第九回 発見
7月24日
翌朝、三人は警察署に赴き倉庫会社の情報を伝え、天照への帰路へ付いた。途中桜島大根漬けを14㎏買いこんで。その寄り道に悌二郎が次美にまた叱られていたことも追記しておく。
天照に帰艦すると皆ホッとした面持ちで出迎えた。烹炊班に桜島大根漬けを渡してから幹部を士官室に集め、鹿児島でのことを報告する。2,3の質問に答えた後、天照の行動計画が変わりないことを確認して解散となった。
天照は志布志湾を離れ、天草灘へと針路を取った。
次美が悌二郎に尋ねた。
「庖国海軍はいつ動くでしょうか?」
「8月12日が庖の建国記念日だ。その日を目標に鹿児島攻略を完了させるつもりなら、どんなに遅くても今月中に始めるはず」
「わざわざ建国記念日に?」
「庖国だけでなく大陸では記念日の意味が我々以上にとても大きいんだ。ましてや庖は最近の負け戦続きから指導部の力が衰えてきているとも聞く。となれば建国記念日に大きな成果を上げることは重要な意味を持つことになる」
「大陸における記念日の意味、よくそんなことをご存じですね」
大野航海長が感心する。
「僕の専門は外国語ですからね、言葉とはその国の文化をそのものでもあります。時には民族ならではの概念や思考なども解るようになる」
「軍事や政治においても?」
「もちろん、我が国でもそうだったけど外国から軍事顧問を招いて学んだとしても、やはり最終的には民族の個性が多少の差はあれど出てくるね」
悌二郎は生徒に教えるかのように次美に答えた。次美が質問を続けた。
「その観点から庖国軍はどう動くと思いますか?」
「大陸には古くから“中華思想”というのがあるんだ」
「“中華思想”?」
「“中華”は“世界の中心”という意味で、彼らは『我々は世界の中心で最上位である』という考え方だね。支配者と置き換えても良い」
「それは、ずいぶんと傲慢ですね……」
「そうだね、だから彼らは自分達が国際法や国際的慣習よりも上位にあり、それらを破っても良いと考えている」
「それって変じゃないですか? 支配者こそルールを守り、社会の規範となるべきでは?」 次美が口を挟んだ。
「そこが違うというか大陸民族ならではといった所で、ルールや社会は支配者の私物扱いなんだろうね」
「なんと……」
次美は絶句した、悌二郎が続ける。
「それを踏まえて庖国軍の動きを考えると、国際法を無視した行動をとる可能性が高い。他国領海領土をを勝手に自国領海領土と言ったりして軍事行動を正当化、好き放題やって既成事実化、とかね」
「国際社会が黙っていないのでは?」
大野航海長が疑問を投げた。
「ほっといても20年程度で黙りますよ、大陸の市場価値を餌にすればなおさらにね」
悌二郎の投げやりともとれる言葉に次美が反撃する。
「そんなことで国際的正義が損なわれてしまうのですか!?」
その言葉には怒りも込められていた。
「悲しいかな、国益の前には正義はあまりにも軽いんだよ。でもね」
いったん言葉を切り、さらに悌二郎が続けた。
「目先の利益を追いかけるととても、とても大きな物を失うんだ」
しばらくの間艦橋には沈黙が続いた。最初に口を開いたのは悌二郎だった。
「だからその正義を守るためにも、僕たちは万が一の不安を払拭する必要があるのです」 正義を守る、安っぽい言葉なのかも知れないが、軍人がかけがいのない命をかけるためにはこの上ない価値のある言葉である。自国民、自国領土を護るというのは絶対の正義である。
悌二郎の言葉の前に、もはや誰も異議を唱える物はいなかった。
7月25日
艦橋に通信士が駆け込んできた。
「司令部より入電! 庖国艦隊が上海から出航しました!」
「遂に来ましたか」次美が顔を赤らめながら興奮気味に言う。
「情報にあった通り、戦艦1,巡洋艦4,駆逐艦15,揚陸艦3、輸送船20。事実上庖国の海上総戦力みたいだね。航海長、本艦の偵察範囲に入るのはいつ頃になりそう?」
天照は既に天草灘に到着していた、大野航海長がそろばんをはじきながら答える。
「明朝には入りそうですね」
「よし、明日朝イチで偵察機を出そう」
明朝、日も昇りきらないうちに天照から九四式水偵4機が発艦した。
7月26日
水偵が発艦して四時間が経過していた、日が高くなり気温がぐんぐん上昇していく。真夏の太陽からの容赦ない日差しが甲板を加熱していく。大野航海長が報告する。
「偵察機がそろそろ索敵線の先端にさしかかります。庖国艦隊が真っ直ぐこちらに向かっていればもう領海に入っている頃です」
「領海に入っていたとしてどうしますか? 無害通行権があります」
次美が付け足した。無害通行権とは例え領海であれど他国公船の航行は自由であるという国際法である。皇国と庖国は一応戦争状態ではないので他国軍艦が領海内でいくら航行しようとも自由であり、それを妨げることは出来ないことになっている。
九州 下甑島東方約100㎞沖 天照搭載九十四式水偵1号機
一番南側を飛行していた九四式水偵1号機は大きく旋回し復路に付く。その偵察員が南側に多数の航跡を発見した。
「機長、あの航跡は!」
「接近して確認する」
双眼鏡でギリギリ艦種識別が出来る距離にまで接近する。大型艦船とそれを取り囲むように併走する中型、小型船、その後方に多数の船舶を確認した。偵察員が大型艦船を観察する。
「大型の連装砲塔が四つ、煙突が2本、自軍の金剛型戦艦に似ているが艦橋の形状が明らかに違う。あの艦橋はブリオンス帝国の巡洋戦艦フッド級だ。アジアにあるフッド級は庖国の天安だ!」
1号機が発見した航跡はまさしく上海を出航した庖国艦隊だった。速やかに天照へ打電する。報告を受けた悌二郎は平文で皇国海軍各艦隊及び司令部に打電する。平文とは暗号化していない通信のことである。庖国艦隊も受信したはずで、これで奇襲の前提は崩れたことになる。
第一艦隊旗艦 戦艦長門
第一艦隊の指揮官は粟方建雄中将、屋久島南方約五〇㎞に展開していた。天照からの通信を受け、艦隊司令部は緊張が走った。だが司令官粟方中将は艦隊を動かさなかった。
「庖国艦隊の現在の情報だけでは、大隈諸島攻略の意図を否定することは出来ない。引き続き情報収集に努めよ」
天照 第一艦橋
発見した庖国艦隊の動きを監視し続けなければならないので悌二郎は2から4号機を一旦天照に帰艦させるように命じた。回収、補給の後2号機を発艦させ、燃料の心配が出てきた1号機と庖国艦隊の監視とを交代させた。天照は庖国艦隊との最短推定邂逅位置へと針路を向けていた。
「第一艦隊が動いてくれれば良いんだけど、粟方中将は保守的な人だからなぁ……」
「まだ庖国艦隊の目的地がハッキリしない段階では動きづらいでしょう。でももし鹿児島へ向かっているとしたらそろそろ動かないと危険ではあります」
次美の答えを聞いて悌二郎は少し考えた後通信員を呼んだ。
「粟方中将に暗号電文を打電『庖国艦隊の目的地は鹿児島の可能性があり、速やかに対応することを望む』以上です」
「艦長」
次美が心配そうに悌二郎を見る。
いくら独立戦力の天照とは言え、一介の戦艦艦長が艦隊司令官に作戦の進言をするのはかなり出過ぎた行為で、下手をすれば左遷されかねない。
「一応でも進言しておかないとね。何かあっても処分されるのは僕ひとりで済むよ」
「艦長! 簡単に処分されたりしたら困ります!!」
今度の次美は少し怒っていた。色々と言いたいことはあるが、ほとんど飲み込んで一言だけ語気を強めていった。
しばしの沈黙の後悌二郎は苦笑いで答えた。
「済まなかった、ちょっと勝手だったね」
「艦長の勝手気ままには慣れてますが、ほどほどでお願いします」
次美も苦笑いで答える。
二人のそのやりとりを見て艦橋にいた全員が安堵した。
庖国艦隊の動向の監視を1号機から引き継いだ2号機は逐一その位置、針路を報告していた。
報告を受けて大野航海長が海図に針路を書き入れていく。
「このままの針路だと九州南端に向かうか、大隈諸島に向かうかハッキリしませんね」
「まさか鹿児島湾に直接攻め入るなんて事は無いでしょうなぁ」
浜田砲術長が冗談めかして言った。
「奇策としてはアリかも知れません」
悌二郎が腕を組んで言うと皆が凍り付いた。
「鹿児島湾口を軍艦で塞いで揚陸艦、輸送船をもって一気に鹿児島市に上陸、占領、なんて手も考えられます」
「軍略的にありえません!」
次美が即座に否定したが悌二郎は続けた。
「確かに、でもこの作戦を成功させるためならこれくらいの奇策があってもおかしくありません。揚陸艦、輸送船は使い捨てになるかも知れませんが、これらの船舶はまだ庖国には余裕があります。 にしても奇襲の前提が崩れているのに変わらず進軍してきますね」
庖国艦隊はすでに皇国領海に入っているが、次美が言った無害通行権に基づき堂々と航行していた。悌二郎が次の一手を打つ。
「庖国艦隊司令官に僕の名前で打電『貴艦隊は既に皇国領海に入っている、皇国領海内での軍事演習は認められない、速やかに領海外に退去されたし』」
「返答するでしょうか?」
「無視されてもそれはそれで意味がある」
無視した場合、庖国艦隊はよからぬ事を考えているという状況証拠になり、結果次第ではあるが後の停戦交渉で不利になる。返答した場合でもその内容如何によっては同様の不利が発生する。それらをはねのけるだけの外交圧力戦力を持っているかどうかは今の庖国はギリギリの所にある。
約15分後、庖国艦隊司令官から返信があった、内容は以下の通り。
「本艦隊は庖国領海を航行中なり、外国人によって勝手に定められた万国法とやらは無効である」
「らしいねぇ」
悌二郎が笑った、即座に次美が突っ込む。
「笑い事じゃありません! 侵略する気満々じゃないですか!!」
「まぁまぁ」
悌二郎が血の気が上がった次美をなだめて通信員に告げる。
「第一艦隊もこの通信を傍受しているはずだけど、念のためにこのやりとりを第一艦隊に送って」
これらの通信を第一艦隊は当然傍受していた、さらに天照からも念を押された形である。第一艦隊司令官の粟方中将には生意気な行為と受け取られた。
「提督、庖国艦隊の侵略行為は明らかです! 速やかに庖国艦隊を迎撃するべきであると考えます」
参謀達は粟方中将に進言した。
「庖国の目標は大隈諸島であるという推測を否定する情報はまだ何一つ無い! 本艦隊は当初の作戦計画に基づいて現状を維持する!」
粟方中将は語気を強めて言い放つと口を大きくへの字に曲げていた。
天照 第一艦橋
「2号機から入電! 庖国艦隊現在位置 緯度31度 経度129度 針路090」
通信員からの報告を受けて悌二郎は首をかしげる。
「奇襲の前提は既に崩れている、こっちが待ち構えているのも分かっているはず、なんで進軍をやめない?」
大野航海長が進言する。
「庖国艦隊はあと3時間ほどで大隈海峡に到達します。本艦もそろそろ増速しないと鹿児島湾突入を妨害するのが困難になります」
「第一艦隊の動きは無しか……」
悌二郎があきらめたようにつぶやいた。
「しょうがない、増速! 庖国艦隊の邪魔をしに行こう!」
「了解!」
天照は白波を立てて九州西岸沖を南下していった。