2.リンゴさん、ふさふさする
一週間ほどおやすみしての再開です。ゆっくり行きたいなぁ。
ふさふさ。
触るとあたたかいふさふさ。
柔らかい毛に包まれて三角なふさふさ。
物音に反応してこちらを向き、不意に手を伸ばすとぺたんと伏せるふさふさ。
ああ、どうして私が世界を越えてまで蘇ったのか理由がわかった。このすばらしいふさふさに出会うためだったのだ。
ふさふさふさふさふさふさ。
「……リンゴ姉さん、診察はまだ終わんねーですか?」
はっ! いかん、意識を持って行かれてた!
首から鉱石のペンダントを下げ、不思議そうな顔をして私を見上げるミケ。その頭には――ふさふさのネコミミが生えていた。
「ミケ、お疲れ様。随意でも反射でもきちんと動いているようだし、拒絶反応もなし。完治とみなして良いと思うよ」
果たして期待通り、ミケの耳は異常なく定着した。
別に専用の調整が必要とはいえ、これで腕を治す算段も十分に付いたといえる。
「完治したーですか。……あたし、耳あった時期なんてー記憶にほとんどねーのに、でも、なんかうれしーです」
照れくさそうに居心地悪そうに、けれど、うきうきとした声色で、ミケは耳をぴんぴんさせた。
「うん。本当に良かった」
私はもう一度、ミケの頭――とついでにふさふさネコミミ――を撫でて、ちょっとだけ抱き締めてすぐ体を離した。
離した。
離した。
「リンゴ姉さん?」
「も、もうちょっとだけもうちょっとだけ!」
ふさふさふさふさふさふさふさふさ。ふぁあ、すっごい幸せぇ……。脳内で快楽物質どっばどば出てる気がするぅ……。
「リンゴが随分と壊れている気がしますわ」
「リンゴさん、こっそり可愛いもの大好きだからなぁ」
お黙り、ポチ。
美少女様が可愛いもの好きで何が悪い。絵面だってとっても良いのだぞ。
「実はリンゴさんの研究室にはぬいぐるみが――ぐふぁっ!?」
流してはいけないガセネタまでばら撒こうとした世紀の大嘘吐き野郎ポチをやむなく断罪。ここに眠れ。らーめん。
「ぼ、僕、嘘は吐いて――ぐげふっ!?」
たんめん。
校外実習を利用しての鉱物採取から戻ってさらに二週間。
太陽の隠れた曇り空、まもなく雨も降ろうかという中、王都アスミニアは『学園』の屋上に私たち四人は居た。
「な、何はともあれ、ミケ姉もリンゴさんも良かったっすね」
「ですわね。お祝いをしたいですわ」
復活したポチに賛同してニルも喜んだ。
ふむ。
言われてみれば確かに。大きな区切りだし、ぱあっと明るく騒ぐというのもいい。
「よし、お金は私が持つからミケの快復を祝って何かしよう」
おお、とポチニルから感嘆の声が上がる。
「リンゴさん、演劇はどうっすか? ちょうど王都に最近話題の劇団が来てるらしいっすよ!」
「ポチさんの観劇もいいですわね。けれど、ミケさんの耳が治ったお祝いですし、楽団の演奏会を聴きに行くのはどうかしら?」
「うげぇ、演奏会って……聴いてて疲れるじゃんか。ミケ姉もそういうの苦手だぞ?」
ポチの反応はどうかと思うが、ミケも音楽趣味ないしなぁ。仰々しい曲をじっと聴いてたら寝てしまいそうな気もする。
しかし、ニルは余裕の表情でちっちっち、と指を振る。
「ふっふっふ、ポチさん甘いですわよ。――リンゴが支払ってくれるらしいですから、楽団ごと呼べばいいんですわ!」
「おおっ! リンゴさんが呼びゃあ、曲目も選び放題か!」
「ニルそれいくらかかるの!?」
さすがにツッコむよ。ツッコんだよ。
「あ、なら僕はアレ聴きたいな。『止まり木ひっくり返ってエサ箱突っ込んだ』」
「わたくしも『おてんば姫脱走歌』を聴きたいですわね♪」
どちらもコンサートではまず聞かれない曲目。現代日本とは大分事情が異なるけれど、わかりやすくいえば『ポップス』に分類されるような曲だ。
「――お祝いなら、ご飯がいーです」
そこで、しゅぴっとミケが尻尾を立てて挙手……手? 挙尻尾した。
「あー……いや、ミケ。私に気を遣わなくていいよ? お金なんてどうにでもなるから、楽団本当に呼んでもいいし」
「さ、さすがリンゴですわね……。お金を気にせず楽団を呼べる平民など初めて聞きましたわ……」
「え、あれ? 冗談なんすか?」
ポチよ。君は本当にブレないなぁ。
「別に遠慮してるわけじゃねーですよ」
ミケはふるふると首を横に振る。
「あたしは、知らねー誰かに祝われるより、リンゴ姉さんとお姫様とポチ公とチビどもと一緒にうめーご飯食べてーです」
そう言われて異論などあろうはずもなく。
「あーもー、ミケは可愛いなぁ。絶対嫁にやらないよー」
ぎゅーっと抱き締めてかいぐりかいぐり。ふさふさふさふさ。ふぁあ、すっごい心がなごむぅ……。
「あ、あの、ミケさん? わ、わたくしも、少し触っていいかしら?」
「んぅ。ちょっとなら構わねーですよ」
おお、ニルよ。君もこの良さがわかるようになったんだね。よしよしおいでおいで。一緒にふさふさしよう。
「じゃ、じゃあ、僕も――」
「何考えてるんですの」「ポチ、冗談きついよ」「乙女の耳をなんだと思ってやがんです」
「だから、なんで僕だけ毎回辛辣なんすかぁああああ!?」
保護者代理としてポチを甘やかす気などさらさらないのです。ポチよ、強くなるがいい。なったところでミケはあげないけど。
からーんからーんからーん
「おっ」「あっ」「あら」「ん」
高く響く鐘の音に、みんなが目を向けた。
「始まったようですわね」
「お姫様は行かねーですか?」
「事が事ですわ。わたくしたち王族は控えて、十分な警護を与えて幕僚を参列させたと聞きましたの……」
ニルは残念そうに目を伏せた。
「私も、経緯を考えれば妥当だと思うよ」
「まあ、僕も他人事じゃねぇし。姫さんの気持ちもわかるけど、どうしょうもねぇよ」
「……そうですわね」
からーんからーんからーん
ぽつりぽつり、と屋上を濡らす雨が落ち始める。
街の活気は鎮められ、ただ鐘の音が終わるまでの間、私たちは。そしておそらく、街にスラムに住まう大勢が一時の祈りを捧げている。
王城からでは見えない。
かといって、『学園』からならば見える距離でもないのだが、それでもニルは『学園』の屋上で時間を迎えるのを選んだ。
「……どうか、安らかな眠りを」
唱えたのは誰だったか。
からーんからーんからーん
鎮魂の鐘が響く。
今から数年前に発生した、ネーベル市でのスラム暴動。
そこで犠牲になった、ネーベル市を治めていた貴族や地方官僚や豪商――そして、多くの一般市民の冥福を祈る。
どうか、彼らが天国に行けますように。
天国に行けないならば、せめて私のように、幸せな来世を迎えられますように。
からーんからーんからーん