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機械仕掛けの神の国  作者: 壷家つほ
第三章 赤き眷族
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24. 秘事

 これは遥か昔の記憶――。

「どうして火侍就任の要請を受け入れたか、ですか?」

 若葉色の髪と樹幹に似た褐色の肌を持つ青年オイロセは、困惑を隠している様にも見える笑顔を浮かべて小首を傾げた。はっきりしない態度をもどかしく思ったのか、彼にその質問を投げ掛けた相手は自身の発言について補足説明をする。婉曲的な言い回しであったが、要は彼と彼の同胞との関係を問う内容だ。

 不躾な言葉を聞いたオイロセが怒りを露わにすることはなかったが、思わず苦笑し、やんわりと反論した。

「いいえ、木神様や木界の住人との間に蟠りがあった訳ではないのです。私は今でも私を拾い上げて下さった木神様を神として、また母として敬愛申し上げております。ですが、侍神選定で火神様と共に過ごす機会を得て、今迄に味わったことのない衝撃を受けたのです。あの御方は正に炎。木界の住人にはない苛烈さや強さをお持ちでした。初めはただただ新鮮で驚かされるばかりでしたが、徐々に心惹かれ目が離せなくなった。《木》の種族はどうあっても《火》には勝てないものなのかもしれません」

 質問者はここでオイロセを責めた。彼の出自まで持ち出して嫌味を言った。宮仕えに相応しい所作に慣れているオイロセも、流石に話の途中で冷ややかな表情になる。しかし、返答をする頃には穏やかな笑顔を取り戻していた。

「ええ、私は紛れもなく《木》の精霊です。他の木精と同様に《火》の種族に対して本能的な恐怖を感じています。ですが、本能の赴くままに行動するばかりでは、野獣と何ら変わらないでしょう。我々が唯の植物ではなく知性と意志を持つ精霊として生まれ付いたことには、きっと重要な意味がある筈なのです」

 ふと、オイロセは舌を休めて遠方を眺める目付きになる。彼の脳裏には木界の光景か、或いは同胞の姿が浮かんでいたのかもしれない。そうして短い時間沈黙した後、オイロセは相手の顔をしかと見据えた。

「私は、私という存在が木界と火界の架け橋となることを望みます。だから――」

 その後の記憶は曖昧だ。そもそも先程辛うじて思い出せた部分も、長らく忘却の彼方に追い遣られていたものだ。

(あの時の言葉が本心であったにせよ、別の下心があったにせよ、オイロセが意志薄弱なのは断言出来る。結局命の危機に追い込まれると、彼は露骨にペレナイカを恨む態度を見せて去って行った。それだけでもちょっと不快なのに、揉てて加えて今回の香木事件。周囲を散々振り回して、本当にこの上なく迷惑な男だわ)

 そう胸の内で恨み言を吐きながら、風神は音もなく木界の森を駆け抜けた。



   ◇◇◇



 自然保護区周辺を調査した結果、この区画に出入りしている団体は複数存在することが分かった。渾神達はその中から薬学の部署があり、尚且つオイロセの嘗ての住居にも近い研究所に的を絞る。木界中央部の端にあるその研究所へは当日中には到着出来たものの、空は濃紺に染まり星が浮かんでいる時刻となっていた。

 太い蔓状の生木を生かした建物を少し離れた場所から眺めながら、渾神は風神に確認する。

「あれが件の研究所なのね」

「ええ、兄さん――天帝の使いで何度か来たことがあるわ。イスターシャが創設した教育機関とも繋がりのある研究所なの。主には医薬品と食品を扱っていた筈よ」

 渾神は短く唸り、困惑した様子で風神の方へと振り向く。

「今更だけど、研究対象は植物よね。《木》の種族的にどうなの? 彼等にとっては同胞を使った生体実験みたいなものでしょう」

 すると、風神は軽く目を見開いた。

「そう、よね……。言われてみれば確かにそうだわ。今、気付いた」

「私も同じだから、貴女を責められないわね。他種族が、或いは《木》の種族自身が同胞を口に運んでいる時も、イスターシャはずっと周囲に笑顔を向けていた。笑顔のままで彼女は同胞の肉を提供し続けていた。だから、気に留めることすらしなかった。改めて考えると歪だわ」

 渾神は難しい表情をして、研究所へと視線を戻した。壁面たる黒色の幹はまるで金属の様な質感で、不自然に密集しつつ敷地全体に広がっている。この木もまた彼等の不純な活動の成果なのかもしれないという考えが浮かび、彼女は眼前の光景にそこはかとなく不気味な印象を受ける。

(でもそれが彼女の本性なら、恋郷を生み出す目的で自然保護区の木精達を虐待している件についても辻褄が合うのよね)

 長らく穏やかな淑女の印象を抱いていた相手だ。動揺はしているし悲しいとも感じるが、誤った評価は改めなければならない。渾神は冷め行く心の中で決断した。

 次に、渾神は傍らにいる風神の心中を振り向かないまま案じた。彼女は木神とは同陣営であるだけでなく、火神共々姉妹同然に育った仲だ。心痛は自身の比ではあるまい、と渾神は思ったのだが、意外にも風神は険しい顔を見せながらも進むべき道を違えなかった。しかも、動き出したのは風神の方が先であった。

「行きましょう。数多の植物が深い眠りに付く時刻を待っている余裕はない。もう、有りっ丈〈神術〉を使うわよ」

「抑えて。使うべき場面が分からないなら、私が指示を出すから」

「むう……。じゃあ、任せた。上手くやってよね」

「勿論よ。取り敢えず、貴女が入ったことのない場所から当たりましょう。案内してくれる?」

「了解。先ずは左側の棟に入りましょう。薬品関連は確かあそこだった筈。私は応接室と食堂位しか知らないけど」

 言い終わるより先に、風神は不可視化の〈神術〉を発動させた。渾神も同じ〈神術〉を使う。続いて、二柱の女神はお互いの気配を探りつつ、速足で目的の建物へ向かった。



   ◇◇◇



 研究所東棟の一室にて、分析用〈祭具〉の前に立っていた職員が不意に「おや?」と呟き、作業の手を止めた。

「どうしました?」

 別の職員がその声を耳にして振り返る。すると、相手は〈祭具〉を見詰めたまま事情を説明した。

「済みません。今、数値が乱れたもので……。対象自体に特別変化はない筈なのですが、何が原因でしょう?」

「見せてもらっても?」

「どうぞ」

 本来の担当者に代わって〈祭具〉の前に立った職員は、室内にいる者の中では一番勤続年数が長い。その彼が〈祭具〉の表面に映し出された文字や図形を確認した後、後輩と同様に首を捻った。

「もう戻ってますね。ううん、何でしょう。ちょっと分からないな。暫く様子を見て、また異常が起こったら教えて下さい」

「分かりました」

 職員達の会話はそこで終了した。姿と気配を消して部屋の前を通過しようとしていた女神達は、ほっと胸を撫で下ろす。

 一先ず速足でその場から立ち去り、廊下の端まで来た所で渾神は風神を睨み付けた。

(ちょっと……)

〈神術〉に依る発声を伴わない会話方法で、渾神は注意を促そうとする。先程の〈祭具〉の異変は、風神が気を抜いて過分な神気を漏らしたことが原因だ。お陰で危うく女神達の不法侵入が知られる所であった。風神も失態を犯した自覚はある様で、決まりが悪いといった顔をする。

(ご免って。次は気を付けるから)

(本当に気を付けてよ。気を緩めないで)

(分かってる!)

(もう……)

 相手の反応の軽さに不信感を露わにしながらも、渾神は溜息を吐いて怒りを鎮めた。そして、徐に天井を仰ぎ見る。現在、彼女達が居る場所は地下階だ。天井は高く、外壁と同種の樹木の根で構成されている。内壁や床も同じだ。それらの外観は渾神に、病に侵された生物の内臓を想起させた。

(凄いわね。ここが木界じゃなければ、ただ感動するだけで済んだのだけれど。一体、どういった心境で彼等はこんな場所を作り上げたのかしら?)

(ちょっと、さっき私に気を緩めるなって言ったばかりなのに、自分はそういう感じなの? 真面目に探してよ。時間が無いんだから)

(相手の内面を探る為に必要な行動よ。貴女と一緒にしないで。……ああ、何か既視感があると思ったら、シャンセの研究室に似てるんだ。否、あそこはここまで気持ちの悪い見た目はしていなかったか。あの子、無駄に装飾とかくっ付けるの好きだったし。でも、今思うと必要な措置だったのね。多分、本人は自覚なくやってるんでしょうけど)

(確かに)

 風神はふと壁に近寄った。近くで見ても薄気味悪さは拭えず、触りたくないという気持ちが増していく。また、特に触らなければならない用事もないので、彼女はただ観察するだけで済ませた。

(ねえ見てよ、この壁。生木だと思うのだけれど、能々考えると多分未発表の物よ。少なくとも天界にも報告は上がってない筈。似た様な種類はあるけど、こんな金属みたいな質感はしてなかったと思う)

(来たことあるって言ったじゃないの)

 渾神の苦笑を背中で聞いた風神は、頬を膨らませる。

(だから、よく見て! 地上部分とはちょっと違うでしょう。今迄はこんな深い場所に入ったことがなかったから、気付かなかったの!)

(ご免、何処が違うのか全く分からないわ。よく見てるわねえ、アエタ)

(頼りにならない!)

 苦情を訴える風神の様子がやや滑稽に感じられて、渾神は再度音なき笑声を漏らした。それから、彼女はこう話を続ける。

(イスターシャは何を考えてるのかしらね。戦争でも始めるつもり? 動機もない訳じゃないし)

(本当に勘弁してよ、まったく……)

 風神の呟きが終わると共に、渾神は歩き出した。出遅れた風神も直ぐに彼女を追う。少しして女神達は曲がり角の先にあった別の部屋へと行着き、扉を開いた。



   ◇◇◇



 二刻半後、疲労し切った女神達は無人の部屋で小休憩を取っていた。時刻は既に深夜だ。外観からは気付けなかった場所もあり、思いの外時間が掛かってしまった。しかしながら、風神が過去に入ったことのある場所も含めて全棟調べ終えた。調べ終えたけれども、恋郷に関わる物は発見出来なかった。図らずも、それ以外で倫理的、政治的に危険な情報は入手してしまったけれども。

 女神達は項垂れた。当てが外れた。恋郷の研究が行われていたのは、別の施設であったのかもしれない。けれども、渾神の頭には別の可能性も浮かんでいた。

(扉が付いてる部屋は全部調べたけど、まだ隠し部屋があるかもしれない。入口を探すのは手間が掛かる。〈神術〉で不自然な空洞がある場所を見付けてもらえる?)

 少しばかり体力が回復した頃に、渾神はそう指示を出した。机に凭れ掛かっていた風神は、小さな溜息を吐きつつ身を起こし返事をする。

(了解)

(なるべくばれないよう、慎重にね)

 風神は無言で頷き、片手を胸の高さに掲げた。その腕から微風が起こり、やがて敷地全体へと流れて行く。風神は威力の制御に意識を集中させる為、静かに目を閉じた。そして普段よりもやや長い時間を置いた後、静かに瞼を開いた。

(参ったわね。空洞だらけだわ。何処から探したものか……)

 途方に暮れた様子で風神は天井を見上げた。恐らくは上方にも幾つか隠し部屋を発見したのだろう。言葉を失い掛けた風神に渾神が質問する。

(臭いは?)

(恋郷に関しては、全くしないわ。〈術〉か〈祭具〉で消しているのかもしれないわね)

(そう)

 渾神は口元に折り曲げた指を当てて考え込んだ。暫くして、彼女は一案を提示した。

(取り敢えず、間取りを描いて確認してみる?)

(その方が良いかも。本当に数が多くて……)

(とんでもない話ね)

 渾神は部屋の隅まで歩いて行き、そこに置かれていた箱の中に入っていた紙を数枚拝借した。それから、筆記具も持って来て机の上に置く。すると、風神は無言で筆記具を握り、紙の上に線を引き始めた。拙い絵であった為に渾神は思わず吹き出しそうになったが、既の所で堪える。そうこうしている内に、風神は館内図を描き終えた。

 さて、調査再開である。まずは最初に調査した東棟からだ。この頃には東棟の職員は殆どが帰宅していたが、女神達は万が一の事態に備えて姿と声を隠したまま先へ進んだ。

 そうして地上部分を探索し終えた所で、渾神は一度足を止めた。館内図を睨む彼女の表情は険しい。一方で、風神は膝に手を突き、乱れていた呼吸を整える。

(全部外れだったわね)

 風神が疲労を滲ませた口調で言うと、渾神は「まあね」と返した後にこう続けた。

(外野の私は口を出すべきではないのでしょうけど、隠し部屋で見たもの、全部書き留めておいた方が良いわよ。かなり危険な内容だったから)

(大丈夫。やってる)

(思わぬ副産物を獲得したわね)

 隠されていない部屋でさえも怪しい物が散見されたのに、隠している方はその更に上を行っていた。正に隠して当然の代物であった。木界の住人に対する評価は急降下している最中だ。今となっては、彼等のことを全く信用出来なくなってしまった。

 身内の恥が風神を焦らせているのだろうか、彼女は疲労が強く残った顔のまま勢い良く上半身を起こす。

(次へ行きましょう)

(疲れてるなら、もう少し休んでも良いのよ)

(時間に余裕はないんでしょ)

(途中で引き返すのも選択肢の一つとして考えているからね。何にせよ、これから身体に悪い臭いを嗅ぎに行く訳だし、体調は可能な限り整えていた方が良いと思うの)

 そこで風神は何故か黙り込んだ。短い時間を経て、彼女は掠れた声で呟く。

(貴女は強いのね)

(当然でしょ。これでも貴女より上位の神なのよ。地下の隠し部屋は地上程多くはないし、多少休んでも回り切れる筈。だから、後四半刻はここに居ましょう)

(邪神の癖に気遣いなんて止めてよね)

 悪意に満ちた言葉だが、声の調子にその気配はない。故に渾神は怒りを示さず、珍品を見る時の視線を風神へと送った。逆に、風神は鋭い眼光を相手に向ける。

(大丈夫、まだ動けるわ。場合によっては、他の棟も調べなければならないんだもの。何時までも休んでなんかいられない)

(了解。行きましょう。この建物だけで終わってくれると良いのだけれど)

 渾神は持っていた紙を折り畳み、歩き出す。風神は真っ直ぐに伸びた背中をぼんやりと眺めていたが、相手が扉の前に立った所で漸く足を動かし始めた。

 部屋を出て暫くは両者とも無言で廊下を歩いた。だが、やがて会話のない状態に飽きたのか、渾神がまた話し始めた。

(もしかしたら、食品関連の建物を先に見た方が良かったのかもしれないわね。間諜を欺く目的で、敢えて関連する場所は避けた可能性もあるでしょう?)

(どうなんでしょうね。有り得る話だとは思うけど)

(イスターシャがあの香木をどの程度重要視しているかが肝よね)

 無意味ではないが、現時点では結論の出ない話だ。風神が適当な相槌で返そうとした、その時であった。

(ちょっと待って、今……)

 何かに気付いて風神は足を止める。渾神も彼女に釣られて立ち止まった。きょろきょろと周囲を見回した後に、一点を見詰めて風神は呟いた。

(恋郷の臭いだわ。移動してる)

(無人ではなかったのね。此方の動きに気付いて、運び出そうとしているのかしら。位置は?)

(こっち。付いて来て)

 風神は振り返らないまま走り出した。渾神は慌てた。

(待って。先に場所を教えて。罠の可能性が――)

 だが、《風》の《顕現》神の足は速い。言い終わる前に、相手は離れた場所にある曲がり角の先へと消えてしまった。

(ああ、もうっ!)

 渾神は苛立ちの余り声が出そうになった。しかし、強い意志でそれを抑えて駆け足で風神を追った。

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