4.リンゴさん、遭遇する
ネーベル市には、苦労知らずのお坊ちゃんと笑われた男が居た。
彼は大店の主の長子として生まれ、実際モノとカネの不足には縁のない中で育ってきた。飢えや痛みなど一度も感じずに成人したのかもしれない。
それゆえか彼は優しすぎるきらいがある。利益よりも情を優先して損をすることもしばしばあった。しかし、彼のそうした商人らしくない甘さを快く思う人間も少なくはなかった。
まあ、かく言う私もそのひとりなのだけど。
「リンゴちゃん。お願いです! お金はいくらでも出しますからスラムの住人を助けてやってください!」
また商人らしくない依頼であった。
話を聞くと、新農法の失敗で農村から大量の流入があったのだとか。
急激に増加した人口を満足するだけの仕事はネーベル市にもスラムにもなく、彼らの大半はただただ路上で施しの時間を待つ生活を送っている。
「んー。若旦那、それなら食料を持たせて村に帰してやればいいんじゃないかな?」
「リンゴちゃんならそう言うと思いましたけれど、無理らしいです」
「どうしてさ?」
「虫害が発生して、対処が遅れたそうです。疫病と思しきものまで確認されて、終いには家も畑も焼き潰すしかなかったと報告を受けています」
どこで聞きつけたのか、不完全な知識のまま糞尿を肥料に使う方法を試したという。都合のいい話を鵜呑みにして安全対策を怠ったツケはあまりにも大きかった。
「リンゴちゃん。だから、彼らは戻る場所がありません。ネーベル市のスラムを追い出されれば、次の街にたどり着くだけの体力すらもないのです。どうか、助けてやってください」
「わかった。私がなんとかするよ。……けど、君にひとつだけ言いたいことがある」
私は身を乗り出して、半眼で彼を睨んだ。
「な、なんでしょう?」
「商人が『お金はいくらでも出す』なんて軽々しく言うもんじゃない、よ」
ぺち、とデコピンを一発。
「あたっ!? い、痛いですよ、リンゴちゃん!?」
「それから、『ちゃん』付けで呼ぶなって言ったはずでしょう、に」
さらに一発。
「痛っ!? で、ですから、痛いですってリンゴちゃん!?」
流れはともあれ、そんな風にして私はネーベル市の問題に関わることとなった。
肝心の『どのようにして助けるのか』という部分については、彼に案があった。
「リンゴちゃ……さんには、食料を大量に運び込んでもらいたいのです」
私、リンゴの飲み物名乗ってるけれどいつの間にかお茶にもなっていた。
それはさておき。
「若旦那、運び込んでも配給待ちの目処が立つだけで、スラムの住人にはやっぱり後がないままじゃないかい?」
「いえいえ、もっと多くです。ネーベル市とスラムを合わせても余って余って困るだけの量を持ち込んでください。――できるだけ安く売りますから」
ここで私は彼の意図がわかる。
「なるほどね、食料を流しつつわざと値崩れさせて過剰に居るスラムの住人に『よその都市に売りに行く』よう仕向けるわけか」
彼は優秀な生徒を褒めるように小さく拍手をして、
「はい。できるだけ当商会からの依頼という形を取ります。……まあ、結構な人数に持ち逃げされてしまうでしょうけれど。ははは」
と、弱った顔で笑った。
「まったく君はもう少し商売っ気を持ちなさいな」
「物心付いてからの性分ばかりはなかなか……。部下には損ばかりさせて申し訳ないです」
そう言いながらも、きっとこれは彼の私的な財産で行うつもりなのだと私にはわかった。
まったくまったく、こんなに甘い商人が居ていいものか。客に気を遣わせるなんて、商人失格もいいところじゃないか。
「まあ、今回は安心するといいよ。――私が手を出すんだ、少しくらいは儲けになる額で仕入れてみせるさ」
つられて私も苦笑いした。
「――結果としては、私のその気まぐれが間違いだった」
話を聞いていたポチとニルの体がわずかに揺れる。
この先の展開を知っているミケも、心なしか目が細められたように思えた。
「私ならば、早馬よりも早くあちこちの町村を巡り大陸間交易の船団よりも多くの荷物を運ぶことができた。彼が期待するところもそれだけだった。だから、その通りにしていれば良かったのだけれども……私は安くあげようとしてしまった」
馴染みのある近辺の町々だけでなく、遠方の村落、私が密かに持っていた隠し田などを回ってより安く集めようとして――ほんの数日、私は遅刻した。
「……山ほど食料抱えて私が戻ったときには、彼は首だけになって他の貴族や官僚のそれと一緒に街の真ん中に飾られていた。『貧民から搾取して私腹を肥やした糞商人』だなんて立て札までされてね」
ああ、気持ち悪い。いつもの吐き気もそうだけれどもそれだけでなく。
「街は無法地帯だったよ。民家も商店もドアを破られ金品はカケラも残ってなくて、道で笑う薄汚れた顔をした男どもは丈の合わない服ばかりがきれいな新品で、路地裏どころか表通りにすら平気で死体が転がっていた」
暴発したのは元からのスラムの民だったのかそれとも新たにスラムにやって来た民だったのか、今となってはわからない。
ただ、そのときにまで自らの意志で街に残っていたのは、暴虐に身も心も染まりきった人間の皮を着たケモノどもだけであった。
「私が助けることができたのは、逃げることもできずに隠れて怯えていた元ネーベル市民の女の子たったひとりだった……」
私がネーベル市に戻ったちょうどその日に鎮圧するための軍隊が市内に入った。ろくな武器も持たない暴徒たちでは、戦いらしい戦いにもならず降伏が相次いであっさりと騒動は終わった。
皮肉にも、私が運んできた食料は降伏した暴徒と軍隊の腹に収まって無駄にはならなかった。
「リンゴは間違っていませんわ! そんなの……そんなの、どう考えても暴徒が悪いに決まってますの! そうじゃなかったら……わたくしが、わたくし、が……っ!」
「姫さんの言う通りっすよ。リンゴさんは間違ったことはしてねえっす」
「リンゴ姉さんが居たから、ちびは助かったんじゃねーですか」
ぽろぽろ涙するニルを私は軽く抱き締める。
「ありがとうニル。ポチもミケも。でも、私はもう大丈夫だから」
そう。もうこれは終わった出来事。
悔しくて泣いて悲しくて吐いたけれども乗り越えた話だ。
彼のこともあの日の惨状も絶対に忘れないし次なんて起こさせないけども、不満が爆発する下地はあったのだし誰も悪くなくてしかたのないことだったと自分を無理矢理納得させたのだ。
「――さ、私の暗い話はここまで。帰ろう帰ろう」
ぱちん、と手を叩いて三人を急かす。
「わかりましたわ……」
「……ってあの、ニル? なんで、私を抱えていくの?」
「――傷心のリンゴを慰めるという体ですの!」
「体って言っちゃったよ!?」
「ふふふ……最近、ガードが厳しくなってきたリンゴが自分から抱き着いてきたのが悪いんですわ……もうわたくしは、わたくし自身でも止められないですの!」
「目が怖い、目が本気!」
しっかり腕をクロスされて逃げられない。ミケ助けてミケぇー。
「リンゴ姉さんはお姫様のお人形さんじゃねーです。あたしらの家のお人形さんーですよ」
「君もか!?」
で、
「「「……」」」
「な、なんで三人して僕のこと見るんすか?」
「そろそろポチさんがお莫迦なことを言うタイミングだったんですわ」
「ポチ公のくせに学習しやーがったです」
「ダメだよポチ、空気読まなきゃ」
「だから、僕はどうすりゃいいんすかぁあああ!?」
あははは、と三人で、すぐにポチも加わって四人で笑い合った。
ドアが押し開かれ、闖入者は現れた。
黒い髪、黒い目、細い体躯、二十歳を過ぎたくらいの男性が。
目ばかりをぎらつかせて、演劇じみた大きすぎる身振りに自らを陶酔させるように口を開く。
「式典にも出ず、そうやって好きに笑って……っ! ネーベル市の人たちは笑うこともできなくなったんだぞ!」
この見知らぬ男は、手に持った細長い筒を私たちへ――否、ニルへと向け。
「第三王女ニルウィ・ラ・エルス・アスミニア! その王族としての責務も果たさず怠惰に生きた罪! 『民主主義』への礎にしてやる! 命をもって償え!」
細長い筒は、轟音を響かせて発砲した。
結局、私は気付くことができなかった。




