パンの勇者
パンの勇者が教会を訪れたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
教会で働くセラフィーナも、名前は以前から知っていた。教会では毎日、生活に困っている者へパンを無料で配っており、その費用のかなりの部分をパンの勇者が寄付していた。ほかの町の教会や救貧院にも金を出していると聞いていたが、本人がここへ来ることはほとんどなかった。
昼前に馬車から降りてきた男は、出迎えた司祭たちに挨拶を済ませると、そのまま配給の準備をしている場所へやってきた。昔のように、今日配るパンにも能力を使ってくれるらしい。
彼も地球からこの世界へ転生し、その際に特殊な能力を得た一人だった。
触れた食べ物を、美味しくする。
それが彼の能力だった。
毒を消せるわけでも、腐ったものを食べられるようにもできず、量や栄養が増えることもない。能力を使うには、自分の手で食べ物に触れなければならなかった。当初は、さほど重宝される能力ではなかったという。
それで彼が始めたのが、教会で配るパンを美味しくすることだった。
救貧用のパンはもともと安い材料で作られていた。それでも彼が触れれば味がよくなる。
ならば、もっと安い穀物を混ぜても構わないのではないかと試され、それでも以前より美味しかったので割合が増えた。材料費が下がれば、その分だけ数を増やせる。彼が教会を回っていたころには、同じ金額で以前より多くの人間へパンを配れるようになっていた。
パンの勇者という呼び名も、そのころについたものだった。
その日は朝から、教会へ運び込まれたパンが長いテーブルの上に隙間なく並べられていた。勇者は袖をまくると端から歩き始め、手のひらをパンの上へ滑らせていった。後ろから教会の者たちが籠へ回収し、空いた場所へ新しいパンを並べる。
セラフィーナもその中に加わった。
「まだこんなにやっていたんですね」
勇者は並べられたパンを眺めてから、また手を動かした。
「前より増えていますよ」
近くにいた司祭が答えた。勇者が寄付を続けていることもあり、配給を受けられる人数は当時より増えているという。
勇者はそれを聞いて頷き、そのまま次の列へ移った。
昼までには、用意した分をすべて終えた。
配給が始まると、いつもとは様子が違った。受け取った者がその場で食べ始め、子供は一つを食べ終わらないうちから母親の袋へ手を伸ばしていた。普段なら持ち帰る老人も、教会の壁際に座ってパンをちぎっている。
セラフィーナも余った一つをもらった。
見た目は毎日食べているものと変わらない。硬い皮を割って口へ入れると、普段は鼻につく穀物の臭いが気にならず、噛んでいるうちに甘みが出てきた。水がなくても食べられる。
半分まで食べたところで、残りを包んでおくことにした。
パンの勇者が教会へ来なくなった理由も、セラフィーナは聞いていた。
能力は粗末な食事に使わなければならないものではない。一流の料理人が作った料理に触れても、味はよくなる。高価な食材を揃え、専属の料理人まで抱えている貴族や大商人が、それを求めるようになった。
今では王都の宴席へ招かれることも多かった。
料理を作る必要はなく、出された皿に触れて回ればいい。それでも払われる金は、教会で一日パンを撫でることとは比べものにならなかった。
午後になると、勇者は司祭と寄付について話をした。今年も前年と同じ額を出すらしく、司祭は何度も頭を下げていた。
帰り際には教会の者たちにも礼を言い、次に来られる時期は約束できないと謝った。
セラフィーナたちは門の前まで見送った。
勇者を乗せた馬車が通りへ出て、王都の方角へ走っていく。
中へ戻ろうとしたところで、入れ替わるように荷車が門をくぐってきた。
明日以降に配るパンだった。
セラフィーナも荷下ろしを手伝った。荷台には見慣れた黒っぽいパンが積まれている。持ち上げるとずっしりと硬く、近づければ混ぜ物の穀物の臭いがした。
一台分を運び終えて門へ戻ると、外には同じパンを積んだ次の荷車が待っていた。




