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機械仕掛けの神の国  作者: 壷家つほ
第三章 赤き眷族
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19. 薫香毒樹

 空気が澱んでいる。甘く刺激的な香りが漂っている。魔物が発する瘴気にも似た禍々しさがそこにはあった。

 風神が導いた先は火界には珍しく緑色の色彩が入った庭園であった。中央には白く小さな建物が置かれてる。その壁面には金色の彩色や複雑な彫刻が散見されるが、華美というよりは荘厳な印象を与えた。

「ここは……霊廟かしら。建築様式は天界に近いけど、装飾の意匠は昔木界で流行っていたものね。成程、そういうこと」

 渾神が建物を上から下まで眺めながら感慨深げに言うと、風神は深刻な面持ちで頷いた。

「お察しの通り、ここはオイロセを祀る霊廟よ。いいえ、本当は『霊廟』ではなく『墓所』と表現するべきなのかもね。内部には彼が死亡した際に現場に残されていた木の枝が保管されているそうだから」

 精霊が《元素》から《顕現》する際、多くの場合は既に此方側の世界に存在している物質を介して現れる。そして、精霊が死亡した際には肉体の方は大概跡形もなく消失してしまうのだけれども、稀に媒体となった物質が残されていることがあるのだ。生者達はその残留物を精霊の亡骸と見做していた。

「つまり、木精であったオイロセが《顕現》する際の媒体となったのが、その木ってこと?」

「木界はそう主張したみたいね」

 そこで渾神は一度沈黙した。だが、少しして彼女は風神に尋ねる。

「オイロセは木界で死んだのよね?」

「ええ」

「死因は何だって言ってたの、彼等は?」

「死体は残らず死亡時を目撃した者もいないけど、恐らくは高所からの転落死であろう、と結論付けられたそうよ。そして、形見分けとして木界はペレナイカに木の枝を送り付けてきた、と」

「彼の退任時にかなり揉めたと聞いたけど」

 すると、風神は笑声を漏らした。概ね笑顔であるが、眉間には皴が寄っている。

「ね、不思議よね。オイロセを火侍にしたことや負傷させて退任を余儀なくされた件について、イスターシャは相当怒っている様に見えたのに、どうして実質彼の死体の一部とも言える品を自発的にペレナイカに引き渡したのか」

「ああ、成程……」

 つまり、木界の公言は虚偽であり口実なのだ。彼等の目的は火神への配慮ではなく、枝を火界内へ送り付けること。ならば、その枝の正体はオイロセの媒体などではなく、火界側に危害を及ぼす仕掛けが施された別の何かの恐れがある。

 そこまで思い至って、ふと渾神はある疑念を抱いた。切っ掛けは風神の口振りである。

「ひょっとして、アエタ、結構前からこの問題に気付いてた?」

「まさか。ただ、薄らと違和感はあったのよね。その違和感を貴女が確信に変えてしまったって訳」

「ふ、ふ、ふ。褒めて良いぞ」

 渾神は態とらしく胸を張る。まるで子供の所作だ。風神は呆れ顔を作った。

「馬鹿言ってんじゃないわよ。行く先々で面倒な事件ばかり引き起こす問題児が」

「今回は私の所為じゃないでしょ」

「どうだか。……兎も角、早く物証を押さえましょう。此方の動きが木界に知られたら、隠蔽されるかもしれない」

 建物の方へと向き直る風神の表情は、直前とは打って変わって真剣だ。しかし焦りも見えたので、渾神は相手を制する目的で敢えて水を差す様な言葉を吐いた。

「性急ね。うーん、貴女に主導権を握られている様で何だか腑に落ちないわ」

「知ったこっちゃあないわよ。取り敢えず霊廟への立ち入り許可を貰って来る。私が話を付けるから貴女は黙っていてよね、警戒されてるんだから」

「うーん……」

 何か引っ掛かるものを覚えたが答えに至らず、渾神は腕を組み俯く。そんな彼女を置き去りにして、風神は霊廟の管理者について尋ねる為に付近の施設へと向かった。



   ◇◇◇



 目的の人物は程なくして見付かる。その火人族の老人に許可を貰った女神達は胸中を好奇心と僅かばかりの不安で満たして建物の中へと入った訳であるが、足を踏み入れるや否や両者同時に顔を顰め、鼻と口を手で覆った。

「これは酷い」

 まず先に口を開いたのは、より臭いに敏感な風神の方であった。続いて、渾神が普段とは異なる声音で応じる。

「でも、予想よりも小さい。『大きい方』って言ってたから、丸太でも転がってるのかと思ったわ」

 渾神は風神の方を見るが、相手の視線は部屋の最奥に安置された枝に釘付けになっていた。然もありなん、と渾神は思った。自然の産物と説明されても俄かには信じ難い種類の悪臭を放ち続けるその枝は、片手で持てる程に細長く、簡単に折れてしまいそうである。しかしながら、脆弱な見た目は偽りなのだろう。枝だけの状態になってから既に長い年月が経過している筈なのに、未だ朽ち果ててはいなかった。そして、臭いの威力は高位神二柱を寄せ付けない程に凄まじかった。

「臭気だけ追っていて、見た目を確認していなかったの。ここは特に臭いが強かったから、私ももっと大きい物かと勘違いして……。ちょっと、一旦外に出ない? 鼻から出血しそう」

「同意。出ましょう」

 女神達は速足で墓所を出た。重い扉を閉め比較的綺麗な空気を吸っても、まだ体内に薄らと臭いが残っている気がして、渾神も風神も共に戦慄する。けれども呼吸を繰り返す内に臭いは消え、女神達は安堵の息を吐いた。風神に至っては「ふう、生き返った」と呟いた位だった。

「吃驚。建物の壁がちゃんと防波堤の役割を果たしてくれているのね」

「多分、霊廟ってことで気休め程度に浄化系の〈術〉なり〈祭具〉なりを置いているだろうから、それが効いているのかもしれないわね」

 渾神の呟きに答えた風神は、改めて霊廟へと顔を向ける。様々な感情が入り交じった渋面には、若干の疲労も浮かんでいた。

「火界の住人はよくこれに耐えられるわね。ちょっと鼻が麻痺している程度では駄目。嗅覚が完全に死んでないと、こんなの無理でしょう」

「まあ、一応もう一つ別の可能性もあるのだけれど」

「『別の』?」

 今度は片方の眉を吊り上げて、風神は渾神を見た。興味半分、警戒半分といった風である。しかし、返って来た視線は意外にも真剣なものだった。

「それを話す前に幾つか質問がある。まず貴女、オイロセとは面識があったの?」

「一応ね。彼が火侍に就任してからだけど、何度か顔を合わせたことがあるわ」

「その時、こんな臭いした?」

 首を傾け暫し上を向いて唸ると、風神も渾神と似た表情になった。

「しなかったわね。断言出来る。ここまでの悪臭なら絶対に覚えてるし、上司であるペレナイカにも注意してたと思う。そうしたら恋人を悪く言われたペレナイカも、不快な思い出として頭の片隅位には残していて、切っ掛け一つでその時の記憶を呼び覚ましたんじゃないかしら。……否、それ以前に彼女、嗅覚がおかしくなる前の段階があった筈よね。じゃあ、初期にこの状態だった場合、流石に臭いに気付いたのではないの?」

「それらの記憶を浮上させない方法が、さっき言った『別の可能性』なのだけれど」

 風神が渾神の言葉の意味を完全に理解するのに幾許か時間を要した。だが、やがて身の毛がよだつ推測を共有した彼女は目を見開く。

「ねえ、待って。まさか――」

「真相究明は香木の分析結果を待ってからにしましょう。で、今の貴女の返事を聞いて私の頭の中にはもう一つ疑問が浮かびました」

「何よ?」

「精霊の心身は《顕現》した際に媒体となった物の性質にも影響される。あの枝が本当にオイロセの媒体なのだとしたら、彼自身も同様の臭いを放っていた可能性がある。いいえ、そうであったと仮定するならば、よ」

 渾神は霊廟をちらりと見た。火界には不釣り合いな色合いが、今は不気味な印象を与える。まるで白骨だ。遥か昔から生者の世界に留まり続ける死者の骨である。

 一拍置いてから、渾神は話を続けた。

「貴女が彼の体臭を覚えていない理由は、『臭いを嗅いだ記憶を忘れているから』『オイロセが臭いを出さないよう制御していたから』『この臭いは死臭で生前には放出されていなかったから』の内のどれ?」

 風神は思わず呼吸を止めた。



   ◇◇◇



 その後、渾神達は謁見室へと向かった。火神は現在其処にいるのだという。風神も同行したのは、現況を見て危機感を抱き、正式に協力を申し出ることを決めたからだ。

 女神達が謁見室まで遣って来ると、丁度扉が開き、中から火人族の官吏と思わしき者が数名が出て来た。

「ヴリエ……?」

 火人達の中心にいたのは火人族の女王ヴリエであったが、どうも様子がおかしい。顔は土気色で足取りは覚束ず、周囲の者に支えられて何とか立っている状態だ。彼等は渾神達に気付くと慌てて挨拶をし、道を開けようとしたが、渾神はそれを制止して風神と共に自らが廊下の端へ寄った。そして、彼等の方を先に行かせた。

 ヴリエ達の背中を見た後、二柱の女神は重い扉を開き入室した。既に神気を感知してその来訪に気付いていたのか、火神は大して驚きもせず彼女等を受け入れる。しかしながら火神の表情は険しく、彼女の神気は何時も以上に燃え盛っていた。

「何かあったの?」

 開口一番に風神が尋ねると、火神はやや困り顔になって彼女を見た。

「それは私の台詞よ、アエタ。貴女が此方へ来ているとは知らなかったわ」

「挨拶が遅れて御免なさい。お邪魔しているわ。今どういう状況なのかも聞いた」

「そう」

 失態を知られて恥ずかしく思ったのか、火神は風神から目を背ける様に俯き、押し黙ろうとする。しかし、焦れた渾神が割って入った。

「部屋に入る時、ヴリエを見掛けたんだけど、貴女と同じ顔色をしていたわ。本当にどうしたの? いいえ、きっと悪い知らせがあったから、そんな風になったんでしょうけど」

 すると、火神は片手で顔を覆った。

「例の香木について、現時点で判明している情報を報告してもらっていたのよ。ねえ、さっきの話、彼女達にも教えてあげて。概要だけで良いから」

「畏まりました。まずは此方の資料をご覧下さい。件の香木の近縁種と思わしき植物の一覧になります」

 そう言って渾神達に歩み寄ったのは火人族の王子キイルであった。彼から予備として用意されていた資料を一部ずつ受け取ると、女神達は暫く黙したままそれを読む。周囲の視線が集中する中、最初に口を開いたのは渾神であった。

「見覚えのある物も入っているわね。主に幻界絡みの奴」

「ご指摘の通りで御座います。生息地は夫々異なりますが、何れも当代闇神でもあらせられるユリスラ神の信奉者が使用している物です。幻覚と陶酔作用、加えて強い依存性があり、大戦の折には〈術〉の強化や補助役としても使われていたのだとか。一応有害な目的だけではなく、医薬品にも活用されてはいるそうなのですが……」

 キイルは背後に立つ文官に目配せをする。彼は本来軍の所属であるので、資料を用意したのは恐らくこの文官なのだろう。キイルの方が火神に近い立場である為、彼が代表して上申し、文官は説明に不足があったり間違っていた時のみ口を挟む形にしたのだ。

 眷族を一瞥した後、火神は渾神に尋ねた。

「ここまでは貴女の予想と合致してる? ずっと、あの香木を警戒してたものね」

 火神の神気の勢いが微かに弱まる。これまで私情を優先し、渾神の忠告を真面目に聞いて来なかったから、流石に後ろめたさを感じているのかもしれない。年の割に老獪さのない女性である。渾神は苦笑した。

「まあ、想定の範囲内ではあるわね」

「黒幕は幻界――《闇》側勢力ってこと?」

 今度は風神が渾神に質問する。

「そう結論付けるのは早計だと思うわよ。彼の話にはまだ続きがある様だし」

 渾神はキイルに微笑み掛ける。彼は一瞬頬を赤らめたが、気を取り直して説明を続けた。

「はい。資料に記載致しました植物の中には、神族の方々に影響を及ぼす程強力な効果を持つ物は御座いません。嗅覚に変調を来すといったこともないのです」

「でも、現にペレナイカの鼻は麻痺しちゃってるんだから、この香木は確実に神族に対して作用している訳で」

 渾神が腕を組んでそう発言すると、風神は彼女の方へ顔を向けて尋ねる。

「つまりは新種ってこと? ユリスラ達も把握していない?」

「それは今の所何とも……。詳細は現在も調査中とのことですので、少々お持ち頂ければと。ただ、この香木特有の効果については別の可能性も浮上しておりまして」

 返答をしたのは渾神ではなくキイルであった。差し出がましい行いだが、彼を咎める者は一人として存在しない。室内に居る誰もが些事に気を回している余裕を持たなかったのだ。

 風神は小首を傾げ、「『別の』?」とキイルの言葉をなぞった。彼は頷く。

「この香木には例外なく呪詛系に類する〈術〉の痕跡があるのです。否、〈術〉と表現するのは語弊がありますね。怨念、或いは苦悶や悲嘆の様な負の思念です。〈術〉とは異なりながらも〈術〉に近い影響力を持つ強い思い。識者に拠ると、どうやら手を加えられた結果ではなく素材由来であるそうで、この念が香木の性質を元のものから変化させてしまっているのではないか、とのことでした」

 室内にいる全員が渋面になった。言わずともがな、その中には渾神も含まれている。既に幾つかの可能性を頭の中に浮かべていた彼女にとっても、彼の話は意外なものであった。

「気味の悪い話を聞いたわ。生育環境が気になる所ね。って言うか、入手経路は? 結局本当に木界産だったの? 普段の彼等の印象と全く結び付かないんだけど」

「鍛冶の種族の方についてはまだ調べを進めている最中ですので、火神宮殿と各眷族の王城で発見された物に限定した話になりますが、此方は御用商人が木界の商店より仕入れ、各施設に納入したことが判明致しました。内訳は練香が主で、後は香油や香水ですね。木片ではありません」

「その御用商人は材料に関して何て言ってたの?」

「不届きにも、彼等は正確性に欠ける情報しか持っておりませんでした。仕入先の説明を鵜呑みにしていた様です。そして木界側が言うには、これらの品の原材料は木界の一地域にのみ自生する珍しい樹木で、『恋郷』という名で流通しているのだとか。実体が分からない為、資料の方には載せておりませんが……」

 キイルは一度女神達から目を背ける様に手元の資料に視線を落として黙り込んだ。しかし、大して時間を置かず彼は顔を上げる。

「実は、御用商人より別の証言も得ておりまして、既に故人となっているその者の祖父が生前、恋郷使用商品について『火神宮殿から要請を受けた』と発言していたのだそうです。以降、該当商品の納入が続いていると」

「『火神宮殿から』、ね」

 渾神が呆れた顔付きになると、火神は「否、まだオイロセの仕業と決まった訳では……」と言い訳をする。謁見の場には火人族の高官のみならず、火精の王ワルシカや彼の臣下達もいて、眷族の要人がほぼ勢揃いしている状態であったが、火神はオイロセの名を隠さなかった。恐らくは既に眷族達から「黒幕はオイロセである」との意見が上がっており、且つ共通認識となりつつあるのだろう。

 火神にとって居心地の悪い空気が流れる中、渾神は目を伏せて暫し考え込んだ。それが終わると目を開き、彼女は玉座を見上げて言った。

「ペレナイカ、私達からも一つ報告することがあるの」

「え?」

「さっきね、アエタが〈神術〉で宮殿内にある香木を探してくれたの。貴女達も回収作業は行っているのでしょうけど、全部は把握出来ていない可能性があったから。実際、漏れがあったしね。で、その内の一つが――」

 一呼吸置いて渾神は告げる。

「オイロセの霊廟に安置されていた彼の媒体の断片だったのよ」

 火神は言葉を失い、眷族達は騒めく。最初に渾神へと質問をぶつけたのはワルシカであった。

「それは真ですか?」

「そんな嘘を吐いてどうするのよ」

「いや、しかし……」

 謁見室にいる者の中では最も冷静に見えるワルシカも、とうとう動揺を隠し切れなくなって下を向いた。炎を宿した赤い目が不自然に揺れた。

 止める者がいない所為で、室内のざわつきは治まらないままだ。纏まりのない会話を経て、彼等の思考は悪い方向へと進み続ける。やがて、官吏の一人がこの様なことを言い出した。

「まさか火界にばら撒かれたこの香木は、オイロセ殿の亡骸を切り刻んだ物なのでは?」

「ひっ!」

「嘘でしょ。そんな……」

「我等を忌避しているとは言え、そこまでの所業を成すのか。同胞の遺体だぞ!」

「正気の沙汰じゃない……」

 普段は武闘派として精神力の強さを自負している《火》の種族が、悲鳴交じりの声を上げる。渾神はふと先程顔色を悪くして去って行ったヴリエの姿を思い出した。もしかしたら、あの敏腕家の女王は真っ先に彼等と同じ考えに行き着いたのかもしれない。結果、彼女は体調を崩し、自説を告げられぬまま退室する羽目になったのだ。

 ともあれ、事件の犯人が真実木界の住人であり、尚且つその者が今の光景を見たならば、さぞ溜飲が下がったことであろう。直接の動機は不明だが、《木》の種族で高圧的な《火》の種族の鼻を明かしたいという欲求を持たない方が珍しいのだから。

 渾神は被害者と加害者の双方に呆れつつ、きっぱりと火界の住人達の妄想を否定した。

「いいえ、流石に全てがオイロセの媒体であるとは考え難いわ。幾ら何でも量が多過ぎるもの。納入開始からの経過年数を考えると尚更。多分、同じ種類の樹木から切り取っているのでしょう」

 半分は本音、半分は方便だ。一部には本当にオイロセの媒体が使用されているのかもしれない。だが、今は真実を語るより彼等の不安を解消することを優先すべきである。

「そ、そう、ですよね」

「最初に恋郷を注文したのがオイロセ様御本人の可能性もありますものね。彼の御方が香木の効果をご存じだったか――いえ、それ以前に当時から同様の効果があったのかは不明ですけれども」

「そもそも、霊廟にある枝も本当にオイロセ殿の媒体であるとは限らないのでは?」

「確かに」

 火界の住人の思考は彼等にとって負担の少ない方へと向かった。火神だけは懐疑的な様子で目を伏せていたが。

「しかし、一体どういう了見で木界はこれを行っているのでしょう?」

「彼等は我々を意のままに操ろうとしているのでしょうか?」

「否、まだ木界が犯人と決まった訳ではあるまい。不用意な発言は控えた方が良い。後々問題になるぞ」

「関与がないと見做す方が難しいのでは? 動機と状況証拠が揃っているのですから」

「もしや、鍛冶の種族の反乱もこの香木によって引き起こされたものだったのでは? 奴等の里にも同じ香木があったのだろう?」

「否、待て。仮に動機があったとしても、あの温和な木神様が斯様な暴挙をお許しになるとはとても思えん」

 眷族が議論し合う中、風神はふと火神の様子を心配そうに見上げた。次に火神へ近寄り、傍らで膝を折る。椅子の肘置きに置かれた火神の手に自身の手を添えて、彼女は「ペレナイカ」と呼び掛けた。だが、火神は俯いたまま返事をしなかった。故に風神はもう一度呼び掛けた。

「ペレナイカ、結論を急がないで。私が調べてくるから」

「調べる? ここまで来て、今更何を?」

 返って来た声には嘲笑が混じっていた。火神が嘲るのは果たして風神か、それとも自分自身か。風神は泣きそうな顔になった。

「兎に角落ち着いて。まだオイロセや木界に火界を害する意思があったと決まった訳じゃない。断定するにはまだまだ証拠が足りない。仮にそうだったとしても、この企みが発覚したことを今の段階で相手に悟らせては駄目。ちゃんと対策を立てるまでは」

「ねえ、アエタ」

「何?」

「貴女は私の味方?」

 渾神からも出された質問だ。彼女は狡猾さで名を馳せる女神であるが、今この瞬間に火神から発せられる言葉を予測した上でそれを真似た訳ではない。だが、言葉の裏にある意味は一致している。「お前も木神と同じく仲間を裏切るのではないか?」と問うているのだ。答えなど端から分かり切っているのに。

「償いをしたいと言ったら、私を信じてくれる?」

「『償い』?」

「砂神ブレスリトは表向き私の指揮下にあった。でも、裏では未だに地神と繋がっていて、彼の意思に沿って動いていた。私はそれを承知の上で彼を泳がせていたの。決定的な証拠を掴む為にね。でも、その所為で貴女に随分と迷惑を掛けてしまったわ。だから、償いをさせてほしい」

 火神は瞠目する。眷族達も静まり帰る。困惑する者はいたが、怒りを覚える者は皆無だった。砂神に対する彼女の姿勢は政治的に意味があり、天帝の意向でもあったのだろうと推察出来たからだ。

 暫くして火神は「そうだったのね」と呟いた。真実を語れば自身の立場が危うくなるかもしれないのに、それを行ってまで誠意を示してくれた風神を火神は許した。

「分かった。貴女を信じるわ。火界の状況が落ち着かないから、私は当分動けない。よって風神アエタ、貴女に調査を依頼します。お願い出来るかしら?」

「勿論よ、ペレナイカ。必ず満足のいく成果を挙げてみせるわ」

 風神は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。火神も釣られて一瞬微笑みを浮かべ、次に真顔に戻って渾神を見る。

「そういう訳だから、ヴァルガヴェリーテ」

 風神と協力して調査を続けてほしい、という意味を含ませて火神は渾神に呼び掛けたが、相手の反応は何故か悪かった。渾神は目を瞑って腕を組み、首を大きく傾けていた。

「うーん……。調査って火界の外でってことよねえ。しかも、主に敵地疑惑のある木界で。アエタを単身で敵地へ突っ込ませるのは確かにちょっと心配だけど、《闇》側の神の件があるから、私は余りあの子の側を離れたくないのよねえ。うーん、どうしたものか……」

 軽く唸った後に、渾神は姿勢を正す。

「御免なさい。少し時間を貰っても良いかしら?」

「それはまだ多少の猶予があるという判断?」

 火神の方も眉を寄せ、責める様な口調で渾神に尋ねる。すると、渾神はやや考えてから首を横に振った。

「否、ないわね。四、五日で良い。それ以上時間が掛かる様だったら、アエタには先に出てもらうから」

「構わない?」

 火神が風神にそう聞くと、相手は頷いた。

「私は構わないわよ。待ってる間に新しい情報が入ったら、知らせてもらえる?」

 風神が眷族達へと顔を向けると、今回の事件の担当者となったのであろうキイルが、彼等を代表して「承知致しました」と答えた。

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