01. 別離
風界某所――。
人気のないこの場所に二人の男女が相対していた。先にここへ訪れたのは男の方であった。現在彼を庇護下に置いている者の住まいを訪ねたのだが、使用人から相手が急用で出掛けてしまったと聞かされ、止む無く帰宅する途中にふと立ち寄ったのである。そして、彼が休息している所へ背後から現れたのが女の方であった。
「元火侍のスティンリアだな」
金色の髪と瞳、透き通るような白い肌――典型的な白天人族の特徴を持つその女の声は、女性にしてはやや低く武人らしい張りがあった。スティンリアと呼ばれた氷精は、彼女の武装に目を遣りながら尋ねた。
「貴女は?」
此方は相手を突き放す様な冷ややかな声だ。《氷》の精霊に相応しい有り様だが、素っ気ない態度は彼の気質から来ているものではない。
「そう、警戒しないでくれ。私は氷侍ブリガンティ・カンディアーナ。白天人族の第四王女であり、侍神候補時代の君の同期でもある。私の顔を覚えているかな?」
名を聞いてはっとした表情になった後、スティンリアは俯いた。
「申し訳ございません、ブリガンティ様。朧気ながらに記憶はあるのですが、それは恐らく――」
「私に化けた火神様の顔、か?」
「ご存じでしたか」
侍神選定の折、氷神を嫌っていた火神は、次期氷侍と目されていたスティンリアに対して些細な嫌がらせをしようと考えた。警戒されないように同期であるブリガンティに化けて、火神は彼に近付く。だが、スティンリアと触れ合う内に彼のことが気に入ってしまった火神は、周囲の忠告や元々天帝の意向で火侍に内定していたブリガンティの存在を無視して、彼を自らの侍神に据えてしまった。――ということに表向きにはなっている。実際には、後半部分が真実とはやや異なっていた。
「一応、当事者の一人だったのでな。君が火侍になった本当の経緯は聞いている。止むを得ない措置だったと。恋多き方故、おかしな噂が出回っているようだがね。否、恋着自体は事実の様だが……。時に、君は戦後生まれかな?」
「天人大戦以降の生まれです」
「ふむ。ならば、これは知っているかな。火神様は、嘗て戦神の一柱にも数えられていたのだよ。将でありながら前線に趣き、手弱女の様な見た目でありながら次々と容赦なく敵を屠る。猛き神であり、冷徹な神でもあったのだ。荒ぶる《火》の性質、あの御方の中には間違いなくそれがある。眷族も同様だ。その為か、火神様の身辺では暴力沙汰が非常に多い。君の前任の火侍も被害者の一人だ」
「唯それだけの御方ではありませんよ、火神様は」
「おや、あの御方に失望して火侍を辞したと聞いていたが、思いの外、君は火神様を評価しているのだね。ああ、勘違いしないでくれ。私は君や火神様を批判している訳ではないのだよ。ただ、《元素》の性質の話をしているだけだ」
「……」
スティンリアは苦い顔をした。ブリガンティは暗に彼を責めているのだと感じたからだ。彼女は自分が逃した役職を惜しんでいるのだと。《氷》は《火》よりも一つ格が落ちる。それに《光》に近く武闘派種族でもある白天人族と相性が良いのは、《光》の特性の一部を内包し戦に役立つ性質も持つ《火》の方だ。無理からぬことだろう。
「話の続きをしよう。君の前任、オイロセの件。関係者が《火》の種族だけなら、火界内部で処理させた問題だったのだろうが、残念ながら彼は木精――《木》の種族だ。火界の要職に就いたとは言え、他の高位神からの借り物に危害を加えた火神様とその眷族を危険視された天帝様は、彼等に監視を付けることをお考えになった。そこで監視役として選ばれたのが、天帝様の眷族の一人である私だった訳だ。君が事も無げに捨てた地位は、本来私が座る筈の場所だったのだよ。さて、ここで漸く本題だ。受け取りたまえ」
ブリガンティは唐突に、腰に提げていた二振りの剣の内の一つを鞘ごと紐から引き抜き、投げて寄越した。スティンリアは音を立てながら足元に転がってきた剣を拾い上げると、眼前で少しだけ鞘から抜いてみた。真剣である。
「どういうつもりですか?」
「無論、その剣を使って私と試合しろということだ。火神様ともやったのだろう? 余計な仕込みはしていないから安心すると良い。私は純粋に力試しがしたいのだよ」
「見せしめの為ですか。貴女より能力の劣る私が、正当ではない理由で貴女を押し退けて火侍となったから。決して許されるべきではないと」
「まさか! 私は君の能力を疑ってはいないぞ。火侍就任以前に侍神選定に上がってくること自体、力無き者には困難だからな。それに天帝様の御助力があったとは言え、君は長きに渡って荒くれ者の《火》の種族を見事に抑え込んできたじゃないか」
「だったら――」
「これは私の個人的な気持ちの整理に必要なのだよ。付き合わせて悪いがね!」
言い終わるが早いか、ブリガンティは腰に差していた残りの一振りを抜き、振り被った。その動きを見たスティンリアも慌てて剣を引き抜き、前方に構える。直後に耳障りな金属音が響いた。
その後、両者は何回か切り結んだ。お互いに刃を身体には当てていない。当てようとしないのではなく当てられなかったのだ。だが、全くの互角という訳ではない。息を乱し余裕のない表情を浮かべるスティンリアに対し、ブリガンティは全くの無表情であった。まるでブリガンティ自体が意志を持たない兵器の様に見えて、スティンリアは相手を不気味で恐ろしいものの様に感じた。
(火神様程ではないが、この人もそれなりに強い。流石は戦闘種族と名高い白天人族の王女だ)
スティンリアが舌を巻いた辺りでブリガンティは何故かにやりと笑い、構える剣ごと彼を後ろへ押し退けた。それから、一呼吸置いて自らの剣を鞘へと収めた。試合終了の意思表示だった。
「ふむ、悪くはない。少なくとも他の氷精よりは断然良い」
「よく仰る……」
「成程、君の実力は良く分かった。満足だ」
「そうですか」
スティンリアは深々と溜息を吐いた。ブリガンティの印象は「勇ましい女武将」が一番強いが、気紛れで周囲を振り回す「お転婆なお姫様」の面も覗いている。白天人達の甘やかしが透けて見えた。文句の一つも言ってやりたいが、侍神位を降りた一介の氷精にとって彼女は雲の上の存在である。故に、スティンリアは溜息だけで終わらせて口を噤んだ。
そんな彼に対し、ブリガンティは不躾に聞いた。
「スティンリアよ。一応聞いておくが、君はもう火侍に戻るつもりはないのだな? 氷神様の許にも。火神様の方は君を探しているようだが」
「ええ」
迷いなくスティンリアは答える。ブリガンティは苦笑した。そして、少々火神を哀れに思った。
「ならば良い。私は次の火侍に立候補しようと思っている。天帝様のご命令ではなく、私自身の意志で。氷侍の後任候補も既に用意してある。君に勝負を挑んだのは、私にその実力があるのか知りたかったからという理由もあった。ははっ、実に満足のいく結果だったよ」
「それは……」
薄々気付いてはいたが、漸く後を付けられていたことを確信したスティンリアは、訝しむような顔でブリガンティを見た。彼女の為人と目的は少しだけ見えてきた。彼に対し悪意がないのは分かる。しかし、まだ彼の中には警戒心が残っていた。スティンリアの心情を察したブリガンティは、彼の心を緩めるように片目を瞑ってみせた。
「とは言えだ。あの御方は一筋縄では行くまい。まずは献上品をと用意した物がある」
ブリガンティは踵を返し、離れた場所に置いていた手荷物の許まで歩いた。膝を突いて鞄の中を探ると、丸められた紙の書簡を一つ取り出す。
「君にはこれが何か分かるかな?」
振り返って、ブリガンティは尋ねた。今度は悪戯っ子の少年の様な動きだ。スティンリアは益々不信感を強めながら、筋張った手に握られた書簡を見た。
◇◇◇
同じ頃、天界の中心部にある天宮の敷地内に設けられた貴賓館の一室にて、火神ペレナイカと天帝ポルトリテシモが間に背の低い卓を挟み、向かい合って腰掛けていた。両者共に平服を身に着けており一見私的な会談の様に見えるが、仕事絡みである。ただ、これから天帝が火神に話そうとしている内容には私的なものも含まれていた。
「暫くぶりだな、ペレナイカ。侍神選定以来か」
「ええ」
「何故私がお前を呼び出したか、分かるか?」
「勿体ぶった言い方をしないで、早く用件を言って頂戴。私、忙しいのよ」
不機嫌そうな顔で火神は自らの爪を見た。長く整えられた彼女の爪には細かな装飾が施されており、武器を握り命を刈り取っていた頃の名残は全くない。見る者が見れば、その姿は怠惰にも映るであろう。
天帝は深々と溜息を吐き、本題に入った。
「まだ、スティンリアを追っているのか」
「貴方には関係ないでしょう。放っておいてよ」
火神の口調は淡々としている。彼女の心の傷に触れる話だ。もう少し感情的になってもおかしくはないだろうに。
「否、関係はある。今回呼び出したのも、その件と繋がる話をする為だ」
「やっぱり、そういうこと」
恐らく火神は自分でも問題行動だと認識していて、何れは天界から圧力が掛かることも予想していたのだろう。自覚が出来てしまう程に、彼女は時間を掛け過ぎたのだ。
「ペレナイカ、早々に次の火侍を選定せよ。その地位が空いてから既に少なくない年月が経ってしまった。神族の王と同格の神が率先して定めを破る様なことはあってはならない」
「面倒ね。そんなに私が信用できない? 侍神制度は本来神を監視する為のものなのでしょう? 人族もそう。本人達は神族の為、世界の為と信じ込んでいるみたいだけど、正直足枷でしかないのよね。貴方、分かってて態とこういう配置にしてるでしょ」
「だから、そういう所がだよ。火人族を生み出したばかりの頃はまだましだったが、今のお前は確かに信用できるものではない」
「何ですって?」
火神は顔を上げ、天帝を睨み付ける。朱色にも金色にも見える眼の周囲に火の粉が舞った。
「他にも幾つか問題はあるが、一番疑わしいのはお前の統治能力だ。大丈夫か? 渾神が活動を再開して何処が火を噴くか分からないこの時期に、足元がごたついて動けない、では困るぞ。裏ではあ奴と交際があるようだが、だからと言ってお前達の身の安全が保障されている訳ではない。過去の渾神の言動でそれは重々承知している筈だろう」
「煩いわね。大きなお世話よ!」
後ろめたさからか、火神は再び顔を反らす。渾神の件についても問題だという自覚はある様だ。煌びやかな部屋が重苦しい沈黙に包まれた。
暫くして口を開いたのは天帝の方だった。彼は普段とは違う優し気な兄の声で尋ねた。
「どうしても、スティンリアでなくては駄目なのか?」
「私はそう思っているわ。そうでなければ、耐えられない。いいえ、百歩譲って私個人の心情を差し置いても、彼は今迄の火侍の中で一番上手く行っていた気がするの」
「まあ、お前の眷族達には天界からも度々釘を刺したからな。だが、限度はある。一時的に他の者を置く手もあるが?」
「彼が戻ってきた時に揉めるでしょう。駄目よ」
「スティンリアに負い目を感じているのか」
スティンリアが火侍に就任した際の顛末――世間では火神が彼に恋愛感情を抱いたことが任命理由と噂されているが、実際にはもっと深刻な事情だ。瀕死状態の彼を救おうとした結果、必要となったからである。瀕死にしたのは火神だ。意図せず彼女は彼を殺し掛け、命を救おうとして力を与えた。だが彼女の行為から邪推して、火界が外部の実力者を取り込んで戦力を増強していると非難したり、正当な理由もなく「自分にも力を与えよ」と要求する者が現れる可能性があった。故に、彼を火侍にした。火侍だからこそ特別に力を与えたのだと言い訳する為に。つまりは完全なる自己都合で火神はスティンリアを振り回したのである。
「負い目も感じているけど、それが理由ではないわよ」
返す言葉を短く切って、火神は視線を窓の外へと向けた。無意識にその話題から逃げようとしていた。そんな彼女の様子を見て、天帝はまた深々と溜息を吐いた。
「一つ、お前に黙っていたことがある」
「何よ」
「私はスティンリアの現在の居場所を知っている。火侍周辺は度々問題が発生するので、辞任後も監視を続けていたのだ。そして監視――観察の結果、一つ気付いたことがある。火侍を辞めてもスティンリアは火に耐えられるということだ」
「は?」
火神は目を剥いてて天帝の方へと振り向いた。
「貴方が彼を隠してたの?」
「隠していた訳ではない。監視の者を付けていただけだ。それで話の続きだが、あの者は嘗て瀕死の状態だった所を〈神術〉による肉体改造を受けて生き永らえた。火侍となったのはその後だ。故に、職を辞し火侍としての神力を失っても改造された肉体だけは残り、氷精にとっては相性の悪い火界の環境でも生命活動を維持出来たのだろう」
「氷精ではなくなった?」
「《氷》との接続はまだ完全には切れていない様だから、氷精としての性質も一応は残っているのだろう。だが、変質したのは確かだ。《氷》に類する何かにな。熱を受けて《水》に変じたという訳でもなさそうだし、単に火に耐性のある《氷》なのか。何れにしても、氷神と奴の眷族はスティンリアの帰還を許さないだろう。それを理解しているのか、あの者自身、一度も故郷へ戻ろうとはしていない」
「そう……」
天帝の予想していた通り、火神は苦虫を噛み潰した様な顔をしている。本音を語れば、この件は彼も話したくはなかった。しかし、情を優先させるのは統治者の行動として相応しくはない。故に話した。今の所、火神の行いは誰の為にもなっていない。彼女自身の為にも。
「もう、スティンリアを守ろうとするな。好い加減、解放してやれ。これ以上苦しめるな」
天帝はそう苦言を呈した。
「私、そんなつもりじゃ……」
動揺する火神を突き放す様に、彼は冷ややかに宣告した。
「火侍の選出は長くても年内に。ただし、情勢次第では期限を前倒しする可能性もあることを承知しておくように。代わりと言っては何だが、前回の侍神選定で渾神の妨害があったことを考慮し、今回は特例として天界による選定試験を免除する。顔合わせはしても良いが、最悪資料を此方に送ってくれるだけでも良い」
「分かった」
苦悶の表情で言葉を返した火神に、天帝は「本当に分かっているのか?」と問い質したくなったが、反骨心の強い彼女の暴走を懸念して言わないことにした。
そして、次の話題を振る。此方も重要な案件だ。
「ところで、お前が天界に来ることを聞き付けて、面会しに遣って来た者が相当数いるそうだ。会っていくように」
「それって侍神候補者?」
「神族も混ざっていたから、全てがそうという訳ではあるまいよ。何時火界を訪ねてもお前が不在だから、重要な用件があっても伝えることが出来なかったと報告してきた者も居たぞ」
火神は分かり易く動揺する。
「ああ、それは申し訳ないことをしたわね。行って来る」
「案内を」
「畏まりました」
軽く手を振った後、火神は天人族の官吏達に導かれる儘、会談の場を去って行った。
残された天帝は何気なく眼前の卓を見た。卓の上には茶の入った白い器と茶請けの菓子が盛られた皿が二組置かれている。何れも手付かずだ。天帝はそこから相手の自分に対する評価を推察し、この日何度目か分からない溜息を吐いて、漸く自分の側に置かれた茶に口を付けたのであった。




