14. 炎禍
呆気に取られて立ち尽くすキロネを横に退けてシャンセは天幕から出た。マティアヌスも腰に履いた剣に手を当てて後に続く。
天幕の前にはナルテロと武装した戦士達が立っていた。シャンセ達が表に出て来る頃合いを見計らって待ち構えていた様子だ。彼等の方を向いたまま視線だけを周囲へ送ると、里中に点在する民家からは人の気配が殆ど感じられなかった。寝静まっている訳ではない。不在なのだ。恐らくは何らかの〈術〉か〈祭具〉を使用して、シャンセ達に気付かれない様に気配を消して里から離れたのだろう。
シャンセは改めて〈睡燐〉の種へ指令を送る。しかし、その指令が種に届いた感触がなく、また〈術〉も発動しなかった。破壊されたか、制御権を奪われたか。何れにしても、彼の策は既に見破られているに違いない。
「目論みは外れた様ですな、シャンセ殿」
したり顔のナルテロに対し、シャンセは苦笑して肩を竦めた。
「その様です」
「如何なる腹積もりで?」
今度は気分を害したという様子を隠さず、ナルテロはシャンセを睨み付ける。口振りは穏やかだが、返答を間違えれば今直にでも鍛冶の種族はシャンセ達に襲い掛かって来るだろう。
シャンセはマティアヌスを一瞥する。それを受けて《光》の精霊であるマティアヌスは、光源と意識を繋いで視野を拡張させる〈灯知〉という〈術〉を密かに発動させた。
「渾侍が焼物の種族側に拘束されている可能性を考えたのです。例え罠であったとしても、間諜が自身の正体を明かして敵に直接接触してくる様なことは普通は有り得ません。年若い渾侍は策を弄せる程賢くはありませんが、もし背後にいる渾神が動いたのだとしたら」
時間稼ぎだ。懐柔は不可能だろう。謀られたと知った彼等は、最早何を言ってもシャンセを信じはすまい。
「成程。だとしても、我々への背信行為であることには変わりない」
「確かに」
一方、ナルテロは相手の真意に薄々気付きつつも会話に付き合う。力も知恵も持ちながら、彼等の正義を理解しなかった者を許せなかったのだ。そんな彼等の若さや愚かしさを見て、シャンセはまた笑った。呆れ笑いを抑え切れない。当人にとっては捨て難かったらしい拘りが致命傷となって死んでいった者達を大勢見て来たからこそ。
「ところで、差し支えなければ教えて頂きたいのだが、何故我々の策は見破られたのですか? やはり、信用は得られていなかったということでしょうか」
「勿論、半信半疑ではあった。しかし、〈術〉ついて知ったのは地界の神が教えて下さったからだ。〈祭具〉の件もある。彼方には随分と恩義が出来てしまった。どうやら、鍛冶の種族は地界と手を結ぶしかないらしい」
その時、〈灯知〉による索敵を完了させたマティアヌスがシャンセに耳打ちをした。
「駄目だ。設置した種は全て撤去されている。万一の場合の為に用意した仕掛けも全滅だ。火軍らしき部隊も未だ近くには来ていない。後、里の外――逃走経路の方角に《地》の種族の一団が控えている。内一体は神気持ち。それとは別に、里の外壁沿いにも《地》の種族が数名隠れている様だ」
報告を聞いて、シャンセは状況を分析する。
(砂神は鍛冶の種族との共闘を諦めたか。我々が争っている間に〈祭具〉を回収するつもりなのだな。更には私達が鍛冶の種族と戦って消耗した所を口封じの為に襲撃しようと……)
ふと、遥か昔に生き別れた異母弟の一人を思い出して不快になった。砂神の陰湿な手口は彼と共通する。共に風精の血を引く者だ。《風》の印象には程遠い様に思えるが、やはりそういった側面も持ち合わせている《元素》なのであろうか。
何処からか獣の嘶きが聞こえる。ややあって、鎧のものらしき金属音と共に若い戦士が現れた。彼はナルテロの前で立礼し、声高に告げた。
「非戦闘員の一時避難場所への退避が完了致しました」
火人達の緊張が僅かに緩んだ。彼等の計画は順調である様だ。
「ご苦労だった。以降は周辺を経過しつつ、第二拠点へ移動するように。……さて、シャンセ殿。即刻この場で貴殿の首を切り飛ばしてやりたい所だが、火軍は恐らく近くまで迫っているだろう。相手をしている余裕はない。貴殿等はここに置いて行く」
「お逃げになるので?」
「今はそれが最善、と神は言われた。ならば、我々は神意に従うまでだ。時にシャンセ殿、〈祭具〉によって制御権を奪ったこの〈術〉の種――」
ナルテロは握っていた手を開き、シャンセ達の方へと向ける。掌には灰褐色の小さな粒が載っていた。シャンセとマティアヌスは思わず後退りをする。ナルテロはそれを満足気に眺めた後に、種を摘まみ上げて彼等に見せ付ける様に掲げた。
「本来の術者である貴殿にも効くのかな? ヴリエがシャンセ殿の思惑通りに貴殿の味方であれば良いがなあ!」
「愚かなことを!」
〈睡燐〉の種を破壊しようと、シャンセが杖形の〈祭具〉を構えた所で――。
――びゅおっ!
轟音と共に突風が吹く。地面を覆っていた黒い土が舞い上がり、火人達に襲い掛かった。
「うおっ、何だ?」
「風が……!」
「ぐあっ!」
屈強な戦士達は目や身体を庇いながら、苦悶の声を上げる。ナルテロも同様で、彼は何時の間にか〈睡燐〉の種を手放していた。
その隙をシャンセは見逃さなかった。彼は一瞬でナルテロの側まで距離を詰め、相手の喉元に〈祭具〉を突き付ける。傍らにいた側近は強風に気を取られながらも主の危機に気付き、「長!」と声を上げた。だが、ナルテロを守る為に動ける者は誰もいなかった。
「貴様!」
声だけは強気でありながらも、ナルテロは冷や汗を流す。喉元に突き付けられた〈祭具〉の頭には淡い光を放つ琥珀色の石が嵌っており、雲母のような光の粉が周囲を舞っている。それらの光には〈術〉に暗いナルテロでもはっきりと体感出来る程の強い力が宿っていた。人族や精霊と関りの深い「精気」とは別種の力である。
「諦めろ。お前達はもう終わりだ。《理》の神の子等が、ヴリエ女王に向こう数百年の安寧を約束している。《理》を知らず、それを曲げる程の力も持たないお前達に、この未来を回避することは不可能だ。少なくともお前達の寿命が尽きるまでは政権交代は起こり得ない。無駄なんだよ、全ては!」
シャンセは荒々しく言い放つ。如何に彼等の境遇が哀れであろうとも、同情心は微塵もない。ナルテロ達が少しでも身の程を弁えて謙虚さや慎重さを見せていれば、或いは無関係なシャンセ達を撒き込んだことに対して悔いる姿勢を見せていれば、話は違ったかもしれない。だが、彼等は只管傲慢であり続けた。その目は強過ぎる矜持と野心で曇っていた。そんな彼等であるからこそ、例え《理》が変わったとしても勝ち目は薄いだろうし、自身を犠牲にしてまで協力してやる程の情も湧いて来なかったのだ。
風の勢いは徐々に弱まり、地面に膝を突いた人々も動ける様になっていた。彼等は顔を上げ、口々にシャンセを非難した。
「馬鹿なことを言うな!」
「裏切者の妄言なぞ、誰が信用するものか」
「この嘘吐きめ!」
「お前が――」
最後にナルテロが口を開いた。
「お前が、災厄の神など連れて来るからだ! 許さぬ。断じて許さぬぞ!」
「世迷言を」
シャンセの表情は侮蔑一色である。対等な立場の相手へ向けるものではない。完全に格下に対するそれだ。
ナルテロは激高する。
「《理》がどうあれ、我等を勝利へと導く灯火は消えぬ! 消えるのはお前だ、糞爺め! 燃え滓が何時までも見苦しくこの世に留まりやがって」
腰に提げた剣の柄を掴み、引き抜かんと力を込める。
「死ね!」
ナルテロが振り抜いた剣を掲げ、シャンセが杖型〈祭具〉へ指示を送ろうとした、その時であった。
「そこまでよ」
凛とした女性の声が上空から響くと同時に、火界の空が紅く輝いた。地に立つ者は皆一様に空を見上げる。そこには翼の生えた馬が牽く白銀色の戦車があり、燃え盛る炎のような髪を持った美女が乗っていた。
女は続けて言う。
「見苦しいのは、貴方。主神である私にまで迷惑を掛けて」
「何者だ!」
何も知らない若い戦士達は揃って武器を構えるが、火人達の中で唯一ナルテロだけは目と口を大きく開いたまま、よろよろと彼女の足下まで無防備に近寄って行った。
「貴女はまさか――」
戦意を完全に失った男は、両手を空へ向ける。眼前の女を抱き留めんとする如くに。
「貴女様は……!」
歓喜の叫びが鍛冶の種族の里に響いた。
◇◇◇
話は前日に遡る。火神ペレナイカが天界から出立するのを見送った後、日神カンディアは直様天帝ポルトリテシモの許へと走った。天帝は執務室にて天人族の文官数名に指示を出しつつ書類仕事に勤しんでいた。
「申し訳ございません。少々お時間宜しいでしょうか」
「カンディアか。先程、火界に大事があったと報告があったが、その件か?」
「お話の前に人払いをしても?」
「構わぬよ。お前達」
天帝が軽く片手を上げると、室内にいた官吏達は次々に退室の挨拶をして去って行く。全員がいなくなったのを見計らって、天帝は口を開いた。
「天人族を下がらせたということは、用向きは彼等に関することなのだな」
「それもあります」
日神は持参した書簡二通を机の上に置いた。共に火神が泊まっていた部屋の屑箱に捨てられていた物である。
「此方の書簡は、夫々火精の王ワルシカと氷侍ブリガンティ・カンディアーナから火神ペレナイカに宛てて送られた物です。内容は異なりますが、何れも看過出来ない話でしたので持って参りました」
天帝は頷き、書簡に目を通す。見終わった後、彼は再度それらの内容を確認しながら淡々と日神に尋ねた。
「ペレナイカは?」
「ブリガンティからの文を読んで、火界へ飛んで帰りました。天界に出向していた風精の兵を複数名付けてあります。ワルシカからの文については、恐らくは目を通していないと思われます」
「この二通の書簡は、何時頃送られてきた物か分かるか?」
「現在調べさせております。一先ず、ご報告をと」
「そうか。調査が終わり次第、知らせてくれ。それにしても、何処から手を付けたら良いものか」
書簡を置き腕を組んだ天帝は、深々と溜息を吐いた。日神は赤い獣皮紙に視線を送り、こう返す。
「一番対応が容易なのは、火人族の件でしょうか」
「オルデリヒドが大人しくしていてくれるならその通りなのだが、先日会った時は明らかに様子がおかしかったからな。今回は駄目かもしれん」
天帝の脳裏に、最後に見た地神の背中が浮かぶ。渾神を追う為に一度離れた後、戻って来た時には地神は居城の守りを固めていて再入城は叶わず、結局あれ以降彼とは会っていない。顔が見えなかったから別れ際の彼が具体的に何を考えていたのかは分からないが、丸まった背中と弱った神気を見るに取り返しの付かない状況になったことは感じ取れた。ぶつかり合いながらも決して失われることのなかった弟との離別の日が遂に遣って来たのだと知り、天帝の身体に寒気が走る。
そんな彼の心中を察して、日神は事務的な態度を装いつつも彼を落ち着かせる言葉を吐く。
「リシャをお遣わしになったとお聞きしましたが」
しかし、天帝は低く唸った後に否定的な見解を示す。彼の表情は暗いままだった。
「あれはオルデリヒドに対して甘い。丸め込まれていないと良いがな。兎にも角にも彼方に動きがないとなれば、次はブリガンティ――否、白天人族か。この件を未報告というのは問題だ。先の侍神選定の折に黒天人族が〈星読〉の内容を私に報告しなかったことを大袈裟に糾弾していたのに、自分達はこの有様とは。一体どういう了見なのやら」
「申し訳御座いません。私の監督不行き届きです」
まず最初に眷族の失態について謝罪するべきであった、と漸く気付いた日神は内心狼狽する。それが透けて見えて、天帝の口から思わず笑声が漏れた。彼女を責めるつもりで言ったのではなかったが、言葉選びが不味かったのだろうか、と。
「否、天人族は私の眷族でもあるのだから、お前だけの責任ではない。私にも問題はあった」
「その様なことは……」
俯く日神の思考を遮るように、天帝は話題を切り替える。
「そして、今回も渾神への対応は後回しになる訳だ。毎度のことながら器用に動くものだ。忌々しい」
天帝は獣皮紙の上に拳を置いた。この手の下にあるのが渾神の顔であったら、どんなにか良かったであろう。神族一の問題児は、此度は何を成そうというのか。
「地神と渾神は何方を優先に?」
日神がそう尋ねると、天帝は少しばかり考える時間を取った後に答えた。
「恐らくは地神が先に動くであろうよ。渾神は最後だ」
「畏まりました。火人族の方はペレナイカが対処すると申しておりましたが、白天人族については私が行わせて頂いても?」
「ああ、そうしてくれ」
「それでは御前を失礼致します。官吏達を呼んで参りますね」
天帝が頷きで返すのを確認して、日神は執務室から去っていった。彼女と外で待機していた者達の話し声を聞きながら、天帝は再度溜息を吐いて椅子の背凭れに体重を預ける。
「本当に、何をしているんだ……」
掠れた声がやや肌寒く感じる室内に響いた。
◇◇◇
現在の話に戻る。
火神ペレナイカは鍛冶の種族の戦士達を侮蔑の眼差しで見下ろす。背後に他神の眷族を従えている為か、彼女はあからさまに憤怒を見せることはなかったが、隠し切れない心中が身から溢れ出る神気に表れていた。《火》の《顕現》神らしく彼女の神気は熱を帯び燃え盛る。ナルテロはその様をうっとりと眺めた。
「本当に碌でもないわね、貴方達火人族は。主神である私に迷惑ばかり掛けて。何故、私がここに来たか分かる? 私が何処から鍛冶の種族の反乱について情報を得たのか」
途端ナルテロは正気に戻らされる。火神が鍛冶の種族を咎めに来たのだと気付いた彼は、慌てて否定する。
「反乱ではありませぬ! 我々は――」
「天界からよ。白天人族が内々に連絡してきたの。その書面は日神も確認したから、当然今回の件は天帝の耳にも入るでしょう。私は罰を受けるかもしれない。やってくれたわね」
怒り狂う神は弁明を許さない。彼等の処断は既に彼女の中では確定しているらしかった。
側で聞いていた戦士達も、この辺りで漸く眼前の存在が己が主神であると気付く。動揺はざわめきとなって広がった。士気の下がった戦士達と未だに此方へ武器を向けているシャンセを交互に見た後、ナルテロは再び顔を上げて弁明する。
「その様な事態にはなりませぬ! 我々は資格なく王座を奪った不埒者共を討たんとしているだけなのです。天帝様もきっと正しき我等にお味方下さる筈です!」
「私の下した裁定に不満があると?」
「はい?」
ナルテロは一瞬何を言われたのか理解出来ず口を開け放つ。そんな彼の反応に対して火神はまず苛立ちを覚えたが、不幸な生い立ちから物知らずにならざるを得なかった男であるから、少しだけ慈悲を与えてやる気にもなって丁寧に説明をする。
「私、火神ペレナイカが焼物の種族の長であるヴリエに対し火人族を統べることを許し、天帝ポルトリテシモがそれを承認した。彼の者は正しく火人族の王であり、王と神意に抗うお前達は紛うことなき反逆者だ。世界にとっても、私にとっても」
「し、しかし、火神様は火人族を厭うておられると伺いました。現に火侍は長らく火人族以外の者が務めております。それは、今の火人族の体制に問題があると思われているからではないのですか?」
「そういう所が気に入らないと言っているのよ。自分を信じ切って非は自分以外にあるのだと思いたがるその性根が。貴方達は口先では反省や自己研鑽の言葉を吐いても、結局最後には他者が悪いという解に至って相手を攻撃する」
だが、そこで別の考えが浮かんで火神は眉を寄せる。彼等の性質は、実は火神の本質を写し取っただけなのではないか、という疑念だ。
(《火》を含有する火人族は鏡に写った私の影――つまりは私自身の姿なのかもしれない。そう考えれば、清らかで美しいスティンリアが私を避け続けるのも理解出来る)
火神は手綱を握り締める。眼下にある自分の醜態を即刻焼き滅ぼしてしまいたいと考える。だが、ナルテロには彼女の思いは伝わっていない様子だった。
「違います! ヴリエには明確に非がある。我々はそれを正そうとしているのです」
「そういう上辺の話をしているのではない」
噛み合わない相手を火神は突き放した。
「私はヴリエ個人に不満があるから火人族を嫌っているのではないの。何千年と変わらない火人の根底に潜む卑しさが許容出来ないのよ。私がハイデロスの子供達を中央から排除した焼物の種族を認めたのも、その空気を変えたかったから。結局、変化は微々たるものだったのだけれどね」
「変化などと……まるで渾神の様ではありませんか。永劫続く平らかな国こそが至上とは思われないのですか?」
「貴方がそれを言うの? まあ、事ここに至っては何を言おうとって感じだけれども。ともあれ、《火》とは他者の性質に変化を齎すもの。故にこれもまた変化を示す《元素》である。末席とは言え《火》の種族でありながら、そんなことすら忘れてしまったの? しかも、鉱石に熱を加えて道具へと変える『鍛冶』に特化した存在が」
ナルテロは絶句する。真実の拒絶でも自身の無知への羞恥でもなく、ただ頭が真っ白になった。火神は苦笑した。まるで地上人の様ではないかと思った。火人族の創造主である彼女は何もしていないのに、彼等の中から地上人族が勝手に生まれて来てしまった。それが無性に可笑しくて腹が痛くなった。
火神は彼等を諭す。
「大きな火に小さな火を投じても、ただ内に取り込まれるだけ。火は火以外のものにはなり得ない。政治や人事についても同じよ。私は私が愛する者に傍らに立ってほしいと願っているけど、自分とは全く違う性質を持った者に惹かれ易いの。当然よね。だってそれが《火》から生じた神の義務であり本能なのだから」
「そんな……」
ナルテロは首を横に振りながら後退り、やがて膝を突いて俯いた。どうあっても火神は火人族を――否、彼等を受け入れないと理解したのだ。ならば、今迄の彼等の苦労や犠牲は一体何だったのだろうか。彼と同胞を守り続けた戦士達もまた悲嘆や絶望の言葉を吐いた。このまま捨て置けば、彼等は何れ火神を恨んだであろう。しかし、彼女は猶予を与えなかった。
「無駄話はそろそろ終わりにしましょう。私は火界が内患を自分達だけで解決出来るのだと示さなくてはならない。これ以上天界に火界への介入を許さない為にね」
火神の神気が強まり、金色の炎へと変ずる。処刑の時だ。ナルテロは慌てて命乞いを始めた。
「お待ち下さい。私達は貴女様の為に――」
「また、他者に責任を押し付けるつもり? 全部自分の行動の結果でしょうに。少なくとも私の為には全くならない。本当に迷惑だわ」
「違います! 違うのです!」
傲慢で身勝手な女神は宣告する。
「《顕現》神とは《元素》の形象であり、《元素》とは即ち世界の根源。人如きが世界に抗うな」
淡々と発せられた言葉が終わりを迎えると同時に、里に残っていた鍛冶の種族は全て炎に包まれる。
「ああ、あああああっ!」
「嫌だ! 儂はまだ――」
断末魔の叫びは短く、ナルテロ達は瞬く間に骨も残さず燃え尽きた。
その様子を〈千里眼〉を用いて遠方から覗き見ていた砂神ブレスリトは恐れをなした。
「やべ。ずらかるぞ」
砂神は腰を浮かせつつ部下達に指示を出す。一方、砂神達の存在と逃げる気配を察知した火神は、指で空中に線を描く。間を置かずして色を持たない線から赤い炎が噴き出し、槍に似た形状へと変化する。火神は一瞥もせずにその槍を掴み取り、砂神の進行方向へと投げた。炎の槍は程なくして砂神の許に到達したが、彼には当たらず地面に突き刺さる。砂神は思わず「ひえっ」と悲鳴を上げて後方へ飛び退いた。彼が着地すると同時に、槍は一際大きな炎を噴き出す。緋色の炎が瞬く間に地面を伝い、周囲を覆った。これにより、砂神達は逃げ道を塞がれた状態となった。
炎の槍を見詰めたまま砂神が尻餅を搗くと、上空から火神の声が降り注いだ。
「どういうことか、説明してもらいましょうか」
「あわわわわ……」
火神は未だ鍛冶の種族の里の上空にいたが、火界は彼女が最も神力を発揮できる場所である。遠方へ声を届けるといった芸当も火界に於いては可能なのだろう。砂神は改めて彼女が天帝に並ぶ高位神の一柱であることと、そんな彼女の不興を買う様な真似をしてしまったことを認識した。
火神は砂神が抵抗を諦めたのを確認して、今度はシャンセの方を見た。
「貴方もよ、シャンセ・ローウェン・ヌッツィーリナ」
「覚えて頂けていたとは」
シャンセは〈祭具〉を仕舞い、両手を上げる。マティアヌスも彼に倣い、武器を地面に置く。振る舞いは冷静であったが、シャンセは冷や汗を掻いていた。万全に準備を整えていたとしても、火神は彼等だけでは打ち倒すのが難しい相手だ。加えて、気紛れで激情家である。彼は死を覚悟した。
「何しに火界へ戻って来たのよ。前にも一度うちへ来て、騒ぎを起こして逃げたって報告が上がってるけど?」
「自分の意思で戻って来た訳ではありませんよ。この集落に〈関門〉に類似した機能を持つ〈祭具〉があります。それに引っ張り込まれたのです。鍛冶の種族は他にも怪しい兵器を色々と所有していました。出所は――」
シャンセは砂神がいるであろう方向へと視線を向けた。それを見て、火神はシャンセの言わんとすることを察する。即ち、今回の件に地神が関与していたという事実を。
「どうやら不在の期間が長過ぎた様ね。にしたって、あの野郎……」
火神は忌々し気に舌打ちしたが、少しして溜息を吐き、平常心を取り戻した。女神は穏やかな声でシャンセに告げる。
「取り敢えずだけど、貴方達を拘束させてもらいます。抵抗しなければ、悪い様にはしないわ。一応、他の神の眷族だからね」
「承知致しました。私も火神様や火人族にお尋ねしたいことが御座いますので」
火神は「そう」と返した後に、砂神がいる場所とは真逆の方向を見る。シャンセも彼女の視線を追って同じ方を向いた。空気の流れが変わる。遠くから蹄や翼の音が聞えて来る。火軍が到着したのだ。予定の時間よりは大分早いので、火神の神気を感じ取り、慌てて進軍を開始したのだろう。
「やっと来たのね。我が眷族ながら、不甲斐ないったらないわ」
火神はそう悪態を吐いて、天翔ける戦車を降下させた。




