第二十七話
地下迷宮の入口で、竜也は足を止めた。相変わらず此処から空気が一変している。入口のすぐ横にある部屋に掲げられているプレートを見上げる。字は読めないが女子更衣室と書いてあるそうだ。
そのプレートを見上げながら竜也は、一週間前の事件を苦々しく思い返していた。
——もう少しだった。もう少しでモザイクに隠されていた真実を見取る事が出来たのに……。
悔恨の情に駆られていると、横合いからエレーナに肘鉄を食らう。
—— 冗談だって……。
エレーナに睨まれながら皆の後に続いていた竜也は、危うく女子更衣室に入りかけて立ち止まる。
「良いから入って下さい」
ロベリアに促されて、エレーナに視線を送る。大丈夫だと頷く仕草を見て、竜也は女子更衣室に入って行った。
中は、教室の広さ程の部屋だ。無意識に右手の壁一面に穿たれたハニカム構造のボックスを覗いてしまう。放課後で誰も地下迷宮に潜っていないので、当然すべてのボックスは空だった。
「此方です」
ロベリアに案内されたのは、さらに奥にある部屋だった。その部屋には様々な鎧や剣が置いてあった。
個人の私物らしい鎧が置いてあるかと思えば、サイズ別に同形式の鎧がレンタル形式で置いてあった。さながら武具の格納庫といった所だ。
「タツヤ殿には後日、歴とした武具が国より支給されますが、今日の所は既製品で我慢して下さい」
そう言いつつ、適当に見繕ってきた胸当てを竜也の胸元に宛がう。違うサイズの物とどちらが良いか見比べる。
「既製の物はすべて女性用なので、すこし合わないですね……」
いちおう竜也は男だ。同体格の女性と比べれば肩幅はある。竜也が着られる鎧となると結構大きめの鎧になってしまった。何が大きいかというと胸のせり出し方だ。
ファンタジーの世界によくある胸をやたらと強調した鎧を着て、竜也は上機嫌になっていた。
真下を見ると自分の臍も足元も見えない。胸の部分を持ち上げるように鷲掴みにしてみる。ドリーヌ級の大きさだった。少し揉んでみる。鋼鉄製なので当然感触は固い。少しがっかりする。
その様子を皆は、冷たい視線で見つめていた。
「使い魔の躾は主人の義務ですよ」
ジェレミーに言われ、エレーナは赤面する。このおっぱい星人を矯正する事は不可能だ。いっそ去勢してしまった方が早いかもしれない。
その思念を感じ取り、竜也はブルリと背中を震わせた。
—— それは勘弁して……。
—— それでは、これからは人前でやって良い事と悪い事の区別は付けて下さい。
竜也は不満そうに頬を膨らませる。
—— 分かったよ……。これからはエレーナの前だけにするよ。
エレーナは、竜也の戯れに眉の一つも動かさなかった。その様子を見て取り、竜也はつまらなそうに口を尖らせる。
「不格好ですが、鎧はこれで仕方がないですね……。今日は剣の扱い方よりも、足運びを重点的に覚えてもらいます」
ロベリアは、竜也の様子を眺めて溜め息を吐いた。まだ胸を触っているからだ。
「盾はどのような形状、素材の物がお好みですか?」
盾がズラリと並んでいる場所に移動する。
円形の小さい物から、長方形の身体全体が隠れるくらい大きい物まで色々だ。素材も皮をなめして作られた物から鋼鉄製まで様々だった。
円形の盾は初心者にも扱いやすい反面、防御力に劣る。長方形の盾は防御力が高い反面、重く取り扱いが難しいらしい。
バックラーは竜也が想像していたような使い方でなく、突き出すように構えて相手の剣に積極的に当てていくように使うらしかった。
そのような説明を受けながら、色々と手に持ち感触を確かめる。
「勇者の盾といえば、これしかないのではありませんか?」
ジェレミーが方形の盾を持ってくる。ホームベースを少し縦長にしたような五角形の盾だ。
竜也は方形の盾を手に持ってみる。持ち手以外にも腕に通せる革のベルトがあって、安定感も良いし円形の盾のような防御力への不安感もない。重さももう少し鍛えれば何とかなると思われる範囲だった。盾はこれに決定する。
「剣はそれで十分ですね。それでは地下迷宮に向かいましょう」
ロベリアは、竜也の腰に佩いてある青銅の剣をチラリと見やりながら言う。
「えええっ! 僕もロベリアさんが持っているような、薄緑色に発光する魔剣が欲しいな」
竜也は、駄々をこねる子供のようにせがんでみせる。
「あの剣を所有するには資格が要ります。与えられる試練を乗り越えて、始めて手にする事が出来るのです。現在のタツヤ殿では百回くらい死んでしまうくらいの試練ですが、受けてみますか?」
ロベリアは、竜也がすぐさま辞退するものと思っていたのだが、意外にも竜也は思案顔で考え込んでしまった。
「僕が勇者になったら、試練に挑戦できるかな?」
竜也は真面目に質問している様だった。あれだけ無理だと言っていた勇者育成計画を成し遂げた後の事を考えている所に、やる気が窺える。
「勇者の資格があれば、必ずやあの剣と同等の業物が手に入るでしょう」
ロベリアは、竜也に向かって大きく頷いてみせる。
竜也が盾を選んでいる隙に、手前の部屋で着替えをおこなっていた四人が武具格納庫に入って来た。エレーナとセシルは灰色の長衣姿だった。エレーナは棒杖を、セシルは長杖を持っている。ジェレミーは短衣に板金の胸鎧を纏っていた。左手に方形の盾、腰には片手剣を佩いている。ドリーヌは板金鎧姿だった。かなり大きめの硬革製の円形の盾と腰には戦槌を下げている。
「それでは行きましょう」
いよいよ地下迷宮に踏み出す。洞窟の道幅は二人が武器を抜き放ち、振り回すことが可能な広さだ。
前衛に竜也とジェレミー、中衛にエレーナとセシル、後衛にドリーヌとロベリアという陣形だ。
ロベリアは学院の制服である純白の長衣姿のままだった。着替えないのかと尋ねてみると、ロベリアは監督という事で今回は見ているだけという事だった。
ジェレミーが剣の扱いを教え、エレーナが万が一の回復要員、セシルととドリーヌが護衛という感じだ。
最初の分岐点に到着する。前回は右に曲がったのだが、今回は左に曲がる。右の道は、人工的に加工された形跡が、だんだん少なくなっていった筈だが、此方の道は最初の頃の平坦で歩きやすい道のままだ。
ここでロベリアに助けられた時に言われた言葉を思い出す。地下迷宮に入って左手に最弱のモンスターが居ると言っていた筈だ。戦いやすい地形と弱いモンスター、そしてこの大人数という事で少し気が緩む。
「何時如何なる時も、気を緩めないように!」
すぐさまロベリアから指摘が飛ぶ。
竜也は、自分の腕に呪いのセンサーが付けられている事を思い出す。これを付けられてからというもの、此方の思惑がすべて筒抜けになってしまっているようで、何かとやりにくい。
とはいえ、ここは命の掛かった戦線だ。真面目に気を引き締めなおして用心深く進んで行く。
しばらく歩いていくと、一際広い空間に出る。まるでドーム球場だった。広大なフィールド内には、芝生に似た草が生い茂り障害物の類は一切無い。
光源は天井付近にいくつも設置された魔法の光だ。光源は十分で明かりの心配もいらない。
そして広々としたドーム広場の至る所に、人間の倍はあろうかという大きさの緑色をした芋虫が蠢いていた。
竜也は、そのあまりの悍ましさに渋面になる。ベータテストの時に戦ったスライムが、いかに作り物っぽかったかという事がよく分かる。
いや、わざと嫌悪感を抱かない姿にカスタマイズしてあったのかもしれないが……。とにかく、巨大な芋虫がウネウネと顫動している様子は鳥肌ものだった。
「ジャイアント・キャタピラー、通称『芋』です。動きも鈍く初心者にはうってつけの相手です。ただし油断はしないで下さい。牙は恐ろしく強力で鋼鉄製の防具でも噛み砕きますので、攻撃は常に側面に回り込みながら行って下さい。
それから背後には行かないように気を付けて下さい。尻から出す糸に絡め取られると動きがかなり制限されてしまいます」
ジェレミーが、敵情報を詳しく教えてくれる。
「それとタツヤ殿は、まだ魔法を使えないので今は構いませんが、魔法を使う時は常に曜日と天候、そして敵との相性を意識して下さい。今日は何日の何曜日か分かっていますか?」
竜也は、ジュリアからもらった水晶時計のストラップをチラリと見やる。
「四月二十三日の……。曜日が此方の言葉で読めないよ……」
「その水晶球の曜日は色分けされていませんか?」
そういわれてみれば、曜日の部分が緑色に輝いている。
「今日は風曜日で緑色に光っていると思います。火曜日は赤色に、水曜日は青色に、雷曜日は紫色に、土曜日は黄色に、風曜日は緑に、氷曜日は水色に光ります。これから標準語も覚えてもらった方が良いと思いますが、それまでは色で判断して下さい」
竜也は、標準語も覚えようと心に決めた。魔法語は、ほとんど英語なので覚えやすいのだが、標準語は今のところ全くと言って良い程、読み書きが出来ていない。此方の方が覚えるのに苦労しそうだった。
「今日は風曜日という事で風魔法の威力は二十五パーセント増します。天候も関係してきます。前日の曜日の精霊の威力は減少しているので気を付けて下さい。それと敵との相性ですが、ジャイアント・キャタピラーの弱点は氷と雷です。このような状況を鑑みて魔法を選択するようになります」
竜也は、こんがらかりそうな頭を必死で整理する。
「天候は、どのように影響してくるの?」
「たとえば、風曜日に強風が吹いていたら威力は増します。逆に弱点属性の天候……。これは翌日の曜日になります。風曜日の場合は氷曜日になるので、雪や雹が降っていたら威力は減少します」
「なるほど、何とか理解できたと思うよ。すごく分かりやすい説明で、ジェレミーさんが魔法語を教えてくれたら早く上達できそうだよ」
「どういう意味ですか?」
ロベリアが憤然と突っ込む。
「では、まず私が手本をお見せします。剣の扱いより、まずは足さばきをちゃんと見ておいて下さい」
ジェレミーは剣を抜き放つと一匹のジャイアント・キャタピラーに向かって突っ込んで行った。
側面に回り込み、上段から渾身の力を込めた一撃を腹部に叩き込む。
『芋』は気持ちの悪い事に、奇怪な声でギイギイと泣き喚いた。そしてジェレミーを追い掛けるように腹をウネウネと顫動させながら旋回する。
ジェレミーは常に『芋』の側面に移動しながら攻撃を加えていく。
竜也は、その足さばきを注意深く観察する。ドリーヌに教わった側面への体裁き、足さばきの複合だ。
考えながら動いていては、あのように滑らかには動けないだろう。加えて剣での攻撃、体重移動、間合いと、なにより重要なのが敵の動きを見極める動体視力だろう。
流れるような体裁きと剣技でジェレミーは、わずか数分でジャイアント・キャタピラーを屠って見せた。さすがに肩で息をしながら帰ってくる。
「お疲れ様です。百点満点の動きでした」
ロベリアが、賞賛しながらジェレミーを迎える。
「これも日々の反復練習で培われていくものです。まずは足さばきに意識を集中して防御中心で戦闘を行って下さい」
竜也は了承したというように頷く。自分の剣を抜き放つと目前に掲げる。赤銅色の輝きは一点の曇りもない。
「とりあえず一匹倒してみるよ」
「くれぐれも正面に立たないよう気を付けて下さい」
ジェレミーの注意を背に、竜也は身近に蠢く『芋』に用心深く近付いていく。側面から一撃を加える。
『芋』はギイギイと鳴きながら暴れだした。身体をくねりと折り曲げたかと思うと今度は反対側に折り曲げる。まるでボウフラのクネクネダンスの様だった。ただし二メートルを超す巨体が暴れると、それは凶器に早変わりする。
「タツヤ殿! 間合いが近過ぎます!」
ジェレミーが注意を飛ばす。しかし時すでに遅く、竜也は体当たりを食らい吹っ飛ばされていた。盾で受けたにも関わらず、物凄いダメージを食らう。まるでダンプカーにでも突っ込まれたかの様だった。
朦朧とする意識をハッキリさせるため、頭を振りながら立ち上がる。エレーナの悲鳴のような思念が飛び込んでくる。気が付いた時には『芋』は目の前に迫っていた。
盾でおもいっきり顔面を殴り付けながら間合いを取ろうとする。しかし『芋』は怯まずに突っ込んでくる。
側面へ回り込もうとするが、なかなか上手くいかない。間合いが遠すぎると側面へ回り込めない、近過ぎたらクネクネダンスの体当たりを食らってしまう。
足さばきも、考えながら動くと相手の動きを見るのが疎かになる。相手を見ながら動くと、足さばきがおかしくなる。なかなか難しい。
なるほど、初心者の間合いのはかり方と、足さばきの練習相手には打って付けだった。
冷静に観察してみると間合いの取り方は、なんとなく分かってきた。
ただ足さばきは如何ともし難い。ダメージと筋肉痛に悲鳴を上げている足は、真面に動いてはくれないのだ。しかし、ここで弱音を吐いていても仕方がない。捕まれば鋭い牙の餌食になってしまうのだ。
竜也は、慎重に間合いをはかりながら攻撃を加えていく。『芋』の節目は剣を突き刺しやすい。身体のほぼ真下にあって狙いにくいが、歩脚部を狙うと動きを止められるという事を発見する。
動きが鈍ってきた所で、渾身の力を振り絞って剣を叩き付ける。
『芋』は、断末魔のようにギイギイと弱々しく最後にひと鳴きして動かなくなった。
竜也は大きく一息ついて全身の力を抜く。必死で戦っている時には気が付かなかったのだが、全身が薄黄緑色の液体でベッタリと汚れていた。『芋』の体液の様だった。気持ちの悪さは尋常では無い。必死で全身を拭っていると皆がやってきた。
「初めてジャイアント・キャタピラーと戦ったにしては上出来でした。まだ腰が浮いていましたが、そのうち様になってくると思います。では、今の感覚を忘れないうちにもう一匹行きましょう」
そう言われる事は分かってはいたが、竜也は恨めし気にジェレミーを見やる。
「一つ聞いて良い?」
ジェレミーが小首を傾げて質問を受け付けてくる。
「今までにジャイアント・キャタピラーに噛まれた人はいないの?」
「怖がらせるような事を言いたくは無いのですが、毎年命を落とす生徒は一学年に一人は出ます」
語っている眼は真剣だ。やはり命を懸けた戦闘なのだ。そして見た目ほど優雅で華やかな学院生活を送っている訳でも無さそうだった。
この学院の卒業生の大半が、いざ戦争となると軍の指揮官ポストに就く訓練まで受けているというのだ。
竜也は、今更ながら背筋に冷たい汗が流れるのを意識して身震いをする。
「死んでしまった人間を、生き返らせるような魔法は無いの?」
ジェレミーだけでは無く、皆の顔がこわばるのが分かった。すかさずロベリアが、前に進み出てくる。
「生命に係わる秘術というものは、人が軽々しく手を出すべき領域では無いのです」
なるほど……。死んでしまったら、そう簡単には生き返れないようだ。甘い考えは持つべきでは無いと心を戒める。
竜也は、乾ききった唇をペロリと舐めて湿らせる。そしてこの教訓と共に唾液を飲み込み、喉の渇きも潤す。
落ち着いてきた呼吸と共に、更にもう一回大きく深呼吸をして心をも落ち着かせる。
やはり死ぬことは許されない。この学院に入学してくるエリート様でも死ぬ危険がある程の場所なのだという事を再確認して気を引き締める。
やる気はある。やる気はあるのだが、身体が全然言う事を聞いてくれない。
「もう一つ質問……」
ジェレミーが、今度は眉根を寄せる。
「ここでもう無理、動けないって言ったらどうするの?」
ジェレミーはロベリアを顧みた。ロベリアが再び前へ進み出てくる。
「や……、やる気はあるんだよ。これはエレーナに確認してもらっても良いくらいだよ。でももう膝が完全に笑っていて、つぎ戦ったら死ぬような気がするんだけど……」
竜也は必死に言い訳をする。エレーナにも同意を求めるように視線を送る。進み出てくるロベリアは相変わらず無表情だが、これしきの事で音を上げている事に、怒っているような雰囲気が感じ取れる。
「タツヤ殿に付けたセンサーで、あとどれくらい動けるかは把握しています。自分が限界だと感じたところは、実はまだまだ序の口なのです。本当の限界ではありません。心配しなくても、まだまだ動ける筈なので死を恐れず安心して戦闘訓練を続けて下さい」
竜也は、恨めし気に呪いの腕時計を見やる。安心などできる訳が無い。自分の感では、確実に次の戦闘で死にそうになると伝えているのだ。
しかし此処でウジウジ言っていても仕方がない。限界を超えた限界に達して初めてレベルが上がるのだと自分に言い聞かせ、次の獲物を見定める。
さすがにエレーナの心配気な思念が流れ込んでくる。ここでエレーナに泣きついて戦闘訓練を止めてもらうように頼んでもらえば、あるいはこの地獄から脱する事が出来るかも知れない。
しかし、いまだエレーナが召喚した自分が、勇者の卵だと信じている者達がいるのだ。自分が偽勇者だと罵られる事は構わないが、エレーナが欲の為に男を召喚したと陰口を叩かれる事だけは避けなければならない。プライドの高い彼女は、その事に耐えられないだろう。ここが男の見せどころと、気合を入れて一匹の『芋』へ特攻する。
ジェレミーの戦闘の時も、自分の戦闘の時も『芋』は初めから敵対行動を取っては来なかった。一撃を与えるまでは此方を攻撃してこないと踏み、まず一撃目は渾身の力を振り絞って側面から『芋』の胴めがけて剣を叩き付けた。
やはり『芋』はそこで初めて奇声を上げ、くの字ダンスを踊り始める。自分から後方へ飛んで体当たりの衝撃を和らげる。盾でうまく往なしたと思ったのだが、後方に跳んで着地するときに足元がふらついて尻餅をついてしまった。
慌てて起き上がるが『芋』は、もう目前まで迫って来ていた。咄嗟に盾を掲げる。『芋』は盾に食らい付いてきた。鋼鉄製の盾が撓む。
竜也は血の気が一気に引いていくのを感じ取っていた。このままでは腕を食いちぎられかねない。必死で腕を通している革のベルトから腕を抜き取る。盾を放り出すようにして逃げ出すと同時に、盾はひしゃげて潰れてしまった。
その様子を恐怖に震える視線で見つめていた竜也は、再び突進してきた『芋』に後れを取ってしまった。恐怖心に負け、中途半端に繰り出した青銅の剣は一瞬にして『芋』に噛み砕かれてしまう。
必死で側面に回り込みながら、折れて半分になった青銅の剣を見やる。そして助けを求めるようにエレーナに視線を送る。
しかし、彼女を始めとして誰もその場を動こうとはしなかった。さすがにエレーナは、心の中で悲鳴を上げていたが、まだ動くべき時ではないと思っている様だった。
此方は盾を失い、剣も半分の長さになってしまったのだ。これで本当に戦えると思っているのかと、ジェレミーに視線を送る。彼女は微動だにしない。
少し間合いが遠のいてしまったと思った時には、三度突進を許してしまっていた。このままでは、本当に死んでしまうと思った瞬間、時間がゆっくりと流れだした。
竜也は、元の世界でただ一度だけ経験した事のある交通事故を思い起こしていた。
竜也が道を歩いている時、交差点を右折しようとした乗用車と反対車線を走っていたトラックが正面衝突を起こしたのだ。制御を失ったトラックは、自分に向かって突っ込んできたのだ。
その瞬間、全ての動作がスローモーションになったのだ。恐怖も何もかも完全に麻痺した頭の中で、何方へ逃げれば助かるのかを冷静に分析し、あまつさえ隣を歩いていた今日子と義明すらをも伴ってトラックからの突進を避けて見せたのだった。
大きく穿たれた『芋』の口を冷静に見つめ、ゆっくりと進む時間の中、この現象を走馬灯を観望する時間にしない為には、どうすれば良いか必死に考えを巡らせる。
今から回避しても『芋』の突進の方が早い。跳ね飛ばされて後手に回るだけだ。このまま噛みつかれるよりましかもしれないが、もっと良い手が無いか考える。しかしすぐに名案は浮かんでこない。やはり、ここは跳ね飛ばされるのを覚悟で逃げるしか無かった。
憂さ晴らしではないが、剣で頭頂部に生えている触角の一本を斬り飛ばして横に跳ぶ。
『芋』は今までより一層大声でギイギイと泣き喚きながら、竜也が飛んだ方角と反対方向へ突進していった。
皆が唖然と見守る中、『芋』は狂ったように暴れ始める。触角が無くなって方向感覚がおかしくなったのか、追い掛けては来ないのだが、出鱈目に突進していって近くに居た『芋』にぶち当たってしまった。
突進を受けた『芋』は、同じく狂ったように泣き喚きながら竜也に突進していく。
触角を斬られた『芋』は更に周囲の『芋』を巻き込んでいく。
突進してきた芋に対峙していた竜也は、さすがに次々と襲ってくる『芋』の大軍に背を向けて逃げ出してしまった。
戦闘を見守っていた一同も慌てだした。ジェレミーが触角を斬られて、あらぬ方向へ突進しては、他の『芋』を巻き込んでいく元凶の『芋』を仕留めに走った。
エレーナは、竜也を追い掛けている『芋』の目前に魔法の壁を無数に作って時間稼ぎをする。
セシルが、風系の精霊獣を呼び出した。風妖精だ。小柄な手の平サイズの緑色の翼を持つ妖精だが、素早い動きで『芋』に針剣を振るう。その一撃一撃にカマイタチのような効果があるのか巨大な『芋』がズタズタに引き裂かれていく。
ロベリアは、腕組みをして戦闘の様子を眺めていた。
ドリーヌは腹を抱えて、その様子に笑い転げていた。
ほどなくして元凶の『芋』が倒されると、他の『芋』も、すぐに鎮圧されていった。
竜也は、重い足を引きずって皆の前まで戻ってくる。けっきょく竜也は、この広いドーム球場のような空間を、全力で数分間も駆け回る羽目に陥ってしまったのだ。
「申し訳ありません」
ジェレミーが、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
「ジャイアント・キャタピラーが他の『芋』とリンクすると、ある文献で読んだ事はあるのですが、リンクの詳細は不明。そして戦っている『芋』の真横に『芋』が居ても今まで何の反応も示した事が無かったので言い忘れておりました」
文字通り、笑い転げていたドリーヌが、エレーナの隠密ヒールキックを食らって何とか起き上がる。
いまだ笑いが収まらず、苦しそうに腹を抱えながら何とか言葉を絞り出す。
「さすがは勇者様ですわ。有名な冒険家で、後の生物学者アラニス・オーイェルが生涯を掛けて研究して遂に分からなかったジャイアント・キャタピラーのリンクの謎を解き明かしたのですもの」
ドリーヌは、再び吹き出す。その大きな胸が揺れる様を竜也は茫然と眺める。なんの事だかさっぱり分からない。エレーナに救いを求める視線を送る。竜也には、リンクの意味すら分からないのだ。
—— リンクとは『つなぐ』『連結』『連鎖』という意味合いの魔法語なのです。仲間が戦闘している事を感知して戦闘に参戦してくる事をリンクすると言うのです。
そして、一般にジャイアント・キャタピラーはリンクしないと生物学誌には載っているのです。ですが冒険者時代『芋』がリンクした経験がある彼は、学会に訂正を求めるも却下されてしまいます。
それから彼は冒険者を辞め『芋』がリンクする方法を何十年も模索し続けたという話が、私達の世界では有名なのです。
竜也には、どうでも良い事だった。もう満身創痍で動く事は不可能。危うく走馬灯が見えかけたのだ。
「では、検証の為にもう一匹いってみましょう」
竜也は愕然と立ち尽くす。まさか自分にもう一戦やれと言っているのでは無いだろうな? と、皆を見回す。当然だというような視線が返ってくる。
—— 駄目だ、本当に殺される。
竜也は絶望に打ちひしがれ、深い闇に飲まれていく感覚に囚われる。
そのまま深淵の闇に沈んでいくように、竜也はその場にぶっ倒れてしまった。




