0.リンゴさん、自称『勇者』の鼻をへし折る
(物理)
男が向けた筒から放たれた轟音と同時に、ニルは尻餅をつくように後ろへ倒れた。
「ニルっ!?」
「姫さん!?」
「お姫様!?」
慌てて駆け寄る私の前で、
「な、なんですのこれ、びっくりしましたわよっ!?」
ニルはまったく平気な顔でひょっこり起きた。
「な、なんでぇ、音にびびっただけか……。姫さん、あんま驚かさないでくれよ」
「ち、違いますわよ!? 何かこう、圧力を感じたんですの!」
圧力、と聞いて私はニルの後方の壁へ目をやった。
そこには、確かに小さな穴――弾痕がひとつあった。
「へぇ、これが本物の魔術師が使う防御魔法ってやつか……。俺の銃弾をそらせるなんて、アリサの魔法とは大違いだな」
私は戦慄した。
この世界には、銃器が存在しない。
少なくとも私が知る範囲で、それが実用レベルに達する気配はなかった。
製鉄技術や火薬などは一応あるのだが、遠距離攻撃できる魔法という存在があったせいだろうか『砲』の概念がさほど発達していない。
だから、男が火縄に頼るとはいえ銃を手にしていることに驚愕し――
――それ以上に、この男の容姿に目を見張ったのだ。
黒い髪、黒い目、黄色い肌。体格に顔付きもそう、芋臭さと懐かしさが同居する嫌というほど見覚えがある造形。これではまるで――
「あのですね、コータローさん。わたしは賢者であって魔法は本職じゃないんですよ」
と、男に遅れて入ってきたのは、同じく二十歳過ぎであろう落ち着いた雰囲気の女性だった。
「つか、アリサ。未だに俺、賢者って何する仕事かわかんないんだが」
「きゅう……な、何か凄く屈辱的なことを言われた気がしますけれど、ちゃんとすべきことはしてますよぅ」
「そうかぁ?」
「誰とも戦わず今この場にコータローさんが居ることだってわたしの手引きがあってこそです」
ふふん、とアリサと呼ばれた女性が胸を叩いた。
「ああ、そっか。アリサは雑魚相手にしたくなかったからこんな面倒臭いことやってたのか」
叩いた手は額に当てられた。
「……と、とにかく、わたしはちゃんとやるべきことをやりました。あとは、『勇者』らしくびしっと決めてください」
「何、落胆してるか知らないけど任せとけ。俺は――『勇者』だしな! いでよ《ロングソード》!」
と、叫ぶと、しゅぽんと冗談みたいな音を立てて、一瞬にして諸刃の長剣が現れた。
――なんだ、それは。
確かに魔法であれば再現可能だ。現に私も『リンゴの書』に限ってはかなり自由に召喚できる。
だが、それは十分に仕込みをしたタネのある手品のようなもの。今見たものが魔法によるものであると考えるには、コータローと呼ばれた青年があまりに平然としすぎている。まるで、すべてをゲームと捉えて深く考えることを放棄しているような。
まさかまさかとは思いながら、私はもうその可能性を否定できない。
「転移チート持ちの日本人……」
ならばどうすべきか。
「さあ、行くぜ悪党ども! 俺が王族も貴族も富豪も一掃して市民の手に政治を戻してやる! アリサ、援護射撃頼むぜ!」
「はい、いつでもどうぞ」
アリサまでもが火縄銃を何丁も携えている姿を見て、私はどうすべきか。
こうする。
「私利私欲のために市民から搾取を続けるばかりでなく、継承権を放棄し王族の義務を果たすこともなく、挙句には死者を悼みもしないその態度! 俺がぶっ潰してや――ぶがぐっ!?」
「こ、コータローさん!?」
突っ込んでくるコータローとやらの眼前に氷の柱を発生させたら、ものの見事に鼻からぶつかった。
「……私は君に言いたいことがいろいろあるけど、そもそも歴史上この国の市民の手に政治があったこと自体ないってわかってるのかい?」
「ふ、不意打ちとは卑怯な――ぐがぶっ!?」
「コータローさん!? コータローさん!?」
飛び退くだろうと思って頭の後ろに氷の柱を発生させておいたら、これまた力いっぱいぶつかっていった。
「……君、それ銃を片手に飛び込んできて名乗りもせずに撃った人間が口にして良いセリフじゃないよ?」
「せ、正義のために小さなことは気にしな――ごべっ!?」
ならば頭を気を付け左右に逃げるだろうと、少々低い位置からせり上がる氷の柱がアゴに入る。
「小さなこと? 小さなことじゃないよ、君。大体、なんで銃器なんて使ってるのさ、チートして人生楽しむのは自由だけどそれがどんな危険物か知らないの?」
「き、危険物って、剣だってそうじゃないか――ばげっ!?」
上から氷の柱を落として頭頂部を強かに叩く。
「銃器がある時代とない時代は死亡者数がぜんぜん違うんだよ。もちろん生産や経済が総力戦を可能なものへと変わっていったのも理由だけれども、危険極まりない概念には違いない。君、考えた? 銃器なんて作ってそれが漏れたら、漏れて大量に作られたら、そのあとどれだけ無関係な人が死ぬか、一瞬でも想像したの?」
「い、いや、だって――ぐが!? ほご!? あが!? ほげぁっ!?」
前にも後ろにも飛び退けなくなった阿呆の鼻っ柱に、勢い良く氷の柱を叩き込む。一本二本三本四本……
「だってじゃないよだってじゃ。それ以前の問題だよ。事実を誤認してないか自分の目耳で確かめたの? ニルの決断を何だと思ってるのさ。次代争いに発展しないようより正当性のあるニルこそがあえて身を引くことで不幸の芽を摘んだっていうのに。君は、根本から間違ってるんだよ。この国の王族は珍しく民衆寄り。もちろん背景に豊かさはあるけれども、当代も次代も一般市民に優しいなんてまずないよ。それに『民主主義』がさも良いことのように勘違いしているようだけれども、そんなの十分に学のある市民が揃ってようやく思い描ける『幻想』だよ。何? 日本みたいに代議士を選挙で選出した間接民主制ならいいかって? 良いわけないだろう。その代議士を担当する学のある連中ってのは、ごくわずかな貴族だの商人だの豪農だの一部の一部であって、今現在この国を動かしている人員と大差ないんだよ。そいつらをまとめて排除しようとしてるんだよ、理解してるの? してないよね? 学を身に付けさせればいい? 誰がその分の予算と労働力を補填するの? 奴隷? 君の言い分だとそれも認めたくないんだよね? どうしたいの? 何? 政治経済的にこの国と市民に死ねっての? 大体、中学でも高校でも習うでしょうに。フランス革命で市民が暴動を起こして王侯貴族をギロチンかけまくった結果生まれた混沌を。それすらも有識者有力者が居たからこそギロチンのかけ合い潰し合い程度で――」
「あ、あのリンゴ?」
はて、なぜかニルが引きつった顔をしていた。
「あ、ごめん。ニル。少し待って、ニルの考えまるっきりわかってないお莫迦にもわかるよう徹底して叩きこむから。えーと、どこまで話したかな」
「いえ、その……彼、気絶してないかしら?」
「え」
見る。
「ぐ……ふぇ……」
アリサによりかかり、鼻血まみれで白目をむいていた。あと、鼻の形状は非常に複雑なことになっていた。
「……うっわ、モロいなぁ」
手加減したのに。
「リンゴ姉さん、人は鼻に五十本も氷ぶつけられりゃー気絶するーですよ」
訂正。感情に負けて微妙に手加減できてなかったらしい。失敗。
まあ、ともあれ王族襲撃犯を生かして捕まえることには成功したわけで。
「……で、アリサ、さんだったかな? 君はまだ何かするのかい?」
殺すのはオエーってなるから好まないけれど、ニルを殺されかけてまで傷付けられないわけでも殺せないわけでもない。それに、彼女が持っている危険な概念を外に漏らす気もさらさらない。私は尖っている氷の柱を手元に喚び出して彼女に問うた。
「すばらしいです、リンゴ・ジュースさん。慢心しきっていたところを不意打ちでとはいえ、コータローさんに攻撃の機会すら与えることなく倒してしまうとは予想外でした。ええ、はい、わたしに火縄銃以上の攻撃手段はないです。――ですので、リンゴ・ジュースさん。わたしの側についてくださいませんか? お金も爵位も如何様にもさせていただきますよ?」
ひゅがっ、と氷の柱は、アリサの髪を一房散らせた。
「私はそういう冗談が嫌いだよ」
目一杯の怒気を声に乗せ表情に乗せ、しかしアリサは焦る様子もない。
「本当に凄い魔法……恐ろしいほどの指向性です。髪だけをかすめるように氷の柱を、それも詠唱らしいものすらなく飛ばすなんて、これはもう魔法であることを疑う領域ですよぅ」
「……っ」
脅しめいたものを――『私が傷付けることを嫌うとは思っちゃいないよね?』とアリサの手足に氷の柱を突き刺すことまで考えて、余裕がすぎることに私は焦った。
「――ひとまず話は後にして、君には気絶してもらう」
「きゅ、きゅう……さすがはアスミニアの大英雄ですね、今わたしがされて一番嫌なところを見抜きましたか」
それまで変わらなかったアリサの表情が、一言で一変する。
だが、止まる気はない。
まず、手足の自由を奪い、気絶させ、コータローと引き離す。すべてそれからだ。
「でも、ちょっと遅かったですね」
そう言って、アリサは空の小ビンをくるりと手で弄んでみせた。
「う゛……あり、さ……?」
「おはようございます、コータローさん。さあ、敵を倒してください」
「なあ、アリサ……俺は、間違ってないよな?」
「はい、もちろんです。コータローさんは、難しいことは何も考えなくていいんです。考えるのはわたしの仕事です。だから、わたしが示した敵をただただ屠り続けてくれればそれでいいんですよ。『勇者』なんですから」
「敵……そうだな……俺は……『勇者』だもんな……! 間違ってるわけないよな!」
果たして悪寒はその通りに。
コータローは立ち上がってしまった。
「『勇者』を言葉で惑わそうとする毒婦を見事に討ち果たしてくださいね」
「任せろ。俺は――『勇者』だ。『勇者』コータローだ!」
いかにも『勇者』らしい――思考停止した言葉とともに。




