第二十九話
勇者育成計画が始まって二日目。竜也は、筋肉痛を超える激痛で眼を覚ました。全身の骨にヒビでも入ったかのような激痛に起き上がる事すら出来ない。特に腰がひどく、どんな行動を取る事もかなわなかった。
慌ててエレーナに救援を要請する。エレーナが到着するまでの約三十分間、竜也は寝返りを打つ事さえ出来なかった。
「大丈夫?」
エレーナが宿直室に駆け付けて来た。竜也は眼だけを動かしてエレーナを見やる。
「起き上がる事すら出来ないよ。今日休む事は出来ない?」
エレーナは、困ったというように顎に手を当てて考え込む。竜也の身体は心配だが、ここで休んでいては、とても勇者にはなれない。
「とりあえず、マッサージで何とかなるか試してみましょう」
エレーナは、まず足からマッサージを始める。凝り固まった筋肉の感触はガチガチだ。声には出していないが、竜也は心の中で悲鳴を上げている。歯を食いしばって耐えている様子は痛々しい。
—— 魔法さえ使わなければ、何したって構わないわよね……?
エレーナの心の中の呟きに、竜也は不安気に彼女の様子を見やる。こういう時の嫌な予感は必ず当たるのだ。
エレーナがポーチから取り出した物は、細長い針だった。ただし細長いと言っても元の世界の鍼灸に使う鍼からすればかなり太い。まさかこんな太い針を突き刺す気なのかとエレーナの顔を不安げに見つめる。
「大丈夫よ。これは鍼治療といって人体のツボを刺激して気の流れを正常に戻す治療法なのよ」
エレーナは、安心させるように鍼というものについて説明してくれる。しかし竜也の不安は治療法では無く、治療器具である鍼の方にあるのだ。もはやそれは鍼ではなく針だ。
「その治療法は、僕の居た世界でもあるから知ってるけど、その針は太すぎない?」
「大は小を兼ねる、って言うじゃない」
エレーナは、手にした針を竜也の腕に突き刺す。かなり痛みがある。大は小を兼ねるという定義が通るなら、針じゃなくて釘の方が良いという事になる。そんな筈は無い。
「痛すぎるんだけど、本当に大丈夫?」
「大丈夫よ」—— たぶん……。
心の中で付け加えられた推測に不安は大きくなる。
「エレーナ、あれやってほしいな……」
「あれって……?」
エレーナは、竜也の心を読んで顔を赤らめる。
「本当に良いの?」
「うん……。鍼より効きそうだから……」
エレーナは、竜也が寝ているベッドに這い上がる。そしてベッドの上に竜也を跨いで立ち上がった。恥ずかしそうに頬を紅潮させながら、長衣の裾をつまんで少し持ち上げ、足元をよく確認する。
「行くわよ」
エレーナは、竜也の太腿を踏み付けた。内腿のツボを踏み付けられ、竜也はピクリと身体を震わせた。
エレーナは、至極ご満悦だ。前回マッサージをしてもらっている時、エレーナは非常に足で踏みたがっていたので、針でいい加減な治療をされるよりはと、お願いしたのだ。
足での踏み付けマッサージは、段々と膝の横辺りから、足の付けの方にせり上がっていく。微妙なところを踏まれ、竜也は呻き声を上げる。悪戯心から長衣の裾をつまんでめくり上げ、中を覗き込む。エレーナは慌てて長衣の裾を押さえる。
「手は、ちゃんと動くじゃない」
「ほんとだ……」
指摘を受けた竜也自身も驚いていた。恐るべしスケベパワー。
その時だった。宿直室の扉が荒々しくノックされたかと思うと、返事も待たずに開かれた。そこにはロベリアが佇んでいた。彼女は荒い息を吐き、大きく胸を弾ませながら宿直室に入って来た。
竜也に取り付けられたセンサーの反応を見て、わざわざ走って来たようだ。淑女の嗜みはどうなっているのか気になる所だ。
「ロベリアさんって、ホント良い所をいつも邪魔するよね」
竜也は、半ばあきれ気味に溜め息を吐く。
「私は風紀の乱れを正しているだけです。それよりもマッサージなら、私の方が力あるので任せて下さい」
ロベリアは、あらん限りの力で至る所にあるツボを、ぎゅうぎゅうと押していく。
たまらず竜也は悲鳴を上げる。
「ロベリアさん、何か私的感情が入ってません? 例えばエレーナが妬ましいとか……」
ロベリアは、鞄から五寸ほどの長さもある釘を取り出した。
「タツヤ殿は、マッサージより鍼の方がお好きですか?」
いつもの無表情のまま、竜也の目前に五寸釘をチラつかせる。無表情だからこそ、より恐怖心を増幅させるロベリアの冷やかな視線に、竜也は必死に身体を仰け反らせる。
「いやいやいや、マッサージの方が好きです。マッサージでお願いします」
竜也は、動かない身体で必死に逃れようとしながら懇願する。
「鍼灸の方がお好みなら、何時でも何か言って下さい」
何も喋るなという脅しに、竜也は口を開く事なく、コクコクと頷いて見せる。
ロベリアは、五寸釘を竜也の枕元に見せつけるように置くと、再びマッサージを始めた。
竜也は、悲鳴を上げる事すら憚られるように必死で耐えていた。耐えながら、ロベリアの一連の行動から、まさかこの呪いの腕時計には、心を読む機能まで付いているのではなかろうかという猜疑心が湧いてきていた。
程なくしてマッサージは終了する。竜也は、何とか歩けるくらいには回復していた。一時限目は筋力強化訓練という事で、体育館での特訓のようだ。朝食や色々な用事を済ませて、いざ体育館へという段階になって、三年生担任のオリビエが血相を変えた様子で宿直室を訪れた。
「ロベリアさん、エレーナさん、タツヤ殿……。ちょっと生徒指導室まで来て下さい」
オリビエの徒ならぬ様子に、三人は訝しげに顔を見合わせる。
また何か問題を起こしたのか? とロベリアがエレーナに視線で問い掛ける。
エレーナは何もしてないと首を横に振る。まさか竜也が何か悪さをしたのでは? と彼女は顔を引き攣らせながら竜也を睨む。
僕が昨日あの後、何か悪さするだけの体力が残ってたと思う? と竜也は肩を竦めてみせる。
竜也とエレーナは、ロベリアに胡乱な視線を向ける。いつも何処に居るのか、何をやっているのか一切不明で、一番あやしいのはロベリアだ。
ロベリアは小首を傾げる。自分が間違った事をする筈が無いと、態度が物語っていた。
「学院長は三人ともお呼びです。後はジェレミーさん、ドリーヌさん、セシルさんも呼ばれています」
この六人が関係する事と言えば、昨日の放課後に潜った地下迷宮での一件だろう。
エレーナは、あのあと寮に帰ってからジャイアント・キャタピラーのリンク詳細と、アルゲントゥム・ウィーウムの新弱点と倒し方を纏めたレポートを作成していたのだ。これを見せれば、生物学誌に名前が載るかもしれないと思うと心が躍る。
三人は足取り軽く生徒指導室へ向かっていった。
職員室には、さらに奥まった部屋があり、そこに生徒指導室がある。一般に此処に呼ばれるのは、何か問題を起こした時だけなのだ。エレーナは、ここ最近常連となりつつある事もあり、ここへ入るのに気後れを感じていた。
しばらく生徒指導室の前で躊躇していたが、ここで思い悩んでも仕方なと、心を奮い立たせて中に入る。中にはすでにジェレミー、ドリーヌ、セシルが来ていた。
スベントレナ学院長は、椅子に深く座り込み、両手を組んで神経質そうに指を動かしていた。
その雰囲気からしてエレーナの胃は縮み上がり、動悸が酷くなる。いったい何事かと、先に来ていた皆を盗み見てアイコンタクトを取ってみる。
皆の様子も、これから起こる事は不明という物だった。
六人が横一列に並んだ所で、スベントレナは椅子に浅く座り直した。緊張している六人を順に眺めまわしながら徐に話し出す。
「昨日、タツヤ殿の剣技の特訓の為に、地下迷宮を使わせてくれないかと、サバティー先生に打診していたそうですね?」
「はい。使用許可証も、もらっております」
ジェレミーが、半歩前へ進み出て発言をする。あらかじめ用意してあった許可証をスベントレナ学院長の座るテーブルに差し出す。
スベントレナは、許可証には見向きもしなかった。
「剣技の初歩は、まず足さばきから教えていくとコスタクルタ流剣闘術にはあります。皆さんも、まずは足さばきから教わったと思いまが、違いますか?」
「その通りです」
ジェレミーが困惑気味に答える。無許可で地下迷宮に潜ったと思われて、呼び出されたのかと思っていたが違うようだ。
「今朝、オリビエ先生が地下迷宮の様子を下見に行かれたら、ジャイアント・キャタピラーが一匹残らず倒されていたそうです。これはどういう事なのですか?」
皆は互いに顔を見合わせる。多少の焦りが皆の顔に浮かんでいる。
「その件で重大なお話があります」
エレーナが半歩前へ進み出る。
「昨日、タツヤは偶然にもジャイアント・キャタピラーをリンクさせてしまったのです。私達は、その謎を解き明かすために『芋』を狩り尽してしまいましたが、あのアラニス・オーイェルが生涯を掛けて研究していて、遂に分からなかったリンクの謎を解明したのです」
エレーナが、昨日作成したレポートをスベントレナ学院長の前へ差し出した。
スベントレナは、そのレポートにも見向きすらしなかった。
皆が不審に思って、こっそり視線を交わし合っている中、スベントレナは小さくため息を吐いた。
「アラニス・オーイェルが、何故有名になったのか皆さんはご存知ですか?」
皆は、お互い視線を交わし合い一様に頭を振る。
「では、皆さんはジャイアント・キャタピラーをリンクさせる方法を知って、どれだけ利益があると思いますか?」
皆は、今度は首を傾げる。
「利益は無いと思いますが、世紀の大発見では……?」
「大発見でも何でもありません。アラニス・オーイェル没後、程なくしてジャイアント・キャタピラーのリンクの謎は解き明かされています。アラニス・オーイェルは何の価値も無い事に生涯を捧げた大馬鹿者として有名になったのです」
皆の眼が点になる。いまだどういう事か理解できずに、呆けた顔で互いに顔を見合わせている。
「ジャイアント・キャタピラーをリンクさせるには、非常に危険な行為をしなくてはいけません。
第一に『芋』の目前に立つ事……。牙の餌食になれは命の保証はありません。『芋』と戦う時に、絶対にやってはいけないタブーです。
第二に、カウンターでしか触角を斬り飛ばせない事です。さらに命の保証はありません。ここまで命を危険に晒してリンクさせたとします。そうすると更に命の保証はありません。二匹以上の『芋』との戦闘は、上位モンスターとの戦闘ほどの危険を伴います。
『芋』のリンクは何の益にもならない事が、お分かりになりましたか?」
皆は、不承不承頷く。
「そして、ここからが我が学院の問題です。今年入った中等部の一年生も、剣闘術はまずは足さばきから教えていく事になります。今日の一時限目が、その予定になっていました」
皆の顔が一気に蒼白になる。
「ジャイアン・キャタピラーは足さばき、間合いのはかり方を練習するには打って付けの相手なのですが、居ないとなると、これからこの学院に入学してくる生徒達に、どのようにして教えて行けば良いと思われますか?」
誰も答えられる者は居なかった。みんな項垂れてしまう。
「処分を下します。全員一週間の停学」
皆は顔を上げて驚愕に眼を見開く。エレーナはフラフラと後退り、その場に頽れかけた。横に居た竜也が素早く支えてやる。
「私もですか?」
心外というように、ロベリアが言葉を発する。
「私はジャイアント・キャタピラーの大量虐殺に参加していません」
「ロベリアさんは、勇者育成計画の総監督です。責任者である以上、同罪です」
ロベリアは、口をヘの字に曲げて不服そうだ。
「課題は、この一週間の間に出来るだけ多くのジャイアント・キャタピラーの卵を持ち帰る事です。いいですね?」
皆は、渋々返事をする。
「だから『芋』の大量虐殺には反対だったのです」
ロベリアだけが、いまだ不服そうに小声で独り言ちる。
「一番の被害者は僕なんだからね。何も悪いことしてない僕まで処罰されてるんだから、ロベリアさんは当然だよ」
竜也の言い分に、ロベリアも渋々返事を返した。
「学院長、地下迷宮での出来事で、もう一件ご報告しなければならない事があります」
エレーナが、怖ず怖ずと半歩前に進み出る。
「昨日、地下一階のドーム広場にて、アルゲントゥム・ウィーウムと遭遇いたしました」
スベントレナの眼が鋭さを増す。
「結果から申しますと、誰一人死傷することなく切り抜ける事が出来ました。なぜ地下十階に生息する『銀のスライム』が地下一階に現れたのかという予測から新弱点、対処法をまとめてみました」
エレーナが差し出すレポートを、スベントレナは受け取った。そのままパラパラと流し読む。
「この推理が正しければ、ジャイアント・キャタピラーの体液の匂いにつられて下層から上がってくるモンスターは、他にもいるかもしれません。それに『芋』のテリトリーが開いた事を察知した他のモンスターが、ドーム広場を占領する可能性もあります。皆さんは、ただちに地下迷宮に潜って『芋』の死骸の処理、そしてドーム広場を占領しているモンスターの排除をお願いします」
生徒指導室を後にした六人は、その足で地下迷宮に向かていった。




