第八回 調査
7月22日 志布志湾
夜の帳も降りた20時、天照は鹿児島の東にある志布志湾に錨を降ろした。桜島を頂く鹿児島湾は大隈半島を挟んだ向こう側になる。鹿児島市街に入るには鹿児島湾に入った方が速いが、鹿児島市街に庖国の工作員がいる可能性があり、天照の動きを察知されて対策をされる恐れがあるため、志布志湾で一旦足を止めることとなった。
「じゃあ行こうか」
「はい」
鹿児島市街の調査に向かう悌二郎と次美、鹿児島の案内役に鹿児島出身の航海科員横山正治少尉が同行することになった。3人とも軍服から平服に着替えていた。悌二郎と横山少尉はサマースーツを、次美はワンピースの淡いピンクのドレス、マーサ・レパルス霊探長に「似合いすぎる! とても海軍中佐には見えないわー!!」とゲラゲラ笑われた事を付け足しておく。ついでに言うと次美をからかうのがマーサの趣味でもある。
三人を見送る大野航海長がなかばあきれ顔で悌二郎に尋ねる。
「わざわざ艦長自ら調査に向かわなくても、しかも副長まで」
「やっぱりこういう事は自分の目と耳と肌で確かめたいんですよ」
どちらかというと学者肌の悌二郎らしい所である。
「私はそんな艦長のお目付役です!」
次美は皇都中央駅での悌二郎の暴走ぶりを目の当たりにしているため自ら付いていくことを志願した。悌二郎は女性と一緒なら行動しやすい所もあるだろうという判断で許可した。
3人は下ろされた内火艇に乗り込み陸に向かった。大野航海長は遠ざかる内火艇を見ながらつぶやいた。
「その内偵察機に自ら乗り込んで偵察するなんて言い出さなきゃ良いんですが……」
上陸した一行は事前に連絡しておいた海軍鹿屋航空基地隊の用意してくれた自動車に乗って鹿児島市街を目指した。街灯もまばらな山道を走っていく。開けた窓からひんやりとした風が流れ込んでくる。悌二郎が運転しながら横山に尋ねる。
「横山君、鹿児島はどんなところですか? 僕は初めてなんだ」
「あ、私も初めてですね」
次美も続いた。
「そうですか、鹿児島は一年を通して割と温暖で、桜島大根が名産ですね」
「桜島って、大昔は火山だったっていう?」
「ええ、郷土史で習いましたが2000年くらい前までは噴煙を噴き上げていたそうです。姶良湖もかつては鹿児島湾の一部だったとか。お陰で鹿児島は火山灰地質になり、それを利用した農産物が豊富です」
「お土産に良いモノあるかな?」
「艦長ぉ!」
「あはは、桜島大根の漬け物やサツマイモ、かるかん、つけあげ、いわゆる薩摩揚げ。等々よりどりみどりですよ」
「桜島大根の漬け物ならいっぱい買えば乗組員全員に一食分行き渡ることが出来ますね」
「艦長、1400人分ですよ」
次美が突っ込む
「漬け物なら、ひとり頭一食10グラムとして 14㎏、どーにかならん量では無いでしょう」
悌二郎が車のトランクの容量を考慮してざっと計算して答えた。
「艦長、本分を忘れないようお願いします」
次美が念を押した。
翌朝、横山少尉の実家に到着した。
7月23日 鹿児島市
横山少尉の実家は悌二郎達を快く迎えた。艦長、副艦長と言う事を意識して萎縮して貰っても困るので単純に同僚と言う事にしておいた。当面はこの横山家が鹿児島調査の拠点となる。
「それでは打ち合わせ通り、横山君は旧友と会って話を聞く。僕たちは市街の調査と現地駐屯地、警察との話し合いを」
「了解しました」
悌二郎は徹夜で運転していたにもかかわらず横山少尉に指示を出して、自身も次美と一緒に鹿児島市街へと繰り出した。
悌二郎と次美は鹿児島市街の外れにある移民街へと足を踏み入れた。そこは道のそこいら中に庖国の国旗が掲げられており、飛び交う言葉も庖国語が多い街であった。その異様とも言えそうな光景に次美は若干戸惑いを隠せないでいたが、悌二郎は興味津々に目と耳を傾けていた。
「とても皇国とは思えませんね」
次美がその違和感に圧倒されながらこぼした。
「そろそろお昼だね、そこの食堂で昼食にしようか」
悌二郎は躊躇無く一軒の食堂のれんをくぐった。
「あ、て、悌二郎さん!」
軍人だと知られると不具合があるかも知れないので、お互い名前で呼び合うことにしていたが、やはりというかなんと言うか気恥ずかしい感じだった。
「庖国の料理は皇国のとはまた違って美味しいんだよ」
悌二郎は次美の複雑な感情などどこ吹く風とでもいった感じで当たり前のように店内を歩き空いている席に座った。どこにでもあるような定食屋である。客はほとんど庖国をはじめ大陸の人間らしかった。注文を聞きに来た店員に注文を告げると悌二郎は次美に向いてこっそりと言った。
「僕たちが皇国人だと判ると露骨に態度が変わるね、見下しているようにも見える」
「そんな、酷いですね」
「むしろ好機かもしれないよ、周りの連中が言いたい放題だ」
悌二郎の専門は外国語、当然庖国語も解る。
「なんて言ってますか?」
「うん、『馬鹿面晒してるぜ』とか『もうすぐここは俺たちのモノだ』とか『近々家族をここに呼び寄せる』『移民の資金は国が出してくれる』」
「かん、悌二郎さん、それって……」
「言葉が分かる人が皆無だから言いたい放題やりたい放題みたいだね」
「ここ鹿児島が狙いというのは……」
「信憑性が増したね」
注文した料理が二人の卓上に並べられた。早速食した。
「うわ…美味しいですねこれ」
多種多様の調味料を絶妙かつ大胆に組み合わせ、多量の油を使って強火で調理されたその濃厚な味わいが二人の腹を満たしていく。皇国海軍では洋食が中心なので油は使うがここまで力強い味付けの料理が出されることは皆無である。
「庖国料理は大陸五大料理のひとつと言われているからね、こんな定食屋でもこれだけ良いモノを出してくれるのは良いね。皇国人と知ってもきちんと料理を作ってくれる、料理人の腕は一流だね」
そう言いながら悌二郎は店内を横目で見やった。目に映る男はほとんど上半身裸同然で締まりの無い身体の中年太りばかりで、とても庖国軍の侵入工作員には見えなかった。
庖国料理で腹を満たした二人はその足で鹿児島警察署に向かった。鹿児島県警察署長は新聞で見た魔戒戦艦天照艦長杉坂悌二郎大佐を目の当たりにして興奮気味だった。
「いやー、あなたが魔戒戦艦天照艦長杉坂大佐ですか! お会い出来て光栄です!」
「恐れ入ります、でも隠密行動中ですので私が来たことはくれぐれも内密にお願いします。で早速ですが、庖国移民による犯罪のことについて伺います。最近の庖国移民が起こした犯罪に関してどう思いますか?」
「? 確かに最近多いですがそれが何か?」
「杞憂で済めば良いのですが、よからぬ事の前触れかも知れないので情報を集めているところです」
「そうですか、担当の者を呼びましょう」
署長は今ひとつ飲み込めない顔をして担当者を呼びに行かせた。
呼ばれてきたのは刑事課の森田警部ともう一人、特別高等警察、通称“特高”の繁村高等捜査官だった。特高の捜査官が来たことに悌二郎と次美はやや驚いた様子だった。特高は反政府勢力や規模の大きい犯罪組織などに対処することが主な任務になっている。それがここにいるという事は庖国移民の件が治安維持において大きな関心事になっていることを示していた。
まず森田警部から説明を受けた。
「確かに庖国移民が多い区域では大小様々な犯罪が多発しています。警邏に当たっている警官達からも雰囲気が悪いと、さながらスラム街のようだと聞いています。巡回を増やしていますが、なかなか対処し切れていないというのが現状です。先日の殺人事件も移民同士のつまらないケンカが原因で、どこから持ってきたのか銃が使われました」
悌二郎がハッとして訪ねる。
「その銃、もしかして製造番号が削られていましたか?」
「え? はいそうです、よく解りましたね」
「南大垣島で襲撃してきた連中が所持していた銃も製造番号が削り落とされていました」
「何か関連があると?」
「関連はともかく機密保持が徹底されている、という可能性を考えています」
「その銃の入手経路ですが犯人は売って貰ったと言っています、売った相手は庖国人だが会ったことは無い知らない奴だったと」
「どんな風貌だったか話しましたか?」
「年の頃は20代半ば、背は高くてたくましい感じで、帽子をかぶってはいたが坊主頭だったろうって話してます」
「その男は侵入工作員なのかも知れませんね」
「杉坂大佐もそうお考えになりますか」
特高の繁村捜査官が続いた。
「ですが売った動機がよく解りません。金に困ったなんてのは考えにくいし、第一何らかの作戦で潜入しているのに計画が露呈しかねないこんな危険を冒す理由が想像出来ません」
言い終わると沈黙が一同を包んだ。十数秒の静寂を切って悌二郎の口から一つの仮定が流れ出た。
「もしかしたら売ったのでは無く、支給したのでは?」
「支給ですか? 何のために?」
次美がハッと気付いた、悌二郎が言葉を続ける。
「鹿児島を侵略するための更衣兵です」
「は、ははは、そんな馬鹿な」
署長が声を震わせながら笑い飛ばそうとしたが場の空気は夏の暑さとは逆に凍り付いていた。繁村捜査官が冷や汗をにじませて納得したように言う。
「庖国軍の大規模演習の話は聞きました。確かにそれなら合点がいく。支給された銃が見つかったりしても『売って貰った』と言えば計画から目をそらすことが出来る」
「本職の工作員で無いなら、ヘマをして武器が見つかってしまう可能性がある。それを見越して支給された武器を『売って貰った』とするように示し合わせていたということか」
森田警部も納得したようだ。署長が呆然とした顔で悌二郎に確認する。
「本当にそんなことが……?」
「状況証拠だけですが、可能性はあります」
「それで天照はどうするんですか?」
繁村捜査官が訪ねる。
「本艦は来襲してくる庖国上陸部隊への偵察、魔獣を使用された場合の対処のふたつです。陸での件に関しては皆さんに委ねるしかありません」
「ですが、武装を整えてる可能性のある集団が相手となると警察だけでは……」
「陸軍に協力してもらいたいと考えています、一緒に国分駐屯地に行ってもらえませんか?」
国分駐屯地は鹿児島県霧島市にあり、陸軍第8師団第12連隊が駐屯している。悌二郎、次美、繁村捜査官、森田警部等4人は駐屯地の門をくぐった。制服を着ていない悌二郎と次美は身分証を見せても最初怪しまれたが、悌二郎の顔は新聞に顔写真付きで報道されており、それに気付いた憲兵は急に態度を変え直立不動の敬礼をしてすぐに通してもらえた。
4人は駐屯地司令官室に通された。そこで出迎えてくれたのは駐屯地司令官山下大佐、第12連隊司令官牛島少佐だった。二人は急な来訪にもかかわらず快く4人を向かえてくれたが、海軍士官二人と警察官、特高の捜査官という異色の組み合わせに不思議そうな顔をしていた。しかしこれまでの経緯と推理を話すとその顔は戦を生業とする軍人のそれに変貌した。
「この鹿児島に……」
「にわかには信じがたいですが、万が一に備えなければなりませんね」
二人が納得した顔を見て悌二郎は尋ねる。
「陸でのことは私は門外漢なので皆さんにお任せしたいと考えていますがよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
「陸は私たちに任せて海軍さんは海で頑張ってください!」
「あの、よろしいでしょうか?」
次美が手を挙げた。
「国分駐屯地には此度の庖国軍の大規模演習に対して何か指令を受けてはいないのですか? 総司令部が想定している大隈諸島の防衛に出動、もしくは出動準備などは?」
山下大佐が答える。
「庖国の大規模演習の話は聞いちょりますが、それに対してどうこうしろというモノは来ちょりません」
「杉坂大佐の想定は確かに荒唐無稽の所があるので総司令部がそこまで想定していないのも無理は無い話です。 自分もおのおの方からの話がなければ全く信じない話かも知れません」
牛島少佐が続いて言った。その言葉に次美はちょっと怒りそうになったが抑えていた。
「それでは皆さん、陸のことはよろしくお願いします」
悌二郎がその場を締めた。
国分駐屯地を後にして、悌二郎と次美は横山宅へ戻った。辺りはすっかり暗くなっていた。
横山少尉宅で夕食を皆で頂き談笑した後、用意された寝室で悌二郎、次美、横山少尉の三人で今日の成果を話し合う。
「警察と陸軍に話を付けましたか、流石です艦長」
「横山君の方はどうでしたか?」
「皆一様に庖国人が増えたことを言っていました。ケンカ沙汰になったことも良くあったそうです。特に港湾施設で働いている友人は怒っていましたね」
「怒っていたとは何を?」
「港湾の倉庫会社をいくつか乗っ取られたそうです。ただそれで仕事が減ったと言う事は無く、むしろ余計に増えて困ってると」
「じゃあなにも運び込まれていないの?」
「それがそうでもなくて、庖国から来た船から積み荷がどんどん集積されているって言っていました。積み荷の中身は判りません」
「税関は何をしてるんだ?」
「一応税関職員が出入りしているのを見るから大丈夫なんだろうと」
「艦長、どういうことでしょうか?」
「出荷はされていないんだね?」
「はい、出荷されているのを見たことが無いと」
しばらく考えて悌二郎が口を開く。
「本当に何でもないか、武器弾薬を密輸、備蓄していて、税関職員は騙されているか買収もしくはスパイか……」
「そこまで……?」
「陸のことは警察と陸軍に任せる事にしてあるから、明日朝一でこの情報を伝えよう」
「私たちは?」
「伝えたその足で天照に戻ることにしよう」