投手 小林亜美Ⅵ
「リベンジしたくはないかね」
「リベンジ?」
ネガティブな思考に陥りかけていた亜美は、「リベンジ」という言葉に思わず反応した。
「そう、リベンジだ。私は今年度から、とある高校の理事長に就任してね、来年は野球部を新設しようと思っている」
「そこで野球をしろと?」
「その通りだ。ちなみにいい捕手も見つけている。君たちがバッテリーを組めば甲子園も夢ではない」
興奮気味に話す虎子の姿は、逆に亜美を冷静にさせた。
「高校じゃ男子と同じ試合には出られないし、甲子園にも出れません」
至極真っ当なことを言った亜美に、虎子は不敵な笑みを浮かべ「そんなものはどうにでもなる」と言い放つ。
「想像したまえ、今以上に体格差がある男子を手玉に取り勝利する瞬間を」
「……そんなこと無理です」
「無理ではない。君も見たはずだ。百六十キロ投手が次々と出てくるこの時代に百三十キロにも満たない球で打者を翻弄する投手を」
そう、亜美はその動画を見て、自分の進むべき道を見つけフォームを改造した。
今日はストレートばかりで打たれたが、他の球種を投げていたら虎子の言うとおり抑えることができたかもしれない。もしかしたらこの先も男子と渡り合うことができるかもしれない。いい捕手がいたら……。亜美は虎子の言葉に淡い期待を抱く。
「もう一度聞こう。リベンジしたくはないかね」
「リベンジしたいです」
さっきまでとは違い迷いなく答える亜美に満足そうに微笑む虎子。
「亜美君の入学を心待ちにしているぞ」
「それで何という高校ですか」
「桜華女子高等学校だ」
「女子?」
先程までの流れからは予想だにしない、女子というフレーズに、怪訝な表情を浮かべる亜美を安心させるべく虎子は言う。
「安心しろ、来年度からは共学だ」
こうして亜美は桜華女子へと入学したのだった。
「よし!」
パンと両手で自分の頬を叩き気合いを入れる亜美。
ウジウジ考えるのは自分らしくない。
桜華女子の男子生徒数は多くはない。それも噂にもなっている男子生徒だ、調べればすぐに見つかるだろう。
今日はもう帰っているだろうし、謝るのは明日にして、今は練習に集中しようと気持ちを切り替え練習着に着替える亜美。
部の活動は来週からだと聞いていたが、いても立ってもいられず部室に来てしまった。案の定部室に他の部員の姿はなかったが、ランニングや筋力トレーニングなど、一人でもできる練習はある。
何より今日一日野球のことを考えていた亜美は、気持ちが昂揚し体を動かさずにはいられなかった。
欲をいえば虎子の言っていた捕手が来てくれれば投げ込みができるのにと思いながらブラウスの脱いだまさにその時、
「チュー――」
大きな挨拶とともに部室のドアが勢いよく開いた。
開いたドアの方を見るとそこには一人の男子生徒の姿があった。
あまりの出来事に、一瞬固まるも、すぐに我に返った亜美は両手で胸元を隠す。
「いつもで見てるのよ」
怒り恥ずかしさとが入り交じり、真っ赤になった顔でそう告げると、呆然としていた男子生徒は「ごめん」と一言だけ発し、逃げるように部室から出て行った。
亜美は素早く着替えをすませ部室を出ると、部室の前に先ほどの男子生徒が立っていた。
怒りと恥ずかしさが残る亜美はその男子生徒を睨みつける。
「この変態、覗き魔」
男子生徒は何か言っている様子だったが、怒りに任せ男子生徒の頬を叩くと、そのままランニングに出かけた。
これまでの人生において本気で人をぶったことなどなかった亜美にとって今朝の出来事は初めての経験だった。
だというのに、まさか同じ日に二度も経験することになるとは夢にも思わなかったことだろう。
だが、冷静さを失っていた亜美は気づいていなかった。
今頬を叩いた彼こそが亜美が探していた男子だったということを。
体を動かし冷静さを取り戻した亜美は、先程の出来事を思い返していた。
もしかしてあの男子生徒は、女子が部室にいるなんて思ってもみなかったのではないだろうか。
元気よく挨拶して入ってきた彼が、自分に気付いた瞬間固まったのがその証拠ではないか。
そもそも大声を出し、あんな堂々と覗きに来るものなどいないはずだ。
部室のプレートには野球部とだけ書かれている。
普通の男子生徒なら野球部と書いてあれば男子野球部だと思うのは当然かもしれない。
それにあのとき彼は何か言っていたようだが、もしかして謝ろうとしていたのではないか。
「またやってしまったかも」と亜美は反省するのだった。
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