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ノエル・シュトレはシュトレ子爵家の三男で、リンディア騎士団に所属している。
リンディア伯爵家は、北の辺境伯の腹心とも呼べる寄子で、辺境伯から領地防衛の一部を任されている。北の国境線は長く広い。異民族が国境を侵犯してくる事もあり、リンディア伯爵家は辺境伯に認められて騎士団を所持している。
ノエルはリンディア家の嫡男であるミスルトの乳兄弟で、長年側に仕えてきた。
異民族との戦闘中に崖から転落したミスルトを庇い、雪に隠れていた岩で右足を強打したノエルは足をひきずるようになった。
無理をすると歩けなくなる可能性があった為、リンディアの街で療養する事になった。騎士として得た誇りは失われ、ノエルは落胆していた。
ノエルが怪我をしたのは、サビアが隣国に来る一月ほど前の事で、ほぼ同時に同じアパートに入居する事になった。
「隣国のお嬢さんが、サンディの家庭教師になってくれる事になって隣に住むわ。何か気になる事があったら、私達に知らせて欲しいの」
リンディア夫人はそう言って笑った。
「え?女の子ですか!?」
騎士学校の寮や騎士になってからの宿舎にも、若い女性が居た事のないノエルは目を白黒させて叫んだ。
「交流はしなくていいわ」
「はぁ」
「婚約者関係で傷ついて国を出て来たの。隣国でうちの領地の熊皮や鹿皮を扱っているパネト伯爵の縁者なの。できれば信用できる人に住んでほしかったのだけれど、二階でしょ?引退した元騎士や侍女には断られてしまって。寒いと膝に来るって言われたら無理強いできないわ」
このアパートは一階がエントランスと応接室やキッチン、燃料置き場になっていて住めないのだ。
「まさか、俺の療養場所がここになったのは……」
「ノエルなら信用できるからよ」
足をひきずっているのに二階の部屋に入れるのはおかしいと思っていたのだ。
「かえって怯えませんかね。体もでかいですし」
「だから交流しなくていいって言っているでしょ。後で私の方からあなたの素性は伝えておくわ。年頃のお嬢さんをひとりぼっちにしないであげて」
「奥様、俺、怪我人なんですけど」
「つべこべ言わないの!異民族は怖くないのに女の子は怖いの?」
「う……分かりました」
リンディア夫人の笑顔の圧に押され、ノエルは言う通りにするしかなかった。
女の子がやって来たのはそれから数日後の事だった。
ゴトゴトと荷物を入れる音や声が聞こえる。交流しなくていいと言われたので、出て行かない事にした。
やがて荷物の運び入れも終わり、部屋が静かになった後……すすり泣く声が聞こえてきたのだ。
(泣いてる!)
ノエルは、わたわたした後で途方に暮れた。そして……決意した表情になり机のところまで移動して、紙にペンを走らせる。
パウンドケーキをリンディア夫人が置いて行ったので、それをナイフで厚く切り、皿に乗せると部屋を出て、紙を添えて隣の部屋の扉の脇に置いた。
『引っ越しは大変なのでお腹が空いたと思います。是非食べて下さい。くるみが沢山入っているので、満足できると思います。隣の者より』
耳を澄ましてみたが、泣き声が聞こえなくなった。
これで良かったのか……多分良くない。しかし、ノエルは女の子の扱いなど知らない。だからもういいと開き直って、さっさと眠る事にしたのだった。
翌朝、コトリと扉の前で音がして、軽い足音が階段を降りて外へと出て行った。窓から見ると、小麦色の髪を小さな髪飾りで留めてハーフアップにした女性の背が見えた。
(本当に女の子だ)
顔を見ていないのにドキドキしたノエルは、恐る恐る扉を開けた。すると昨日の皿が戻って来ていた。その上には手紙が載っている。
『おいしいケーキをありがとうございました。お陰で元気になれました。隣の者より』
隣国とは言葉が違う。だから、ちょっとだけ言い回しが違うなと思いながら、綺麗な文字を指でなぞる。ずっと暗い表情をしていたノエルの口の端があがった。
右足を酷使しなければ、あとは健康だと言われていたノエルは、ここに来てから初めて軽い訓練をしてみようと思ったのだった。
その日の夜、サビアがノエルの元にやって来た。
小麦色のストレートの髪と、白い肌、青い目はアーモンド型でまつげも長い。優しく弧を描く眉も、小さな鼻も口も、ビスクドールの様に整っている。
サビアの姉も大層な美人で有名だったのだ。サビアも美人だ。
サビアがエントの仮の婚約者に選ばれたのも、エントの美貌に負けない令嬢だった事もあるのだが……サビア本人は知らない。
(うわぁ!かわいい)
ノエルはそれ以上考えられないまま、サビアをただ見つめていた。
すると、困った様にサビアがおずおずと口を開いた。
「あの、奥様から様子を見て来て欲しいと頼まれまして……」
二人分の食事の入った籠を見せられて、ノエルは我に返る。
「と、とりあえず、入ってもらっても?」
「はい」
暖炉の側のテーブルに脚をひきずって歩くノエルの姿を見て、サビアは速足で中に入ると扉を閉め、テーブルに籠を置いてすぐに椅子を引いた。
「あ、お構いなく……」
「暖炉にかけた鍋のお湯でお茶を淹れますね!」
笑顔にぼうっとしかけて、ノエルははっとして言った。
「……お願いします」
食事の配膳をてきぱきと行い、サビアはお茶を淹れてノエルの前にそっと置く。
「ここまでしてからですが……ご一緒してもいいですか?」
「も、もちろんです!」
サビアはほっとした様子で向かい側の椅子に座ったのだった。




