08. 死の火山
火界産の赤黒い煉瓦で造られた建物の中で黙々と書類仕事を熟していたナルテロの許に、同胞の中では比較的上等な鎧を纏った年嵩の戦士が訪れた。若い戦士達を取り纏める隊長格の一人である。彼は暗い表情をして机の前で膝を突くと、顔を伏せたまま報告をしてきた。
「長、バウパの件ですが」
「どうした。持ち直したのか?」
「はい。容態は安定して生命の危機は去ったそうです。ただ、医師の話では負傷の度合いが酷く、里の医療環境では完全な回復は見込めないとのことでした。恐らくは生涯半身不随となるであろうと」
「そうか。ならば最早戦えまい。何時もの通りに」
「畏まりました」
隊長は相変わらずの表情であったものの、冷淡な対応をするナルテロに対して否定的な態度は一切見せないまま執務室を去って行った。
彼が去り部屋が静かになると、ナルテロは筆記具を置き溜息を吐いた。そして――。
(不心得者めが)
胸の内でバウパという若い戦士を責めたのであった。
◇◇◇
アミュが連れてこられたのは、火人族の都が辛うじて目視できる程度の距離にある山岳地帯の上空であった。寄り集まった山々の内の一つは非常に大きく山頂が丸く窪んでいる。窪みからは絶え間なく煙が立ち上っており、アミュ達の居る場所からは内部の状態は窺えなかった。魔神は物知らずなアミュに「あれは火山だ」と説明した。山の地下に赤く燃え盛る柔らかな土があって時折山頂から噴き出すのだ、と。
「今私達の足下に見えているのが、火界で三番目の規模を誇る火山――リョリョオ山だ。君が滞在している火人族の王城があそこ、火神宮殿はちょっと離れてあの辺だね」
魔神は楽し気な様子で遠くの方を指差す。逆に、不審な神によって知らない場所へ移動させられ、且つその神の〈神術〉で人生において一度も体験したことがない程の高所で浮遊させられているアミュは、がたがたと身を震わせていた。
「ど、どうして、こんな所、に」
なけなしの勇気を振り絞って、彼女は声を絞り出す。その臆病さに魔神は思わず苦笑するが、何れ慣れるだろうと考えて構わず話を続けた。
「山の中腹にある建物が見えるかい?」
「見えますけど……」
魔神が指差した場所は火山の麓だ。赤黒い大地の上に灰褐色の建物が四つ置かれ、地面と同じ色の高い壁が周りを囲っていた。
「あれはね、牢獄なんだよ。これから処刑される重罪人の終の棲家なんだ」
「え?」
図らずもアミュの身体の震えが止まった。目は大きく開かれ、魔神の顔を凝視している。すると、魔神はしてやったりという表情になった。
「あの建物に一定数の火人が集まるとね、全員が山の頂上まで牽いて行かれて火口へ放り込まれるんだ。嘗て火侍でもあった火人族の王女は、地神との間の子として炎を内包する岩を産み落とした。意志を持たずに生まれてきたその岩は、火界の大地に投げ捨てられて火山へと変じ、やがては火山を媒体に精霊の魂が《顕現》してこの地に宿った。それがリョリョオだ。火の川の熱に耐え得る火人族の強靭な肉体も、神の類縁たる火精リョリョオの血潮には勝てない。骨すら残らない。処分場には持ってこいなんだよ。当のリョリョオとっては迷惑な話なのだろうけどね。大切なお祖母様からの頼み事だから、無下に断ることも出来ないらしい」
「処分って……」
「問題はその罪状だ。彼等は皆同じ罪を犯してあそこに放り込まれるんだよ。何だと思う?」
「分かりません。貴方が楽しそうだということしか」
アミュは眉を寄せて視線を逸らす。火界で再会した時から、屡々彼女は魔神に対して棘のある言動を向けてくる。魔神は僅かではあるが困惑した。遣り辛いとも思った。
(出会ったばかりの頃は素直で猜疑心の少ない人物だと思ったのだけど、これが彼女の素の状態なのかな)
しかし、困りつつも魔神は笑顔を崩さない。
「傷付くなあ。機嫌直してよ。後でちゃんと解放してあげるからさ。……まあ、良い。時間も押してるから、答えを言おう。彼等が犯したのは『無能の罪』だ」
「……嫌な名前の罪ですね」
「地上人族出身の君は、他種族から同様の指摘をちらほらと受けたのではないかな? 『地上人は無能』だとか、『無知』、『無力』だとか。火人達にとっては、それは何よりの重罪なのだよ」
「……」
益々不快そうな顔をしてアミュは押し黙る。気持ちは分からないでもない、と魔神も思った。だが、事実は事実として受け入れてもらわねばならない。全てを知った後でアミュがどの様な行動に出るかは別としてもだ。
「初めに『無能なる者』の概念と処刑制度を作ったのは、天帝ポルトリテシモの前の神族の王――光神プロトリシカだった。《光》の《顕現》神に相応しく奴は基本的には美しいもの、輝けるもの以外を認めなかった。理神や闇神の諫言には一応耳を貸す振りはしてみせるものの、根本的には理解すら出来ていなかったんだ。生まれたばかりの《顕現》世界が不安定で、災厄が多くあったことも奴に味方した。それを口実にあの男は、大半の者から見れば罪のない哀れな者達を『足手纏いだ』と言って世界から消していったんだ」
視線を火口へと向けた魔神の顔からは、何時の間にか表情が消えていた。負の感情すらも浮かんでいなかった。しかし、アミュには何となく彼が機嫌を損ねているように感じられた。
少しだけ思い出に耽る時間を置いた後、彼は再び口を開いた。
「だが、神戦で負った傷が基で光神自身が『無能なる者』に零落れて姿を消してからは、殆どの《顕現》世界でその制度は廃止された。『世界に貢献できない無能なる者は確かに消えるべきだが、全ての存在は多かれ少なかれ例外なく世界に影響を及ぼしている。故に、実質完全な無能者など存在しない』と言うのが天帝達の方便だった。まあ、それについては私も完全に同意なのだけれど、どうやら火界の住人は違ったらしい。天人族のことはやれ選民思想だ傲慢だと散々に罵る癖に、彼等自身の内幕はこの有様だよ。実にみっともないことだとは思わないかい?」
因みに、リョリョオが生まれたのは神戦終結よりずっと後のことなので、それまでは別の処刑方法を用いていたらしい。しかし、アミュからすればその様な補足の話はどうでも良かった。
「火神様……あの怖い神様がこれを命じているのですか?」
「いいや。でも、原因の一端は彼女にもある。火神は火人族を嫌っている。すると、火神に生み出され彼女への奉仕を至上とする火人族は存在意義を失ってしまう。だから彼等は火神からの信頼を取り戻すことに必死になり、ある時は彼女の信頼を得た他者を排除し、またある時は自身を磨き上げる為に骨身を削る。そして、その『自身を磨き上げる為』の手段の一つが『無能の罪』という思想なんだ」
「それが魔神様の仰っていた『神族への依存から抜け出せない者の末路』と」
魔神は短く声を上げて笑う。
「おや、覚えていてくれたんだね。まあ、この件も一例だよ。問題は他にもある。自らを補助する道具として創り出した種であるが故に、火神は火人族のことを道具程度の存在と見做している。否、思い通りに動いていないから道具以下か。だから、天帝という枷がなくなれば彼女は確実に火人族を滅ぼすだろう。そして、いざその時が来たら火人達は恐らく死を拒まない。困ったことにね。彼等は抵抗する意思も能力も持たないから」
「そんな……」
「他人事じゃないからね。流石に君は納得して破滅を受け入れるような人ではないと思うけど、状況的には渾侍である君と渾神の関係も似た様なものなのだよ。地上人族も然り。地神は君達のことを滅ぼさんとする程には嫌っていないみたいだけど、あの情緒不安定な性格だ。何時何が起こってもおかしくはない」
アミュの思考が一瞬止まる。聞き覚えのある話だった。何処で聞いたか記憶を探ると、つい最近地上界のカンブランタ王国跡で殺神リリャッタが発した言葉に思い至った。
――か弱い地上人達は何時の日か他種族の気紛れによって完全に滅ぼされるのではないかと思ったのよ。
まだ新しい記憶であるが故に、口調や表情まで有り有りと脳裏に浮かぶ。
(リリア様の判断は、取り越し苦労ではなく正しかったということなのか。だったら、私が死ぬべきいうあの方の言葉は――)
考えるだけで胸が苦しくなる。そんな筈はない、余りに理不尽ではないか、と心身共に強く拒絶する。
(私は何も悪いことなんてしていないのに!)
アミュは衣服の胸元を強く握り締めた。すると魔神は彼女の内心を見抜いて、にやりと笑みを浮かべた。そして、彼女に尋ねた。
「君はどうしたい?」
「え?」
「間もなく死に行く彼等のこと、侍神の力を得た自分のこと、神という危険な存在に由来する力に依存し続けること。君はどう考え、どの様に行動する?」
「それは……逆に魔神様はあの人達のことをどうされるおつもりなんですか? どうして私にこの話を?」
「ああ、そう来たか。どの様に返すべきか……」
罪人達への対応については、アミュの中ではほぼ結論は出ていた。また、火界に来た時から魔神はアミュにある変化を期待している様子であったが、彼女は既に彼の言動の理由と自身に望む反応に気付いていた。にも拘わらず彼女が敢えてこれを問うたのは、返答内容で彼が信じるに足る存在か量る為だ。計略を練る程の知能は彼女にはない為、直感的な行動であることは明らかだ。魔神は小動物の如き警戒心の強さに呆れつつも舌を巻いた。しかし、この程度なら御し切れるとも思った。腕の見せ所だ。
「まず、君にこの話をしたのは共闘を望んでいるからだ。渾神と手を切り、神族やその狂信者達と敵対し、私に力を貸してもらいたい。渾神と絶縁する為の手段は既に用意してある」
「渾神様との繋がりを無くしたら、私には何の力も残りませんよ。シャンセさんならまだしも……」
「そんなことはないよ。言っただろう、無能なる者はいないと。君は特別な存在なんだ」
「でも……」
「次にもう一つの質問についてだが、此方は『対応保留』という返答をさせてもらう。救済したい気持ちはあるが、実は以前それを実行しようとした私の部下が彼等の一人に傷を負わされてね。どうやら救出した火人は、敵を騙し打ちすることで自分は無能ではないと証明しようとしたらしい。しかも、死なば諸共で。彼等が可哀想なのは確かなのだけれど、私を愛してくれる幸福な者と私を愛してくれる者達を傷付ける不幸な者が居れば、私は前者を選ぶよ。後者を選択するのは、余りに前者に対して誠意が無さ過ぎる。だから、私は私に救いを求める者達を危険に晒してまで、彼等を救うようなことはしない」
魔神は豆粒の如き建物を見下ろす。禍々しい色の大地に置かれた灰褐色は、遠くからは白く浮いているようにも見え、何処かしら清らかで儚げな印象を受ける。けれども近くに寄ってみれば、あれらもまた火界の土埃に塗れて黒ずんでいるのだ。その容体は正に中で暮らす住人の有り様そのものであった。
「あと、今はその時期ではない。確実に大戦の火種になるからね。機が熟すまで《光》側に対して私達は積極的には動かないよ」
彼の言葉を最後まで聞いた後、アミュはまた押し黙ってしまった。考え事をしている様子である。魔神は彼女の考えが纏まるのを待った。
暫くしてアミュは再び口を開いた。
「あの、渾神様はこの事を知っていらっしゃるのでしょうか。シャンセさんも?」
「勿論、知っているだろうね」
「一体どのように思っていらっしゃるのでしょう?」
「さあ。ただ、渾神は光神在位時には彼の側近みたいなものだったし、シャンセは選別で生き残った側だから、君と同じ考え方はしないんじゃないかな」
「そう、なのでしょうか……」
個を重視しがちな地上人族の特性でもあるが、アミュは何処までも臆病で疑い深い娘であった。今度は今迄運命を共にしてきた仲間を疑っているのだ。魔神は僅かながら不快感を覚えたが、その感情を表には出さなかった。
「さて、そろそろ君の返事を聞きたいのだけれど――って、うわ!」
突如側方から黒い物体が飛んで来て、鈍い音を立てた後に魔神の身体を弾き飛ばす。魔神もアミュも驚いて物体の飛んできた方向を見た。すると、そこには大きな岩の塊を片手で掲げた渾神ヴァルガヴェリーテがいた。先程飛んできたのも、どうやら岩だったらしい。
「渾神様!」
アミュが目を輝かせたのとは対照的に、渾神は憤怒の形相であった。
「ほんっとしつこいわね、あんた。シャンセを狙ってたんじゃなかったの?」
「痛ったた……戻ってくるのが早過ぎるよ。別に今回は悪いことをしていた訳でもないのに」
「信じられるか! うら若い乙女を保護者の目を盗んで攫っておいて」
一旦弾き飛ばされた魔神は、ぶつけた箇所を擦りながら元の位置に戻って来る。文句を言いつつも彼の態度に深刻さは見られない。悪戯が発覚した時の悪餓鬼の様である。それが気に障ったのか、渾神は持っていた岩を再び魔神に投げ付けた。しかし、流石に今度は相手も難なく躱してみせた。
渾神は魔神を睨みながら舌打ちしたが、長く放っておいたアミュを案じて早々に母の顔へと戻った。浮遊の〈神術〉の為にアミュの肉体を包んでいた魔神の神力を引き剥がし、改めて自らが同系統の〈神術〉を施す。無力な我が子が自分の手に戻った所で、渾神は漸く彼女に尋ねた。
「アミュ、大丈夫だった?」
「あ、はい。問題ないです」
だが答えを聞いても安心出来ず、渾神はアミュの身体を自分の方へと引き寄せて全身を隈なく見回した。そうして本当に無事であることを確認し、安堵の溜息を吐いた。一方、二人の様子を観察していた魔神は声を張り上げた。
「ほら、冤罪じゃないか! それに乙女と言ったって、もう二十代だろう。充分大人だよ。自分のことは自分で判断できる年齢だ。過保護過ぎるんだよ、貴女は」
「お黙り!」
「……」
渾神は燃え滾る活火山の如く、アミュは凍て付く氷の如く魔神を睨んだ。渾神の行動は決して甘やかしではない。現にアミュは彼にここまで無理矢理連れて来られたのだから。高い理想を持つこの神が何故多くの者から忌み嫌われているのか、アミュにも少しだけ分かった気がした。手段を選ばないことと、それに対する良心の呵責がないからなのだろう。
魔神はアミュ達の心情などお構いなしといった風に肩を竦めた。
「まあ、取り敢えず一番重要だった用事は済んだ。私は撤退させてもらうよ。じゃあね、アミュ。この件についての感想は次回会った時にでも聞かせてくれ」
「二度と来るな!」
渾神の怒鳴り声が響くと共に魔神の姿は消失した。〈神術〉によって他の場所に瞬間移動したのだ。完全に諦めた様子はなかったので、肉眼で見えない程度の距離に貼り付いているに違いない。渾神は深々と溜息を吐いた。
「アミュ、本当に大丈夫? 怪我はないようだけど、あいつに何か言われなかった?」
アミュは少し答えに詰まったが、足元の建物群を見て言った。
「あれについて……」
渾神はアミュの視線の先を見て、細い眉を歪ませた。
「ああ……ああ、そういうことね。大体分かったけど、一応、何を言われたか聞かせてくれる? 嘘を教えている可能性もあるから」
「はい」
アミュは素直に魔神から聞いたことを全て話した。
◇◇◇
「うーん、まあ大筋は合ってるんだけども……。一応ペレナイカの名誉の為に補足させてもらうとね、彼女は止めたのよ、これ」
アミュの話を聞き終えた渾神は、腕を組んで少し悩んだ末にそう答えた。アミュは怪訝な表情を浮かべて渾神の顔を見上げる。
「そうなんですか?」
「うん。火人族のことは殺したい程嫌っている筈なのにね。流石に見るに堪えないって思ったのかしら。で、一旦は廃止になったの。でもその後、無能と評された火人達は殆どが自ら命を絶ってしまったのよね」
「えっ! どうして……」
「『無能の罪』の制度がなくなっても概念は消えず、迫害が止まらなかったからよ。精神的に耐え切れなくなったり、同調圧力があったり。《火》の種族の性質――いいえ、これは生来のものとは少し違うわね。恐らくは彼等が置かれている環境も関係しているのだと思うわ」
渾神は視線をリョリョオ山へと移す。燃え滾る火口は夥しい量の煙に隠れて見えない。不幸な環境故に他者を信じられなくなってしまった火精リョリョオの内心の様に。
「ペレナイカは戦にも通じるというだけで本当は戦神ではないのだけれど、正規の戦神が存在しない《光》側世界では、多才な彼女はその代替として扱われているの。だから、彼女の眷族にも強さが求められる。まあ、そうでなくとも火界の自然環境は本当に過酷で強くなければ生きられないからね。そういった背景から他の種族よりも『無能の罪』の価値観が根付き易かったんだと思う。尤も《闇》側に居る本物の戦神の親玉は弱者だからという言い訳を絶対に許さず、相手の心と骨がばきばきに折れても尚鍛え続け、最後には可能性や魂体まで粉砕してしまう肉体派だから、苦しむ時間が少ないだけ火人族の方がましなのかもしれないけど」
(それは鍛えているのではなく、唯の暴力だと思います)
アミュの心中にそんな感想が浮かんだが、地上人族以外の価値基準は今一つ理解出来ておらず、また話を途中で切りたくはなかったので、口を噤むことにした。
「ともあれ明文化された制度としては既に存在していないのだけど、最終的には伝統や慣習という口実でほぼ同じものが復活してしまったって訳。そこでペレナイカも完全に匙を投げちゃったのよね。やってらんないって。見兼ねた天帝が圧力を掛けたり力尽くで止めようとしたりと色々やったんだけど、結局それも上手くいかなくて、最終的には『要経過観察』という名の放置状態に至ってしまったのよ」
「そんな……」
脳裏に優しくて気の利くヴリエの姿が浮かぶ。立場の違う複数の者が言っているのだから、この件が誤解である可能性は低いのだろう。だが、真実を聞いても彼女がその様な恐ろしい行いをする人物であるとは信じ難かった。どの《顕現》世界へ行ってもアミュに厳しい者が多かった中で、ヴリエは数少ないアミュに優しくし接してくれた希少な存在だった。やや強引な所はあるが、己が力と立場に奢ることなく他者の痛みを理解出来る人なのだろう、とアミュは気を許しかけていた。それなのに――。
「で、貴女は如何したい?」
「え?」
唐突に渾神の口から放たれた問い掛けの意味が分からず、アミュは身体を硬直させる。想定通りの反応を見た渾神は、今度は相手が理解出来る様に噛み砕いて説明した。
「今、貴女の側には私という力があります。その力を使って彼等を救うことが出来るかもしれないし、出来ないかもしれません。結末は貴女の行動で決まります。さあ、貴女はどの様に動く?」
漸く渾神の考えを理解して、アミュは思わず息を呑んだ。どうして神々は卑小な自分にその様な大それたことを聞くのだろう。自分に何を求めているのだろう。胸の内に沸き上がる形容し難い感情が、痛みとなってアミュを襲った。
「如何したいか、というのは魔神様にも聞かれました」
「うっ、そうなんだ……。何て答えたの?」
「答えを出す前に、渾神様が来られたので……」
「ああ、成程ね。答えは決まった?」
アミュは一瞬言葉に詰まったが、はっきりとこう答えた。
「もう少しだけ考えたいです」
「即答は出来ないのね」
「はい。申し訳ありません」
「良いのよ。こういう事態に慣れていないものね」
「はい……」
嘘だ。返答内容は既に決まっている。『無能の罪』の不文律を主導しているのは、恐らく火人族の女王ヴリエ・ペレナディアだろう。そして、アミュは今彼女の城に居候している身だ。アミュ自身に戦闘能力はなく、渾神は時々不在になることがある。シャンセ達は行方不明で、共闘を申し出ている魔神は今一つ信用ならない。となると、保身の為にヴリエの心証を損ねないのが最善だ。つまりは、あの監獄に居る人々は見捨てるべきなのだ。そもそも自分のことで手一杯なのに、如何して赤の他人を救ってやらねばならないのか。救われたいのは自分の方なのに。
随分と興奮していたのだろう。隠し切れない情動は目に現れた。その目を見てアミュの心情を察した渾神は少しだけ俯く。彼女の意見を尊重する素振りを見せつつも、渾神はきっとこの決断を喜びはしない。彼の女神が変化を――それも良い変化を望むが故に。アミュが本心を言わない原因は、正にこの容易に想像し得る意見の不一致であった。渾神は彼女の守護神である様に見えるが、何時此方に牙を向けるかも分からない猛獣でもあるのだから。
しかしアミュの憂慮に反して、相手の秘めた思惑に気付きながらも渾神は強引には正さなかった。
「ただ、緊急時ではなく貴女に充分な力が備わっていた場合には、今の貴女の判断は間違いなのだと知っておいてね」
渾神の言葉は時折アミュにとって難解だ。真意に気付かないまま、彼女は「分かりました」とだけ答えた。自分にとって好ましい話ではなかったので、理解することを無意識の内に拒んでいたのかもしれない。
「ところであの、魔神様ってどんな方なんですか? 村の言い伝えでは聞いたことがあるのですが、地上界の神話は余り当てにはならないから……」
アミュはそれとなく話題を変えようとする。すると、渾神はあからさまに不快そうな顔をした。
「何、気になるの? 駄目よ、あんなのに関わっちゃ。優し気に見えても、本当に取り扱いが難しい悪餓鬼なんだから。私でさえ振り回されて苦労しているのよ」
「いえ、あの……怪しい方だとは思うのですが、不意打ちで何度も接触して来られるので、自衛の為の情報が欲しくて」
「そりゃそうか。因みにシャンセは何て言ってたの?」
「《闇》側世界の高位神で、神戦の原因となった神様としか。後は凄く性格が悪い、とも言っていました。でも、余り魔神様について話したくなさそうでした」
「それだけ? 駄目じゃないの、シャンセ先生。まあ、話題に出す度に強い縁が出来て、世界の端からでも瞬間移動してくる可能性があるから仕方ないのかしらね。否、だとしても根性のない……」
渾神は深々と溜息を吐いた。一瞬だけ瞼を伏せたが、直に穏やかな微笑みを作ってアミュの目を見返す。
「良いわ。もう彼との繋がりは充分に出来てしまっているだろうし、状況的に今直蜻蛉返りしてくることはないと思うから、私が教えてあげましょう。魔神シドガルドについて」
彼が何かしら普通ではない経験をしてきた神であることは、アミュも薄々感付いていた。故にアミュは神妙な面持ちになり、大きく息を吸い込んだ。




