22. 荊棘
木界にて潜入した他界の女神達が新たな目的地へと向かい始めた頃、火界では二つに分かれた渾神の片割れが、己が侍神の側に寄り添っていた。此方の渾神はもう一方が火界を離れて以降、殆どの時間をアミュと共に過ごしている。単体の能力は完全体時に劣り、油断していては有事に対処出来ない可能性がある為、普段よりも一層警戒を強めているのだ。しかしながら、アミュは落ち着かない。いなかったらいなかったで不安になるのだが、こう四六時中張り付かれては堪らない。今は渾神と離別する決意を固めているから尚更だ。
逼迫した状況にある中、個人的な要求をして良い場面ではないとは理解していたので自重し続けてきたが、愈々耐え切れなくなってアミュは口を開いた。
「あの、渾神様。お話があって……」
「ん?」
「その……」
言い掛けて俯く。上手く説得出来るだろうか、話を聞けば相手は怒り狂うのではないか、最悪自分は殺されるのではないか――次々に湧き起こる妄想がアミュを黙らせる。すると、渾神は僅かに悲しみで陰った微笑みを浮かべてアミュの唇に人差し指を当てた。
「その話はもっと身辺が落ち着いてからにしましょう。隙を見せることになるから。敵とも味方とも言い切れない者達に囲まれている上、私が弱体化して盤面の制御がし難い今の状況では、此方の不和を晒す行為はとても危ういのよ。少なくとも貴女とってこの試練はまだ早過ぎる」
「え? あの、でも――」
「ご免なさいね。理解して頂戴。後でちゃんと向き合うから」
申し訳なさそうに告げた後、渾神はアミュから顔を反らし、開け放たれた窓の向こうにある火界の空を見た。アミュは暫しぽかんと口を開け放したままが、やがて「分かりました」と言って俯いた。
渾侍であるアミュと接続している渾神には、彼女の心情はお見通しらしい。全てを知った上で渾神はアミュを手放さないのだ。それが渾神の答えだった。アミュの胸の内にある重石が更に増え、鈍い痛みが彼女を苦しめる。けれども、無力な彼女はどうすることも出来なかった。
◇◇◇
火神宮殿外縁、火人族の王子キイル・ペレナディアが所有する建物に火神と数名の高官が集った。キイル本人は別件で不在である。従って、案内役は彼の側近が担っていた。
「これで全部?」
眼前に置かれている恋郷使用製品の山を見て、火神は尋ねる。無表情だ。しかしながら、彼女の神気は乱れている。それもあって、案内役の官吏は緊張の面持ちで答えた。
「風神様から伺った物に関しましては、仰る通りで御座います。ですが、念の為見逃しや外部に流出した物がないか、調べさせております」
「傘下の神族の住まいや眷族達の王城の方は?」
「其方につきましては、まだ調査中です。ただ、別件で煙神様の御在所にて備品の横領が発覚致しまして、彼方から『再調査を行う為、報告が遅れる可能性がある』との連絡が御座いました。ですので、少々お待ち頂くかもしれません。誠に申し訳御座いません」
「備品を持ち帰ったってこと? なら、鍛冶の種族の方も……否、出所は闇市ってはっきりしたんだったわね」
前方を睨んだまま暫く考え込んだ後、火神は恋郷の山へと近寄った。
「分かった。じゃあ、小さい方は全て研究所に回して頂戴。以降の扱いは彼等に一任する。何時もみたいに権力争いしてないで、ちゃんと連携するのよ。大きい方――オイロセの媒体については私が引き取って処分します」
火神は埋もれていた木の枝を迷わず見付け出し、優しい手付きで拾い上げる。官吏達はどよめき、案内役が一歩身を乗り出した。
「其方は解析に回さないのですか?」
そうするべきという忠言を含んだ言葉だ。ところが、返って来たのは拒絶の意思がありありと出た声だった。
「良い。触らないで」
官吏達は思わず硬直し無言になった。本来ならば、重ねて諫言すべきなのだろう。だが、思い掛けない事件に自らも心を弱らせていた眷族達からは、何時もの威勢が失われていた。故に、彼等はあっさりと諦めた。
その後、火神は官吏達を残して建物から立ち去った。従者はいない。彼女の要望を通した結果だ。理由は言わなかったが、言わずとも他の者は薄々察していたので、誰も止めなかった。火神の手にはオイロセの媒体とされていた枝が握られている。彼女のオイロセに対するどうあっても消せない未練が表れた手付きだ。
(お労しいことだ)
火神が部屋を出る際、眷族達はその様に思いながら彼女の背中を見詰めていた。
赤黒色の床石が敷き詰められた廊下に硬質な靴音が響く。
「ふっ、う……っ……」
無人の廊下を速足で歩きながら火神は嗚咽を漏らした。紅潮した頬の上を涙が止め処なく流れる。高位神に相応しくない醜態だが、高位神だって泣きたくなる時はある。誰も見ていないのだから弱気を見せたって構わないだろう、と彼女は外面を捨てた。
(スティンリア……。スティンリア、何処に居るの? 私、もう耐えられない!)
過去の恋人に心を残しながら、恥知らずにも新しい想い人に助けを求める。
(貴方が側に居てくれたら、倒れそうになる背中を支えてくれたら……きっと私、ちゃんと彼と決別出来ると思うの。だから――)
鍛冶の種族や砂神一派への度重なる尋問と裏付け調査で、既に確定してしまった事実がある。オイロセの「失態」だ。事件発覚の切っ掛けとなった腰飾りが間違いなくオイロセの所有物であり、当時の鍛冶の種族の長へ下げ渡されたことを記録した書類が、火神宮殿と鍛冶の種族の里の双方から見付かったのだ。囚人達に拠ると「他種族とは言え火神の信頼が厚い火侍より賜った品なので、腰飾りは権威の象徴の一つとして長らく大切にされていた」という話だった。そして、その貴重な品を砂神ブレスリトへ献上したのは、友好的な神への誠意を示す目的だと。
腰飾りが下賜された当時、両者の間でどの様な取引があったのかは未だ判明していない。後ろ暗い内容なら記録には残さないだろうから、もしかしたら未来永劫明らかとはならないかもしれない。しかし、何にせよその時のオイロセの行動が後世になって鍛冶の種族の反乱の支えの一つとなってしまったのは確実だ。恋郷の効果とは関係なく、である。
真実が明らかになった時、火神は歯軋りをした。悪意の有無は最早問題ではない。大半の者からすれば、彼の腰飾りは「権威の象徴」ではなく「反乱の象徴」だ。これでは火神でも庇い切れない。長らくオイロセに味方し続けてきた彼女も、大恥を掻く羽目になった。
「オイロセ……」
突如、枝の皺が存在感を強めた様に感じ、火神は思わず手に力を込めた。折れない程度にそっと――。
(お願い、助けて。スティンリア、助けて!)
けれども、表に出せない悲鳴に答える者は誰もいない。彼女は独りだった。
◇◇◇
暗く冷たい地下の空洞に湿り気のある音が響く。白い半透明の鉱石に覆われたその空間は、地神オルデリヒドが所有する研究室の一つである。
「駄目だ、これでは……」
舌打ちの後に地神の口から苛立った声が漏れた。続いて、血液の付着した工具が床に投げ捨てられる。工具は硬質な床の上を転がり、断続的に金属音が鳴った。
「地神様」
時を同じくして官吏が一人入室するが、地神は気付かない。正面にある作業台を凝視したまま腕を組み、ぶつぶつと独り言を唱えるばかりだ。
「手緩い。これでは大した成果は出ない。やはり、限界近くまで試すべきか。否、少しなら限界を越えても……。駄目だ。入手が難しい素材なのだ。万一があっては困る。それに時機ではない。まだ目途が立っていないのだ。後少しは生かしておいて時間を稼がないと……。だが、間に合うのか? 多少の無理はしても急ぐべきではないのか? 否、否、否。しかし、だ」
「地神様」
「そもそも素材が悪いのではないか? もっと《元素》に近い……。精霊――否、駄目だな。品質が安定しない。神族由来ならば或いは……?」
「地神様!」
官吏が強い口調になった所で漸く地神はその存在に気付き、彼の方へと振り向いた。見るからに機嫌が悪い。神気には殺意すら滲み出ていた。
「何だ?」
地神の気迫に圧倒され、思わず俯きそうになるも、官吏は寸前で堪えてこう進言する。
「そろそろお休みになられては如何でしょう。もう十日、誰も地神様が寝所におられる所を拝見しておりませぬ。お食事すら……。幾ら神族であらせられても、これ以上の労働は難しゅう御座いましょう」
「まだ大丈夫だ。私は飢えも疲労も感じてはおらぬ。寧ろ普段よりも体調は良い位だ」
「でっ、ですが、適度に休憩を挟まねば、作業効率は落ちて行くそうに御座います。どうか……」
官吏は命を惜しまず進言を続ける。地神は最初このお節介な眷族を不快に思っていたが、やがて誠意ある忠臣と認識して心身の緊張を解く。彼にとって眷族は心血を注いだ作品であり、身内以上に愛おしい存在だ。他界の住人より何彼に付け軽んじられる者達だが、だからこそ生みの親たる彼が格別に愛してやらねばならない。眷族が真摯に親の身を案じてくれているのならば、その気持ちを無下にしてはならない。
「確かにお前の言にも一理ある。『これ』を手に入れて、私は少し舞い上がっていたのかもしれぬな。頭を冷やす時間も必要な様だ。良かろう。お前の案を採用する」
「有難き幸せに御座います」
両者の間に穏やかな空気が流れたが、水を差す様に作業台の上に置かれた「もの」が呻き声を発した。地神は振り返り、冷ややかに見下ろす。
「『敵になりたくない』と、『助けになりたい』と言ったのはお前自身だ。最期まで役に立ってもらうぞ」
地神は踵を返し、やや離れた場所にある椅子に掛けてあった上衣を拾い上げる。そして、それを羽織りながら扉へと向かった。
「連れていけ。死なせないよう、慎重にな」
擦れ違い様、地神は官吏の肩に手を載せてそう命じる。官吏は遠ざかって行く背中に「畏まりました」と告げて立礼した。
暫くして、研究室に二人の武官が呼ばれた。地神の命令を遂行する為だ。当人は力仕事には不向きな文官なので、彼等に託すのが最善と判断したらしい。当の官吏は引継ぎを済ませた後、他所へ行ってしまった。
武官は二人共地神に対する忠誠心が強く、口が堅い者達だ。しかし――。
「これで良いのだろうか?」
荷造りの途中、彼等の内の一人が神意に反する言葉を呟いた。もう一人が作業を続けながら表情を全く変えずに答える。
「今更。我等の主神は地神様だ。地神様の為に我等はある。疑うな」
「迷わずにおれようか。このままでは地神様も危うい立場に置かれてしまうぞ」
「それでも地神様の長年の夢は漸く叶う。俺は正直あの御方が苦しまれる御姿を見てはいられなかったのだ。長かったよ。でも、やっと終わる。地神様御自身も望まれていることだ。だから、これで――」
そこで突如玲瓏な声が響き、武官達の会話を断ち切った。
「良い訳がないだろう。奴の夢なぞ、窓辺に積もった埃以上に無価値だ」
いるべきではない第三者の声。秘密を知られた武官達は驚き慌て「何奴!」と怒鳴って振り返った。自然と視線が研究所の出入口へと向く。何れ彼等が通るだろう道を塞ぐ様に立っていたのは、白銀の髪と白磁の肌を持った美貌の男性だ。神気を纏っている為、神族であるとは瞬時に分かったが、どの神なのかを彼等は思い出せない。
だが、暫くして武官の片方が相手の正体に気付き、顔を歪めた。
「あ、貴方様はもしや……!」
直後、武官達の肉体は黒い塵へと変じて消えた。
彼等がいなくなった後、白き神は血に染まった作業台の横に立ち、台の上に置かれていた物を繁々と眺める。その後に彼は梱包を解いて中身を確認し、苦笑した。
「これはもう長くはないな。非現実的な理想に固執して無策で飛び込んだ結果なのだから、自業自得ではあるのだけれども」
彼は冷気を帯びた壁面へと顔を向ける。地神の神気が漂っている方角だ。彼方側に変わった動きはない。まだ、彼の侵入に気付いていないのだろう。地神の認識を阻害する為の事前準備と神気の抑制が功を奏した訳だ。尤も、地神がその気になれば看破は不可能ではない筈だから、もしかしたら地神は今、意識がないのかもしれない。既にこの場を立ち去った文官の希望通りに眠りに就いたのだ。
白き神は嘲笑する。
「地界は最早末期の様相だ。渾神もえげつない真似する。ここまでぼろぼろにしてしまうなんてね。しかし、文句は言わないさ。今の状況は我々にとっても都合が良い」
独り言であったが、彼の言葉に反応してか、作業台の上に置かれた「荷物」から小さな呻き声が漏れた。彼は再び台の方を向く。
「謝罪も同情もしないよ。君達は紛うことなき悪党だ。だが、後始末は私がやってあげよう。感謝すると良い」
白き神――数多ある魔神シドガルドの分体の内の一つは、悦に入った様子でそう宣告した。




