27. 追慕に別れを
火神と木神が睨み合う中、渾神は割って入る様に前へ進み出た。彼女は高速で頭を働かせながら、棘のある笑顔を木神へと向ける。
「謙遜を。私の予測よりも遥かに早い到着よ、イスターシャ。オイロセの遺体を使って移動したの?」
「彼の媒体は私の体内にあると言った筈ですよ。その話はペレナイカにはまだ?」
「聞いたわ」
言葉を返したのは火神だ。忌々し気に睨み付けてくる仇を目にして僅かに気圧されるも、やがて木神は穏やかに微笑んだ。
「そうですか。ですが、誤解なきよう説明を付け加えておきましょう。まず、今ここにいる私は紫沼木の枝を依代とした分体です。戦力としては心許ないですが、此方の策を暴かれた状況で敵地へ赴く愚行は犯せませんからね。本体はまだ木界に置いて来ました。それから、オイロセの死後に形見として貴女に贈呈した枝について。確かに、あれは彼の媒体そのものではありませんが、彼の媒体を取り込んだ後に私の身体の一部を切り取って加工した物。よって、オイロセの要素も多少は残っているのかもしれませんね」
木神は「嬉しいですか?」と尋ねて挑発する。剥き出しの本性を目の当たりにし、火神は言葉を失った。それで充足感を得たのか、木神はくぐもった笑声を漏らす。その後に、彼女は自らの外形を変容させた。
まず、半透明の樹皮が木神の全身を覆い尽くした。然る後に、樹皮の内側にある肉体や衣服が形を変える。彼女が変わり行く様は、樹皮の外側からも確認することが出来た。そして、木神が何になろうとしているのか気付いた火神は思わず息を呑んだ。
「この枝を敢えて何かに区分するなら〈祭具〉でしょうか。ヴァルガヴェリーテの推測通り〈関門〉の代用――私が火界へ入る際の道となり、且つ一時的な依代にもなる」
今は亡きオイロセの姿と声へと至った木神は、火界の住人の動揺を肌で感じながら淡々と語った。
「何の、為に……?」
呻く様に火神が尋ねると、嘲笑交じりの言葉が返ってくる。
「〈神術〉の掛かり具合を確認する為です。実は時々此方に伺っていたのですよ。気付かなかったでしょう。困ったことに、紫沼木の効果は長期間の放置で弱まる仕様。都度都度火界を訪れて掛け直さなければならなかったのです。とは言え、助かりました。貴女が枝を廟で包んで下さったお陰で、私は身を隠したまま目的を達成出来ました。嘘を吐いた甲斐はありましたね」
「あんた……」
「黙って下さい。貴女はもうこれ以上、自分の言葉を話す必要はありません。今日より《火》の《顕現》は例外なく私の傀儡となるのですから」
火神にとっては嘗ての恋人にして部下、官吏達にとっては元上官であった肉体から、攻撃的な神気と香気が放出される。機能不全の鼻を持つ火界の住人も、この時ばかりは喉に違和感を覚えて息を詰まらせた。
「この期に及んで、まだ諦めていないのね」
目を細め鼻口を抑えた渾神が不満気に言う。だが彼女はまだ平静な方で、周囲では木神の〈神術〉に耐え切れず膝を突いたり、気を失う者も出始めていた。火神でさえも肘置きを支えとしながら前傾姿勢を取っていた。渾神はそれらを一瞥し、誰に言われるでもなく木神への対応を受け持つ。
「今迄で一番強烈な臭いね。宮殿中を支配するつもり?」
「ええ、そうですよ、ヴァルガヴェリーテ。貴女にも私の走狗となってもらいます。渾侍とシャンセ・ローウェン・ヌッツィーリナにも。でもアエタ、貴女だけは後程解放してあげます。どうか安心して下さいね。恐らくは、全てが終わってからになってしまうでしょうが」
渾神が思ったより影響を受けていない様子であるのを見て、流石は格上の神、と木神は驚嘆した。そして〈神術〉の出力を上げる。すると、渾神は一瞬だけ片眉を動かしたものの、次に微笑みの目を木神へと向けた。逆に、悲鳴にも聞こえる怒声を吐いたのが、渾神の傍らに座り込んでいた風神であった。
「馬鹿言わないで。そんなの誰が喜ぶのよ!」
憎からず思っている姉神の痛々しい姿に木神は表情を歪めるが、攻撃の手を緩めるつもりはないらしい。その独善的な振る舞いに苛立ちを覚えた渾神は、つい荒々しい声を出した。
「格下の分際で侮ってくれたものね。貴女の攻撃対象にうちの子達が含まれているなら、当然抵抗はさせてもらうけど……それより良いの?」
「時間稼ぎですか? 無駄な足掻きを」
「余程、紫沼木の効果を信頼しているのね。まあ好きにすれば良いけど、砂神ブレスリトが火界に捕縛されたことは貴女も知っているわよね。ペレナイカ、彼は今どうしてる?」
渾神が火神を見ると、木神も其方へ視線を向ける。当の火神は顔面蒼白、声も絶え絶えであったが、渾神の意図を察して何とか答えた。
「まだ、火界で捕らえているわ。天界は既に内乱の件を知っていて、私の職務怠慢が原因という向きだったから、私自らブレスリトを牽いて行って弁明するつもりでいたのよ。地界の介入についても説明して、他界に警告を出してもらわなければならないしね。でも、反乱の事後処理に加え、香木の件やヴァルガヴェリーテが持ち込んだ厄介事の所為で動けなくなってしまって。止む無くつい先頃、奴の身柄を引き取る要員を寄越すよう認めた書簡を天界へ向けて送り出した所よ」
話を聞いた木神が顔色を変える。渾神は、にやりと歪な笑みを浮かべた。
「やっと気付いたわね。恐らく数日内に天界の使者――つまりは中位神を抑え込めるだけの神力を有した神が火界に遣って来る。貴女の企みは直ぐに天帝の知る所となるわ。好い加減、観念なさいな」
「説得してみせます」
「どうやって? 同じ〈神術〉を彼等にも使うの?」
「まさか。必要ないでしょう。少なくとも天界に対しては、我々は疚しい所など何もないのですから。寧ろ、彼等を脅かす者の排除に努めているのです。助力や称賛があってしかるべきでは?」
「本心ではそう思っていないから、計画を隠し通したのでしょうに。火界を明確に敵としているのは貴女だけよ。オルデリヒドすら同意しない。手段はどうあれ彼が取り込もうとしたのは、木界ではなく火界だったのだもの」
木神は「それは」と言い掛けて押し黙った。一拍置いて、彼女は落ち着きを取り戻す。
「貴女の話術にまんまと引っ掛かる所でした。相手が悪名高い『渾神ヴァルガヴェリーテ』でなければ、私はここで計画を再考していたかもしれません。少しは日頃の自分の言動と評判を気にした方が良いですよ」
渾神は分かり易い挑発に憤りはしなかったが、顔面から笑みを消してこう言った。
「考えを改めるつもりはないのね」
「勿論です。後一手で、《光》側世界に巣食う味方の顔をした災禍を取り除けるのです。闘争と色欲を司る野蛮な女神よ、望み通り本能を突き詰めた果てに散りなさい」
悲願達成を目前にして陶酔しているのか、木神の口調には熱が篭り、その眼が宿敵たる火神を捉えた。悪を断罪する英雄を気取った相手を前にして、火神は玉座の肘掛けに置いていた手を拳に変えた。
「――い」
「何ですか?」
「許せない、許せない! 黙って聞いていれば、散々私達を扱き下ろして。他者を罵れる立場なの、貴女? ここまで陰湿な手を使って、大勢を傷付けておいて、自分の何が問題なのかも分かっていない。我欲と大義の区別も付けられない。ああ、許しておけないわ!」
木神のものより一層力強い火神の声が響き渡る。憤怒の印象も持つ《火》の神気が、火神の肉体から溢れ出す。彼女の為に誂えた衣や椅子が炭に変わることはなかったが、神気の炎はそれらを含む周辺一帯に燃え広がった。室内が赤く輝く。《木》の種族が忌み嫌う篝火宛らに。熱気を受けた木神は後退った。だが、逃走まではしなかった。
一方、やや復調した火神は立ち上がる。
「不要なのは、貴女。燃えなさい。どうあっても《木》は《火》に焼かれるものよ」
火神が利き手を前方に構えると、木神の身体が炎に包まれた。《木》の《顕現》である以上、木神もまた火に弱い特性を持つ。そう、その筈だった。しかし――。
「変化しない? 一体、何故?」
炎を纏いながらも、木神は傷を負わなかった。表情は険しい。だから、全く効果がない訳でもあるまい。けれども、彼女は耐えた。
「無駄な足掻きを。それは既に対策済みです。私が貴女との戦闘を想定しなかったと思っているのですか?」
「くっ!」
今度は火神が後退りしようとする。しかし踵が玉座に当たり、叶わない。戦神らしからぬその所作に木神が気付くことはなかったが、歌う様に追い詰める様に彼女は語り出した。
「可哀想。可哀想な者達。《火》は他者に変化を促すけれど、自己は本質的に変えられない。ただ大きく小さく見た目だけ変えて、最後には消えてなくなる。自覚はあるのでしょう? だからこそ、火界には未だに『無能の罪』なんてものが存在している」
あからさまに侮辱され、火神は低い声を出す。
「どういう意味よ?」
「今この時点で無能であっても、精霊や人族は大概変化します。本質的に苦手とする分野は当然ありますが、そうなれば別の手段を考えるでしょう。つまり、無能な状態を維持し続けることはないのです。けれど、自己改革のない《火》と同質たる貴女達は、思考や手段の変更を良しとはしない。臨機応変さに欠ける。問題のある手法もそのまま貫く。故に、無能に生まれ付いた者は生涯無能なまま。そして、将来性を信じない貴女達は処刑という判断をする訳です」
咄嗟にキイルが「違います!」と反論するが、木神は歯牙にもかけない。彼女はただ火神だけを意識に入れたまま口上を続けた。
「《火》の種族は他より劣る。権力を与える価値はなかった。でも、私達《木》は違います。ほら、この通り〈神炎〉を克服してみせたでしょう? 如何ですか、変化の神を自称するヴァルガヴェリーテ。私とペレナイカ、どちらが優秀かしら?」
勝利を確信して悠然と振り向く木神に対し、渾神は愈々露骨な嘲笑の表情を返した。
「まず、何を基準として優劣を付けるかという問題があるわね」
「意固地ですね。理解に苦しみます。どうして、そこまでペレナイカに味方をするのです? 弱味を握られているのかとも思いましたが、貴女にとってその程度の不利は物の数ではないでしょうし。また、何か悪巧みでも?」
渾神の口から笑声が漏れる。
「今日は饒舌ね。増長も甚だしい。勝負は最後まで分からないものよ。油断しないでね」
火神も同感だった。弱さは克服しても醜い征服欲を改める気がない女が何を偉そうに、と奮起した。
「その通りだわ。今度こそ!」
気を取り直した火神は再度攻勢に出る。士気と共に弱まっていた炎が勢い付き、室内にいる者は短い悲鳴を上げる。火柱の中に入れられた木神も呻き声を漏らしてよろめいたが、また体勢を整えて余裕のある態度を見せ付けた。
「何度やっても同じこと」
涼やかな声だ。火神にとっては屈辱的な状況に他ならない。負けられない。彼女は〈神炎〉の勢いを更に強めた。だが同時に、弱気の虫が顔を出し始めてもいた。
(馬鹿な! 戦いにおいて私があの女に後れを取るなんてありえない)
肉体改造手術を行っているそうだが、付加した能力は恋郷のものだけではなかったのかもしれない。《火》の影響を受けない肉体――正に火神と敵対する為だけに用意された武器だ。両者は同勢力の仲間であり、姉妹の様に育てられた仲でもあると言うのに。相手が喧嘩別れした元恋人の姿をしていることも相俟って、仄かに悲しみが湧いて来た。
「アエタ」
不意に渾神が風神を見て名を呼んだ。言葉の続きはなかったが、火神への助力を促されているのだと風神は認識する。彼女は悲鳴を上げる肉体を無理矢理に動かし、両手を前方で交差させた。すると風が起こって、木神を覆っていた炎が更に勢いを増した。
「この程度で……」
苦悶の表情を受かべつつ、木神は尚も虚勢を貼る。合理的な判断ではない。余程火神に対して負けを認めたくないのだろう。けれども、彼女が抵抗を続けられたのはここまでであった。
「ぐっ、きゃあああ!」
耳を劈く悲鳴が響き渡る。〈神炎〉が眼前の分体を介し、木界にいる本体に届いたのだ。そこで、漸く渾神が手を出した。彼女は〈神術〉で炎と木神の間に曖昧な境界を設け、両者を切り分けた。
「そこまで。もう十分よ、ペレナイカ。依代が崩壊を始めている。これ以上、イスターシャを繋ぎ止めておくことは出来ないでしょう」
「邪魔しないで。分体を通じて本体を――」
「『天界の裁きを受けさせなさい』と言っているの。彼女の罪を公にして、正義が火界側にあると世間に知らしめた方が、今後を考えると都合が良い」
渾神は片目を瞑って火神に笑い掛ける。すると火神は呆気に取られた様な表情になったが、ややあって頷き〈神炎〉を収めた。黒い炭となりつつも尚残り火で燃え続ける木神は、薪が崩れる様に床に倒れ込む。同時に彼女が放っていた臭気も消え失せた。室内にいる者の口より疲労の表れた吐息が漏れた。
渾神は話を再開する。
「これと地界の件を併せれば、私やシャンセを匿った貴女の罪もある程度相殺出来るんじゃないかしら。可能な限りイスターシャが悪者になるよう、上手に証言してやりなさい」
「ええ。有難う、ヴァルガヴェリーテ」
「礼を言うべきなのは、私の方よ。良い勉強になりました」
火神と笑顔を交わした後、渾神は碌に動けなくなくなった木神を冷ややかに見下ろした。外観は既にオイロセとも木神とも判別が付かなくなっている。木界にいる本体の状態がどうなっているのかは分からない。中継する物があるとは言え木界と火界とは相当距離があり、且つ相手は高位神なので、負傷したとしても死ぬ程ではあるまい。だが、恐らくは無傷でもなかろう。同情の念は一欠片も湧いて来ないが。
「『どうして私がペレナイカに味方するのか』と聞いたわね。今更だけど、教えてあげる。一番の理由は、私が彼女に借りを作っていたから。でも、それがなくとも私は貴女ではなく彼女に味方したでしょうね。私が望むのは『良き変化』。貴女達が災厄だと思い込んでいるものは、そこへ導く為の試練と試練に失敗した結果に過ぎないわ。貴女の変化には、貴女以外の誰が見ても正当性が存在していない。悔い改めなさい」
「ちが……っ、わた、は……」
「『世界に貢献できない無能なる者は確かに消えるべきだが、全ての存在は多かれ少なかれ例外なく世界に影響を及ぼしている。故に、実質完全な無能者など存在しない』。天帝の口より放たれ、貴女自身が認めた言葉よ。素晴らしい思想だわ。分かるでしょう? 《火》も同じ。世界に必要な要素なの」
返事はなかった。果たしてそれが意識的なものか不可抗力か、渾神には確認する術がないし、する気も起きない。
「さあ、もう行きなさい」
そう言って渾神は木神を依代から完全に引き剥がし、木界へと押し返す。最後の支えを失った依代は、一度細い枝の形へと戻った後に霧散した。
再び方々で溜息が響いた。渾神も同様に息を吐き、先んじて口を開いた。
「ペレナイカ、大丈夫? かなり消耗しているみたいだけど」
「何とか。有難う、ヴァルガヴェリーテ。助かったわ」
「うん。また頼って」
火神は言葉の代わりに微笑みを返した。しかし、表情に反して顔色は《火》の《顕現》神とは思えない程に青白い。衰弱しているのが一目で分かった。渾神は声を低める。
「ペレナイカ、やっぱり少し休んだ方が良いわ。顔色が酷い。神気も弱まってるし」
「……そうね。悪いけど、そうさせてもらうわ」
「アエタ、支えてあげて」
すると風神は無言で頷き、武官数名を伴って火神の許へ駆け寄る。渾神はその様子を少しの間だけ見守ると、次にワルシカとキイルの方を向いた。
「事後処理を頼める? 報告はペレナイカかアエタに。私はちょっと席を外させてもらうわ。〈人形殻〉をマティアヌスへ返却してから、もう片方の私と合体してくる。うちの子の様子も見たいしね」
火精と火人族の代表者は、ほぼ同時に「畏まりました」と返した。渾神は軽く挨拶をして立ち去り掛けるも、ふと足を止めて彼等の片方――火人族の王子キイルを注視した。
「キイル」
「はい」
キイルは反射的に渾神を見詰め返す。渾神は精悍な若者の面に彼の母親の姿を重ねた。
「本当はヴリエに告げるべきなのでしょうけど、いないから貴方が代わって頂戴。先程イスターシャが放った貴方達への評をこの場にいなかった火人達にも広く伝えるのよ。必ず。良いわね?」
相手の意図が理解出来なかったキイルは、怪訝な表情になりながらも、取り敢えず「畏まりました。御神意の通りに」と答える。今はそれでも構わない、と渾神は彼の浅慮を許した。
当世に生きる者が一度は顔を顰める火界の古習「無能の罪」。長きに渡り守られてきた伝統を即座に消し去るのは不可能に違いない。しかし、何時かは越えなければならない壁だ。正攻法で対処出来るならそれに越したことはないが、非現実的と言わざるを得ない。ならば、他の手段も視野に入れるべきであろう。例えば、共通の敵への憎悪を利用するといった方法も。幸か不幸か、相手も火界との闘争を望んでいるのだから支障はあるまい。
渾神は今回の事件が火界の変化に繋がるよう期待した。彼等ならきっと成し遂げられると信じた。
◇◇◇
火神宮殿の騒動を〈祭具〉を遠方より使用して盗み見ている者達がいた。氷侍ブリガンティ・カンディアーナと元火侍スティンリアである。彼等は先日の決闘以降も時折会っていた。交友を深める為ではない。ブリガンティの仕掛け――即ち、彼女が火神へ宛てて送った書簡の齎した結果を確認することが目的だ。スティンリアは乗り気ではなかったが、押しの強いブリガンティに巻き込まれてしまった。火侍の座を望むも横から奪われた彼女は、その相手であるスティンリアに自身の力量を認めさせたかったのかもしれない。
ともあれ、スティンリアは宮殿内の状況と火神の衰弱振りを見て眉を寄せた。
「やり過ぎですよ」
「いやあ、まさか斯様な事態になるとは! 私もまだまだ修行が足りないな」
態とらしく快活な素振りをしてみせるブリガンティに、スティンリアは《氷》の精霊に相応しい凍て付く様な視線を向ける。ブリガンティは気まずそうに笑い、弁明した。
「木界の動きについては、本当に知らなかったんだよ。この件、上はちゃんと把握しているのかな?」
そう言って、ブリガンティは空を見上げる。スティンリアは内心で「知るか」と吐き捨てるも、表面では細やかな助言を与えた。
「気になるなら問い合わせてみては?」
「まあ、他にないだろうな。提案に従うよ。ところで君、本当に戻らなくて良いのかい?」
「何処にです?」
「勿論、火神様の御許にだよ。心配なのだろう? きっとあの御方も今この瞬間、切実に支えを必要としている筈だ」
半分は皮肉、半分は本心だ。ブリガンティが火侍位を望むのは立身出世の為だが、一方で彼女の中には火神に対する敬意も確実に存在している。彼女がスティンリアを焚き付けているのも、火神への気遣いからだった。
しかし短い時間沈黙した後、スティンリアはこう返す。
「止めておきます。それではあの御方が独り立ちする機会を奪ってしまう」
「確かにその可能性は否定出来ないが……」
恐らくスティンリアは明確には方針を決められないだろうと踏んでいたブリガンティは、予想外の反応に言葉を詰まらせた。しかも、彼の口から火神を思い遣る言葉まで出て来るとは。
(結局、こ奴の方は火神様を恋愛的な意味合いで好いているのか、いないのか?)
じれったく思う余り相手の胸倉を掴み上げたい衝動に駆られるが、ブリガンティは寸前で堪える。それを行ったとてティンリアは本心を語らないだろうし、しつこく問い質す程の興味もない。ブリガンティは大きな溜息を吐き、踵を返した。
「さて、私は氷神様の許に戻ろうかね。ああ、実に陰鬱な気分だ。元眷族の君には悪いが、私は彼の女神とは反りが合わないのだよ」
その悪態に対する反応は速かった。
「氷神様の許へ戻る前に、昼の都へ立ち寄りなさい。王太子殿下は大層御立腹ですよ。そして、日神様はもっと御立腹です」
言葉を発したのはスティンリアではない。ブリガンティにとっては、もっと良く知る相手だ。腕に自信があり、如何なる敵にも物怖じしない彼女が「げっ」と醜い声を上げた。
「お久し振りです、スティンリア様。白天人族の第三王女レイリーズ・カンディアーナです。この度は不肖の妹が大変御迷惑をお掛けしました。深くお詫び申し上げます」
涼やかな声と共に、舞い落ちる花弁の如くゆっくりと上空から降って来たのは、本人の名乗り通りブリガンティの異母姉レイリーズであった。立場を考えて跪くべきか、どういった言葉を返すべきか――とスティンリアは色々思案したが、結局ぶっきら棒に「いえ」と答えることしか出来なかった。だが、レイリーズはスティンリアの心中を察し、取り立てて彼を咎めはしなかった。それどころか、逆に彼女の方が申し訳なさそうな顔になった。
「後日改めて当家の者をお詫びに向かわせます。ただ、本日はちょっと……」
「そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ。其方もお忙しいでしょうから」
「いえいえ、そういう訳には参りませんので。伺って早々申し訳御座いませんが、本日はこれにて失礼させて頂きます。ほら、貴女もちゃんと挨拶して」
聞き分けのない子供を叱る母親の様に、レイリーズはブリガンティの背中を叩いた。傲慢且つ強引なブリガンティは、何故かこの姉が苦手らしい。素直にレイリーズの指示に従った。
「またな。悪くない時間だった。今度一緒に酒でも飲もう」
普段の暴君振りはすっかり鳴りを潜めていたが、それでもレイリーズは納得が行かず「もう、貴女って人は……」と呟いた。
続いて、スティンリアとレイリーズは数回気まずい挨拶の応酬を行い、漸く別れたのであった。




