投手 小林亜美Ⅲ
そしてついにその日はやってきた。
投げた瞬間、肘に激痛が走った。
ボールを投げることができないくらいの激しい痛みに亜美は病院へ向かった。
その病院で亜美は運命の出会いを迎える。
検査を終えた亜美は不安に押し潰されそうになりながら、待合室で結果が出るのを待っていた。
看護師の女性に呼ばれ診察室へ入り、医師と向かい合う様に椅子に座る。
机には先ほど撮ったレントゲンの写真が貼ってある。
当然亜美はその写真を見ても何がどうなっているのか分かるはずもなく、ただ何も異常がないようにと祈りながら亜美は医師の言葉を待った。
そして医師は亜美の肘の骨が写ったそれを見ながら淡々と告げる。
『離脱性骨軟骨炎』
肘の骨がぶつかり軟骨を傷つけ、酷い場合は手術も必要になる所謂野球肘と呼ばれるものの一つである。それが亜美に下された診断結果だった。
「手術が必要だね」
手術という言葉に不安に思っていた言葉を口にする。
「野球は続けられますか?」
「絶対とは言えんが大丈夫だよ」
「大丈夫」との言葉に安堵した亜美だったが次の言葉に愕然とする。
「リハビリは大変だろうけど、早ければ半年くらいで投げられるだろう」
半年くらいで投げられる、逆に言えば半年は投げることができないということだ。
今の亜美に半年という時間は絶望的なもので、引退勧告をされたようなものだった。
診察を終え、会計を待つ間、打ちひしがれた亜美は視線を落とし待合室の椅子に座り込んでいた。
男子との差を目の当たりにした今、半年も練習をしなければ男子との差は更に開き二度と追いつくことはできないだろう。
入部初日に言われた通り女子では男子には勝てないのだ。
今までは男子にだって負けなかった。努力をすればそれだけ結果がついてきた。しかし今は……。
絶望の中、亜美は人間は平等ではないことを知った。
「そんな辛気臭い顔でいられたら、うちの病院がヤブと噂されるだろ」
その声に顔を上げると亜美の前に白衣を着た綺麗な女性が立っていた。
見たところ二十代前半だろう、彼女は見た目の若さとは裏腹に、すれ違う看護師など病院の関係者が深々と頭を下げるのだ。偉そうな中年の医師でさえ。
そんな彼女を「何者だろう?」と思う亜美。
「肘は治るって言われたのに。なぜそんなに落ち込んでいる?」
何故彼女がそのことを知っているのか分からず、怪訝な表情を見せる亜美に彼女は言った。
「私も診察室にいたからな。気づかなかったのかい、小林亜美君」
診察中、不安で一杯だった亜美は、周りが見えておらず彼女の存在に気付いていなかった。
「それなら聞いていたでしょう。半年よ、半年も投げられないのよ!」
涙を浮かべ絶望と悔しさが入り交じった声で亜美は叫んだ。
「君はまだ中学生だろ。たかが半年、どうってことないさ」
「どうってことあるの!同じ練習をしても男子にはおいてかれる。それが半年も練習ができないなんて二度と追いつけない。もう野球なんて……」
どんなに辛くても、今まで決して口に出すことはなかった言葉を口にしようとするほど亜美はショックを受けていた。
「半年投げられないだけだろ。なにリハビリをしながらでも他の部位は鍛えられるさ。ただ今は体を休めたまえ」
「でも……」
「ただ闇雲にトレーニングしても逆効果だ。肘だけじゃない。君の体はどこも限界だ。いいかい、効率よく鍛えるには休養も必要なのだよ」
「あなたは一体?」
トレーニングに詳しそうな彼女を何者かと思い亜美は訊ねてみる。
「私の名は桜小路虎子。喜びたまえ、私が君のリハビリを担当してやろう」
別に名前を聞きたかった訳ではなかった亜美だが、こうして虎子と出会ったのだった。
虎子の言葉通り亜美のリハビリの担当は虎子となった。
虎子は肘のリハビリだけではなく、野球向けのトレーニングの指導や毎日のメニュー作成なども行った。もちろん休養を取らせることも忘れなかった。
海外でスポーツ医学を学んだという虎子の指導は的確で、亜美はトレーニングの成果を実感できた。
リハビリやトレーニングは大変ではあったが成果が実感できたこともあって辛くはなかった。
それに、なんだかんだで亜美は野球バカだった。
野球がしたい。こんなにも長く野球から離れたことのなかった亜美は、早く野球がしたい一心でリハビリに励むのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次話もご一読いただければ幸いです。