第六節「決戦」
「昨日はどうしたの、先に帰っちゃって」
翌日AクラスとBクラスの試合の日がやってきた。初日と同じく支度を済ませた二人は選手ロビーで自分たちの順番を待っている。
「作戦会議、かな」
昨日ディックとのやり取りのあと燐は会場でリズと落ち合った。けれども少し観戦をしただけで用事があると言い出し燐はリズを置いて一人そそくさと帰ってしまった。その時の様子が気になっていたリズは燐を問いただした。
「ふうん、何かいい案でも浮かんだ?」
いつもにも増して入念にストレッチをするリズ。
「なくはない、ないよりはマシ程度には」
燐もリズに倣い体を伸ばし始める。
「よくわかんないニュアンスね、ちょっと強いかも」
自分の分は程々にリズを手伝う燐。
「それでも勝つつもりだよ、俺は。イタッ、ちょリズ」
今度はリズに背中を押してもらう。
「なにそれ、これでも私も勝つつもりなんですけど?」
「言葉が悪かった、ゴメン謝るよ。だから痛いって」
尚も強く押しつけるリズに対したまらず燐は悲鳴を上げる。互いに起き上がりドリンクを手に取る。
「勝とうね」
燐にはリズの表情が珍しく真剣に映った。どうやらリズも気合が入っているらしい。
「もちろん、絶対に勝つ」
気合十分の二人のもとへ招集のアナウンスがかかる。
「行くか」
「ええ」
引き締まった表情で二人は歩き出した。
「二人共頑張ってね」
今日も担任のレベッカが応援に駆けつけてくれている。レベッカとの会話もほどほどに着々と装備を整えていく二人。関節の可動範囲や指先の感度を念入りに確かめていく。最後にヘッドバイザーを装着するといよいよ燐の顔つきは変わってきた。緊張よりも勝負に対する闘志が全身から溢れているようである、それは初日の日ではない。負けず嫌いの燐にとってディックとのいざこざは良い方向で元ベーションの向上に働いたらしい。それはそばで見ているリズも感覚で理解していた。昨日のディックとの煽り合いを知らないリズでさえ何かあったことは察している。
「シドウ、顔こわいわよ」
普段見せない燐の表情に事のいきさつにさほど明るくないレベッカ心配そうな表情で尋ねる。
「大丈夫よベッキー、リンは気合が入りすぎちゃってるだけ。ね、リン」
「え、あ、うん」
ぼんやりしてリズの話を聞き逃してしまった。
「あれ、やっぱり大丈夫じゃない?」
「違う、違う。作戦を頭の中で反芻する」
慌てたようににこやかな表情を作る燐。ごまかしのように聞こえるセリフもそれほど間違いではなかった。
ようやく開始前のアナウンスが流れると二人はカタパルトゲートへと姿を消す。
「行っちまったか」
そこへ一足違いに桐生がひょっこりとやって来る。
「キリュウ、激励のつもりなら遅いわね」
「俺がそんな殊勝なタマか?見物に来ただけだよ」
「そう。どっちにしろ一言かけてあげれば良かったのに」
少し残念そうな顔でレベッカは言葉をこぼそた。そこにはこわばった表情の燐の姿が残っているからだ。
「なに、これが最後ってわけじゃねえ。むしろこんなもんは入口だろ?これから伸びていくんだから勝とうが負けようがさほど後には響かねえよ。この三年で俺たちが使いもんになるように仕上げていくんだからな」
「それもそうね。シドウの雰囲気に当てられちゃったみたいね、私」
「人に移しちまうほど緊張してたのかアイツ」
可笑しそうに片頬を引き上げ笑う。今はいないカタパルトゲートの方をみやってこう言った。
「頑張りな」
Buuuuuuu!!試合開始のブザーが鳴り響く。
カタパルトゲートの射出装置にレッグパーツをしかっりと固定させ燐はその時を待っている。りんの緊張は既にそれではなく高揚感に変わっていた。全力でぶつかり戦える喜びに期待を募らせている。やれることはやった、自分にそう言い聞かせる。実際は一年のこの時期に選手が準備できることなど無に等しい。それでもそう言い聞かせることで手ぶらの自分に自信という装備させることはできる。それが勝敗を分けることがあるかもしれない。
限られた空間の中で燐は限界まで己の感覚を研ぎ澄ます。
Buuuuuuuu!!
入場の合図が鼓膜を揺らす。
ゲートが解放されると明るい光が閉じた瞼をいやがおうにも刺激する。ゆっくりと見開き係員の合図の元出撃体制を取る。
「行きます!!」
足場が稼働し全面へ機体が押し出される。自重がひとりでに動く衝撃に体制を崩すことなく前面を見据える。前回と同じ感覚、加速とともに視界に占める白の面積が増していく。世界が広がっていく感覚、このままどこまでも飛び出せそうな感覚。その感覚に心躍らせ燐は再び戦いの舞台へ飛び立つ。
ガッシャアァン。
つかの間の静寂。対面に位置する二つの影、自分の傍らには頼もしい相方、燐は表情を崩さず敵方を見据える。今日は少し風が吹いている。会場の砂が煙とともに足元を漂う。
「いよいよだな、正直おまえと当たるのを一番楽しみにしてたぜ」
「そいつはどうも。実は俺も今か今かと待ってたところだ」
「なんだ意外と気が合うな。けど仲良くするつもりは微塵も無いがな」
「こっちのセリフとってもっちゃ困るな」
凛とディックは互いに視線を交わしたまま外さない。
「おいおい、俺の言葉は聞きたかないんじゃなかったのか」
今の燐は通訳機を付けてはいない。それでも応酬は止まらない。
「あんたの安い強がりも負け惜しみだと思えば心地よくてな」
「言うねえ、見かけに似合わずヒールが似合うじゃねえか」
「ヒールはオタクの領分だろ」
「ほざいてろ」
「行くぜ」
ふたりの会話にアナウンスが割って入る。その間もリズはふたりの掛け合いをただ見つめていた。
「これより第2試合第3戦、特進Aクラス対特進Bクラスの戦いを始める。両者合図があるまでそのままの姿勢で待機」
身をこわばらせる両陣営。こちらは凛とリズ。相手方はディックと同じくAクラスの男子生徒。
「なんかいつものキャラと違うんじゃない」
リズが呆れ気味に声をかける。
「高ぶってんのかもな、俺も自分でノリが違うのを自覚してる」
「けど、そういうリンも面白いかも」
「俺もそう思ってた」
視線を交わしてハニカムふたり。いよいよ試合の幕が開ける。
「それでは・・・・試合開始」
Biiiiiiiiii!!
燐は全速力で飛び出した。目の前の勝利を求めて。
「なんで、俺のとこなわけ。ベッキーでいいだろベッキーで」
試合前日、観戦を終えた燐はその足で教職員室に趣いていた。目的はひとつ桐生に戦術指導をしてもらうためだ。
「レベッカ先生には聞いたよ。だから先生の意見も聞きたいんだ」
「めんどくせえガキだなお前は」
言葉の通りめんどくさそうな態度で桐生は頭を掻き毟る。
「いいか、今の時期の対抗戦、買っても負けても成績には影響しねえんだから気楽にやりゃあいいんだよ」
真剣な目で桐生をみつめたまま燐は動かない。
「聞きゃあしねえ・・・」
諦念のぼやきを漏らす。
「わかったよ、少しだけな。少しだけだぞ」
開始の合図とともに燐は駆け出した。
『いいか、初心者同士なんて初めのうちは早いもん勝ちだ。速攻かましてぶっ飛ばせばいい。緊急時の姿勢制御が完璧にできる新入生なんてまずいないからな』
桐生の言葉を頭の中で思い起こす。
「先手必勝、速攻をぶちかますっ」
目前のディッツに向かってホバーで突撃していく。けれど双方の距離は縮まらない。ディックは改装早々の燐の初動を確認するとすぐさま後退を始めたからだ。ほぼ同様のスピードで後ろへ下がり燐を近づかせようとしない。焦れた燐はさらに加速を重ねる。その時ディックはおもむろに走行をやめその場に立ち止まり、低めの前傾姿勢を取る。そこへそのまま燐が突っ込む。ディックは両手を正面重ね待ちかねる。
ドゴォォォゥン
燐の機体後方に弾き飛ばされた。初撃を制したのはディックだった。燐は自重の衝撃をそのまま返される形になった。緒戦で燐たちが使った戦法とほぼ同じである。宙を舞った体は勢いを殺しきれず重力のまま大地に叩きつけられる。激しい衝撃音が響く。
「ちょっと!!リン、大丈夫」
すぐさまリズが燐に駆け寄る。見かけの上では相当激しい倒れ方をしていた。
「リン、聞こえる?リン」
「ゴホン、ゴホン。ぜぇぜぇ」
荒く咳き込んで燐は覚醒した。一瞬の出来事で身を庇うことができずわずかながら気を失っていたようだ。
「ああ、びっくりしたけどな。次はねえ」
けれどもいまだに息は荒い。
「まんまとやられたわね。デッィックだっけ?彼口だけじゃないみたい、そりゃAクラスだものね」
「なめてたつもりはなかったんだけどな。早く次の手を考えないと」
『初撃を決められなかったらどうするか・・・負けだな』
『それじゃ困りますよ先生』
『うるせえなあ、万が一カウンターでも食らってみろ?綺麗に入っちまったらそのまま試合終了だ』
桐生は首元で手を水平にブンブン振る、首切りのポーズだ。
『それじゃ運良くまだ動けたら』
『そりゃ大した根性だが・・・ほんとしつこいなおまえ。そんなんじゃ女にモテないぞ』
『今は関係ないでしょ!!』
深くため息をつく桐生。ため息は桐生のクセ、習慣のようなものだ。
『そんじゃ次の手な』
「リズ、挟撃行けるか」
「え、いけるけどどっち狙うの?ディック?それとも」
燐が対象に視線を向ける。つられてリズもその方向をみやる。
『数の暴力?ですか』
『ああ、そうだお前らの段階だとみんな仲良く同程度か毛が生えた程度だ。だからそこでまず一人仕留める。そのあとに二人でボコりゃ大丈夫だろ』
そこで一度言葉を切り桐生はくるくると椅子を回す。2,3回転したところでピタッと止めて真剣な目で燐を睨む。
『けどな、一人目はとっととやれよ。相手も馬鹿じゃないからな』
そう言葉を付けた。
「OK、行くよリン」
そういうと合図もなしにリズは駆け出した。続くようにすぐさま燐も駆け出す。二人は元の位置から三角を描くようそれぞれ別方向に駆け出した。
「どうした、どうした。距離をとるなんてもうお手上げか」
ある程度距離を稼ぐと推進器をフル稼働させて減速させる。脚部を地表ににこすりつけ限界まで勢いを殺す。体の自由が効き始めると瞬間、大きくワンステップを踏んで体の向きを急反転させる。と、同時に最大加速で目標めがけ突っ込んだ。ディックも相方もその奇行に数秒気を取られたがふたりの交差地点を見定めると燐たちの思惑に気づく。
「やってくれるなぁっ!!」
「今からじゃ間に合わないぜ」
勝機を見出した燐は声高に叫ぶ。
「なめんなよ、ジャップ!!」
そう叫んだあと相手は覚悟を決めたようにどっしりとその場で防御姿勢のまま待ち構える。ダメージ必至の覚悟で耐え忍ぶつもりだ。
次第に縮まる敵との距離。すると、燐は背面のバインダーを小刻みに操作して体制を変え始める。両足を広げ直立姿勢を挟むと今度は脚部を前面に押し出す形をとる。水平飛行から地上走行に切り替えるとだんだんと足を先にして体を倒し始める。それとは反対にリズは地上から1メートルほど浮く形で前傾姿勢で突っ込んでくる。腕を正面で交差して構える。対称的な姿勢のまま接触地点へ向け一直線に流れていく。中へ吹き上げる砂しぶきが美しい。
激突、衝突、接触。
ドガァァアン、バゴォオォゥン
相手も覚悟していた相当量の攻撃エネルギーであろうことを。構えも隙のないものだった。けれどそのさらに上を行く攻撃いや戦法だった。直立の一本の棒を上下逆方向から押しつぶされるその結果どこにも衝撃を逃がすことが適わない。インパクトを旧sっ風できなかったボディは二人が交差したあと宙へ投げ出され下半身が高く持ち上げられる。浮き上がった体は頂点を迎えると上半身を地にし落下する。攻撃を受けた当人にとってはまるで時の止まる感覚である。我が身に起こったことを理解するが早いか倒れ落ちるが早いか反転した視界が世界が突如青に染まり蒼穹の空を瞳に焼き付ける。
バダァアン
砂煙にその姿を隠し相手はフィールドに沈んだ。
「はぁはぁはぁ」
洗い吐息を漏らす燐とリズ。
「フゥー」
肺に詰まった空気を吹き出して張り詰めた心を解きほぐし一瞬だけ思考と心をカラにし目を細め漂う雲を視界の端に捉える。そんな燐を会場を包み込む割れんばかりの歓声が現実に呼び戻す。
「やったよな、リズ」
振り返ることなく燐はそう口にする。
「手応えあったはずよ」
言葉を返すリズもまだ少し苦しそうだ。
「そう、か」
交わす言葉は平坦で、ぼやける意識のなか現状確認をするのがやっとだった。それだけ今の一撃における精神的疲労と肉体に帰る負担は視覚的衝撃に見合うものだったのだ。けれどそんな二人が余裕を取り戻す間を与えるほど事態は易しくない。
「やぁったぁなぁあ!!」
電光石火のように感じたそれはふたりの隙が生んだ錯覚の類、怒号が耳に届くと間を隔てずしてリズの体は宙を舞う。背中からすくい上げるように弓なりに舞った体は画になるほどに美しく儚い。その瞬間を燐が目にすることもなくパートナーは固いベッドに身を落とした。息を呑む観客、静まり返る会場。客席からは控えめな感嘆の声が静かに沸く。
「リズゥゥゥウウ!!」
倒れたリズの姿を確認した燐は考えるよりも早く感じるようにリズの名を衝動的に叫んだ。すぐさま駆け寄りその体を抱き起こす。
「リズッ、意識はあるかっ」
燐の声に反応を示すように薄くまぶたが開かれる。
「聞こえてるみたい」
弱々しい声で返すと体を起こし起き上がろうとするリズ。けれど痺れがからだを支配し一人では直立も難しい。燐に支えられてようやく体を起こす。
「やれないよなこれじゃ」
「やれなくはないわよ、やりたくはないけど。すごいわね体がビリビリしてるわ」
「さすがにあの攻撃には驚いたが実質これでタイマンだよな」
離れた位置からディックがこちらを見つめていた。余裕をたたえたその表情けれどやはり彼の声もまた楽な反撃ではなかったことを物語っている。するとディックは燐たちに背を向け離れていく。彼もまた仲間のもとに駆け寄るのだった。
「派手にやられたな。なめてたか」
「まさかジャップだとは言ったがこっちは真剣だった」
リズとは違いこちらは立つことさえ難しい状態だ。地に体重をあずけたまま声だけは元気を装う。
「だよな、手を抜いてたなら俺も黙ってない。まあ一減った隙に一減らしたから及第点だな」
仲間をそのままにディックは燐に視線を飛ばす。
「面白くなってきたなモンキー」
「リズが一撃なんてなにかの冗談だと思いたいぜ」
「医者紹介してやろうか?これが実力だっつうの」
「クラス3位は飾りじゃなかってことか」
互いに視線を外さない。怒りと殺気を込めた視線は互いを刺激し互いの神経をひりつかせる。
「こっからが本番だな」
「悪いがリズがやられた以上おまえを潰すことしか考えない」
「ちょっと、私痺れてるだけなんですけど」
リズの拳が燐のヘッドバイザーを冗談めかして軽く叩く。
「けどしばらくは動けないだろ?その間に終わらせとくよ」
リズの介入で殺気を潜めた燐は柔和な笑をリズに送る。リズに安心を自身に鼓舞を、闘志を何倍にも燃え上がらせて。リズを離れた場所で休ませるともう一度ディックに目を向ける。待ちかねたように佇むディック。無言の牽制が始まる。一秒二秒、体で感じる時の流れと現実のそれは二人には全くの別物。最高の一秒を求めて呼吸を整える、次第にふたりの呼吸が重なっていく。完全に一致したその時張り詰めた空気が割れた。
「うぉぉぉおおおお!!」
「あぁぁぁああああ!!」
相当広がっていたふたりの距離が一秒また一秒と時を重ねるごとにみるみる縮まっていく。まるで磁石に吸い寄せられるような急速なスピードで。
バァアン
ガァアン
互いが互いの顔を殴り合う。激しい音を立て拳を打ち付け合う。その激しさは衝撃吸収サポートがなければ首の骨がへし折れていたであろうほどである。三度会場を完成が包み込む。一撃目で事切れることなく続けて一撃、一撃を相手に叩き込む。もはや戦術もなにもない。ただただ自分の思いを機械の腕に乗せて解き放つ。重機がぶつかり合う音が歓声をかき消すほどの音量で響きあう。燐とディックの表情からは夜叉のような鬼気とした殺気を感じる。今は目の前に相手を打ちのめすことだけを考えている。
「倒れろぉお」
燐が言の葉を乗せて右腕をディックの胴に打ち込む。
「ブッ。舌噛むだろうがぁあ!!」
腹に加わる衝撃を意識から追い出しすかさず攻撃に移るディック。反撃のラリアットが燐の顔を歪ませる。反動を活かし、勢いのまま脱力し足先を前に押し出す。脚部噴射口からガスを吹き出しディックから距離をとるように後退する。足を引きずるように移動した燐の後とはえぐられた地面にその軌跡が残る。
「しぶといな」
「おまえもな」
疲弊した色を露骨に顔に出す両者。肩が呼吸で上下するのが傍からでもよくわかる。
「気持ち悪い」
「あん?」
なおも続く先頭でヘッドバイザーの中は汗で蒸し、その汗が頬を伝わり流れ落ち体はずんと重く感じる。
「決め手がないんだよな」
ぼそりと燐はつぶやく。激しい拳での応酬を経てここでようやく燐の頭は冷静さを取り戻しつつあった。呼吸を整えまぶたをとじる。そして桐生、レベッカから教わった戦い方を思い返す。けれどすでにやり尽くしたものばかりでこの場において有効な手段に行きあたらない。この間ディックの追撃も懸念されていたがそのディックも余剰な体力は残されておらずつかの間の安らぎに心を落ち着けている。燐の一挙手一投足を見逃さぬよう。
「よし」
目を見開きディックを捉えると駆け込み姿勢をとったままタイミングを見計らう。同じくディックもどう出るかわからない燐の行動に決して警戒の色を薄めない。
ドュウンブリュリュウ
意を決しディックめがけ突撃を開始する燐。数拍の間をおいてディックも駆け出す。格闘戦の間合いに入ったところで燐は体を右前方に傾けた。それに合わせるようにディックは進行方向に立ちふさがる。けれど燐はそこで右足を大地に擦りつけ内体重を乗せる。そして全身の推進装置を駆使して逆方向に急旋回を始めた。最短ルートで左旋回するとディックが目で追うより早く背後に回り込む。
ガキィイン
ぶつかり合う金属音、燐のその剛腕がディックの体を強く抱きかかえる。両腕ごとホールドされたディックは思うように動けないでいた。
「ぐっ、フェイントなんてかましやがって」
時と共に締め上げる力がさらに加わっていく。しかしまだこれでは決定打にはかけている。そして拘束した状態で燐はスラスターを点火。腕の中にディックを収めたまま前進を始める。唸りを上げる推進装置、前を確認することもなく機体は加速を続ける。全身で風を受け止めながらディックは呪縛から抜けるすべを模索する。けれどそれよりも先に視界を覆うように壁面が眼前に近づいて来る。
「そういうことかっ、このクソモンキィイ!!」
バゴォオウン!!
ディックが言葉を吐き捨てると同時に彼は正面から壁と激突する。砕かれた壁面、飛び散る瓦礫。この一撃は相当量のダメージをディックの体に刻んだ、凛とともに。そう、燐もただでは済まなかった。ディックを盾にする形とはいえディックごしに伝わる衝撃に燐も消して軽くはないダメージをその身に受ける。会場を支配する空気。目を見張る観客たち。声を出すことさえ忘れて目の前の光景をただ呆然とみつめる彼ら。激しすぎる攻防に生唾をただ飲み込む。しばらく経っても瓦礫から姿を見せない二人。するとぷしゃあと白い煙が二人の一帯を包み込む。冷却装置が作動し熱を放出し始めたのだ。白く染まる景色の中がれきを押しのけ浮かび上がる影。その影はそのまま音を立て仰向けに倒れこむ。ざわつく場内。もうひとつの影ものっそりと煙から姿を現す。腕をぶらんと下げ立ちすくむそれはディックの姿だった。顎を上げ空を見上げる薄く開いたそのまぶたに光はなかった。気を失っている。一分ほど身動き一つ取らずただ立ちすくみ。倒れこんだ燐に起き上がる気配はない。見かねた審判がふたりのもとに駆け寄る。審議の結果、意識不明先頭続行不可能ということで両者失格。勝敗は判定に持ち越されることになりひとまず試合は終了した。
Biiiiiiiiii!!
試合終了のブザーが鳴り響く。歓声が沸くかとおもわれたが壮絶な死闘を目にした観客たちからはざわめきが起こった。フィールドに残されたリズは動くことなく運ばれていく燐の姿を見つめていた。
「頑張りすぎちゃって、もう」
呆れともとれる言葉を選手のいなくなった会場でこぼすリズだった。こうして特進クラス同士により対抗戦の一幕は一応の終わりを迎える。