第二十四話
二時限目の格闘訓練が終われば昼食だ。格闘訓練はドリーヌの懇切丁寧な指導のおかげで、我ながら上手く出来たと思う。あとは反復練習あるのみだ。最初に習った基本の型を頭の中にイメージする。どうしても腰が浮いてしまい何度も指摘を受けたが、これは明らかに筋力不足だろう。足腰が筋肉痛で、真面に歩けなくなってしまっていた。
「大丈夫?」
エレーナは、心配気に竜也の顔を覗き込む。
「問題ないよ」
竜也は、多少やせ我慢気味に答える。心の中で悲鳴を上げている事は、バレているのだろうが男の意地だ。なんとか自力で宿直室まで歩いていく。自分のベッドにたどり着くと倒れ込んだ。
「タツヤの体質なら治癒魔法で回復させても問題ないようだけど、ロベリアさんがデータを取りたいらしいから一週間は我慢してね」
竜也は曖昧に頷く。我慢も何も魔法の無い世界で生活していた竜也にとって、魔法で治療してトレーニングを繰り返す一週間後の特殊訓練の方が、正直恐ろしい。
竜也は、左手に巻かれている呪われた腕時計を見やる。
「その水晶時計は……?」
エレーナは、竜也の左腕に巻かれた水晶時計を物珍しそうに眺める。
「ロベリアさんに掛けられた呪いだよ」
「これがデータ収集装置?」
「そう、僕がどんな行動を取ったら、どうパラメーターが変化するかを調べる装置」
竜也は上体を起こすと、妙案を思いついたというように、エレーナに自分の横に座るように手招く。
「エッチな事は駄目ですよ」
エレーナは竜也の心を読み、横に座るべきか逡巡している。
「いいから座って……」
エレーナは、躊躇いながらも竜也の横に座った。
「捕まえた!」
竜也は、エレーナを横抱きに抱き締める。
「ちょっと! 私いま汗臭いし……。それに、そのサンプルデータに変な記録が残っちゃうわ……」
「それを承知で座ったんじゃないの? それとも、まさか本当に騙された?」
「それは……」
エレーナは抱きすくめられた身体を捩って逃れようとする。本気で抵抗すれば逃げられるのだが、竜也が策のようなものを考えているようなので躊躇われる。
そうこうしている隙に、ベッドに押し倒された。横を向けば竜也の顔が間近にあった。
二人は、そのまま見つめ合う。エレーナは、ドリーヌに習っていたシチュエーション別対応方を必死で思い出そうとしていた。
戦闘であれば、相手の攻撃に対してどのように対処すれば良いのか瞬時に分かるのに、まったくというほど対処法が思い浮かんでこなかった。
鼓動は本格的に早鐘を打ち出してくる。竜也の鼓動も伝わってくる。
その時だった。扉が荒々しくノックされた。
エレーナは、反射的に起き上がろうとしたが、それより早く扉は開かれていた。
宿直室に入って来たのはロベリアたった。
「あなた達、何をやっているのですか?」
ロベリアが二人を睨み付ける。慌てふためいているエレーナに対して、竜也は落ち着いていた。
「見て分からない?」
竜也は、起き上がろうと踠いているエレーナを抱きすくめながら、悠々と問い掛ける。
「そのような不埒な行為をしていると、また停学になりますよ!」
「そうだね」
竜也は、あっさりとエレーナを開放する。
「やっぱりモニタリングしてたんだね」
竜也は、左手に巻かれた呪いの腕時計を眺める。
「その確認が一点。そしてもう一点が、『将軍』の技能の件を聞きたいと思ってね」
竜也は水晶時計の矢印マークを、軽くなぞるようにスワイプさせる。画面がめくられるように表示が一変する。
ステータス画面と思しきモノを呼び出すと、その表示を注視する。
「この水晶球に使われている技術は、僕の居た世界でも使われているモノなんだ。そして『将軍』の技能を応用したものでもある……。ちがう?」
ステータス画面から、ロベリアに視線を向ける。いつもの飄々とした態度と打って変わって真剣そのものだった。怖いと言っても良い。
エレーナは、一瞬にして竜也の思考がガラリと変わった事を感じ取っていた。何時如何なる時も、おちゃらけた態度を崩さない彼が初めてみせる本気が、そこにはあった。
「右手の人差し指を振ってみせてよ」
ロベリアは、素直に右手の人差し指を振った。シャラランという軽快な効果音と共に半透明のメニュー画面が目前に現れる。
エレーナの眼が、驚愕に見開かれる。いったいこれは何なのかと、竜也とロベリアを交互に見やる。竜也は、さして驚いている様子は見せていなかった。右手人差し指を振ればこうなるという確証があったような節がある。
竜也は、ベッドから立ち上がるとロベリアのそばに歩み寄り、横合いからメニュー画面を覗き込んだ。
画面はゲームのメニュー画面によく似ていた。ただし言葉はフラクトゥールのような文字で、なにが書いてあるのか読むことは不可能だった。
「画面の最下段までフリックしていって……」
ロベリアが、画面を最下段に向かってフリックして行く。
ロベリアには『フリック』という言葉が通じているようだ。竜也は、いまだにベッドに腰掛けて呆けているエレーナに、素早く視線を向ける。
エレーナは頭を振る。エレーナには馴染みのない言葉のようだった。
やがて画面の最下段が表示される。
竜也は期待を込めて画面を注視する。ログアウトボタンらしきものは無い。しかし落胆してはいられない。
「この画面は、僕が触っても動かせるの?」
「設定を変えれば、誰が触っても動かせるようになります」
ロベリアは、右手人差し指と中指を画面に向けて振り立てる。
竜也はロベリアの許諾の視線を受けて、恐る恐る画面をフリックして行く。しかし文字はフラクトゥールのような文字で読めない。絶望感だけが膨れ上がっていく。
「ログアウトって本当にないの?」
最後の望みとばかりにロベリアに問い質す。
「接続を切る。または終了するといった意味合いの魔法語のようですね。残念ながらそのような項目はありません」
竜也はフラフラと後退る。エレーナが慌てて竜也を支えに走る。
エレーナは、竜也を近くの椅子に座らせた。竜也は顔面蒼白になってはいたが、まだ眼の光は失われていなかった。
「その魔法語というのは、何なの?」
「言葉通り、魔法を唱える時に使う言葉です。言葉自体に力がこもっていて、これを組み合わせる事によって様々な現象を引き起こす事が可能になります。
三時限目は魔法構成論ですが、タツヤ殿には難しすぎるので、別室で魔法語の初歩から覚えていただきます。魔法教練教官は、私が勤めさせていただきます。昼休みが終わったら三階の右側一番手前の教室『魔法実験室A』に来て下さい」
ロベリアは少し小首を傾げて、愕然としている竜也の様子を窺う。
「了解……。それともう一点……」
竜也は、絶望感に囚われながらも更に食い下がる。
「僕が『画面の最下段までフリックしていって』と言った時、ロベリアさんはすぐに対応してたけど、フリックって言葉はどうして知っていたの?」
「フリックとは魔法語で『素早く動かす、弾く』という意味合いがありす。そこから推測して対応したまでです」
竜也は、茫然とロベリアの話を聞いていた。
—— 魔法語が英語? いや、英語が魔法語……?
混乱する頭で、どちらでも良いような事を考える。
「それでは三時限目、魔法実験室Aでお待ちしております」
ロベリアは、メニュー画面に手の平を振りかざして消し去ると、挨拶をして部屋を出て行った。
竜也は、その後もしばらくの間、椅子に座ったまま放心していた。
メニュー画面を出せる人物は、現実世界と自分を繋ぐ最後の望みだった。その望みが完全に絶たれた事にはショックを受けていた。しかし、それはある程度予測していた事だ。こういう結果に終わってしまった事に、ここまで動揺はしないと踏んでいたのだが、英語が魔法語だとか、微妙にゲームの世界と被っている所があって踏ん切りが付かない。
—— いったい、ここは何処なんだ……?
竜也は、重い頭をもたげて天井を仰ぎ見た。毎朝起きる度に見つめる白い天井を眺めながら、現実世界の自分の部屋の天井を思い出そうとした。二週間前まで、毎日十五年間見続けてきた筈の天井の模様が、朧気にしか思い出せないでいる事に戸惑いを感じる。
二週間という認識も、此方の世界に毒されている証拠だ。七曜制の元の世界の考えであれば十二日なのだ。
もう、元の世界へは帰れないのか? という思いが現実味となって伸し掛かって来た。
何処までも沈んでゆく竜也の心を繋ぎとめるように、エレーナは竜也をそっと抱きしめた。
竜也もエレーナの存在にすがるように、抱きしめ返していた。




