第三十三話
登山というよりクライミングに近い坂道をよじ登り尾根に出る。コルネホ山に立ち入って既に三時間近くが経っていた。
予定では半日でゴズの森にたどり着く予定だったのだが、このままのペースで進むと、到着は深夜になりかねなかった。日が暮れてからの行軍は、色々と危険が付きまとうからだ。
夜になると昼より強力なモンスターが徘徊するのだが、それは問題にしていない。学院のトップ集団である彼女達の実力では、ここら一帯のモンスターに後れを取る事は、万が一にもあり得ないからだ。
危険なのは足場だった。クライミングで登ってきた程の険しい斜面なのだから、尾根から見下ろす景色は崖という箇所も多々ある。足を滑らせれば、下手をすると命に係わる危険な場所なのだ。
エレーナは、このまま強行するのかを問うようにジェレミーに視線を向ける。
ジェレミーは遅れ気味の竜也に視線を向けた。登山に慣れていない竜也に、暗い夜道を歩かせるのは危険すぎる。闇の中をものともせず軍行してきた自分達と一緒に考えてしまっていた事が間違いだったようだ。
現在の時間は十九時だ。もうあと少しは行軍できそうなのだが、竜也の足取りは重すぎる。今朝からハードに動いている彼は今にも倒れそうだった。
今日はここで野宿をしようと、皆に声を掛けようとした時、ロベリアがそれを遮った。
「タツヤ殿の体力はまだまだ有ります。精神力が不安ですが、命綱を私の身体とタツヤ殿の身体に結び付けておけば大丈夫でしょう。これで今日中にゴズの森へ行きましょう」
竜也は、それを聞いて意識が飛びかけた。真横は崖になっていて、ここから落ちれば間違いなく死ねそうな断崖に危うくダイビングしかける。
「ロベリアさんは、本当に脳筋だよね。それともサディストなの?」
息も絶え絶えになりながら、竜也が悪態を吐く。
「ノウキンの旧世界語を、サーヤが昨日とうとう解読しましたよ」
ロベリアは、自慢げに竜也に対峙する。
—— サーヤって誰だよ……。
という竜也の心の中の突っ込みに、エレーナも頷く。
「ノウキンのノウは脳味噌のノウ。ノウキンのキンは筋肉のキン。合わせて脳味噌筋肉と読み取れます。これは私のような超絶戦士に与えられる賛辞だったのですね」
—— いや……違うから……。
竜也は、あまりの勘違いに眩暈を覚える。真横は絶壁だ。落ちれば命は無い。そこへ、もう少しで転落する所だった。
「まぁ、でもロベリアさんに送る賛辞としては間違って無いかな……」
周りの皆は、竜也の微妙な表情から間違って解読されている事に気付いていたが、あえて何も言わなかった。
「そうとも知らず、今まで散々嫌味だと勘繰ってしまって申し訳ありませんでした」
ロベリアが、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
それを見て竜也は狼狽える。訂正したものかどうか考えあぐねる。このまま放っておいて、後から本当の意味を知られたら、五寸釘よりさらに恐ろしい物を持って来られそうだ。なんといっても生殺与奪権は、ロベリアに握られているのだ。
そう考えると冷や汗が出てくる。左手にはめられた呪われた腕時計のセンサーが、嘘発見器のように心拍数を読み取っているだろう。
—— 氷の精霊の件の仕返しに、放っておいても大丈夫です。
エレーナが、茶目っ気たっぷりに思念を送ってくる。
竜也は、 —— 後でどうなっても知らないよ……と、心の中で呟きながら躊躇い気味に頷く。
ロベリアはロープを取り出して、自分の胴と竜也の胴を結び付けた。そのまま行軍を再開する。
しばらく軍行している時だった。竜也はバランスを崩してしまい、咄嗟にロベリアに抱き付いた。吸い寄せられるように、その爆乳に顔を埋める。ただ一つの誤算は、いくらおっぱいの形を忠実に再現してあるとはいえ、鋼鉄製の鎧なので感触は楽しめなかったという事だった。
エレーナは、素早く不埒な思念を感じ取り、竜也を睨む。
「いや、違う! 今のは狙っておっぱいに顔を埋めたんじゃないよ!」
エレーナに胡乱な目付きで睨まれ、必死で言い訳をする。
「元々おっぱいには、淫力という物があるんだ。万有淫力の法則というのがあるでしょう? すべてのおっぱいに作用する淫力で、その大きさは二つのおっぱいの質量の積に比例し距離の二乗に反比例するって法則なんだけど……」
「知らないわよ!」
ピシャリとエレーナに言葉を遮られる。
「意味が分からないですね」
セシルも、呆れ顔で竜也を見やる。胸の無い二人にとって、こんな法則を認める訳にはいかなかった。
「要するに、これだけ大きなおっぱいが目の前にあったら、必ず男は顔を埋めてしまうという事なんだ。誤算だなんて、ちょっと不埒なこと考えちゃったけど、本当に今のは意識してやったんじゃ無いんだよ」
竜也の必死の言い訳に一同は、冷たい視線を向ける。
「タツヤ様の言っておられる法則の意味は分かりませんでしたが、実際に殿方は女性の大きな胸に惹かれる事は事実ですよね」
「それはおかしいです。二つのおっぱいの質量の積に比例するというのであれば、私の方がドリーヌさんよりモテてなくては辻褄が合いません」
ドリーヌの見解に、ロベリアが異論を唱える。
「距離の二乗に反比例するって所を見逃していませんか? ロベリアさんは一国の王女様です。とても手の届くような距離にはいません。対するドリーヌさんは、エマーソン伯爵家七女という事で、誰の手にも届く距離に居ます。この距離の差が、ドリーヌさんがロベリアさんより人気がある原因だと思われます。
あと表情とかも要因の一つだと思います。ロベリアさんが、いつも無表情なのに対しドリーヌさんには愛嬌があります。女優としてのカリスマさえ持ち得ているように見えますからね……」
ジェレミーの解説にロベリアは、まだ納得できないというように渋い顔をしている。
「そんな事は、どうでも良いのです」
エレーナは、竜也の居た世界での怪しげな法則に、真剣に討論を繰り広げている皆を呆れ顔で見回す。
「このロープは短すぎはしませんか?」
エレーナの指摘に、セシルも首を縦に振る。ロープの猶予は一メートルも無いのだ。
「これ以上長くすると、もし竜也殿が足を滑らせた時に助けが間に合いません。それどころか、落下速度に私自身が引き込まれます」
「でも、そんなに近くては、もし敵が現れた時に剣が振れませんよ」
エレーナの指摘に竜也は、嫌な予感を感じ取らずにはいられなかった。こんな所で変なフラグを立てないでほしい。そして大概の嫌な予感は的中するのだ。
「敵探知! 九時の方向、ヴァンパイア・バット、数不明、無数よ。距離二百! 凄いスピードで此方に向かってくるわ!」
セシルの警告に皆の顔が青ざめる。決して強い敵では無いのだが、圧倒的数量でかなり面倒臭い相手なのだ。
「ヴァンパイア・バット、通称『コウモリ』です。体長二十センチと非常に小柄ですが、群れで襲って来られたら非常に厄介な相手です。とにかく剣を振り回していても埒が明かないので弱点属性である風の魔法で切り裂くのがお勧めですが、曜日の関連性という法則を覚えていますか?」
「昨日習ったばかりだからね。今日は氷曜日だから、昨日の風曜日の威力は減少してるんだよね」
「その通りです。こういう場合は臨機応変に、状況に合わせて効果的な戦術を選択するようにします」
ジェレミーの説明に、竜也は理解したというように頷く。
「本当にジェレミーさんは、説明するのが上手いよね。魔法はジェレミーさんに教わりたい位だよ」
「では剣の扱いは、私が教える事にします」
ロベリアが憤然とした表情で、竜也を睨み付けながら言う。
「まず、敵に周りを囲まれた時の対処法ですが……」
「来たわよ!」
ロベリアの説明を遮って、セシルが警告を発する。
別にセシルが悪い訳では無いのだが、ロベリアはセシルを睨まずにはいられなかった。
エレーナが、風系の魔法を広範囲に放つ。ソニックブームのような衝撃波が、風を切り裂く大音響と共に『コウモリ』をズタズタに引き裂いていく。しかし数が圧倒的に多すぎる。後からやって来る『コウモリ』は左右に展開して一同を取り囲んていく。
セシルが予め召喚していた雪女が、フ~っと息を吹きかけるような仕草をすると、猛吹雪が前面に展開され、凍り付いた『コウモリ』がバタバタと地面に墜落していった。
ジェレミーも剣に魔法を付与して応戦する。カマイタチのような真空の刃が剣先より生じて次々に『コウモリ』を撃墜していく。
ドリーヌは戦槌を振るい一匹の『コウモリ』をやっつけた。そして迫り来る『コウモリ』の群れに対し、魔法で強化した円形の盾を翳す。魔法での強化範囲は軽く長方形の盾の能力を超えていた。鉄壁の防御力と言えたが、攻撃面ではほとんど役には立っていなかった。
もっと役に立っていないのが竜也だった。竜也は『コウモリ』目掛けて剣を振り被る。
「タツヤ殿、剣を垂直より後方に振り被ると危険です!」
ロベリアが、慌ててその剣を避けながら苦言を呈する。
「敵に周りを囲まれた時の対処方法は、どうしたら良いの?」
非難を受けて剣を振るえなくなった竜也は、小刻みに剣を前面で振り立てながらアドバイスを請う。
「まず背中合わせに立って下さい」
言われた通り、ロベリアの背中に自分の背中を合わせる。
「それから?」
「後ろに気を付けて戦って下さい」
竜也は、呆れたような視線を一瞬ロベリアに向ける。いたって凡庸で、とても有効なアドバイスとは言い難い。
ロベリアが大剣を振るう。それと同時に竜也も前面に踏み込んで剣を振ろうとしたので、ロープが伸びきってしまい、その反動で二人は後方に引っ張られたようにバランスを崩してしまう。
連携は無茶苦茶だった。目の前には、空を覆い尽くさんばかりの『コウモリ』の群れが居るのに一匹も倒せない。眼を瞑って剣を振り回していても、当たりそうな程の大軍に向かって剣を振り回すが当たらない……。
一気に押し寄せて来るかと思われた『コウモリ』だが、一定の距離からは近付いては来なかった。
「【空気の壁】を展開したわ。私達は大人しく戦闘を見学していましょう」
ドリーヌが風系の防御魔法で全員を覆ったのだ。気流の壁が微かな風の音を伴って皆の周りを渦巻いていた。
その隙にエレーナとセシルが、魔法で次々と『コウモリ』を撃退していく。空を覆い尽くすほど居た『コウモリ』は徐々に数を減らしていき、やがては逃走して元来た空へ帰って行った。
「ヴァンパイア・バット、探知圏外への撤退を確認!」
セシルの戦闘終了報告に、竜也は剣を握りしめた拳に、更に力を込める。
—— 一匹も倒せなかった……。
体長二十センチ程度の矮小な敵ですら満足に戦えない事に、情けなさと苛立ちを覚える。これで本当に勇者になれるのかと不安になる。
—— 焦らないで……。
そんな竜也のもどかしさを感じ取ったエレーナは、竜也にそっと呼び掛ける。
—— 戦闘には相性という物があります。今回の『コウモリ』の大軍に、剣で立ち向かうのは無謀という物です。
また、個々には役割という物があります。有効な攻撃手段を使える私とセシル、そしてジェレミーさんが魔法で攻撃、ドリーヌが防御魔法担当、ロベリアさんがタツヤを護衛で切り抜けるのがベストだったのです。
竜也は、やるせない気持ちを振り払うかのように、大きく溜め息を吐いた。元々へばっていたとはいえ、これしきの事で息が上がっている自分に、自己嫌悪が沸いて来る。皆は全く息を切らせていないのだ。
ふと、皆が不可解な行動を取っている事に気付く。さきほど倒した『コウモリ』の死骸を集めて皮袋に詰めているのだ。またしても、いやな予感がしてならない。
「ねぇ、これは何をやってるの?」
聞きたくはないのだが、質問してしまう。
「今晩の夕食の確保よ」
嫌な予想は当たってしまった。此方の世界の食事は、元の世界の食事より遥かに美味しいのだ。素材が新鮮で無農薬だからかもしれない。化学肥料をドバドバ使用し、バイオテクノロジーで怪しげに大量生産された食材とは訳が違っていた。
竜也は、足元に転がっている氷漬けの『コウモリ』の死骸を、人差し指と親指で汚い物でも触るかのような仕草でつまみ上げた。
本当に、この世界の食事は美味いのだ。しかし、この『コウモリ』はどう見ても美味しそうには見えなかった。今まで口にした、どの食べ物とも次元が違っていた。
「これは美味しいの?」
食べられるの? とは聞かなかった。食べさせられる事は、分かりきっているからだ。
「味はさすがに……ね……」
エレーナが、苦笑いを浮かべる。
「ジャイアント・キャタピラーの方は、美味しいんだけどね……」
エレーナの発言にジャイアント・キャタピラーが顫動しながらウネウネと這い回っている様子を思い浮かべ、思わず鳥肌が立ちかけて腕をさする。
「これくらい確保しておけば良いでしょう。こんな物より、早く現地に行って『芋』を捕まえて食べたいですね」
ジェレミーの発言に、皆は頷く。竜也だけが首を横に振っていた。
冗談では無い。ゲテモノ食いの趣味は無い。あのグロテスクな容姿を思い浮かべるだけで吐き気がしてくる。しかしサバイバル生活では、食べられる物は何でも食べないと生き残れないのかもしれない。
「では先を急ぎましょう」
ジェレミーの号令に、皆は再出発する。竜也は重い足が、さらに重くなったような錯覚を味わいながら歩を進めて行った。




