第七回 皇都土産
7月19日
ふたりはまた二日酔いの頭を抱え眠そうな目をしつつ皇都土産のひよこ饅頭を網棚にいっぱいに乗せて横須賀行きの汽車に乗っていた。海軍士官がひよこ饅頭をいっぱい持ったその姿はいささか奇異な光景だった。周囲の目線に次美は気恥ずかしそうにしていたが、悌二郎は全く意に介していないようだった。
皇都中央駅の土産物の売店で天照の皆にと楽しそうに土産物を買う悌二郎はもはや戦艦艦長では無くただのお上りさんだった。
「艦長、皇都での仕事が長いのになんで土産物に目を輝かせてんですか!」
「いやー、なまじ近くにいるとかえって縁が無いんだよね」
夕刻近くになって二人を乗せた汽車は横須賀駅に到着、ドックで補修を受けていた天照に帰艦した。休む間もなく天照幹部を士官室に集合させ、悌二郎が買ってきた土産のひよこ饅頭と温かいお茶を皆で頂きながら、庖国の大規模演習と参謀本部と国防省の対応についての情報を報告する。
「艦長」
悌二郎からの話を聞いて最初に口を開いたのは浜田砲術長だった。
「このひよこ饅頭美味いですね」
次美がずっこけた。
「浜田さんッ!」
「あー、すんません副長。ここしばらく甘い物は控えていたモノで」
浜田少佐は大の甘い物好きだが糖尿病の危険があるという事で医者から甘い物を控えるよう釘を刺されていた。
「お口に合ったようで嬉しいです。副長に苦労かけてまで買ってきた甲斐がありました」
「ええ、ホントに苦労しました、恥ずかしくてもう…… じゃなくて!」
「あはは、失礼しました。それでですね」
浜田少佐が話を本題に入れた
「艦長のお考えは参謀本部のそれとは違うのですか?」
一息置いて悌二郎が口を開いた。
「僕は今回の庖の攻略目標は鹿児島であると考えています」
その一言が放たれると天照の幹部達がざわめき始めた。悌二郎が淡々と言葉を続ける。
「先の南大垣島を攻略できていれば大隈諸島を押さえた際に後方攪乱拠点として活かすことが出来ますが、それが失敗した今、大隈諸島を奪取してもリスクが大きいと思います。島嶼は攻めるのは割と容易いのですが、守るとなると難しくて制海、制空権の確保が重要になってきます。とすれば、分断の拠点として広めの陸地、港湾、飛行場、備蓄設備等があり、防衛線を構築できる陸地、すなわち九州南部を攻略するべきだと考えます。しかも九州南部は山がちな地形で、主要道路を押さえてしまえば大部隊の侵攻がきわめて困難になります」
ここで一旦言葉を切り、お茶を一口飲むとさらに続けた・
「鹿児島が盗られると当然我が国はその奪還に全力を注ぐことになります。九州南部を盗られれば、大隈諸島、沖縄なども分断されることになり、それ等の防衛にも戦力を裂かねばならなくなります。そうなれば台南を攻撃しても皇国が出せる戦力は限られる事になり、台南の攻略は容易くなります。」
悌二郎が言い終わるとざわつきは止み、沈黙がその場を支配していた。誰ひとりとして九州に上陸など想像だにしていなかったのだから無理も無い。やがて大野航海長が声を上げた。
「艦長、いくら何でも九州攻略は荒唐無稽では? そんな大それた事をしたら国際社会からも非難が集中します」
「荒唐無稽という点は同意します」
悌二郎はあっさりと認めた、だがさらに言葉を加えた。
「ですが庖のみならず、あの地域の国は国際社会からの声にはこれまでもことごとく反発、無視しています。東南アジアの声は無視、欧州などからの声に対しては内政干渉だとして反発してきました」
留守を預かっていた副艦長鶴岡中佐が手を挙げた。
「艦長、それでも庖国は皇国と台南両方に戦力を裂く二方面作戦になります。これまで犯してきた失敗をまた繰り返すような事をするでしょうか?」
「海に戦線は作れませんが陸には作れます」
皆が一瞬きょとんとした顔になった。悌二郎が続ける。
「戦線を構築できない海戦では基本的に戦力が多い方が有利ですが、陸戦の場合は異なり、状況によっては3倍の戦力を持ってやっと優勢になる場合があります」
「“攻撃三倍の原則”ですか」
次美が思いだしたように言った、海軍では馴染みの薄い言葉ではある。“攻撃三倍の原則”とは陸戦における原則論の一つで、攻撃する側は防衛側より3倍の戦力が必要というモノである。
「そう、広い陸地は拠点化しやすく、戦線も構築できます。もし九州南部を拠点化されれば、それを奪還するために皇国は3倍の戦力を投入する必要が発生してしまいます。言い換えれば、例え2方面作戦でも庖国が投入する皇国方面の戦力は皇国の半分もあれば充分ということになります。」
鶴岡副長が納得した。
「海戦では不利だから陸戦に持ち込もうということですか」
「その通りです、でもそのためには九州南部上陸は奇襲であることが前提になります。兵員のみならず、ある程度の長期戦を想定して大量の物資の揚陸も欠かせません」
「占領後の補給が充分な物になるとは限らないことを考えると確かに」
次美も納得したが、ふたつ疑問を付け加えた。
「でも九州南部が目標とは限らないのでは? より大陸に近い北九州も危険かと思います。もうひとつ仮に九州南部を押さえたとしても、最終的には我が国が奪還をする事になり、攻略に使った戦力を失うことになるのは明らかです。捨てゴマにするには大きすぎるのでは?」
「前者はもちろんそれもあり得ます。鹿児島が目標だという推理はあくまで在訪外国人の犯罪が多いという新聞記事などからで、根拠希薄である点は否定できません。そこで本艦は鹿児島でさらなる情報収集を行い、その結果次第ですが庖国軍艦隊を九州西方の天草灘で待ち構える事にします」
ここに来て初めて天照の行動に関する具体的な方針が示された。それまで悌二郎の話を漫然と聞くだけだった幹部の頭の中に、自分がなすべき仕事のイメージが明確に現れた。すなわち皆が臨戦態勢になったのである。
「後者に関しては台南国攻略の目処が立ったら我が国に対して停戦を申し出て停戦し、撤退すれば良いだけです。皇国の方針としては停戦を申し入れられたら蹴るわけには行きませんからね」
一旦言葉を切り、皆の顔を見渡して続ける。
「ですが本艦は戦艦とは言え1隻です。庖国軍艦隊戦艦1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦15隻を向こうに回して殴り合いはとても出来ません。そこで本艦の主任務は二つに絞ることにします」
「ふたつとは?」
「まず一つめ、聯合艦隊の目になること。今回聯合艦隊は大隈諸島が狙われていると推定して作戦を立てています。九州は空白になるので、もし九州に来襲となった場合に本艦は早期に発見し聯合艦隊に知らせます」
「二つめは魔獣対策です」
初めて出た魔獣という単語に皆がざわめいた。
「情報によると庖国が魔獣を実用化した可能性があります。どの程度の規模のモノかは不明ですが、もし今回の侵攻で使用された場合に本艦はそれに対処します。ですが」
「?」
「先にも説明したとおり庖国にとってこの作戦は奇襲であることが前提になると思われます。まず最初にこの前提を崩せば庖国の侵攻作戦を断念させられる可能性があります。しかし断念しなかった場合は……」
「その場合は?」
「最悪本艦1隻で侵攻を食い止めなければなりません」
その一言は皆に覚悟を決めろという一言だった。若い優男の艦長の言葉に百戦錬磨のベテラン士官達が武者震いし、その顔には闘志がみなぎっていた。
その皆の顔をひとりずつ確認してから悌二郎が鶴岡副長に尋ねる。
「鶴岡副長、天照の出渠は?」
「予定通り明日1300出渠の見込みです」
「中曽根主計科長、補給は?」
「は、補給予定品は全て手配済み。出渠後すぐに補給作業に入り同日完了の見込みです」
「では補給を終え次第本艦は九州に向け出航します。質問は? 無ければ解散、準備にかかれ!」
翌日7月20日23時30分 天照は「ワレ天照、出航ス」の旗流信号をヤードにかかげ横須賀を単艦にて出航する。
星明かりさえ無い漆黒の海を切り裂いて九州へと進路を取った。