけた『大トカゲ』の側面に身体の下の白い鱗を視認すると、躊躇なくそこへ剣を突き付けた。
『大トカゲ』が咆哮を上げながら尻尾を振り回してくる。
冷静に盾で受け止めるが、三メートルもの巨体の力はすさまじく、側方へ吹っ飛ばされてしまう。
ちょうど真横にあった岩に叩き付けられるが、光り苔がクッションになってくれて、幸いにもほとんどダメージは食らわなかった。
しかし、竜也が上半身を起こした時には『大トカゲ』は、竜也の目前まで迫ってきており、圧し掛かるように襲い掛かって来た。
竜也は盾を翳して『大トカゲ』の噛み付き攻撃から喉元を守る。躊躇なく剣を捨てると腰から短剣を引き抜いて喉元に突き刺す。暴れ狂う『大トカゲ』を抱きかかえるようにして何度も喉元に短剣を突き立てた。
『大トカゲ』は身体をゴロゴロと回転させて竜也を振り払おうとするが、竜也は必死にしがみ付きながら短剣を突き刺し続けた。
やがて『大トカゲ』は動かなくなった。
竜也は、よろよろと起き上がると短剣を仕舞い、青銅の剣を拾い上げて腰に吊るす。
「お疲れさま。尻尾の攻撃の避け方と、尻尾を斬り飛ばした動きは良かったわよ。常時あのように動けると、かなり強くなれるわよ」
竜也は一息つき、左頬に滲む血を拭う。
「あれはスローモーションで見えた訳でも何でもないよ……」
「でも、何かを感じ取っての行動だったのでしょう? 最初からすべての物がスローモーションで見える訳じゃないのよ。最初はそんな感じで良いのよ」
エレーナは、そこで顔の表情を引き締める。
「けど、少し『大トカゲ』を侮りすぎたわね。尻尾の攻撃を盾で真面に受けたのは失策よ。三メートルもある体躯から繰り出される攻撃を、真面に受けるなんて自殺行為以外の何物でもないわ。
あの攻撃は盾に角度を付けて受け流さないと、下手をすれば死ぬ所だったのよ。最弱種のドラゴンだけど、曲がり形にも竜の名が付く相手は特別な存在なのよ。これからは特に気を付けてね」
エレーナの小言に、竜也は口を尖らせる。
「僕だって竜の字くらいは付いてるんだけどね……」
その言葉にエレーナの眉が跳ね上がる。
「えっ? タツヤの何処に竜の字が付いているの?」
竜也は小首を傾げる。漢字は此方の世界で旧世界語だ。英語もどきが此方の世界で魔法語だ。しかし此方の世界の標準語は、まったくと言って良いほど意味不明であった。音声言語が同じなら文字も似たようなものだと思うのだが、まったく違っているのだ。
「竜也のタツという字が、此方の世界で言う旧世界語で竜と書くんだよ」
ともあれ、エレーナの責っ付くような催促の思念に答える。
エレーナは両手を胸の前で組み、ひたすら万感の思いを噛み締めていた。稀に見る使い魔を召喚したという確信は、間違いでは無かったのだ。ちゃんと竜の名を冠する僕を召喚していたのだ。
そして今では、勇者の称号まで戴ける段階まで来ている竜也を見やり、溢れ出してくる涙を止める事は出来なかった。
「感動してるところ悪いんだけど、ジェレミーさんの使い魔のユウスケちゃんも、竜の名が付いてるんだよ」
竜也の突拍子もない発言に、エレーナは再度大きく眉を跳ね上げる。
「モグラは旧世界語で土の竜って書くんだ」
竜也は、そこで意地の悪い視線をエレーナに向ける。
「使い魔召喚の儀式で、稀に見る使い魔の妖精竜を、どちらが召喚するかジェレミーさんと張り合ってたんだって?
噂では伯爵家令嬢でありながら、中等部の三年間ものあいだ首席の座を守り続けたエレーナと、大逆転で公爵位の面子を保ったジェレミーさんの二人が本命だったそうだね。
でも蓋を開けてみたら二人とも竜の名は付くけど違う者を召喚してしまい、学年最下位のロベリアさんに美味しい所を持って行かれちゃった訳だ」
「ロベリアさんは休みがちで、出席ポイントがまったく無くて成績が悪いだけで、基本性能はジェレミーさんや私より上なのよ。妖精竜を持って行かれても仕方がないわ。それに……」
エレーナは、少し頬を赤らめて恥ずかしそうに俯き気味に竜也を見上げる。
「今は妖精竜じゃなく、タツヤを召喚して良かったと思っているわ」
エレーナの思わぬ告白に、竜也も顔を赤らめる。
「その期待に添えるように頑張るよ」
ぎこちない空気を紛らわす為に、竜也は『大トカゲ』に視線を移す。
「これ、どうやって持って帰るの?」
「そうよね……」
二人は途方に暮れたように見つめ合う。ぎこちない空気は微妙に薄れ、妙な可笑しさが込み上げてくる。
どちらともなく二人は笑い出していた。




