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投手 小林亜美Ⅶ

 あの事件から数日、その日も亜美は一人走っていた。

 その足取りはいつもより軽く、なんだか楽しそうに見える。

 実際に亜美は上機嫌だった。理由は美帆だ。

 以前、野球部に誘ったときには断られたのだが、その美帆が野球部に入ると言ってきたのだ。

 心境の変化は気にはなるところだが、そんなことより、また美帆と野球ができることに感激する亜美だった。

 更に菜那も一緒だというのだから喜びも一入である。

「また一緒に野球をしよう」

 幼い頃に交わした約束。

 辛いときも苦しいときもあの約束があったから頑張ることができた。

 高校生になり、入学した桜華女子高等学校で美帆たち姉妹と再会した。

 再会できただけでも奇跡なのに、また一緒に野球ができるなんて想像すらしていなかった。

 今では叶うはずないと諦めていたあの約束が叶うとは。

 中学に野球部がなく、野球から遠のいていた美帆たち。

 島にある唯一の高校という理由で入学しただけだ。当然、桜華女子に野球部があるなんて知らなかった。

 しかし、亜美は野球を続けていたからこそ桜華女子に入学した。

 野球をやめていたら美帆たちと再会することはなかった。

 これも大好きな野球が引き合わせてくれた縁だと亜美は思った。

 野球部は週明けから本格的に始動する。他の部員にはまだ会ってないが、どんなメンバーがいるのか楽しみで仕方がない。

 上機嫌な亜美がランニングから戻ってくると部室の前に見覚えのある顔があった。

 そう、その人物こそ、あの時の男子生徒、矢野克也である。

 克也は亜美の姿を見つけると土下座をした。

「小林さん、あの時はすまなかった。言い訳に聞こえるけど俺も野球部で、まさか女子がいるとは思わなかったんだ」

 思った通りだった。この男子は野球部員で女子の野球部があることを知らなかったのだ。

 虎子が言っていたリベンジとは、練習で男子野球部を相手にすることなのだと亜美は理解する。

 が、一つ気になることがあった。

「あなた、どうして私の名前をしってるの?」

 そう、亜美は彼に自分の名を教えたことはない。それなのに、確かに「小林さん」と言ったのだ。

「理事長に聞いた。おれは矢野克也、同じ野球部なんだ」

「同じ?」

 その言葉に亜美はあり得ないことを想像した。

「おれもびっくりしたけど、桜華に野球部は一つしかないんだ」

「それって……」

「そう。男子も女子もないってこと」

「でも女子は男子と同じ試合には」

「そこは大人の仕事と理事長は言ってた」

「じゃあ本当に」

「そう、桜華はこの野球部で甲子園を目指すそうだ」

 亜美の想像は当たっていた。確かに虎子は「甲子園も夢ではない」とは言ったが、まさか本気で男子相手に甲子園を目指すなんて。

「あなたは女子と一緒で男子に勝てると思うの」

「普通に考えて無理かな。でも」

「でも?」

「君の投球を見てみたい」

 そう言ってバッグからミットを取り出す克也。

 そのミット、キャッチャーミットを見て亜美は確信した。

 目の前の矢野克也こそ虎子が言っていた「素晴らしい捕手」なのだと。


 野球部の専用グラウンド。

 広大な桜華女子の敷地内に虎子が私財をなげうって建設したといわれている。

 金持ちの道楽なのか、虎子の野球部設立の思いには恐怖さえ感じる。

 そのグラウンドの一塁側のブルペンに亜美は立っていた。

 亜美の十八・四四メートル先には克也の姿。

「もし君が理事長の言うような投手だったら……」

「何て言ってるの?」

「ごめん、独り言。それじゃあ、投げてみて」

 真ん中に構えられたミットを目掛けストレートを投げる。

 ミットが動くことなくボールが吸い込まれていく。

 ストレート、カーブ、シンカーと変化球も交え投げ込んだ。

(スピードはあまりないけど、コントロールは大したものだ。それに変化球の切れも悪くはない、これなら男子も打ち取れるだろう。が、甲子園となると……)

 中学の時、全国クラスの選手を見たことのある克也はそのレベルの高さを知っている。一打席ならまだしも、今の亜美ではそのクラスの打者を抑えるのは厳しいだろう。

「スピードはないけどコントロールは大したものだね」

 別に悪気があったわけではなく、素直に感想を述べただけだったが、その素直な感想に亜美は少しムッとした。

 男子と比べスピードが劣っていることは自覚している。

 自覚しているが改めて言われると腹が立つ。

「スピードがない分、変化球の切れとコントロールで勝負しているのに」と。

 腹癒せに少し意地悪をしてやろうとシンカーを逆球でショートバウンドするように投げる。

 克也は素早く体をボールの正面に持ってくると、ショートバウンドしたボールをキャッチし、何事もなかったように亜美に返球した。

 後逸させようとした亜美の目論見は克也のフィールディングにより失敗した。

「少し疲れたかな?」

 逆球になったのを疲れからだと思ったのだろう、克也はそんなことを訊いてきた。

「大丈夫よ。ようやく肩が温まってきたとこ、次は本気でいくわよ」

 虎子は克也のミットを目掛け全力投球する。

(本気と言うだけあって、さっきまでより少し速く!!!な?)

 克也の反応が遅れ、一度はミットに収まったボールは捕まれることなくポトリとミットからこぼれた。

(今のボールは、まさか?)

「今のもう一回投げてくれ」

 同じボールを投げるよう催促する克也に頷き投球する亜美。

(このボールがさっきと同じなら)

 今度はこぼすことなくキャッチした克也は、興奮した様子でマウンドに駆け寄ってきた。

「小林さん、今の球って、もしかしてジャイロじゃ」

「そうよ」

 一球見ただけでジャイロボールと気付いた克也に、虎子の言っていたことは全くの嘘ではないと実感した。

 ジャイロボール。

 一般的なのストレートの回転バックスピンと違い螺旋回転のため、空気抵抗が小さく初速と終速の差が少なくなる。

 その結果どうなるか。

 打者は感覚のズレが生じ、振り遅れるのだ。最初、克也が捕球し損ねたのも同じ理由だ。

「小林さん。おれ小林さんとバッテリー組みたい」

 いつもの女子に気を遣った社交辞令かと思ったが、克也の表情は真剣だった。

 本気で自分とバッテリーを組みたいと言ってくれている。

 初めて男子に認められた。男子とか女子とか関係なく、純粋に自分を認めてくれた克也に亜美は好感を持った。

「いいわ。あなたしかキャッチャーいないみたいだし」

 認められ嬉しかった亜美だったが、それを悟られぬよう、平静を装う亜美に、克也の口から思いもよらぬ言葉が発せられた。

「君 (のボール) に惚れた。今度の土曜、付き合って欲しい」

「な、な、なに言ってるの、冗談はやめてよ」

 顔を真っ赤にして答える亜美。

 これまで色恋沙汰には無縁だった亜美は、突然のデートの誘いに、もう平静を装ってはいられなかった。

「冗談なんかじゃない。小林さんしかいないんだ。ちゃんとリードするから今度の土曜、九時にここにきてほしい」

 興奮気味にまくし立てる克也に押され、完熟トマトのような顔の亜美は小さく「うん」と答えることしかできなかった。


お読みいただきありがとうございます。

次話もご一読いただければ幸いです。

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