投手 小林亜美Ⅳ
「亜美君はなぜ、こんなになるまで無茶なトレーニングをしたのかね?」
いつものようにリハビリに励む亜美に虎子は訊ねた。
「それは……」
亜美は、いつの間にか男子追い越され焦っていたこと、同じ練習量では男子に勝てないと無茶な練習をしたことなど、これまでの経緯を打ち明けた。
「亜美君は野球ではなく力で男子に勝ちたいのかね」
虎子の言葉にハッとする。
そうだ、力で男子に負けたとしても、力だけが野球ではない。確かに長打や速球は野球の魅力の一つだ。だがあくまでも一つなのだ。
長打力のない野手や軟投派の投手はプロにもいる。
入るだけでも難しいプロの中で、活躍しファンを湧かせている選手もいる。
それなのに亜美は小学生の頃の姿に縋り、力で男子に敵わないことを受け入れられずにいたことを気付かされた。
「後で見てみるといい。今の君なら参考になるだろう」
そんな亜美を見て、虎子はある動画を亜美に送った。
「亜美君よく頑張ったね」
リハビリを始めて早半年、肘も完治し、ようやくリハビリも終わりを迎える。
「完治したからといって過度なトレーニングは禁物だ」
「はい。無理せず、コツコツやっていこうと思います」
「よろしい。亜美君がマウンドに立つ姿を楽しみにしている」
そう言って差し出された虎子の右手をしっかりと握り、亜美は笑顔で病院を後にした。
半年ぶりに復帰した野球部に亜美の居場所はなかった。
表面上は「故障明けだし無理するな」と心配を装っているが、本心は「女が練習しても邪魔にしかならない」と思っているようだった。
それは亜美にとっては想定内のことだった。
力で男子に敵わないのは事実であり、投球だって男子のような速球は投げられない。亜美が練習をしなければ、その分他の部員が練習することができる。
自分達と力の差は歴然であり、試合にも出られない亜美が練習するのは無意味だと、口には出さないが皆思っていたのだろう。
それが分かっていた亜美は、全体練習には参加せず虎子に教えて貰ったメニューをこなすなど一人で練習を行っていた。
「毎日毎日壁相手じゃつまらないでしょ」
いつものように壁に向かって投げ込みを行っていた亜美に声をかける人物がいた。
「瑞希」
瑞希だ。瑞希はソフト部の練習中なのかレガースやプロテクターを着けたままだった。
「一人じゃつまんないでしょ。私が付き合ってあげる」
そう言ってキャッチングのボーズをとる瑞希。
「でも瑞希、まだ練習中じゃ。それに……」
「大丈夫、練習終わってるから。うちの部そんな強くないし、練習終わるの早いんだ。それとこのミット硬式用だから。兄貴の失敬してきた」
「兄貴はもう使ってないから」と笑いながら話す瑞希につられ一緒に笑う亜美の目から一筋の涙が流れるのであった。
「亜美、アンダーにしたんだ」
瑞希の言うとおり、小学生の頃、オーバースローの本格派だった亜美。その亜美が、今投げているフォームはアンダースローだった。
虎子の一言で男子と力比べすることはないと悟った亜美は、球速に拘ることをやめた。プロだってスピードがなくても、コントロールや投球術で勝負する投手はいる。スピードで敵わないなら、その分そっちを磨いていこうと決めたのだ。
決め手になったのは虎子からの動画だ。
その動画はストレートが百三十キロに満たない外国の投手が、体格のいい相手打者を次々と手玉に取っていく動画だった。
その投手の投球フォームこそアンダースローだったのである。
外国では日本以上に珍しいそのフォーム。パワー勝負の傾向が強い外国で軟投派の見慣れない投げ方をする投手は、相手にとって今まで対戦してきた投手とは何もかもが違っていただろう。しかし、それだけで抑えられるほど野球は甘くない。
恐らくあの投手は野球を続けるために、創意工夫し、相当な努力をしたのだろう。
この動画を見て亜美は自分の目指すピッチングを見つけた。
「シャドウはやってたけど、ちゃんと投げ始めたのはここ最近だから、まだまだだけどね」
まだまだと言う割には亜美のフォームは様になっており、それは亜美の努力を物語っていた。
「もう実践でも大丈夫じゃない」
練習を始めて数ヶ月、亜美は最上級生になっていた。
瑞希は今も、時間のあるときは付き合ってくれている。
スピードが劣る分コントロールは負けぬよう下半身を鍛え投げ込んだ。
変化球もカーブ、シンカーを覚え、その切れとコントロールはなかなかのものだった。
下からではあるが、ソフトとは違う軌道や変化に、捕球に苦労している瑞希の姿がそれを証明していた。
自信はある。自信はあるが実践から遠ざかっている亜美には不安もあった。
「瑞希考えていたボールがあるの」
その不安を払拭するように、瑞希のミットをめがけ渾身のボールを投げ込む亜美。
「えっ!な、なに?」
初めて見るボールに驚く瑞希。
ミットに弾かれて転々とするボールを見て、亜美の自信は確信に変わった。
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