三塁手 新井菜那
「ふわぁ~、おはようにゃ」
パジャマのまま、まだ寝足りないと言わんばかりに大きな欠伸をしながら挨拶をする。
どんな寝相をしてたのか、上着は左肩がずり落ち、ズポンの右足は捲れ上がっている。
癖毛の髪は、寝癖との相乗効果で縦横無尽に自己主張をしていた。
まさに、だらしないを絵に描いたような姿である。
「お早くないわよ、さっさと顔を洗って支度をなさい」
母親に促され洗面所に向かう。
顔を洗い、髪を整えダイニングへ戻る。
「まだそんな格好で、着替えてきなさい」
「ふっふっふっ、着替えてご飯食べたらこぼしたとき大変にゃ、これは危機回避と言うのにゃ」
さも得意げに言い切る菜那に、母親は呆れながらも提案する。
「食べてたら間に合わないわよ。おにぎり握ってあげるから持って行きなさい」
「鮭がいいにゃ」
「分かったから早く着替えてらっしゃい」
ちゃっかり具のリクエストをする菜那に、溜め息を吐きながら母親が言うと「アイアイニャー」と敬礼をし、着替えに向かった。
制服に着替え、再びダイニングに戻ってきた菜那は、事もあろうにテーブルに腰を下ろした。
「菜那、なぜ座ってるの?」
おにぎりを握っていた母親も菜那の行動を見て、少し叱るような口調になる。
そんなことなどお構いなしに菜那は笑顔で答える。
「おにぎり食べて行くにゃ」
おにぎりを包もうとしていた母親に向かって、そう宣言する。
「遅刻するわよ!」
流石に先程より口調が強くなる。
「大丈夫にゃ、菜那の自転車は早いにゃ。母様は知ってるかにゃ、車が動くにはガソリンが必要にゃ、菜那の自転車はご飯が必要なのにゃ」
その言葉に怒りを通り越し諦める母親であった。
「ほうほふうぃーたふぁ(そういえばみーちゃんは)?」
おにぎりを口いっぱいに頬張りながら、ここにいない妹のことを訊ねた。
「とっくに学校に行ったわよ。菜那は入学式の手伝いでしょ、まったく主役より遅く行くなんて、呆れてものも言えないわ」
在校生は本来、入学式の日は休校日なのだが、各クラス、数名の手伝いを要請された。
クラスの皆が嫌がる中、菜那は自ら立候補した。妹の晴れ姿を見るために。
だというのに、入学式に遅れそうな時間に起きてきたばかりか、余裕綽々でおにぎりを頬張っている我が子の姿に、自然と溜息が漏れる母だった。
菜那と美帆は姉妹というのに見た目も性格も全然違う。
赤みのあるふわふわの癖毛で背の低い細身の菜那、サラサラの黒髪の骨太でがっしり感がある美帆、性格も真面目な美帆に対し、自由奔放な菜那と対照的だ。
菜那が言うには「足りないところを補い合うのが姉妹」なのだそうだ。
そんな楽観的な菜那だが、実は美帆のことを気にかけていた。
理由は分からないが、美帆は桜舞島に越してきてから極度に内向的になった。
美帆が中学に上がると校内で見かけることもあったが、一緒に話をしている友人らしき者にでさえ壁をつくっている様に見えた。
休日も出かけることは少なく、どことなく他人を避けている感じだ。
夜明け前に走りに行くのもそのせいだろう。
桜舞島に越してくる前は、よく一緒に走ったものだが、あんな時間ではなかった。
仮に今一緒には走ろうと誘われても、あんな時間に起きるなんて菜那には無理だ。
家族には普通に接しているので両親は気付いていないのかもしれないが、姉妹としてずっと一緒にいる菜那には分かった。
なぜなら、美帆が心から楽しそうに笑っている姿を見ることがなくなったからだ。
そう、亜美たちと野球をしていた、あの頃のような笑顔を。
なんだかんだいっても菜那はやっぱりお姉ちゃんなのだ。
まあ、あれだけのトレーニングはしているが、食事も相変わらずの量を食べているので体を壊すことはないだろう。
焦ることはない、美帆も今日から高校生だ。何か良い変化が訪れるかもしれない。
おにぎりを食べ終わり、指をペロッと一舐めし、その手を合わせ「ごちそうさまにゃ」と合掌する。
バッグを背負い「いってきますにゃ」と家を出ると、颯爽と自転車にまたがり空を見上げた。
「今日もいい天気にゃ」
群青の空から降り注ぐ陽光に目を細め、気持ちよさそうに呟くと、ペダルに力を込める。
吹き抜ける爽やかな風に今日は何か良いことが起こりそうな予感がした。
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