3.リンゴさん、水芸する
「くちゅん」
しんみりとしすぎた結果がこれである。
「はぁあん♪ リンゴはくしゃみも可愛いですわ」
「はいはい、ニルもちゃんと髪を拭きなよ」
「んぅ」
「ミケ、動かないの」
「んぅー……です」
そわそわ耳が動くミケの頭にタオルを当てて丁寧に水気を吸い取っていく。逃げたいけど逃げないといった風が、飼いネコのようでとても愛らしい。
「リンゴさーん……もういいっすかー……? 寒いっすよぉー……」
と、私たちが居る教室の外からずぶ濡れポチが呼びかけてきた。
「まだダメ。ポチは着替えが終わるまで待ってなさい」
「うーっす……寒いっすぅ……」
ポチが泣きそうな声を出す。
むぅ。私もまだちゃんと拭いてないんだけどな。
「わかったわかった、私のタオル貸してあげるから」
「え、ホントっすか!? いいんすかホントにいいんっすか!? リンゴさんのタオルいいんすか!?」
「……ごめん、そこまで食いつかれると別の意味に聞こえる」
「どうすりゃいいんすか!?」
雨に濡れて放っておいたら風邪を引く。これ当然の話。
なので、鎮魂式が終わると、私たちはさっさと校舎に引き上げた。タオルを二枚しか持ってこなかったのはちょっとした誤算である。
「へえっくし! ひ、姫さん、僕にもタオルを……」
「ダメですの! このタオルはリンゴが使ったタオルですわ! 家宝にしますの!」
「やめて、大分やめて」
どたばた、と着替えたニルをくしゃみ混じりにポチが追う。
「り、リンゴざぁぁあん゛、別のタオルでいいっすからぁ。体拭かせて欲しいっすよぉ」
「えーと……」
私はひざの上を見下ろす。
「うにゃー……」
と、拭かれているうちにうとうとしていたミケが丸くなって寝ている。タオルをかけて。
「却下」
「うへぇっくし! そ、そんなぁ……じゃ、じゃあ、姫さぁん……」
「ダメですの! このタオルはまくらに入れて毎晩の楽しみにするんですの!」
「やめて、かなりやめて」
この体制だと私は追いかけられないんだから。
「てか! 姫さんだって使ったんだろ、そのタオルぅううう!」
「は、離しなさいですわ! わたくしのリンゴのタオルですのぉおおお!」
「うわぁ」
タオル一本で脆くも壊れる人間関係。嫌すぎる。
「はぁあ……あったけぇっす……」
ポチはふわふわと浮く光球で暖を取っている。この光球も私の魔法。触ると火傷じゃ済まない危なっかしい魔法だが、その場に浮かせればこのとおり簡易ストーブになる。
一方のニルは、
「ううぅ……せっかくのリンゴ味のタオルが……」
光球の危険を示す実例となって炭と化したタオルを前にがっかりしていた。というか、味って何。味って。
「んー。あったけーです……」
ほにゃっとリラックスした顔でポチに並んで光球にあたっているのはミケ。なんだかんだで一番得をしたのは彼女ではなかろうか。撫でたい。
教室の窓から外を覗けば、雨足は強まって、ごろごろと雷の音すら鳴り響いていた。
梅雨がなく、その分年中霧のような薄い雨が降るこの地域において、こうしてずぶ濡れになるほどのまとまった雨は珍しい。
「リンゴ、なかなか止みそうにないですわね」
窓に片手をあてて、見上げるようにニルは言った。
「そうだね」
打ち上げてある気象観測用の魔法の画像を見た限りでは、まだしばらく雨は続きそうであった。
「こほん」
と、ニルが咳払いをした。
「リンゴ、なかなか止みそうにないですわね」
「え、リテイク?」
「止みそうにないですわね」
わくわくした顔を向けられていました。
「えーと……止ませろと?」
「何か面白いものが見たいですの♪」
「そういうのは私じゃなくて芸人に頼もうよー」
実のところ、雨傘という文化は全世界的なものではない。
例えば、イギリスでは雨傘としての利用は十八世紀を待たねばならない。
それ以前のイギリスにおいては、傘といえば防水加工の施されていない日傘である。あまり強い雨が降らない地域なことも文化が根付くまで時間がかかった理由であろう。
気候的な条件でいえば、このあたりも似たようなところがある。まるっきり同じではないが、強い雨が珍しいという部分では似ている。雨とは、ざあっと降るものではないのだ。
そういうわけでアスミニア王国では雨傘は一般的ではなく、もし強い雨が降ったならば屋内で雨雲が過ぎるのを待つのが普通とされる。
要するに、
「リーンーゴー、ひーまーでーすーのー」
ということ。
「でも、正直暇っすよね」
「リンゴ姉さん、何か面白れーこと見せてくれっです?」
ポチもミケも期待顔。
「はいはい、これでいい?」
雨粒を集めて、手の平に乗るくらいの水球を作って浮かせた。
「イマイチですの」
「詰まんねっす」
「面白くねーです」
散々である。
「こ、これかなり真球に近いんだよ? 空気の流れはもちろん、重力による扁平も防ぐための力場が――」
「でも、派手さがねえっすよ」
ポチィイイイイ。
でも、悔しいかな、ニルもミケもその通りという顔をしている。
ぐぬぅ……。
「じゃ、じゃあ、いいよ。私も本気を出すよ」
『リンゴの書』を取り出して、マニュアル操作に変更。
水だけ操っては見づらいので、着色するために空気中からいくつか化合物を獲得。並列して、発色だけに頼らず発光させるための術式も展開。
構成は以前使ったものと同様に。ただし、規模を縮小して室内で再現させる。
「よし、できた。始めるよ」
下から小さな水球が打ち上げられ、天井付近で、ぽんと弾けた。
続いてさらに二発三発と打ち上げられ、色とりどりに散らしていく。
「わぁ」「おお」「おーです」
水の花火である。
ある水球はきらきらと輝いてその場に溶けるように消え、またある水球は輪を作って明るく爆ぜた。連続して上がった水球は同じ高さで、ぱちぱちと音を立てながら体積を減らし。滝を模した水球の群れの背後から突き抜けるように上がった二つの水球は、二条の輪を噛み合わせて明滅しながらきれいに落ちた。
「……と、こんな感じだけど、いかがかな?」
「凄いですわ! 凄いですの! リンゴは何でもできるんですわね♪」
「凄えっす! これどうなってんすか!?」
「面白れーです」
拍手拍手の大喝采。
楽しんでもらえたようで良かった良かった。ちょっとムキになって、要らん能力見せてしまった気もするけれど。
「あ、リンゴさん。雨止んでるっすよ」
見れば、ざあざあと降っていた雨はすっかり上がっていた。
ぐいと背を伸ばせば、ぽきぽきと軽い音が鳴る。思った以上に長い時間拘束されていたようだ。
各々帰り支度を始めたところで、
「それにしても……無理にわたくしに付き合わなくても良かったんですわよ?」
複雑顔のニルはそう言った。
「芸のひとつふたつ惜しまないさ。私だって雨なら帰れないことには変わりないよ」
「違いますわ、リンゴ。ずぶ濡れになるまで表で祈るのはわたくしだけ十分のはずですの」
「私は……無関係じゃなかったからね」
ニルは目をぱちぱちと瞬き、ポチとミケを順に見た。
「ポチ公は関係ねーですよ。あたしらの家……孤児院のちびのひとりが、そのときネーベル市に居たーです」
「そうなんですの……?」
「……私はね、遅刻したんだ」
あのときの無念を、私は少しだけ語ることにした。




