第二節「クラスメイト」
式が終わり、順々に新入生たちは、教師の指示に従い会場を後にする。自分の番がきた燐もそれに倣い廊下を歩いて教室まで向かう。教室のある廊下は、教職員棟と違い絨毯は敷かれていない。その違いに驚きながらもたどり着いた教室の前で表札をみる。
「よし」
燐の期待通り彼のクラスは、当初の希望通り特進クラスのようだ。この学校の特進クラスは2クラス有り、燐はそのうち特進クラスBに在籍することになる。
意気揚々と入口をくぐるとすぐさま不穏な空気を感じる。なんというか、ギスギスしてるという、なんというか、いろんな空気が混ざり合った不協和音を、肌で感じた。さすが多国籍マンモス学校。いろんな国の人間が集まればこんな空気になるのかと一人納得する燐。周囲を見回し空いてる席を探すと、ひとつだけ誰も座っていない場所を発見。近づき椅子に手をかけると
「待て、そこは私の席だ」
英語で話しかけられすぐには理解できなかった。なすすべなく遅れて入ってきた女子生徒に席を奪われる。少女の目の前で立ちすくんでいると、担任教諭らしき人物がづかづかと入ってきた。
「おまえ、なにやってんだ名前は」
「はい、獅童です。獅童燐」
「あ~おまえが補欠の」
ボリボリと気だるそうにタブレットで頭を書きながら男はそういう。そのまま教室を見回す教師。
「ああ。後ろのアレ予備の机あんじゃん。端末ねえけど」
すべての授業が電子端末で行われるこの学校。すべての教室の机と教卓には電子端末が備え付けられている。
「さっき、事務員さんが持ってきてましたけど」
「そうか、そうか」
燐を除いて現在すべての会話が英語を含む外国語で進行している。
「じゃあ獅童おまえそれ使っとけ」
燐に支給された机は、ほかとは比べ物にならないくらいみすぼらしい、木造の机。他が真っ白なパソコンデスクを使う中、この落差に人知れず心の中で泣いたのは、誰も知る由もない。
その後も出席、授業説明など外国語で進む中、なんとか単語だけを聞き取っていた燐だが、さすがに耐えかねて挙手した。
「なんだ獅童またおまえか」
「すいません、内容をうまく聞き取れなくて」
「おまえ外国語わかんじゃねえのか?」
「いえ、受験英語くらいしか」
燐の言葉にクラスメイトがどっと笑い出した。あまりの恥ずかしさに顔を赤くしてうつむいてしまう。
「ならおまえ、通訳機つかえよ」
呆れ声で言われてしまう。
「通訳機ですか?」
「わかんねえやつはみんなしてんだろうよ」
言われて周りを見渡すと全員ではないが何人か耳に補聴器のようなものをかけていた。
「あれが通訳機ですか」
「入学案内であったろう、自信のないやつは買っとけって」
そんな便利なものがあったことに、燐はいままで気づかなかった。その入学案内ですら、今日の午前中の物販の前に、配られてたものらしい。つくづく燐は後手に回ってしまっている。
「すいません、あとで買っておきます」
そう答えたあとに担任の口からため息が漏れるのを、それからクラスメイトから嘲笑をうけるのを感じて、意気消沈のまま腰を落とした。その後も脳をフル回転してオリエンテーションを聞き取り、各々自己紹介もこなした。幸いなことに翻訳機をつけていれば大多数に言語は理解できる上、その他の学生も3カ国語以上を要しているものまでいたため、自分の番が回ってきたときは、開き直って全文日本語で自己紹介した。それでもばかにされていないかとは内心ひやついていたが。その反面向こうの話し言葉は英語、スペイン語、その他の母国語で、最後の方は強くこめかみを押さえつけていた。ようやく終了の合図がなる頃には、実際よりも三倍時間が経っている心地であった。
その後、クラスメイトが入寮式に向かう中、呼び出しを受けた燐は再び学長室に向かった。今度は担任の教師とともに。
「ところで先生、お名前伺ってもいいですか」
「はあ?お前聞いてなかったの?」
「いえ、言ってなかった気が」
「そだっけ?・・・まあいいや。桐生。下の名前は勝手に調べろ」
「は、はあ」
「それにしてもおまえも大変だな」
「ええまあ」
「学内年間ランキング10位死守のうえ学校の雑用とか」
「ええ・・・ってなんですかそれ!?」
「聞いてないのかよ、おまえを入学させる条件」
学園長との会話を思い出す燐。条件を出すとは言っていたが、話を聞かずに二つ返事した上に、時間がなくそのままになっていたことをおもいだした。
言葉をなくす燐。
「まあ短い付き合いだろうがよろしくな」
その言葉には言外に、可能性の否定が込められていた。
そうこうする間に再び学園長室前についたふたり。
「おれはここでな」
ひらひらと手を振って去っていく桐生。
「案内ありがとうございました」
今のところ燐は桐生に対してあまり良い感情を抱いていないが、それでも深く頭を下げて礼を述べた。
「失礼します」
ノックをして数秒。返事がないのを了解の合図と受け取り入室した。中では紅茶片手に応接卓の上で書類とにらめっこしている学長の姿があった。
「学園長、返事がないので勝手に入らせていただきました」
燐の声にようやく訪問に気づき顔を上げる。
「おお、すまないね、かまわないよ。ちょうど書類に目を通しててね。こっちに来てかけたまえ」
「はい」
おずおずと近づき対面のソファに腰を落とす。
「これが君の書類だ。簡単な同意書になる。ほかの分はおうちに郵送しておくから今日はこの数枚にサインしてくれればいい」
差し出された数枚の書類には、同意書の言葉のもといくつかの文言が添えられていた。
「そのまえに学園長」
「ん?」
視線を燐に移す。
「その、ぼくの条件ってのを確認したいんですが」
「ああ、そうだったね。時間が経ってすっかりわすれていたよ」
「なんだかランキングがどう、とか」
「すでにきいてあるのか」
「いえ漠然とだけ」
燐は不安を押し殺すように片方の拳を、空いた手で強く包み込んだ。
「そこまで怖い顔をしなくても。まあ多少無茶は承知の上なんだがね」
学園長の顔は柔和だが、それでも何を言おうとしているのかは匂わせない。
「うちも含めて関連校で行われているんだけどね、学校ごとにAWを用いた実技テスト、定期大会での成績で査定を行い、一年を通して成績を競い合うんだよ」
「そのランキングで10位以内ですか」
「そうだね、もう少し甘くてもいいんだろうけど仮にも特進クラスだし、特進クラスは必然的に上位にくる。君も特進クラスに入りたくて受験したんだろう」
「ええまあ、それで結果はいつ」
「定期的に公表されるけど君には中期と年度末をパスしてもらおうかな」
「2回ですか」
「けどほかの考査も極端に悪ければこちらも考えを改めるつもりだよ」
生唾を飲み込んだ、首筋にもじわりと脂汗が浮いている。
「わかりました。自信はまだないですがその条件で頑張ります」
「そうか、そういってくれてうれしいよ。それと」
「まだなにか」
「君には放課後事務員として従事してもらうことになった」
「なんですかそれは」
いくぶんカタコトっぽくなってしまった。
「まあ簡単な手伝いだと思ってくれればいいよ。これはその、特例による学校側への体裁というか」
先程までとは違い居心地悪く切り出す学長。
「年間ランキングはあくまで外に向けたもので、これは学内の教職員をなっとくさせる手段なんだ。君も特例合格のせいで風当たりが強くなるのは困るだろう」
「言わんとすることはわかりますが具体的には」
「そのことは教務の五十嵐くんに一任してある。彼にまかせておけば大丈夫だろう。君のプライベートが削られることは目をつむってもらいたい」
いままでのことを頭の中で噛み締めながら燐は学長を見つめる。
「二つ返事で頷いたことを後悔はしていますがほかに残る方法がないなら、その条件謹んで受けさせてもらいます」
深く頭をさげた。
「そうか、そういってもらって助かるよ。期待しているよ」
学園長はほんとに喜んだ、というよりホッとした表情だった。彼にとっても悩みの種だったのだろう。
「あとの詳しい話は五十嵐くんに聞いてくれるかな」
「はい」
退室間際もう一度深くお辞儀をしてから燐は部屋を後にした。燐が去ったあと、カップ片手に学園長は自分の椅子に席を移した。大きな窓からカーテン越しに外を眺める。ぬるくなってしまった紅茶を一口すすり、目を細め期待を込めて青空を見つめた。
両手に山積みの書類を抱えて燐は、仕事のできる場所を求めて学内をさまよっていた。本当は自室で片付けたかったがどうにもそういうわけにはいかなかった。さきほど教務部の五十嵐に当面の住まいを紹介してもらった。当面というのは燐が本来の入学生ではない以上、当然彼のための寮も手配されておらず、それが用意されるまでの仮の住まいということだ。案内されたそこは今はもう使われていない旧校舎の宿直室。中に入って燐は唖然とした。パンフレットに載っていたお洒落な寮の写真とは似ても似つかない、旧時代的な宿直室の内装。掃除の行き届いていない畳敷きに、丸い輪っかがぶら下がった電灯。田舎の祖母の家を思えば住めない環境ではないが、大きく期待をはずされ、さすがにショックを隠せなかった、そのためそのまま外で仕事をすることにした。学内を歩き回り、空調の効いたカフェラウンジを見つけると、テーブルの上にどさっと書類の束を置きさり、セルフサービスの飲料水で喉を潤した。交通費で所持金をほとんど使い果たし、残りも心もとない。数日後に用意される学生証があれば学食を自由に利用できるらしいが、それまでは節制せずにはいられない。この学園は比較的富裕層が多く集まるなか、できることなら恥ずかしい振る舞いは避けて通りたいが、それも今は仕方ない。そう自分に言い聞かせて仕事に取り掛かる。仕事の内容は、合格者名簿と今日の入場者名簿の照会。コンピュータでなんでもできる社会でもこういう人力仕事はわずかながら残っている。名簿を照らし合わせ。本日の欠席者や2重記帳など間違いがないか地道に探していく。そのまま20分ほど作業に没頭していた。
「きみ、なにしてるの?」
また英語で話しかけられた。どうも話変えられる瞬間は身構えてしまうようだ。けれど英語だけならわからなくはない、あくまで日常会話は、落ち着いて声の主に振り向く。
目を奪われた。綺麗だな、髪が。さらさらと金色の髪がひらひらとゆれてその奥の宝石のような青い目が燐をとらえる
「えっと、あなたは誰ですか」
「わたしはリズベット、リズでいいよ」
「はじめまして、僕の名前はシドウリンです。よろしくおねがいします」
「ぷっ!」
挨拶をしただけなのに突然少女リズは吹き出した。
「なにかおかしかった?」
「いや、おかしくないけど。言い方が固いよ」
「ああ、そう。学校で習った英語だからさ」
「ごめんね、わらっちゃって」
「気にしてない」
「ところで・・・」
リズは燐の前に小高く積まれた書類に目をやった。
「それ何?」
「仕事。ごめん、うまく説明できない(英語で)」
リズはしばしなにか考えこむ。
「ふ~ん。ねえ、ワタシ暇してたんだ手伝ってもいい?」
「いいの?」
「同じクラスなんだしさ」
「そうだっけ?」
「うっそ?聞いてなかったのワタシの自己紹介」
「あ~、ごめん。色々とさ・・・」
「いいや、それよりやろやろ」
「うん、ありがとな」
それから半分に分けた仕事を、しばしば談笑しながら、片付けていった。燐には、リズの言葉をすべて理解することはできなかったが、彼女の優しさと明るさに触れられた気がして、今日一番の充実感を得た。その後もなんとか仕事をこなし1時間後には予定よりも早く仕事を終わらせていた。
「ありがとな、リズ」
「えへへ、今度お礼してね」
「安いもので頼む」
「冗談だって、私も楽しかったし。さて、お腹すいたから寮に戻ろうかな」
「そっか、じゃあまた明日」
「うん、またね」
手を振りながらその場を去るリズ。だが、途中で足を止め振り返る。
「そういえば、明日から早速面白くなりそうだよ」
「なにが?」
「いひひ、じゃあねリン!」
元気に駆けていくリズの後ろ姿を見送ってから、燐はその場を後にした。