12. 奸譎
マティアヌスとの作戦会議を済ませた後、シャンセは天幕の見張りにナルテロとの面会を要請した。実現には数日掛かると予想し、その間に必要な準備を済ませるつもりであったが、意外にもナルテロは明くる朝に遣って来る。闇市の一件の翌日でもある。未だ考えが纏まらず、シャンセと話がしたかったのかもしれない。
「ご足労頂き有難う御座います」
天幕の入口を潜るナルテロをシャンセは僅かばかり驚いた表情と声音で迎え入れた。
「いいえ、構いませんよ。急ぎの用件と聞きましたが、何かありましたか?」
「まずは此方を」
相手が完全に腰を下ろすのを待たずに、シャンセは一枚の紙切れを敷物の上に置く。シャンセの前に座ったナルテロは、怪訝な顔をしてその紙を拾い上げ、覗き込んだ。見終わった後に、彼は一層眉を寄せて首を傾げた。
「数字が書かれておりますな。これは何ですか?」
「昨日闇市から帰る途中、私が見知らぬ男とぶつかったのを覚えておられますか? あの瞬間に相手に握らされた物です。暫くは塵を渡されたのかと思っていたのですが……。その数字の並び、日付に見えませんか?」
「確かに! 言われてみればその様に見えますな」
シャンセの言葉を聞いて目を見開いたナルテロは、再度紙に書かれた数字を凝視した。
「日付に心当たりは?」
「ありませぬ。しかし、書かれている日にちまで余り時間がない様だ。襲撃日でしょうか?」
「分かりません。そう思わせたいのかもしれません。本当に無関係な人間から、唯の塵を掴まされただけの可能性もありますしね。ただ、相手が焼物の種族の差し向けた密偵であったなら、鍛冶の種族が天界の敵である私と関わっている現場を見られたことになります」
ナルテロは紙を敷物の上に戻し、腕を組んで唸った。怒りを堪えているのか焦りを隠しているのかは分からないが、ともあれ現状として彼等に応戦が難しいことはナルテロの顔色から見ても明らかであった。
「私は天界から追われていて、焼物の種族は天界による支配体制を支持している。彼等が敵たる私に接触を図ったのは、協力を装って罠に嵌めるつもりなのかもしれませんが、当座の目標が貴方がたの方である可能性も皆無ではありません。潜伏場所の用意はありますか?」
「緊急用の拠点は幾つか設けておりますが、罠ならば既に把握されている可能性もありますな。急ぎ調べさせます」
「宜しくお願いします」
シャンセの言葉に対してナルテロは首肯で返し、腰を浮かせる。焦燥の余り挨拶も忘れて立ち去ろうとする彼をシャンセは片手を軽く上げて止めた。
「ナルテロ殿、こういう状況ですので私も微力ながら協力させて頂きます。つきましては、其方の戦力……と言うより、例の〈関門〉以外の〈祭具〉も確認させて頂きたいのですが」
「シャンセ殿、それは――」
ナルテロは表情を険しくして拒絶の言葉を吐こうとする。だが、シャンセは最後まで言わせなかった。
「躊躇していられる状況ではない筈ですよ。ヴリエ殿がどれだけの戦力を此方に送ってくるかは分かりませんが、正規軍相手に片手間で済ませられる訳がありません。出し惜しみは止めた方が良い」
「しかし……」
「地界絡みでも私は其方に貢献がある筈です。最終的な協力関係の有無は別にして、多少の信用はそろそろあっても良いと思うのですが?」
返答はない。肯定も否定もない。必死に頭を働かせているのは表情で分かったが、都合の悪い方に動いてもらっては困る。だから、シャンセは返事を待つことなく次の言葉を発した。
「それとも、私の首をヴリエ殿へ差し出して命乞いでもしてみますか? 『自分はこの男に騙されたのだ』と言って」
息を大きく吸う音が響いた。再び沈黙が落ちるも時間は短く、ナルテロは首を横に振って漸く口を開いた。
「否、それだけはない。確かに我々は共通の敵を相手にしている様だ。分かりました。貴方に此方の手の内を見せましょう。その代わり――」
「ええ、当面は私も焼物の種族への対応に尽力致しましょう。後々の方針については、眼前の危機を乗り越えてから」
「有難う御座います。早速武器庫へ案内させましょう。その後は修練所に」
ナルテロはシャンセに少しの間待機するように告げ、足早に天幕から出る。やがて、外から彼が配下に指示を出す声が聞えてきた。
◇◇◇
同じ頃、火人族の王城では女王ヴリエ・ペレナディアが軍務担当の高官から報告を受けていた。
「相分かった。派兵を許可する。軍が到着するまで彼方との接触は控えて監視を続行。到着後の敵への対応は司令官に一任するが、客人はなるべく無傷で保護するように。それから、決行前に動きがあれば、まずは妾へ報告して指示を待て」
「承知いたしました」
そうして必要な命令を受けた高官は辞去し、部屋にはヴリエのみが残された。軍事機密に関する話であった為、侍女達は既に下がらせている。静まり返った部屋の中でヴリエは小さな溜息を吐いて呟いた。
「渾神様にもご報告申し上げねばな」
「何? シャンセに関すること?」
自分以外には誰も居ない筈の部屋に他者の声が響いたのを聞いて、ヴリエは思わず息を呑んだ。激しい動悸に襲われる胸を押さえながら、彼女は声が発せられた方へと振り向く。視線の先は窓際で、渾神ヴァルガヴェリーテが凭れ掛かっていた。
「聞いておられましたか」
「最後の方だけね。兵を送るってことは、余り楽観視出来る状況ではなさそうね」
「どうやらシャンセ殿は、お連れの方と共に現地の反抗勢力に拘束されておられる様です」
ヴリエは机の上に置かれた報告書を見る。渾神も彼女に倣って同じ物へと視線を送った。
「前に言っていたニンデの末裔達ね。把握しているわ。私も何度か現地へ行って、シャンセが滞在していることは確認していたから」
「然様で御座いましたか」
渾神の口から直接その話を聞いたのは初めてであったが、想定の範囲内だったのでヴリエは余り驚かなかった。一方、渾神は失望する程にはヴリエが無能ではなかったことを知り安堵する。同時に、彼女の胸の内に少しだけ悪戯心が芽生えた。
「私の手は必要? 神である私が介入すれば、一瞬で片が付くと思うのだけれど」
するとヴリエは目と口を丸く開け、一拍置いてから必死の形相となって渾神を止めた。
「いいえ、いいえ! 此方で対処致しますから、渾神様は城でお休み下さいませ!」
「もー。別に私、火界の情勢を引っ掻き回そうとしてる訳じゃないのよ。それにしても『反抗勢力』ねえ。まあ、長くやってるとそういったことも起こるか」
「身内の揉め事でご迷惑をお掛けして……」
相手の態度で揶揄われたことに気付いて脱力するも、後に続いた言葉の内容で自責の念に駆られてヴリエは肩を落とす。年齢と立場に相応しくない感情の発露であった。きっと彼女は疲れているのであろう。渾神は苦笑しながらヴリエに近付き、その肩を軽く叩いた。
「私は別に気にしてないわよ。そういうの嫌いじゃないから。頑張ってね」
「は、必ずやシャンセ殿を保護し――」
「シャンセのこともだけど、貴女自身もね。何であれ世界は生き残るべき者が生き残って成立するものなのよ。だから、生き残るべき者になる努力を。貴女がこの言葉の意味を正しく理解出来るのかは分からないけど」
「渾神様……」
穏やかではない内政についての話か、それとも火神との軋轢についてか。もしかしたら、無能の罪に関することを言っているのかもしれない。思う当たる節は余りに多かった。しかしながら、取り敢えず渾神がヴリエに励ましの言葉を掛けたことだけは分かった。彼女は一瞬呆気に取られたが、やがて静々と立礼した。
(この神はこうして人心を惑わすのか。しかし――)
僅かばかり心が癒されたのは事実だが、誘惑の言葉を吐いた眼前の女神は、邪神と呼ばれ恐れられる巨悪である。気を許すべきではない。その様にして破滅した者は数限りないのだから。
「御神意の通りに。必ずや勝利してみせます」
ヴリエの心境を知ってか知らずか、渾神は何時もの作り笑顔よりもやや感情を強く出した表情をして頷き、「うん、宜しい」と返した。
◇◇◇
火界の空が最も赤く染まる夕暮れ時、砂神ブレスリトは配下の者を伴って鍛冶の種族の里から少し離れた場所まで遣って来た。起伏が激しい地形である上に其処彼処に大きな岩が転がっている所為で、里を肉眼で確認することは出来なかったので、彼は〈千里眼〉を使って内部の様子を窺う。
「ほうほう、成程そういう策か。陰気な性格と斜に構えた態度の所為で他者と対立しやすいシャンセ君が、よくもまあ、あそこまで鍛冶の種族を信用させることが出来たものだ。偉い偉い」
だが言葉とは裏腹に、砂神の表情は真剣なものへと変化する。
(或いは、信じるに足らない者でも受け入れざるを得ない程、鍛冶の種族が追い詰められているということなのか。何れにせよ、反乱の準備が整わない段階で中央が動いてしまったのだから、奴等に生き残る目はないだろうな)
今後の方針は決まった。砂神は傍らにいた部下達に胸の内を語る。
「鍛冶の種族から〈祭具〉を回収する。このままでは火界の中枢に此方の計画が漏れる恐れがある。まあ、何れは必ず知られることになるだろうが、流石に時期が早過ぎるからな。安全策を取ろう」
「潜入、ですか?」
部下がそう返すと、砂神は眉を寄せて腕を組み、続いて首を傾げた。
「んっ、んー……。それも良くない気がするなあ。運が悪ければ焼物の種族と鉢合わせするか、うっかり痕跡を残してしまいそうだ。さて、どうしたものか」
砂神は暫く悩んだが、やがて考えを纏めて姿勢を戻した。
「頑張った坊やには悪いが、ちょおっと邪魔をさせてもらおう。ああ、君達は不可視化の〈祭具〉を準備しておくように。作戦実行は恐らく数日内。急ぎで頼むよ」
砂神は手を振って踵を返す。その背中に向かって、部下達は一斉に跪き承知の意を伝えた。




