第一話
優しい春風が、そっと頬を撫で過ぎていく。広がった髪を整えながらエレーナは頭上を仰ぎ見た。
小さな丘の上に建つセント・エバスティール魔法学院までの一本道と、その両脇に並ぶ桜並木から風に舞い散る桜吹雪が、壮麗なパノラマを作り出している。
石畳の一本道には、純白の長衣を着込んだ学院の生徒達が、優雅に登校して行く。淑やかに、それでいて気品も損なわぬよう背筋を真っ直ぐに伸ばして、出来るだけゆっくりとした歩調で歩いて行く。
「ごきげんようエレーナ様」
「ごきげんようデイシーさん」
エレーナは、横合いから挨拶を交わしに来た学生に挨拶を返した。中等部時代の後輩で、いつも率先して挨拶を交わしに来る娘だった。
「お姉さまが高等部に進学なされて、中等部は火が消えたように寂しくなってしまいましたわ」
デイシーは、本当に物悲しそうに溜め息を吐きながらエレーナを見やる。
伯爵位でありながら公爵位の者にも負けない魔力と、その女神然とした気品に満ちた容姿、物腰から絶大な人気を誇っていたエレーナが、中等部を卒業してしまった事を本当に残念に思っている様だった。
「中高一貫教育で校舎も隣にあるのだから、今までとさほど変わらないわよ」
エレーナは、優雅に微笑んでみせる。彼女が微笑むと背景に色とりどりの花が咲き乱れるような麗しさがある。
デイシーは、それでも不満そうに頬を膨らませながら魔法学院までの一本道を見上げていた。
一陣の春風が吹き抜けていく。さらに壮観に舞い散る桜吹雪が、エレーナとその背後に臨む学院を見事に演出していた。
「ごきげんようエレーナ様」
「ごきげんようエレーナ様」
エレーナは、次々と挨拶を交わしに来る学生一人一人に、優美に挨拶を返していく。その様子は、まさに聖女だった。
「ごきげんようエレーナさん」
「ご、ごきげんようジェレミーさん」
エレーナは、僅かに吃りながら挨拶を返した。今まで皆に対して完璧に振舞っていた淑女の嗜みが崩れる。笑顔で振舞っているつもりなのだが、頬が引き攣っている事が自分でも分かった。
ジェレミーは、それを逃さず見て取ると、にんまりと会心の笑みを浮かべた。
「いよいよ今日ですわね。私、昨日は興奮で眠れませんでした」
今日は、魔法学院最大のイベント『使い魔召喚の儀式』があるのだ。これから生涯を共に過ごす伴侶と言っても過言ではない僕を決める儀式だった。
今年は、稀に見る使い魔が現れると予言されており、皆は期待に胸を躍らせているのだ。百年前にもこのような予言が為された事があり、その時に召喚された妖精竜は、かなりの知性を持つ優秀なサポートパートナーとなっていたそうだ。
「わ、私もですわ」
エレーナは動揺を隠し切れず、眉根を痙攣させながら同意した。
しかし同意したのは、今日の儀式への期待と興奮からではない。三年間守り続けてきた学年首席の座を、ジェレミーに奪われてしまった悔しさからだった。
今日の使い魔召喚の儀式の順番は、高等部進学時の最終試験の成績で決定されてしまったのだ。
自分はエルスミスト伯爵家の娘。ジェレミーはキルスティン公爵家令嬢。基本的に爵位が上がるほど魔力も高くなるのだ。
—— 基本性能が違いすぎるので、仕方の無い事なのだ。
そう自分に言い聞かせても、収まりきらないものがある。
ちなみに高等部一年生の学生の身分は、王位一人、公爵位一人、侯爵位三人、伯爵位五人、子爵位三人、男爵位六人、平民四人だ。
このうち、王位のロベリア・コスタクルタは、絶大な魔力を持ちながらも魔法にはあまり興味がないらしく、授業もさぼりがちで平民よりも成績は悪く、学年一の落ちこぼれに甘んじている。
そのロベリアは例外として、侯爵位の三人、そして公爵位のジェレミーをも制し、三年間も首席の座を死守できた事の方が奇跡なのだ。
「ごきげんようエレーナ様、ジェレミー様」
「ごきげんようエレーナ様、ジェレミー様」
「ごきげんようエレーナさん、ジェレミーさん」
次々に挨拶に来る下級生、同級生に挨拶を返す。
やがてセント・エバスティール魔法学院の正門にたどり着いた。白を基調とした重厚な造りのアーチ状の鉄柵門を通り抜ける。校舎までのメイン通路の両端には花壇があり、サクラソウやチューリップが色鮮やかに咲き乱れている。
いつもなら、そのまま真っ直ぐ校舎に向かうのだが、高等部一年生は校舎右側に建てられた聖堂に向かっていく。
いつもより早い時間に学院に着いた筈なのに、もう大半の生徒達が集まっていた。
「ごきげんようエレーナさん、ジェレミーさん」
聖堂に入ると、皆が一斉に挨拶を合唱してきた。
挨拶を返すとジェレミーは、いつも連れ立っている侯爵三人娘の所へ行ってしまった。
エレーナも仲の良い親友二人が集まっている場所へ移動する。
「ジェレミーさんと仲良く登校なんて珍しいですわね」
ゆったりした長衣の上からでも分かる肉感的な肢体の娘が、からかうように話しかけてきた。親友のドリーヌだった。
エレーナは、誰にも見られない死角からドリーヌの脇腹に肘鉄を食らわす。
「仲良く、ですって?」
顔は笑顔のまま、ずいっとドリーヌの顔に自分の顔を近付ける。
「冗談ですってば、エレーナさん。怖いですよ」
ドリーヌは、エレーナの圧力に気圧されたように、隣に佇む長身の女性の背後に逃げ込んだ。そしてエレーナが本気で苛立っている事を確認して、クスクスと忍び笑いを漏らす。
「何か言われたのですか?」
長身の女性が言葉を発する。同じく親友のセシルだ。
「別に……。ただ勝ち誇ったような態度がね……」
セシルの問いに、エレーナは肩をすくめてみせる。
セシルは高身長、ショートの髪、キリッとした眉、綺麗というより凛々しい顔立ちで、男装の麗人という言葉がピッタリとくる娘だ。いつも二人の戯れを物静かに見守っている。
その時、ジェレミーを取り巻く侯爵三人組から哄笑が上がった。明らかに此方を見て笑っている。
勝気なセシルがそちらへ一歩踏み出そうとした所を、エレーナはすかさず止めに入った。
「放っておきなさい。明らかな挑発に乗るものではありません。何時如何なる時も淑女の嗜みを忘れずに……」
「エレーナもね」
いつの間に回り込んだのか、エレーナの背後からドリーヌが耳元でボソッと呟く。
エレーナは、振り返る偶然を装ってドリーヌの鳩尾に肘鉄を食らわした。
「エレーナさんの隠密スキルは暗殺者級ですね」
「誰かさんのおかげでね」
顔は笑顔のまま、ずいっとドリーヌの顔に自分の顔を近づける。
ドリーヌは、再びセシルの背後に逃げ込んでいった。
「別に笑わせておきなさい。召喚の順番のトリを持ってかれただけで、稀に見る使い魔を取られた訳では無いのです」
エレーナは、ジェレミーと侯爵三人組の方に一瞥を投げかけてから、セシルに言い聞かせる。
その時、教師のサバティー・マヨーリが聖堂に入ってきた。皆は整然と席に着く。べつに席順が決まっている訳では無いので、友人同士で固まって座っていく。エレーナもセシルとドリーヌと一緒の席についた。
「では皆さん。お待ちかねの使い魔召喚の儀式に入りたいと思います。使い魔とは……」
壇上に立ったサバティーが左手を目前まで持ち上げると、リスが忽然と姿を現した。リスは素早くサバティーの肩に乗り移ると、皆に対してチョコンとお辞儀をする。
「これは私の使い魔のサスケ君です。得意技は隠密行動と敵探知です。使い魔は、その個体によって特殊能力が違います。もっとも大した戦闘能力は無いので、そう差はありませんが、稀に見る使い魔とやらは、また別なのかもしれません」
生徒達が、ザワザワと騒めく。噂の使い魔を、いったい誰が会得するのかを噂しているのだ。
伯爵令嬢でありながら、中等部の三年間ものあいだ首席の座を守り続けたエレーナと、大逆転で公爵位の面子を保ったジェレミーの二人が本命のようだった。
「それではロベリアさん」
皆は、辺りをキョロキョロと見回す。
「ロベリアさんは、今日も休みです」
サバティーは、眉根を寄せる。使い魔召喚の儀式は必修なのだ。まさか卒業もしない気なのか……。
物思いに耽っている場合ではないと判断して、次の生徒の名前を読み上げる。次に呼ばれたのはアリシアだった。
平民出身ながらも精霊魔法は上位に食い込む程の腕前だ。ただ惜しい事に、精神力が低く現在の魔力も乏しい事が欠点だった。
アリシアはサバティーに誘導され、教壇の前に描かれた五芒星の魔法陣の真ん中に入っていく。そして両手を組み、使い魔召喚の祈りを捧げだす。
やがて魔法陣の真ん中辺りが光り輝きだし、その光が一瞬みんなの視界を遮るほど強く輝いたかと思うと消滅し、アリシアの目前には一匹のカエルが姿を現していた。
—— えっ? というアリシアの表情。恐る恐る両手を差し出すと、その手の平にピョンとカエルは飛び移った。
カエルがゲコゲコと何かを訴えている。アリシアの眼が、信じられないというように見開かれる。
そのままカエルを抱きかかえてクルクルと回りだす。
「最高よ。最高のパートナーだわ」
カエルを乗せた両手を頭上に高々と掲げ、ひとしきりクルクルと躍った後、カエルに優しくキスをする。
魔法陣から出てきたアリシアを皆は取り囲んで、いったいどういう事なのか説明を求めだす。
皆が説明を聞いて、動揺のざわめきに包まれる。
このカエルは、雨を自在に降らせる能力があるというのだ。アリシアは南の農村出身だった。毎年のように干ばつに悩まされているので、精霊魔法を会得して故郷を何とかしたいというのがアリシアの夢だった。
ただ天候を操るほどの魔術は、魔道士クラスにならないと操れないという事で半ば諦めていたのだが、こんな所で夢が叶うとは思ってもみなかった様だった。
皆が動揺のざわめきに囚われているのは、ただの使い魔が天候を操れるような高度な特殊能力を使えるのか? という事でだった。普通は使えない。では、これはもしかして稀に見る使い魔なのでは無いのか? と推測しているのだった。
騒めく皆を鎮めながら、サバティーは次の生徒の名前を読み上げる。
次に呼ばれたのはレイラだった。アリシア同様、サバティーに導かれて魔法陣に入っていく。
深呼吸を一回した後、使い魔召喚の祈りを捧げだす。やがて目前の空間が光り出し、ひときわ強く輝き、その光が消滅した後には一匹の蜘蛛がレイラと対峙していた。
これには周りで様子を見守っていた者達の方が、驚愕の表情を浮かべる。蜘蛛の大きさは尋常ではなく、手の平を広げたくらいの大きさがあったからだ。
レイラは、恐れ気もなく蜘蛛を両手に乗せて目前まで持っていく。
蜘蛛は二本の前足を忙しなく動かして、何やら伝えている様だった。
レイラは、ひとしきり蜘蛛の話を聞き終えると、そっと蜘蛛にキスをした。周りで見ている者達が眉根を寄せているのだが、本人はお構いなしの様だった。
魔法陣から出てきたレイラに、またしても皆が取り囲むように集まる。
使い魔の特殊能力は遠距離探査能力らしい。どんなに離れた場所でも蜘蛛が見ている映像が見られるというものだった。
これまたとんでもない能力なのだが、魔法の結界が張ってある場所等は、自分の能力以上の結界は通過できないとの事だった。大概の重要施設は強力な結界が張ってあるので、平民出身のレイラの能力では宝の持ち腐れになってしまう。
魔法陣から出てきて、皆の質問にひとしきり答えたレイラは、エレーナの前の席に座った。
皆が本当に残念そうにしているのもお構いなしで、レイラは蜘蛛を卓上に置くとヒソヒソと話しかける。
「別に重要機密だとか、そんな物には興味無いの。私の彼は、クリスティンって言うんだけど分かる?」
蜘蛛はコクリと頷く。
「私の居ない間に、あの浮気者が何をしているのか逐一報告してくれない?」
蜘蛛はサッと片手を上げ、器用に関節をまげて挙手の礼をすると、スッと掻き消えた。
—— 彼氏の監視に使うのか!
エレーナは、頭の血が逆流するような思いに辛うじて堪える。
別に羨ましいとかではない。これまた稀に見る使い魔と言っても過言ではないのに、凄く勿体ない使い方をしていると思ったからだ。
それからも、次々と使い魔召喚の儀式は続けられていった。
昆虫系ではハチ、アゲハチョウ、カマキリ、てんとう虫、動物系ではイヌ、ネコ、ネズミ、ウサギ。鳥類系ではツバメ、カラス、爬虫類系ではヘビ、カメレオン(これは特殊能力を聞くまでもなく、どんな効力のある能力であるかを皆が想像できた)が召喚された。
「—— 次、セシルさん」
セシルは、勢いよく席を立った。エレーナとドリーヌにチラリと一瞥を投げかける。二人の応援の眼差しを受け気合十分、大股で魔法陣へ入っていく。
彼女は、マーテリー伯爵家令嬢。得意分野は召喚魔法。学年で三本の指に入る腕前で、魔法攻撃力だけを見ると断然トップの座に君臨する。
その他にも古代魔法、治癒魔法、精霊魔法もある程度使えるオールラウンダーだった。
セシルは魔法陣の中に入ると両手を力強く組んだ。祈りを捧げるというより格闘技の試合でもするかのような気合の入れ方に、周りから苦笑いが漏れる。
やがて目前の空間が輝きだす。気合の度合いを表すように、どんどんと輝きは増していく。そして一層強く光輝いたかと思うと光りは消滅していた。
魔法陣の真ん中には、一羽のフクロウが佇んでいた。
セシルが両手を差し出すと、フクロウはサッと手の平に飛び乗った。そして、羽根をバタつかせながらセシルに何やら訴えかけだした。
一連の説明を聞き終わると、セシルはフクロウにそっとキスをする。アリシア、レイラに習って魔法陣の中で召喚した使い魔にキスをするという事が、恒例の儀式のようになっていた。
魔法陣から出てきたセシルに、皆が集まる。セシルの説明を聞いて、『さすが』とか『セシルさんらしいわ』という言葉をかけられている。
群がっていた皆に一連の説明を終えて、セシルが席に戻って来る。
「—— 次、ドリーヌさん」
サバティーの呼び掛けに、さすがに緊張した面持ちでドリーヌは席を立った。セシルと入れ違いにドリーヌが魔法陣に向かう。すれ違いざま『後で特殊能力教えてね』と小声でセシルに耳打ちする。
「おめでとう」
「ありがとう」
席に戻って来たセシルに、エレーナは祝福の言葉をかける。
「特殊能力はドリーヌが帰ってきてから一緒に聞くわ。今は彼女を見守りましょう」
セシルは無言で頷く。
ドリーヌは、いつになく真面目な表情で魔法陣の中央に立ち、ゆっくり両手を組んで瞑目していた。
彼女は、エマーソン伯爵家七女(しかも上に二人も兄がいる)という事で自由奔放に生きていた。得意分野の治癒魔法を専攻し、その腕前は学年一を誇っている。ただし、その他の魔法はからきしだった。
やがて魔法陣中央の足元が白く輝きだす。そして一際強く輝くと光りは消滅していた。
そこには一匹のカメが佇んでいた。
ドリーヌは、狂喜しながらカメを抱き上げるとキスの雨を降らせる。
カメは、まず説明させろと言わんばかりに両手両足、首もキスから逃れるようにバタバタと動かしてもがいていたが、やがて諦めたように大人しくなった。
魔法陣から出てきたドリーヌに、皆が群がる。説明を聞いた一同から、どよめきが巻き起こる。またしても、とんでもない能力を持った使い魔が現れたようだった。
ひとしきり説明を終えた後、エレーナ達のいる席に戻って来る。
「おめでとう」
「ありがとう」
ドリーヌは、胸にかき抱いていたカメを自慢するように二人に向かって突き出した。カメは説明さえ聞かない主人に怒っているような顔をしている。
「特殊能力とか、ちゃんと聞いてあげたの?」
「聞かなくても分かるわ。この子が私の使い魔になった瞬間、この子の事は全て分かるようになったの」
ドリーヌは、再び愛おしそうにカメを胸にかき抱く。その巨大な胸にカメは半ば埋没していた。見方によっては少し卑猥に見えなくもない。
「それで、特殊能力って何なの?」
「物理攻撃半減よ」
ドリーヌの説明に、エレーナは唖然と使い魔のカメを見やる。
「半減って、稀に見るっていうより神技よね」
そして、呆れたように呟く。今までに聞いた事も無い特殊能力だった。
「フフフ……。これでエレーナの肘鉄も怖くは無いわ」
ドリーヌは、ふざけ気味に意地悪く忍び笑いを漏らす。
「あらあら大変。自慢の胸が固くなっちゃったかもね」
エレーナも、同調して意地悪の応酬を放つ。
ドリーヌは、自分の胸を持ち上げるように鷲掴みにすると、ゆさゆさと揺する。
「大丈夫。ハリ、感度、柔らかさ共々最高よ」
意地悪くエレーナに見せ付けるように胸を突き出す。
エレーナは、人目も憚らぬドリーヌの行動と、その巨大な胸に気圧された様にたじろぐ。
「あ、でもひとつ問題があったわ」
ドリーヌは、問題と言いながらも顔は悪戯っ子のように輝かせている。
「また胸が大きくなっちゃったの」
エレーナの眉がピクンと跳ね上がったのを見て、さも愉快そうに意地の悪い笑みを浮かべる。
「走ったら痛いし肩は凝るし服は特注品になっちゃうし、エレーナが羨ましいわ」
エレーナの悔しそうな顔を見て愉悦に浸っていたドリーヌであっが、急に後ろから肩を組まれて顔を引き攣らせる。
ゆっくりと振り向いたそこには、セシルの顔があった。しかも普段無表情なセシルが怖い事に笑っている。
「セ、セシルさん、こ、怖すぎですよ」
「今の発言は、私をも敵に回しましたよ」
セシルがドリーヌの首を締め上げる。
「そうだ、セシルの使い魔の特殊能力って何だったの?」
ドリーヌは、強引に話を逸らせようとする。セシルもそれは分かっていたのだが、あえて乗ってやる事にした。
「魔法攻撃力アップです」
「なるほど、セシルらしいわね」
セシルの戦闘スタイルは『倒される前に倒せ』だ。駆け引き無しに高火力、高威力の魔法で一気に畳み掛ける。
「みんな自分の長所を伸ばすか、短所を補う特殊能力を得る感じみたいね」
「ドリーヌの物理攻撃半減って、長所とかに関係あるの?」
エレーナは、小首を傾げながら素直な疑問をぶつけてみる。
「私は、いずれ神官戦士として前衛職に就く予定だからね。いくら魔法学院で、ずば抜けた体力を持っていても、騎士学校の生徒からすると見劣りするから、その支援ってところかしら」
「もう卒業後の事まで考えているの?」
エレーナの驚き交じりの問いに、ドリーヌは頷いて見せる。
「『三男坊の冷や飯食い』って言葉があるけど、私の兄弟は九人もいるから、冷や飯すらあり付けないのよ。魔法学院卒業後は、家に帰らず冒険者として世界を回る予定よ」
エレーナもセシルも、少ししんみりとしてしまう。自分達は、魔法学院卒業後は実家に帰り、やがては親の決めた家に嫁ぐ事になるだろう。セシルは既に許嫁すらいると聞いている。
「でも、予定は未定だからね」
そんな雰囲気を察して、ドリーヌが慌てて言い繕う。
「私のこの肉感的な身体をもってすれば、お金持ちの家に永久就職だって夢じゃないからね。私の治癒魔法で倒れている殿方を優しく介抱して立たない男は居ないのよ」
「話をそっち系に持って行かないように!」
セシルが首に回していた腕に、再び力を込める。
エレーナは、頬が引き攣るのを禁じ得なかった。
そりゃ彼氏は欲しい。白馬の王子様とまでは言わなくても、背が高くて優しくて、お金持ちで、爵位があれば文句は言わない。
「—— 次、エレーナさん」
エレーナは、慌てて物思いを振り切る。
やや緊張した面持ちで席を立つと、魔法陣に向かって一直線に歩き出す。侯爵三人娘の召喚の儀式は、既に終わっている様だった。
素早く三人に視線を走らせる。シェリルがコウモリを、ローレンスは鷹を、ミルドレットはトカゲを召喚していた。まだ稀に見る使い魔は召喚されていない。
途中、ジェレミーと視線が交差する。
—— 貴女だけには絶対負けない。私が、稀に見る使い魔を先に召喚してみせる!
強い意志を視線に乗せて、ジェレミーを睨め付ける。二人の視線が火花を散らす。
エレーナは魔法陣の真ん中に立つと、両手を組み瞑想を始める。そして召喚の祈りを捧げだした。
やがて目前が淡く輝きだす。眼を瞑っていても神々しい輝きは伝わってくる。そしてその光の大きさは、どんどん膨れ上がっていく。イヌやネコが召喚された時よりも、更に大きく膨れ上がっていく。同時に期待も膨れ上がっていく。
周囲から、どよめきが起こる。光りは、まだまだ大きく膨れ上がっていくからだ。
間違いない。稀に見る使い魔を召喚したという確信が湧き上がる。
霊光が、いっそう膨大に膨れ上がったかと思うと消滅する。
エレーナは、ゆっくりと眼を開けた。
目前には一人の男が立っていた。年齢は自分と同じくらい、黒髪黒目で案外可愛らしい顔立ちをしている。茶色の皮の服に皮のズボン、腰には片手剣を佩いていた。
男は、ほんの少しの間エレーナを見つめていたが、やがて周囲をぐるりと一瞥する。
「おお~」
男が感嘆の溜息を吐く。感慨深げにしばらく周囲を眺めていたが、やがてその視線がエレーナに戻ってくる。やけに落ち着き払っていて、事の成り行きを期待に満ちた眼差しで見守っている様だった。
ここに至ってエレーナは、自分が召喚してしまったモノに思いが及び、パニックになっていた。助けを求めるように、教師のサバティーに視線を向ける。
サバティーは完全に固まっていた。まさに眼が点になっている。
周囲の反応は様々だ。好奇の視線と、自分に対する軽蔑の眼差し。固まっている者も少なからず居る。セシルもそうだった。
ドリーヌは眼を爛々と輝かせていた。眼が合うと両手を左右に大きく広げ、その腕を胸の前で交差させる。身体をくねらせ豊かな胸をかき抱くような格好だ。そして口はチューっと突き出されている。そして、親指を立てた拳をグイッと突き出してウインクをしてみせた。
召喚した使い魔にキスをする、という儀式を思い出す。
—— むりむりむりむりむり……。
顔がカァッーと熱くなる。その頬の熱を冷まそうと両手を添える。あまりの出来事に足元が覚束なくなっていた。
「男を召喚するって、どれだけ淫奔なのかしら」
ジェレミーが呆れたように冷笑を漏らす。
ヒソヒソと侮蔑の言葉が彼方此方で囁かれる。
「ち、違うのよ……」
—— 確かに儀式の直前に彼氏が欲しいとか、そのような事を考えていたかも知れないけど、そんな……。
パニックに陥った思考と、恥辱で目の前が真っ白になる。
エレーナは意識が遠のくのを感じながら、もう一度男を見やった。男は相変わらず悠然と構えている。その顔を憎たらしく思いながらエレーナは意識を失った。




