竜の逆鱗
「ユリアンナか、今年こそ喜んで貰えそうなプレゼントを用意……できていないみたいだね」
書類から顔を上げたお父様は、不憫そうに眉を下げた。私の眉も下がったけれど、意識して微笑みながらゆっくりと首を横に振る。プレゼントは、もう決めてあるから。
「……今年は、リル様が絶対に喜んでくれるプレゼントなの」
お父様が少しだけ目を見開いた。察しがいいお父様のことだもの、私の泣き腫らした顔を見てもう言いたい事なんか分かっている筈だ。
「そうか、言ってごらん。私の力が必要なんだね?」
「はい。リル様のお父様とお話して頂きたいの、婚約は諦めると。私やっぱりリル様の心を動かせなかった……」
最後は消えいるようになってしまった。
お父様同士が友人関係だった事もあって、私の恋心を汲んでリル様と婚約させようという話も実際にあった。ただ、正式な婚約に至らなかったのは、清々しいほどリル様が私に興味がなかったからだ。
片想いのまま結婚すれば私がいつか悲しい思いをすると、お父様はとても心配そうだったし、私もそのせいで仲良しなお父様方までが気まずい思いをするのは嫌だった。
成人である16歳の誕生日までにリル様が私を好きになってくれれば正式に婚約を結ぶけれど、もし振り向いてくれなければきっぱりと諦めなさい、とお父様にハッキリ言われていたのだ。
戦況としては悲しい事に完敗。言い訳や結論を先伸ばしにできるようなエピソードすらない、完膚なきまでの敗北。涙だって出る。
「可哀相に、よく決心したね」
お父様がよしよしと頭を撫でてくれた。
「エリアがいてくれれば、もっとお前の助けになれただろうに。やっぱり男親だけでは、こんな時に何も出来ないな」
すまなそうに私を見つめた後で、お父様は「リルフィードの誕生日は明後日だったね。明日の朝にでも早速ジョシアに話して来よう、あいつも残念がるだろうがこればかりは仕方ない事だからね。後は私に任せ、ゆっくりおやすみ」と、しっかりと約束してくれた。そうね、お父様にお任せすれば間違いない。
それから私は、部屋に帰ってまた泣いた。
お父様にお願いしてしまった。明日にはリル様のお父様にも正式にお話が通ってしまう。もう、リル様の婚約者になれる可能性が潰えた事実がむしょうに悲しい。
……もう、気安く話しかける事も、リル様と呼ぶ事も出来なくなる。そんな事を思って人払いをした自室で、声をあげて盛大に泣いた。
どれくらい泣いていたのか。
「うるっせぇなぁ!いつまでびーびー泣いてんだ!」
いきなりの怒声に一瞬ビクッとしてしまった。見なくても声でわかる。私の契約獣、シルフィドラゴンのリュー君だ。どうやら私の泣き声がうるさ過ぎて起こしてしまったみたい。
「うっわヒデー顔!それでもお前オジョーサマかぁ?」
うるさくして申し訳ないと思った気持ちは一瞬で消え失せた。気性が激しくいたずら好きで子供っぽいのがそもそもの種族特性であるリュー君に、私の今の繊細な嘆きが分かって貰えるとも思えない。ほっといて欲しい。
「ほっといて、音遮断して異空間に籠ってればいいでしょ」
「おーおー荒れてるなぁ、あ、分かった!またあのいけ好かねぇリルサマに貢いでけちょんけちょんに言われたんだろ!毎年懲りねーなー!」
うう、泣いてる人の傷口に粗塩を刷り込むの、止めて欲しい切実に。
「ち、違うわよ。リル様の誕生日は明後日だもの」
「おー!じゃーあれだ!フラれたんだろー!」
あまりに心ない言葉に私の涙腺は再び大決壊を起こし、大量の涙がボタボタと音を立てて落ちる。
「マ……マジか……」
いまさら反省の顔をされても遅い。涙が出過ぎて声も出せない。ベッドに突っ伏してひたすら泣きじゃくった。
いつもなら追い打ちをかけるような「だからあんなヤツ止めとけって言ってんだろーが!」と怒声が聞こえる筈なのに、さすがに「悪りぃ」とか「えーっとその、あんまり落ち込むな?」とか、リュー君なりになんとか慰めようと声をかけてくれるのが思いの他嬉しくて、ようやく涙が止まりかけた時だ。
「あーもーうざってぇ!」
短気なリュー君は即刻キレた。
「だいたい俺は最初っからリルサマなんざ大っ嫌いなんだ!いっつもユーリを泣かしやがって!」
リル様に怒っていたリュー君はすぐさま私に怒りの矛先を向ける。
「ユーリももう泣くな!むしろ良かったじゃねーか、これでもうユーリが泣かされねぇと思ったら俺なんか超ハッピーだね。なんなら祝いたいくらいだ!」
イラついたからって言い方酷いと思うんだけど。少なくとも祝われたくはない。
「そーだそーだ、これでユーリはフリーなんだろ?うん、めでたい!よし、今ならお祝いに鱗の1枚くらいならやったっていいぜぇ?前欲しがってただろ!」
「……じゃあ、逆鱗がいい。逆鱗ちょうだい」
さすがに腹が立って、つい低い声がでた。しかも腹立ちまぎれに思わず意地悪まで言ってしまった、リュー君相手だとついつい私もつられて子供っぽい対応をしてしまうのは、自分でも困ったものだと思ってはいるけれど。
「え、いや逆鱗は結構痛いっていうか」
「……」
「くぅ、チキショー!持ってけドロボー!」
私の無言の圧力に耐え兼ねたのか、ブチィッという生々しい音と供に虹色の小さな鱗が私の手に落とされた。
「痛ッてぇなぁチキショー!まだこんなモン欲しがるなんざ、お前まだリルサマに貢ごうと思ってやがるな⁉いいな、この逆鱗は手切れ金だ。これを最後にあのリルサマとは手ぇ切れよ、分かってんだろうな!」
「リュー君……」
ぷりぷり怒って異空間に戻っていくリュー君に、小さくありがとう、と呟いた。そうね、リュー君の言う通りだ。私はまだまだ未練タラタラで全然覚悟が出来ていなかったんだ……。だからあんなに泣いて、ごねて、リュー君に八つ当たりしてしまったんだろう。
明日、ちゃんとリュー君に謝ろう。
リル様にも、自らの手できちんと手紙を書いて決別しなければ。
虹色の小さな鱗を持って机にむかう。
こうして私の胸の痛みとリュー君の物理的な痛みを代償に、私の8年に渡る長い長い片想いは終わりを告げたのだった。