0.自称『勇者』が集落を救う!
――彼のヒーローは、怪獣となった。
必殺技はまだかな、と幼い彼は思った。
それはこのヒーローショーを見に来た子供たちの多くと同じ思いなのだが、彼の思いは色合いが少し異なり、
「はぁ……早く帰りたい」
と、このように冷めたものだった。
えい、やあ、とう。
威勢のいい掛け声とともにヒーロー役のスーツアクターたちが技を披露し、怪人役たちがくるくると倒されていく。
いつ終わるのかとやきもきしていた彼も、その動きに少しばかり惹かれてふらりと半歩前へ出たその瞬間――
「危ないっ!」
誰かがコードに足を引っ掛けた。
がたん、がたたん、とステージ上の音響設備がドミノ倒しのように連鎖的に崩れる。「あっ」と彼が呟いたときには、すでに頭上から数十キロはあろう巨大なスピーカーが転がり込んで来るところであった。
――死ぬ。
彼が初めて実感を持って理解した死に、けれども体は硬直して動かず、ただただ魅入られたようにそれを見詰めることしかできなかった。
そうして彼は、落下する重量物に潰される――
「ちびすけ、頭守れぇえええええええ!」
――その直前に己の命も顧みず飛び込んだ、ひとりの勇敢なスーツアクターによって救われることとなる。
「おう、ちびすけ。もう大丈夫だぞ?」
あたりが騒然となる中、そのスーツアクターはべっこり凹んだ頭を脱いで彼に笑いかけた。
彼が出会った本物のヒーローは、怪獣の頭を被ったバイトの大学生だった。
このときから彼のヒーローは、遠い宇宙の彼方からやってくる正義の超人でもなく、悪の組織に改造された人間でもなく、その名も無き怪獣となった。
――それがきっと最初の動機。
「だから、俺は『勇者』なんだって」
「ですからですから、『ユーサ』ですよねぇ?」
「だーかーらー、『勇者』。勇ましい者と書いて……ってこっちの文字じゃそうは書かないけど、『勇者』!」
「きゅう……コータローさんのいうことは難しくてよくわからないですぅ」
「まあ、アリサにもそのうちわかるさ。なんたって、俺はヒーローだからな!」
「『ユーサ』で『ヒーロー』な『コータロー』さん……ううぅ、どんどん複雑に……」
「いや、だから……」
男女の一行が集落と集落とを繋ぐ細い道を歩いていた。
勇者と名乗りコータローと呼ばれた少年は、軽装ながら腰に一本の剣を差して堂々と。
そのコータローにアリサと呼ばれた少女は、上等なローブをまといそろそろと。
「きゅうー……コータローさぁん、疲れましたよぅ……馬車に乗りましょうよぅ……」
「我慢我慢。俺らが我慢した分だけ集落に多くの物資が運べるんだ。それを思えばこれくらいへっちゃらさ」
「わたしは頭脳労働専門なんですよぅー」
コータローたちの後ろには、馬車が一台。そこには文字通り満載という他ないほど物資を載せられていた。
発端は、アリサが街で不作のうわさを聞きつけ、コータローに何気なく話してしまったことである。
アリサにしても世間話のつもりではなかったが、よもや翌朝までに路銀がすべて食料に化けていようとは思わなかった。
「んじゃあ、アリサは休んでいくか?」
「冗談はやめてくださいよぅ……わたしはコータローさんみたいに強くないんです。こんなところにひとりで置いて行かれたら、野獣にがおーされて、がぶーされちゃいますよぅ」
碧の瞳にうるうると涙を浮かばせ銀の髪を振り乱して「がおー」「がぶー」と表現する様は、容貌の端麗さに似合わない愛嬌がある。
そんなアリサに手を差し伸べ、明るく笑ってコータローは口を開く。
「お姫様抱っことおんぶ、どっちがいい?」
「……そんなこと言って、わたしがおぶさった瞬間に全力疾走するのはナシですからね? 絶対絶対ナシですからねっ? あれ、すっごい怖かったんですからねっ!」
「大丈夫だって、俺が走っても馬車置いてったら何の意味もないじゃないか」
聞いてか聞かずか、ぶひひんと馬車を引く馬たちがいなないた。
「ってわけで――よっと」
「ひゃっ!?」
返事を待たず、コータローはアリサをお姫様抱っこして歩み出す。
十代後半の女の子。重いといえば怒られそうな年頃の少女とはいえ重量がないわけではない。
しかし、やや貧弱なきらいすらある細身の少年――コータローはその数十キログラムの重量を意にも介さずまっすぐに歩く。
「いやー、本当にチートってすげぇわ」
「ち、『チート』って、あ、あの、物を創るだけじゃ――ひゃんっ!? コータローさん! ちゃんと支えててくださいよぅ!」
「あ、悪い悪い」
と、落ちそうになったアリサの態勢を直してやり……その過程で、おしりや太ももに触れるといった少々の役得があってコータローは、にへらと顔を緩めた。
「コータローさん?」
「え、あ、えーと、そう。俺のチート能力はこうして――いでよ《メロンソーダ》!」
しゅぽん、とコータローの手元にグラスに入ったメロンソーダが現れる。
「――って『記憶にある物を創る』ものだけど、単純な筋力なんかも補正かかってるみたいなんだ」
その他、コータローは翻訳能力も便利に使っている。文字の読み書きまではどうにもならないが、そのあたりはアリサに頼ればいいのでさほど苦労していない。
「はい、アリサ。冷たくて甘いジュースだよ」
「あ、ありがとうございます。凄い色ですけど……ぷっひゅう!? な、なんですかこれ、しゅわしゅわしてますよっ!? 毒ですか!? 毒なんですかっ!?」
「あー、そういや、こっちには炭酸飲料なんてないもんなぁ」
言いながらも、コータローの表情には「異世界のお約束がまた一個見れた!」と喜色が混ざっていた。
「いやー、終わった終わった」
と、コータローはすっきりした表情で伸びをしながら集落に停めた自分の馬車へと向かう。
「コータローさん、本当に全部置いて行くんですねぇ……」
呆れるべきか褒めるべきか、微妙な表情でアリサはコータローに続いた。
コータローは集落に来るや否や、ろくな交渉もないまま満載した物資を惜しげもなく降ろして配った。
この冬を生きて乗り切れるのか家族の身売りをしなければならないのかと恐々としていた住人たちは、コータローのこの行いに大いに喜び口々に称えたのであった。
「そりゃ、俺だって多少はもったいないかなーって気もするけど、それで彼らの笑顔が買えたんだ。安いもんだと思わないか?」
「それが……コータローのいう、『勇者』らしい行いだからですか?」
「おう! アリサもわかってきたじゃんか。困っている人を救うためにあるのが『勇者』だ!」
むん、とポーズを決めてコータローは得意気にした。
「まあ、剣を振るう機会がなかったのはちょっと残念だったかなって思うな」
「そうなのですか?」
「ああ、『勇者』の本分は人を守るために戦うことだ。物資運びも悪くはないんだけど――」
「――あ、あの恩人さん。その話、本当でしょうか?」
声の主は十歳ぐらいの小さな女の子だった。
「本当だとも。俺は誰かを守るために戦う男だ」
腰をかがめ、女の子の目線の高さに合わせてコータローは力強く答えた。
それに対して、女の子は
「お願いですっ! 森の獣を……お父さんの……お父さんの仇を討ってください!」
涙混じりにこう訴えたのであった。