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呪われし踊り手

『踊りの女神』は、その地方一帯を統べていた。踊りの神とはいいながら、その地の気候も天候も、機嫌しだいでどうにでも操れた。何でも好きに出来たが、めったにそうはふるまわなかった。


 ――当然だ、わらわは神なのだ。小さな人間とは違う、己の機嫌ひとつで大雷を起こし、水害で街を流し尽くして良いものか。わらわは出来るだけ自分を殺し、何にも心を動かされず、上機嫌にも不機嫌にもならず、風のないみなのような感情をもって過ごしてゆこう――。


 それは神なりの持論だった。力を持つ者の、持つが故のあきらめだった。だからその地方に住む人間たちが、やがて祭りをおろそかにし、踊ることを忘れていき、神をあがめることすらそろそろ『茶番』だと思うようになっていっても、ほおに薄い笑みを浮かべて、ひたすら黙って耐えていた。


 そんなある日、女神の前に生まれたばかりの赤ん坊が現れた。久しぶりに信仰のあつい若い夫婦が、洗礼をほどこされに神殿を訪れたのである。


 赤ん坊の顔を見て、女神は思わず息を吞んだ。――美しい。生まれたばかりでこれだけ美しい赤子なら、成長すればどれだけ素晴らしい容姿になるか……、


 考えた女神の胸の内に、むらむらと欲望が湧き出した。踊らせたい。この赤子が成長して素晴らしい踊り手となるように、この男児の運命をこの手で握ってしまいたい。


 踊りへの情熱を殺し続けてきた神の、秘めていた想いがこのとき一気に噴き出した。神は今までの自制を忘れ、赤子に『洗礼』をほどこした。その白く細い指さきで、赤子の胸に、くちびるに、そしてひたいに順に触れ、声なしでこうささやいたのだ――『永遠に踊れ。踊り続けろ』


 若い夫婦は、このひと言に気づかなかった。自分たちの信仰する美しい女神が、生まれたばかりの愛しい息子に洗礼をほどこしてくださったのだと、そう信じ込み喜んでいた。


 そして十二年ののち、ウィリアムと名づけられた赤子は美しく成長し、この国一番の『若手の踊り手』となっていた。彼ひとり、ウィリアム本人だけが、女神の呪いに気づいていた。


『ウィル』と彼の愛称を呼び、女神は眠るたび夢の中で、赤子のウィルに夜ごとに呪いをかけ続ける。『永遠に踊れ。踊り続けろ』……、


 ――ウィルは誰にも呪いのことを打ち明けなかった。打ち明けられるはずがなかった。今このぼくは、この国で一番期待されている踊り手だ。呪いのためだと、この素晴らしい踊りの技は、呪いにかけられただけの上っ面だ、ハリボテだなんて、今さら言えるわけないじゃないか――!!


 彼は苦しかった。踊り以外のことにも目を向けてみたかった。自分は神のマリオネット、この素晴らしい踊りの技はぼくの才能なんかじゃない。救われたい、自分の意志を持ちたいんだ。神の呪いから解放されて、その時には、その時には……、


 けれどそうなったら自分は何がしたいのか、自分でもよく分からなかった。ただひたすらに解放されたい、呪いから自由になりたいと、砂漠で渇いた遭難者が水を求めるように、死ぬほどこいねがっていた。


 そんなある日、舞台を降りたウィルの控え室に、ひとりの青年が訪ねてきた。青年は花束も差し入れも持っておらず、ただウィルに近づいて耳もとでそっとささやいた。


「――君、呪われているね」

 心臓が破裂したかと思った。ウィルはばくつく胸を押さえて、声もなく青年を見上げることしか出来なかった。青年はちらとあたりに目を走らせ、他に人影がないのを確かめてから微笑んだ。


「驚かせたね、私はストーリ。異国から来た吟遊詩人だ。これでも亜人の血を引いていてね、呪いや何かに敏感なんだ。舞台を見せてもらったよ。君の踊りに違和感を感じて……ビンゴだね、相手はこの地の『踊りの神』かな?」


 たたみかけてこう問われ、ウィルは思わずうなずいた。何度もなんどもうなずいた。その宝石のような青い目から、大粒の涙がぽろぽろこぼれ出た。ストーリは骨ばった大きな手で、柔らかくウィルの肩を包み込む。あたたかい手だった。すべてが赦され、すべてが救われるような手だった。


「君を呪いから解放しよう。今はまだ準備が出来ていないが……ウィル、ちかぢか君がひとりになれる時間は? 休みはないのか、ここ最近?」

「――ら、来週の水曜日、一か月ぶりのお休みが……両親は月一回のデートで出かける予定なんです……ぼくも誘われたんだけど、ぼくはお休みなんてめったにないから、家で本でも読んでいたくて……」

「よし、じゃあそのとき君は家でひとりか。分かった、その時に呪いを解こう、君を神から解放しよう……じゃあウィル、今夜はゆっくり休んで……」


 さらさらと流れるように言葉をかけて、ストーリはすっと控え室を出ていった。なんだか夢みたいだった。それでも夢ではなかったことを、ウィルはその夜思い知った。


 ――夢を見なくなったのだ。その晩から『永遠に踊れ。踊り続けろ』という、あの夢を。


 それからの一週間、ウィルは自分が自分でなくなってしまったようだった。解放されたい、されたくない。呪いはもう嫌だ、ただの自分になるのも嫌だ。どうしよう、どうしたら良い、いったいぼくはどうしたい――?


 そうして一週間後、家を訪れた吟遊詩人を、ウィルはおずおず拒絶した。


「……呪い、いいです。解いてくれなくて良いです」

「それは、どういうことなんだい?」

「あのっ……ぼく、神様を怒らせたくないんです! 神様は怒ったら本当に恐いんでしょう、大水を起こしたり、恐ろしく激しい雷を落としたりするって言うでしょう? もうこれは、ぼくだけの問題じゃないんです、このあたり一帯のみんなも巻き込む問題なんです! だから、だからぼく……」

「神は死んだ」

「――……え?」

「言った通りだよ、踊りの神は死んだんだ。君に呪いをかけたすぐ後、自分の過ちを悔やんでくやんで……良心の責めに耐え切れず、存在が消え失せてしまったんだよ、燃え尽きたろうそくみたいにね。どうだろう、ここ十二年ほど、踊りの女神は神殿に姿を見せなかったんじゃないかい?」


 思いあたることばかりで、ウィルはぱくぱくと金魚みたいに口を動かし、やっとの思いでこう訊いた。


「……だって、呪いは……」

「そう、呪いだけ残ったんだ、君の内側に……まるで幽霊みたいにね。だからもう良い、他の人のことなんて気づかう必要はもうないんだ。神殿に残っていた、神の意識のざんも言った、『申し訳ないことをした』って。『あの少年に詫びたい』って。もう良いんだ、何も気にかけることはない……」


 そう告げて、ストーリは()()とウィルのひたいへ手を伸ばす。骨ばった指が、その細長い指さきが、夢の中の女神のように、ひたいに触れて……、


「――嫌だ!!」

 絶叫がのどをつんざいた。ウィルは叫んだ、本心から。


「嫌だ、嫌だ!! ぼくは踊っていたいんだ!! 自分の足で、この足で、ずっと踊っていたいんだ!! たった今気づいたんだ、ぼくは踊るのが――!!」

「もう呪いは解けたよ。ウィル、これからはもう呪いなしで、君が一番したいことをして生きていけ」


 そう言い残し、吟遊詩人は静かに家を出ていった。その後ろ姿を見送るうちに、ウィルの目にいっぱいに涙がたまってきた。


 ――自由だ。ぼくは自由だ。呪いは解けた。体も軽い、生まれてきて今の今まで味わったことのない体の軽さだ……、


 ウィルは泣きながら庭に出た。つっとつま先だち、小さくその足で駆け出した。踊り始めた。小花の乱れ咲き、白いチョウたちの舞う庭を、自分の足で。自分の意志で。今までで一番楽しかった。今までで一番、美しかった。ウィルは泣きながら笑いながら、いつまでもいつまでも踊り続けた。


* * *


 そうしてウィルは、自分の意志で素晴らしい踊り手であり続けた。年老いて足がきかなくなっても、コーチとなって若手を育成し続けた。百まで生きて、惜しまれながら世を去った。


 偉大なウィリアムのお墓には、未来の踊り手たちに向けた、短い言葉が記されている。


『自分の足で』

『自分の意志で』……。


 ウィリアムが世を去って、半世紀が経とうとしている。青空のもとでも、雨の日も、お墓には常に人影があり、花の絶えることはない。


 あまりにも天気が良すぎて入道雲がもくもく上がり、一雨来そうな夏の午後、ひとりの青年がウィリアムの墓を訪れた。あの日のあの吟遊詩人と、まるでそっくりな姿をしていた。


 青年は静かに墓前へ花を供え、なつかしそうに、しみじみと、墓碑の言葉に手を触れた。骨ばっていて、大きな手だった。すべてを赦し、すべてを救ってくれそうな……。


 青年は黙ったままで立ち上がり、小さく歌を歌いながら、ウィルのお墓に背を向けて、お日様に向かい歩き出した。白いチョウチョがひらひら飛んで、青年の肩にちょっと触れてから飛び去った。


 ――自分の羽で、自分の意志で、踊っているみたいだった。


(完)

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