第三十五話
竜也が眼を覚ました時、すでに皆は起きた後で、テントの中には誰も居なかった。皆はどこに行ったのだろうと、欠伸を噛み殺しながらテントの入口から顔を出して外の様子を覗き見る。
昨日は暗くてよく見えなかったのだが、外の様子は鬱蒼と生い茂る草木に囲まれた薄暗い森の中だった。膝下辺りまであるシダ植物と、頭上にはバナナの葉のような特大の葉を茂らせている木々で辺りは覆われていた。
熱帯雨林のような植物構造だが、気温は高くない。むしろ標高が高いせいか冷やかなくらいだった。
竜也は、恐る恐るテントから這い出る。膝下まであるシダ植物に覆われて地面は見えにくい。ヘビやそれに準ずる生き物に足を噛まれないか心配になる。獣道すら見当たらないこの場所で、皆は何処に行ったのかと辺りを見回す。
皮の半長靴と脛当てで下半身を固めているので、ヘビや昆虫類くらいなら何とかなりそうだが、如何せん異世界の動植物を甘く見ない方が良い。元の世界では想像も出来ないような生物が潜んで居そうだった。
突然、目の前の茂みがガサガサと鳴ったかと思うと、そこからエレーナが飛び出してきた。凄まじいスピードで竜也の横を走り抜けていく。その後ろにはジェレミーとセシルが続いてきた。同じように竜也の横をすり抜けて後方へ走っていく。少し遅れてドリーヌとロベリアが続く。
「タツヤ殿、ちょうど良かった。後は頼みましたよ」
竜也は、ロベリアの意味不明な頼まれ事に右往左往する。いったい何事が起ったのか分からなかったが、とりあえず腰に佩いている片手剣を抜き放つ。この世界に持ってきた青銅製の片手剣とまったく同じ物だ。
盾はテントに置いてきてしまっていた。真後ろにあるのだが、はたしてそれを取りに行く時間があるのか、それとも、いま取りに行かないと不味い状況なのかすらも分からなかった。
皆が走り去っていった後方を一瞬だけチラリと見てから、エレーナ達が出てきた目前の茂みに神経を集中する。
その茂みが大きく揺れると、茂みをかき分けるというより、すべてなぎ倒す勢いでジャイアント・キャタピラーが飛び出してきた。エレーナ達が走り去っていった後方へ脇目も振らずに突進していく。
竜也は、真横を通り過ぎていく『芋』の横っ腹めがけて剣を振り下ろした。ギイギイと耳障りな奇声を上げて『芋』が振り返る。
しかし竜也も『芋』の動きに合わせて側面に回り込んでいく。ドリーヌに習った足さばきを忠実に再現しながら剣を繰り出す。
間合いと足さばきに意識を集中して、剣での攻撃は取り敢えず少し当てるだけに留める。
間合いが近過ぎてしまい、ボウフラのようなクネクネダンスが炸裂する。盾を持っていない竜也は慌てて飛び退る。間合いが開いた事で、突っ込んで来られる事を警戒して、すぐさま真横に回り込んで、剣でチクチクと攻撃を加えていく。
足さばきと間合いに重点を置いたため、倒すのに時間はかかってしまったが、一度暴れられただけで倒す事が出来た。
いつの間にかエレーナ達が、遠巻きに観戦していた。
「一昨日よりは幾分マシになりましたが、まだまだ腰が高いです。この一週間は足さばきに重点を置いて訓練を行って下さい」
ジェレミーは、そう言いつつ『芋』の死骸を見やる。
「それはさて置き、朝食にしましょう」
皆は一斉に『芋』に群がる。昨日『芋』は美味しいとエレーナが言っていた事を思い出す。まさか、朝食にするために『芋』をここまで連れて来たのだろうか……。
竜也は茫然と立ち尽くす。そこへエレーナが透明なガラスの器に盛り付けた何かを持ってきた。
よくこんな野営にガラス製品を持ち込んだものだと感心していると、銀のスプーンと共に器を渡される。
凝った意匠にカットされた涼やかな印象を与える器と、此方も相当に精巧な細工のスプーンは、なかなか見事な物だ。芸術に疎い竜也にでも分かる位の、高級感がにじみ出ている逸品だった。
しかしこの器の中に入っている物はなんだ。見た目はナタデココのような半透明の角切り寒天なのだが、明らかに中に入っている物はジャイアント・キャタピラーの何かだろう。
「高タンパクで低カロリー。そして食物繊維が豊富。そのうえ甘くて美味しいのよ」
ジャイアント・キャタピラーは昆虫だ。なぜ食物繊維が豊富にあるのか分からない。いや、栄養素はどうでも良い。涼やかな器に入った一見なんでもない外見で、もし甘味処で注文して出てきたら、何の疑いも無く口にするであろうと思われるこの物体の正体を、竜也は聞かずにはいられなかった。
「これはジャイアント・キャタピラーのどこの部分なの?」
エレーナは一瞬、言葉を発するのを躊躇する。
「これは『芋』の一番おいしい部分なのです。タツヤの為に食べやすいように器にも気を使ったし、賽の目に切って見た目も良くしてみたのですが、やはり食べられません?」
エレーナの心遣いは痛いほど伝わってくる。これで食べられなかったら男では無い。しかし、そう分かっていても受け付けがたい物があるのも確かだった。
プルプルと震えるゼリー質は、一見おいしそうにも見えるのだが、しかし……。
心の中の葛藤は、右手に持つ銀のスプーンの震えに現れていた。
「タツヤ殿は『芋』より『コウモリ』の方がお好みのようですよ」
またしてもロベリアが余計な事を言う。竜也はロベリアを睨め付けながらスプーンの上でプルプルと躍るゼリー質の何かを口に入れた。ほのかな甘みが口に広がる。上品な甘さは、しつこさがまったく無い。いくらでも食べられそうだった。
「タツヤ殿が、今しがた口に入れた部分は……」
ロベリアが何か言おうとした瞬間、エレーナの眼にも止まらぬ肘鉄が、彼女の脇腹に突き刺さり、言葉を中断させた。
竜也はスプーンにすくい取った二口目を、何とも言えない微妙な表情で見やる。正直、味は美味だった。甘い物があまり得意ではない竜也でも大丈夫な程の、あっさりした風味は、有名パティシエの作った究極のスイーツと言われても納得してしまう程の美味しさがあった。
しかし、ロベリアの言いかけた言葉が気になる。気になるが、エレーナとロベリアは互いに『さん』付けで呼び合っている程なので、親友という間柄ではない。そして相手は王女様なのだ。そういう相手に向かって不敬罪とも取られる行為をしてまで、何を食べさせたのかを秘密にしたがっているエレーナの意を酌んで、黙って二口目を口に入れる。
ロベリアはエレーナに睨まれて、肩を竦めながら『芋』に群がる皆の所へ行ってしまった。
竜也が、ガラスの器に盛り付けてある謎の甘物を平らげると、次は袋の中からバナナのような果物を取り出した。バナナにしては、ずんぐりとした丸い形をしている。
「バナナという野菜の一種なのですが、ご存知ですか?」
バナナは果物なのでは? とも思ったが、あえて何も言わずに頷いた。そしてバナナを数本受け取る。見た目は太ったバナナという感じだが、味は元の世界のものと変わりは無かった。
「エレーナは『芋』を食べなくて良いの?」
一緒にバナナを食べているエレーナに問い掛ける。エレーナが数本のバナナだけで腹が膨れるとは思えないからだ。
「あの巨大な『芋』はそう簡単に無くならないわよ。それよりもタツヤは、しっかり食べてエネルギーを補給しておかないと、これからが大変よ」
「そうだね……。僕ももう少し『芋』を食べておくよ」
エレーナの気遣いに報いる為にも、此方も出来るだけの事を譲歩しなければならない。もう好き嫌いを言っていられる次元にはいられないのだ。少しでも足手まといにならない為に、少しでも強くなるように、全力で努力しなければならない。
竜也は『芋』の傍らまで歩み寄る。横にはエレーナが付き添っている。竜也が決意をすぐに翻して尻込みする事を、いい加減エレーナも見抜いていた。竜也の決意を鈍らせないようにする為にも、エレーナはどんな事があっても全力で竜也を支援すると、覚悟を決めていた。
皆は、『芋』の皮を短剣で剥ぎ、中身のゼリー状の部分をスプーンですくって口に運んでいた。まるでデザート菓子でも食べているかのようにぱくついている。
エレーナは短剣で『芋』の皮を剥ぎ取っていく。二十センチくらいの皮をこそぎ落とすと、スプーンを取り出して中の身をくり抜くようにすくい取る。
「はい、あーん」
竜也の口を開かせて『芋』の肉を放り込む。エレーナとしては、竜也に出来るだけ有無を言わせず拒絶されない方法で食べさせているだけなのだが、傍から見ている者からすればイチャついているようにしか見えなかった。エレーナは、竜也と一つのスプーンで交互に『芋』を食べているのだ。
ジェレミーは、頬が引き攣るのを禁じ得なかった。絶対に、こんな奴に負けたくなという思いが再燃焼する。
皆も、一様に生暖かい視線になる。
「エレーナさん、TPOをわきまえて行動して下さい。公衆の面前での、その行為は淑女の振舞いに反します」
ロベリアが、見かねて注意をする。
「これは別に、睦み合っている訳ではありません。タツヤに『芋』を食べさせるにはこれが最善と思っての行動です」
「たとえそうであっても、周りから見て気持ちの良いモノではありませんよ」
ジェレミーにまで言われて、エレーナは渋々引き下がる。
竜也は、エレーナの手からスプーンを掠め取ると『芋』の肉を自らすくい取って口に運んで咀嚼する。
正直、最初にエレーナが取り分けてくれた極上の部分よりも甘さはどぎつくて、口の中にいつまでも残るしつこさがあったが、これは糖分で単なる栄養素、これからの運動で必要になるエネルギーなのだと自分に言い聞かせる。
エレーナの心配気な表情に、大丈夫だと思念を送り食べ続ける。正直気分が悪くなるほどの甘さだったが、これは甘いのが苦手なだけで『芋』が気持ち悪くて気分が悪くなっているのでは無いと自分に言い聞かせていた。
竜也が我慢してでも食べてくれている事に、エレーナは胸を撫で下ろしながら、自分も『芋』を食べ始めた。




