05. 陶工の城
火神宮殿と火人族の王城は別の都市にあるが、距離は然程離れてはいない。火界で最も速い乗り物を使えば四半刻足らずの距離だ。現王族が元々陶磁器製造を本業としていたことが関係しているのか、彼等の都は山に囲まれた場所にあった。都の中心部にある小高い山の上に建つ王城に、火人宮殿の様な華やかさや神殿の如き厳かさはなく、城塞と言っても差し支えない無骨で物々しい造りをしている。大戦や内乱のあった時代の名残だと火人族の女王ヴリエ・ペレナディアは苦笑交じりに語ったが、それは飽くまで外観のみの話であった。
ヴリエに案内されて王城の中に入ったアミュは、内部の様子を見て思わず感嘆の息を漏らした。そして、率直な感想を述べる。
「凄い……」
荘厳さ、豪華さならば天宮が上であろうし、サンデルカの王宮や大神殿も贅を凝らした造りではあった。しかし、今回は過去に見た建物とは随分と方向性が異なっていた。内装の殆どが焼物と硝子製品で埋め尽くされているのだ。まず床や壁は色取り取りの磁器の薄板で覆われ、陶器や硝子の調度品で飾られていた。他にも木製の家具類が置かれていたのだが、よく見ると模様の描かれた磁器の薄板が埋め込まれていたり、様々な色の硝子の欠片を貼り合わせて絵画の様な飾り付けをしている物もあった。身分の高貴さよりも職人の印象が強く現れた内装である。アミュはここで暮らす住人の並々ならぬ拘りの一端に触れた気がした。
「焼物がこんなに……。この絵も陶器なのですね」
アミュは壁に掛かった大きな陶板画に駆け寄る。常日頃は自信なさげな言動が目立つ少女が珍しく積極的に行動したのを見て、渾神は笑みを零した。
「ふふ、面白いでしょ。気に入った?」
「はい! とても素敵だと思います」
「現在、火人族は『焼物の種族』と呼ばれる陶磁器の製造を得意とする種族が大半を占めております。私も今でこそ斯様な爪をしておりますが、昔は職人として器作りに勤しんだ者の一人でありました」
苦笑しながらヴリエは自身の爪を見せた。確かに作業には向かない状態ではあるが、長く綺麗に整えられ細かな装飾が施された様は、やはり何かしら拘りを感じる。
「王族の方でも、ですか?」
暫しヴリエの爪に見惚れた後、アミュは彼女を真っ直ぐに見上げて尋ねた。相手が罪人であると分かっていながらも、自身に向けて素直に尊敬の眼差しを向ける少女に対し、ヴリエは悪い気はしないという様子だ。
「はい、それこそが私共の本質故。また、火界における焼物の始まりは調理器具と食器。我が種族には料理を得意とする家門も御座います。中には達人と呼ばれる者も。今宵の夕餉は当家自慢の料理人達に、腕に縒りを掛けて振舞わせましょう。どうぞ、ご期待下さいませ」
「わあっ!」
感情が高ぶっている所為か、アミュは普段とは明らかに違う反応を見せ続ける。渾神は益々ご満悦という表情を浮かべるが、不意に近くに置かれていた香炉の煙を吸い込み、正気に戻った。恐らくは火神宮殿で嗅いだ物と同じ香りである。今の火界の流行りなのだろうか。
(確かに気になるわね。香も火に纏わる物だからこの子達が重宝するのは無理もないことなのだけれど、臭いに不快感を覚えた者は他に居なかったのかしら。これでは肝心の料理も満足に楽しめないでしょうに)
だが、と渾神は思い直す。火界の住人の習慣を知っているが故に、アミュが言い出さなければ彼女も香について意識しなかったかもしれない。また、気になったとしても臭いに関することは少々指摘し辛さがある。
(アミュが言い出してくれて助かったわ)
渾神はアミュの素直さに感謝し、小さな背中にそっと寄り添った。
◇◇◇
火人族が提供した料理は、アミュが今迄味わったことがない物ばかりだった。幾つかについては見た目が似た物を天界やサンデルカでも食したが、素材や味付けは全くの別物である。折角火界へ来たのだから、と敢えて他界にはない種類を選んだのだとヴリエは語っていた。料理が山脈の様に並べられている光景と刺激的ながらも深い味わいに感嘆の溜息を吐きながら、火神はどうしてこれ程までに気遣いの出来る人達を嫌っているのだろう、とアミュは首を傾げた。
やがて腹が満ち、少女の肉体を持つ彼女がうとうとし出すと、渾神は自分の膝を枕にして彼女を寝かし付けた。横になって直に寝入ってしまったアミュを見て、渾神は柔らかな微笑みを浮かべる。とても世間で邪神と恐れられている女神の表情には見えない、と傍らで様子を窺っていたヴリエは思った。
「眠った様ね。お腹が一杯になったら直に眠たくなってしまうなんて、この子ったら年齢的にはもう大人なのに、中身は見た目通りの子供みたい」
「寝所の準備をさせましょう」
「いいえ、このままでいいわ。暫くこうしていたいの。母親みたいにね」
「畏まりました。では、このままお話させて頂いても宜しいでしょうか?」
ヴリエは改めて仰々しく膝を突き、そう尋ねた。
「なあに? 何が聞きたいの?」
格上の存在である神族に対して行うには少々無礼な態度にも、渾神は甘い表情を崩さない。余程アミュを気に入っているのだろう。だからこそ、早急に確認しておかねばならないことがあった。
「まずは事件当時の状況についてです。渾侍様が地上界から火界へ引き込まれたとのことで御座いましたが、具体的にはどの様な手段で行われたのでしょう?」
「んー、私も直接見ていた訳じゃなくて、この子を通して感じ取っただけだから詳細は分からないのよね。でも《火》の気配は確実にあったし、火界に到着した時、火人族らしき集団に囲まれたってこの子が言ってたから、貴女達の中の誰かの仕業なのは確かなんじゃないかしら」
「何故、火人族と?」
《火》の精気を持った種族は火人族だけではない。《火》との繋がりは火神が最も強く、その次に来るのは火人族ではなく火精である。渾神は「神気」とは言わなかったので、火神は候補から外れるとしても、何故渾侍は相手が火人族だと思ったのか。
「シャンセ達がそう言っていたんですって。後は逃げたこの子を火人族が追っているのを私も見たから。ところで、当時〈関門〉に反応は無かったの?」
〈関門〉とは《顕現》世界間の移動に使用される〈祭具〉の一つだ。まず、入口側と出口側に夫々対となる〈関門〉を一台ずつ設置する。それらを作動させると、二台の間に通路となる異空間が生成され、距離や地形に煩わされることなく短時間での移動が可能となるのである。勿論、この〈祭具〉がなくとも各《顕現》世界は直接繋がっていて移動も可能なのだが、両者の狭間には必ず世界が混ざり合う曖昧な空間が存在する。そして、その場所は渾界――即ち《光》側と《闇》側双方の勢力から忌避される渾神ヴァルガヴェリーテの領域ではないかと疑う者がいた。渾神自身は真偽を明言しなかったが、彼女の干渉を嫌った神々は渾界を介さず《顕現》世界間を移動する方法を生み出して眷族達に伝えたのである。
言うまでもなく〈関門〉は火界にも設置されており、渾神もそれを知っていた。また、製造法は兎も角として存在自体は特に秘匿されている訳ではなかったので、敬遠されている側の彼女も知らない振りをすることなく尋ねたのである。
しかし彼女の問いに対し、ヴリエは少し後ろめたい表情を見せながらも首を横に振った。
「城にお移り頂く前に臣に命じて調べさせましたが、地界方面の物に動きは無かったと報告が上がっております。そもそも、あれは地界の中心部に通じている物で御座いまして、辺境である地上界側には繋がっていない筈なのです」
「まあ、そうよねえ。そもそも、地上界には片割れとなる〈関門〉が存在しない筈だもの。実際、この子が居た場所の周辺にそれらしき物は見当たらなかったし」
渾神は困った様な表情を作って、顎に指を当てる。
「この際だからはっきり言っちゃうけど、《顕現》世界の狭間は不確定の世界――つまりは渾界の一部なのよね。でも、その主である私がこの子達の転移時に渾界側から何も感じなかった。だから、多分狭間は通過していないと思うの。にも拘らず〈関門〉の方も使用されていないとなると、正規の物ではない通路が何処かに貫通しているということになるのだけれど……。そう言えば、転移先の近くには『少数種族の集落がある』と言っていたわね。具体的には何処の種族?」
「『鍛冶の種族』で御座います」
その名を聞いた渾神は「ああ」と言って苦笑する。神族の中でも賢しい部類に入る彼女は、それだけで火界の現在の状況を察した。
「ヴリエ。貴女、大丈夫? 数ある火人系種族を押さえて頂点へ伸し上がったくらいだから、焼物の種族も決して戦闘が不得手という訳ではないでしょうけど、一応何処かに応援を頼んだ方が良いのではなくて?」
「問題は御座いません。力の限り打ち合うばかりが戦ではありませぬ。我等の技量、存分にお見せ致しましょう」
「多少は隙を見せることも交渉術の一つだと思うのだけどね。まあ、良いでしょう。楽しませてもらうわ。それで、次の質問は?」
「その、非常にお聞きし辛いことなのですが……」
言い掛けて、ヴリエは逡巡した。これから行う質問は非情に危ういものだ。下手をすればこの場で彼女の首が飛ぶかもしれないし、火神や火界が危機的状況に追いやられるかもしれない。しかしながら聞かないままでいても、何れ《火》の種族は破滅を迎えるだろう。故に、彼女は意を決して渾神に疑問をぶつけた。
「渾神様は火神様をどの様になさりたいので御座いますか。もし、害を及ぼすつもりであるとお考えならば、私は……」
率直過ぎる言葉に渾神は暫しぽかんとしていたが、やがて可笑しそうに噴き出した。
「悪意がある時には、私は本心は言わないからね。質問する意味はないわよ。でも、真っ正直に聞いてきた愛らしい貴女に応じて、今回ばかりは真実を語りましょう。私の今の本命はアミュだけど、その次か次の次くらいに気になっているのはポルトリテシモなのよね。けど、今の彼、余り上手くないでしょ。長く王位に治まって居れば必ずやってくる現象なのでしょうけど」
「つまりは天帝様に叛意を抱かれていると」
「いや、叛意って程じゃないんだけど。持ち直してくれたら持ち直してくれたで良いのよ。私は変化を望む神だけど、そうなる前から皆の幸福を願って行動してきたつもりよ。貴女達がどう思おうとね。ただ、幸せな時間を長く維持する為に時々は刺激が、若しくは試練が必要だと考えているの」
「それで火神様を?」
「ペレナイカだけじゃないわ。目を付けている者は他にもいる。シャンセもその内の一人ね。ああ、でも誤解しないで。貴女の主を害したい訳ではないの。ポルトリテシモが駄目でペレナイカに才覚があるなら、あの子が神族の王になっても良いとも思っているのよ。それで世界が上手く治まるならね。何にしても結末は貴女達自身が決めるのよ。私は問題を見付けて、それを修正する切っ掛けを与えているだけ」
「それは……」
無責任ではないのか、とヴリエは思った。元々歪みはあったのだとしても事態を悪化させるのは間違いなく渾神で、過去の例を見ても多くの被害者が出ることは分かり切っているというのに、この女神は自ら責任を取ることはしないのだ。だが、ヴリエは言葉を呑み込んだ。彼女には渾神に諫言出来る立場も能力もなかった。
「今のお話は火神様にお伝えしても宜しいですか?」
「ええ、良いわよ。今話したのと近いことは、彼女にも直接言ったことがあるし」
「然様で御座いましたか」
つまり、火神は渾神の魂胆をある程度知った上で彼女と手を組んでいたということになる。火神は今迄数えきれない程天帝を厭う発言をしてきたが、まさか本格的に簒奪を狙っていたとはヴリエは想定していなかった。火界が反逆の道を歩んでいることに、天界は気付いているのだろうか。気付いていないにしても、《火》の種族は愈々慎重に動かなければならなくなった訳だ。
(早急にワルシカとの会談の場を設けなければなるまい)
そう思い立ったヴリエは、渾神に謝辞と退室の挨拶を述べて踵を返した。去り際、一瞬だけアミュの姿が目に映った。肉体年齢を子供に固定され、外見通りの知見と精神しか持たない娘。傲慢で狡猾な女神とは、不釣り合いにも逆に釣り合いが取れているようにも見える。
(渾侍は渾神の思想を理解出来ているのであろうか? 地上人族は神の試練を乗り越える力を持てない定めにある。尚のこと受け入れ難い考えであると思うのじゃが)
だが、安らかに眠る少女の姿を脳裏に浮かべてみて、きっと彼女は何も知らないか、聞いていても理解出来ないのだろうとヴリエは結論付けた。
◇◇◇
アミュ達が火界を訪れてから十日余り経った或る日、天宮内部に設けられた神族用の宿泊施設の一室にて一柱の女神が昼間から酒杯を呷っていた。火神ペレナイカである。室内は酒と煙草、噎せ返る様な香の臭いが充満しており、部屋の端で控えている侍女達は息苦しそうにしていた。
そんな中、白天人族の文官が螺鈿細工の施された台を恭しく両手で持って入って来た。台の上には書簡が二つ載せられている。文官は入室した際に一瞬だけ息を詰まらせたが、直に持ち直して火神の前へと歩み寄り両膝を突いた。
「火神様、火精の王ワルシカ様より御書簡が届いております」
「ああ、その辺に転がしておいて。気が向いたら読むわ」
書簡には見向きもせず、火神は空になった杯を振る。文官は困惑の表情を浮かべた。
「宜しいのですか?」
「どうせ、帰還の催促でしょ。鬱陶しい。暫くしたら塵箱に入ってるかも。所詮その程度の物よ」
「はあ、畏まりました。それから、書簡はもう一通御座いまして」
「何? 何処から?」
火神は怪訝な顔をして文官を見る。彼が差し出した台の上には、火界から送られてきた物であろう赤みを帯びた獣皮紙の他にもう一通、真っ白な紙に透かしの模様が入った書簡が置かれていた。
「氷侍ブリガンティ・カンディアーナ様からです」
「ブリガンティ……何処かで聞いたことがある名前ね」
「ブリガンティ様は白天人族の――」
「待って。今、思い出す」
文官が説明しようとするのを片手を上げて制した火神は、暫くしてやや長い溜息を吐いた。
「ああ、そうか。私が火侍の件で天帝に呼び出されたから……。目聡いわね。鬱陶しい」
火神は杯の口をとんとんと指で叩き、部屋の隅で気まずそうに立っていた侍女達へ視線を送る。すると、一番端に居た侍女が慌てて傍らにある移動式の棚の上に置かれた酒瓶の一つを取り、足早に歩み寄って卓上の杯に酒を注いだ。火神は卓に肘を突いた姿勢でそれを眺めながら、面倒臭そうに文官へ命じた。
「その書簡も一緒に転がしといて良いわ。其方は一応後で読むとは思うけど」
「はあ……」
自分達の王族が蔑ろにされた所為か、文官は不服そうな反応をしたが、胸の内を言葉で示すことはなかった。彼は酒瓶を抱えた者とは別の侍女に書簡を渡すと、退室の挨拶をして部屋から立ち去った。彼が居なくなった所で火神は扉を一瞥したが、やがて深々と溜息を吐き、酒を一息に飲み干した。そして、ごろりと床に転がった。
「んああっ、もっと伸び伸びさせて……」
そう言って、彼女は自身の言葉を体現するかの如く思いっ切り伸びをした。




