2.リンゴさん、自称『勇者』を説得する
土煙とホコリが引いた階下に見えたのは、
「いっ!? あっ!? うあぁ、痛、痛く、痛い!?」
じたばたと左腕を押さえて転がるコータローであった。
私が放った三つの魔法のうち、当たったのはわずかに一発。だが、その一発はコータローの左腕を肩口から切り飛ばしていた。
切断面は焼き切られたため、見た目に反して出血量は少ない。だが、少ないといっても皆無ではなく、コータローを恐慌状態にするに十分なだけのものであろう。
ともかく、これでようやく冷静になるのではないか、話し合いできるようになるのではないか、そんな考えが私の頭をよぎり――
「コータローさんっ!」
「あっ」
――それを知ってか知らずか、止める間もなくアリサが階下へ飛び降りた。
「あ、あり、アリ、サ……ち、血が、血が、い、痛、痛い、痛いんだ。た、たた、助け、て!?」
「はい、追加の痛み止めはありますから安心してください」
そう言ってアリサは先ほどコータローに与えた小ビンと同じものを取り出す。なるほど、道理で鼻を折ったと思しきコータローが元気に戦えていたわけだ。
これでもまだコータローの戦意が衰えないとあらば、私は――
「ち、ちが、違う! お、俺、う、腕、腕が、腕がなくなっちゃ、ったんだぞ!? ――も、元に戻す薬、くれよぉっ!?」
その叫びに、私は頭が真っ白になった。
「コータローさん、何を言ってるんです? なくなった腕を元に戻す薬なんてありませんよ?」
「う、嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! あ、あるんだろ? え、エリクサーとか精霊の霊薬とか、何かきっと俺に都合の良い薬が! だ、出せよ! 早く! 早く!」
「ですから、ありません。少なくともわたしは持ち合わせていませんよ」
「――そんなわけない! ゲームだったらあったんだ! 漫画だったらあったんだ!」
なんて。
なんて。
なんて、莫迦な話か。
コータローは。この男は思い込んでいたのだ。
人を殺そうとしておいて、国とそこに住まう人の全員の生活を揺るがそうとしておいて、この男は心の底からこの世界を己のためのものだと思い込んでいたのだ。
「コータローさん」
「なあ、あるんだろ? あるんだよな?」
コータローはアリサに這うように詰め寄った。まゆを曲げてへらへらと泣き出しそうな笑顔で詰め寄った。
「ないものはありません。そんな凄いものがあればとっくの昔に使っていますよ」
「そ、そんな……」
青ざめるコータローに、アリサはにっこりと柔らかく微笑んで。
「さあ、『勇者』コータローさん。戦いましょう。大丈夫、痛み止めはまだありますし、血止めも用意してあります。精神を高揚させる薬だってあります。『勇者』は苦難のときにあって立ち上がるものですよね? コータローさんならできます。にっくき民衆の敵、魔女を打ち倒しましょう!」
至極機械的に、それまでとまったく同じ調子でそそのかした。
「む、む、無理、無理だ、よ」
ずりずりとコータローは後退る。
「大丈夫ですよ。『『勇者』は一度ピンチを迎えても、そこから立ち上がって敵を倒せる』んですよね? 腕一本くらい全然平気です」
いかにもコータローが語りそうな、『主人公』している『勇者』像。
だが、彼はそんな危機などとは無縁の位置で安全にぬくぬくと『勇者』を楽しんでいたのだろう。
「そ、それでも、む、無理。無理、だ」
「大丈夫です。コータローさんの位置からは、土煙で見えなかったかもしれませんが、わたしはちゃんと見えました。魔女は不可視の攻撃をしましたけれど、標的を定める方法は他の魔法と同じで――」
「ちが、う! そ、そうじゃ、ない! お、俺、死んじゃうかも、しれ、ないじゃない、か!?」
這って遠ざかりながら、枯れた喉に声をつかえながら、コータローは叫んだ。
しかし、その叫びにもアリサは変わらない。
「『どんな死地からでも笑って生還するのが『勇者』』でしたよね。なら、コータローさんは大丈夫ですよ」
「お、俺は」
「『窮地でこそ『勇者』は毅然とするもの』でしたよね」
「お、お、俺、は」
「『民のためにその身を呈して戦うのが『勇者』』でしたよね」
「……俺、お、れ、は」
「――さあ、『勇者』コータロー。戦いましょう。その肉の最後の一片まで尽して戦いましょう」
「お、お、俺は『勇者』なんかじゃ、ない! 違う! やめた! ――そ、そうだ! やめたんだ! お、俺は『勇者』じゃない! 嘘だったんだ!」
私は、法律家ではない。
裁判官でもなければ刑吏でもない。
彼にはアリサにそそのかされたところも多分にあっただろうと推察できる。
それにしても、それでも、あまりに責任感に欠ける言葉だった。
「……椎津光太郎といったかな? 抵抗の意志がないなら私はこれ以上君を害するつもりはない。投降してもらえるかい?」
だが、それでもこの事件に幕が下りるなら構わない。
わざわざ殺す趣味なんてないし……どれだけの力を持っているか定かではないコータローを放っておくことはできないから。
「た、助けてくれる、のか?」
「……君がきちんと私たちの話を聞いて、君の事情を――過去にさかのぼって話してくれるならば、私はそれほどひどい結末にはならないよう努力するつもりだよ」
私はそこで、ニルに目線を向ける。
「そうですわね……。わたくしが襲われる事件はなかった。その方がわたくしも良いですわ」
要するに、私はコータローに『ニル暗殺の予告状を出したことがないのか』を聞き出すつもりなのだ。
いろいろな不自然を抱えながら凶行に及んだからには、アリサを含め背景となる組織の関与が疑われるし経緯を聞き出しておく必要がある。――その後はどうなるかわからないけれど。
「す、する! 投降する! 助けてくれ!」
そう叫んで、コータローはアリサから逃げるようにこちらへとふらふら走り出した。
鼻血に鼻水、涙によだれとどこもかしこも格好の付かない『勇者』の顔は、ようやく『助かった』という安堵感に満ちたものに変わり――
――そのまま、銃声と共に爆ぜて潰れた。




